第11章「国王がもう一人現れました」
【前回までのあらすじ】
私の名前は楓と言います。日向様と2人で温泉旅行に行った夜、私は昔のことを思い出していました。
日向様に対する自分の思いを改めて実感するとともに、日向様との未来に待ち受ける困難に思いを馳せつつ、それに立ち向かう決意を新たにしたのでした。
翌朝、朝食を部屋で取ったあと、俺と楓は観光もそこそこに異世界へと戻ることにした。やはり長く留守にするのは落ち着かないということで2人共一致したのだ。
スーパーマーケットに寄って食料と日用品の買いだめをした後に、異世界の門をくぐって松郷までたどり着くと、撫子が慌ててこちらに向かってきているのに気づいた。
「撫子、ただいま。どうしたの?」
「帰ってきた早々で悪いけど、お客さんだよ」
「お客さん?」
「三倉国からの使者さま」
三倉国とは、日向国が位置する西夏地方北部のうちでまだ使者を送ってきていなかった最後の国だ。日向国とは直接国境を接していないが、この地域の盟主的な存在なので無視するわけにはいかない。
「昨日の午後に突然着いて、仕方ないからここに一泊して貰ったんだよ」
「それはまたタイミングが悪い」
「そういうわけだから、なるべく早く準備して。今、桜が頑張って応対してるところだから」
「分かった。急いで行くよ」
俺と楓は遅れて出てきた柊に荷物を預けると、急いで宮殿に入って謁見用の正装へと着替えた。
謁見の間に行ってみて、まず覗き穴から中の様子を確認してみると、使者は小難しそうな表情で桜に対してあれこれと文句をつけていた。
その内容はというと、整列している兵士たちの立ち位置が間違っているとか、制服についている階級章の位置や角度がおかしいとか、室内に活けてある花の種類に問題があるとか、とにかく細かい礼儀作法について難癖をつけるようなものだった。
そういう面倒くさい指摘の一つ一つに対して、桜はにこやかな表情を保ったまま、勉強になります、とか、博識でいらっしゃいます、とか言って相手を持ち上げながら相槌を打っていたのだ。
「うーん。よく我慢するね、桜も」
「うん。あんなに礼儀作法に詳しい人だと大変だよね。すぐに行ってあげないと」
「日向様?」
「ん?」
楓が俺の顔を少し不思議そうな様子で見たが、すぐに何かに気づいて耳に口を寄せてきた。
「日向様、あの使者の言う礼儀作法は全然間違っているんですよ」
「え?」
あんなに堂々と文句を言ってるのに間違ってるの?
「今から200年くらい前に礼儀作法のルールをできるだけ細かくして厳格に運用するのが流行った時代があったんです。
そのブームは100年も持たずに終わったんですが、その末期に嘘の礼儀作法のルールを一杯書いた風刺本が出てるんです。ものすごく厳しい装丁のいかにも権威がありそうな本なんですけど、全部嘘なんですよ。
あの使者が主張している礼儀作法は全部その本に書いてあることなんです」
うわあ……。
「それは、痛いね」
「それに、今の流行りはルールを踏まえた上でそれをセンスよく崩すのを評価するので、ルールに厳密にというのからしてそもそも古臭いんですよね」
「ははは」
楓の辛辣な評価に思わず乾いた笑いを漏らしてしまった。
考えてみれば、楓たちはつい最近まで帝都にいた本物のお姫様なのだ。こんな田舎のおっさんが礼儀作法の講釈を垂れるなんて釈迦に説法以外の何者でもない。
とはいえ、相手はお客さんなわけだし、こちらも待たせている負い目があるので、その礼儀作法は全部間違っていますなんて指摘するわけにもいかない。
その点、桜は間違いを指摘するどころかそんなことをおくびにも出さないで相手を持ち上げてご機嫌を取っているのだからすごいものだ。逆に、撫子は思ったことがすぐ顔に出るタイプだから、裏に引っ込んでいるのも納得だ。
「じゃ、そろそろ行こうか。桜を早く助けてあげないと可愛そうだ」
「はい」
俺達は桜にこっそりと合図をを送り、桜が受け取ったのを確認して謁見の間へと移動した。
使者は正使と副使の2人いて、正使の方が間違った礼儀作法を主張していた人物だった。40歳半ばの男性で、まだ20歳代の副使に喋らせないように牽制する様子が目についた。
「これは勇者様にお姫様、お初にお目通りいたいます。私、三倉国よりの使者、「則勝」と申します。以後、お見知りおきをくださいますようお願いします」
正使は則勝と名乗り、態度は慇懃で訛りもなかった。さっきはいろいろ間違ってはいたものの、仮にも礼儀作法に厳しいという自負があるのなら、こういうところで無礼な言葉遣いはしないということなのだろう。
ただし、それは形式だけのことで、視線の向け方や姿勢、言葉の細部のニュアンスなどから、相手を侮っている態度が透けて見えるようだった。
「これはご丁寧にありがとうございます。昨日から僕たちが不在だったせいで待たせることになってしまったようで、申し訳ありませんでした」
「本当にそうでございますね。建国直後のこのような時期にお二人同時にご不在になられるとは、よほど大切なご用事がありましたのでしょう」
全く本心からではなさそうなその発言に、俺は思わず心の中で眉をひそめていた。話しているだけでこんな気分になる相手も珍しいと思う。桜はよく平気な顔をしていたものだ。
「はい。日向様には勇者としての特別な勤めがありますものですから」
俺が一瞬返事に困って受け答えに間が空いたと思ったら、楓が代わりに素知らぬ顔でしれっと嘘をついて返事をした。さすがに楓は慣れてるな。
その後も則勝との形だけ丁寧なやり取りは続いたが、言葉の美麗さに反して中身に身のある話はなかった。その割に会談の時間は長く、1時間以上も話は続いた。
話はほぼ則勝が一方的にしゃべるだけで、いかに三倉国が由緒正しく歴史のある国で、またこの地域の政治、経済、軍事の面で主導的な立場を取っているかということについて、あまり中身のない主張を繰り返すだけのものだった。
流石にもうこれ以上付き合いきれないと思って、会談を終わりにしようと呼びかけようとしたところで、その気配を察知したのか、あるいは同じことを思ったのか、楓が先に声をあげた。
「則勝さん。そろそろご支度をなさいませんと、日暮れまでに高岡まで戻れなくなってしまいますが」
「おお、これはすっかり時間を忘れていました。では最後にこれだけ繰り返し申し上げさせてください。大切なのは蛇の尻尾なのです。それを忘れなければ必ず道は開けるのです」
蛇の尻尾と言うのはどうやらさっきの話の中で何かの例えとして出てきたのだが、そもそも論旨がよくわからない話の上に例え話が多すぎて、何が何の例えになっているのかさっぱりだった。
しかし、則勝の方は言いたいことを言ったためか上機嫌になっていて、自らうんうんと頷いている。
そして最初と同じように慇懃に挨拶すると、俺と楓が退席する前にさっさと独りで退席してしまった。あれ、そこは国王が先に退席じゃないのか? それとも、また例の嘘の作法本にあったルールなのか?
とにかく則勝は独りで退席してしまい、俺と楓は当惑した表情で残された副使の方を見つめていた。そう、則勝は副使までも置いたまま退席したのだ。
「やれやれ」
副使は軽く小声でそう呟いてふうと息を吐くと、俺と楓に向かって発言を求めた。俺は頷いて許可した。
「私は「信基」と申します。赤石国国王「基鋼」の臣下でございます」
赤石国国王?? 三倉国じゃなくて!?
赤石国は11年前のオーク襲撃で国土を失い、もう国家としては名も実も滅びたと思っていたが、まだ国王を名乗る者がいたのか。
「一度は魔物の手に落ちた赤石国を再び魔物の手から取り戻した功績は大変大きなもので、基鋼様もお喜びでございます。この上は基鋼様のご帰還を実現させることが急務かと存じます」
??? 何を言ってるんだ、こいつは?
「勇者様、楓様。基鋼様はあなたがたの功績を重く見て、高い地位で召し抱える意向でございます。次の訪問では基鋼様も同行されるでしょう。ですので、その時までにきちんと準備を整えておいてください」
えっと、つまり、信基が言いたいのは、この国は基鋼のものだからおとなしく明け渡せ、そうすれば俺のところで雇ってやる、ということか。なんと都合のいい……
「その要求は三倉国としてのものと考えてよいですか? それとも赤石国としての?」
「私は三倉国の副使として参りましたが、今は赤石国国王の代理として話しています。ただし、基鋼様は亡命以来、三倉国に身を寄せており、三倉国の首脳とも懇意にしておりますことをお考え下さい」
信基の発言は三倉国の公式な見解ではないが、内意は得ていると匂わせたいのか。
この地域のパワーバランスからして三倉国と敵対するのは今はあまり得策とは言えないけど、信基の要求は無理だ。どうするか?
「……赤石国はその国土を失って随分経っています。慣例では5年間占有を離れればその土地は所有者不在となり、それは国家でも例外ではないと思います。もし基鋼が国土の返還を要求するならば、まずはその根拠を示されるのが筋ではないでしょうか?」
「基鋼様は先代赤石国国王の嫡男で、家督の相続には三倉国の使者の立会いもございます。その上で、三倉国内に亡命政府を立てて赤石国領内の状況を定期的に監視しておりました」
「でしたら、まず僕の方から後ほど三倉国の方へ確認の使者を立てましょう」
「分かりました。ただし、基鋼様は速やかな帰還を望んでおられます。帰還が遅れれば遅れるほど、心証が悪くなる可能性があることだけはお心に留めておいてください」
心証が悪くなる。つまり、基鋼が国王になった時に登用される地位が低くなるか、もしかしたら登用されないということか。
と、そこで先に帰った則勝の付き人がなかなか戻ってこない信基の様子を見に来たので、この謁見は終わりとなった。
「柊」
謁見の間から引き上げてきて、すぐに俺は柊に声をかけた。まだ撫子と桜は使者たちを見送りに行っているので、ここには俺と楓と柊だけだ。
「柊はあの副使の人に見覚えは?」
「ありません」
「じゃあ、基鋼のことは?」
「基鋼様のことは兄から話だけは聞いてます。でも、最後に会ったのは4歳の時やから、ほとんど記憶がないです。兄なら詳しいと思うんですが」
鋼泰か。オーク襲撃があったのは、彼が16歳の時だから旧赤石国の王家の事情もある程度は覚えているだろう。例え、彼が松郷ではなく八越に住んでいたとしても。
「これは急いで鋼泰と一度連絡を取ったほうがよさそうだね」
俺はそう楓に話しかけた。
「はい。それに高岡とも」
「高岡と?」
「はい。向こうが三倉国を後ろ盾とするなら、こちらにも何らかの後ろ盾が必要になります」
「それで高岡か」
確かに高岡の商人が持つ財力と情報は三倉国と交渉する上で有利に働くに違いない。後ろ盾として味方につけられれば心強い。
それにぐずぐずしていると高岡が基鋼の方に話を持っていかないとも限らない。
赤石国国王を名乗る基鋼の主張は、通例なら5年以上経って消滅しているはずの赤石国の統治権を、三倉国の後ろ盾を得て強引に主張しようとしているものなので、本来ならこちらに理があるはずだ。
しかし、国際紛争の常として力がなければ無理を通されてしまってもどうしようもない。
軍事面では、俺や楓たちが戦えば相当の軍隊と戦っても負けることはないと思うが、それにしても俺たち4人では面の防衛力は足りない。ましてや経済戦争になって三倉国と戦う実力は今の日向国には全くない。
だが、高岡を味方に、あるいは最低でも中立にすることができれば、三倉国との経済戦争が起きた時の状況が随分変化する。
「だけど、その前にまだこっちの岩瀬屋に対する方針が決まっていない」
「はい。それが問題です」
しばらく俺と楓が口を閉じて考えに耽っていると、則勝たちを送り出した撫子と桜が帰ってきた。
「全く、一体何なんだ、あの信基ってのは!?」
ぷんぷん怒っているのは撫子だ。
「おー。困ったー」
そして、全く困っていなさそうなのが桜だった。
「日向っ、何でもっとズバッと言い返してやらないのさ」
「だって、あんまり迂闊なことを言って外交問題になるわけにはいかないじゃないか」
「もう十分外交問題だよ。くー、あいつめ。なんとかぎゃふんと言わせられないかな」
「撫子ー。どーどーどー」
桜が興奮する撫子の額に手を置いて落ち着かせようとしているが、若干逆効果にも見える。
その撫子の様子を見ていて、俺は逆に迷いが吹っ切れた。
「よし。明日、僕は高岡へ行くよ。楓は留守番をお願い。撫子は僕と一緒に来て」