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第1章「新卒で国王になりました」

「※急募※

 職種 国王

 年収1千万円 社宅、食事、制服支給

 週休2日 有給年20日 疾病休暇、その他特別休暇あり

 裁量労働制 コアタイムなし

 試用期間3ヶ月」


 そんな求人がネットの話題をさらったのは、俺が卒論の仕上げに追われていた大学4年の12月下旬のことだった。


 某巨大掲示板、某ソーシャルブックマークサービス、某SNS、某短文投稿サイトなどなど、インターネット各所で大いに盛り上がり、著名人ブログにも取り上げられ、某巨大ポータルサイトのトップニュースにも記事が掲載され、年も明けてネタの鮮度も下がって話題も下火になったころ、俺の卒論が書き上がった。


 遅ればせながらにインターネットを巡回して俺なりに情報をあさってみたのだが、その募集がいたずらかどうかの結論は結局出ないままだったようだ。


 いたずらではないとする理由は掲載された求人が大手の求人サイト数社にまたがっていたことで、しかも騒動発生後も求人が取り下げられなかったという点が大きい。


 つまり、この求人はまだ求人サイトに掲載されていて、応募を受け付けているのだ。


 そういうことなら、俺も応募せざるを得ない。


 すでにあちこちで受け狙いで俺も私も応募したという報告が多数上がっているが、まだ誰のところにも連絡は行っていないようだ。あるいは、そういう受け狙いの応募は書類選考で落とされているのかもしれないが。


 ちなみに、俺は大学卒業後は院に進学して卒論を書いた研究室に所属することが決まっている。ただ、もし年収1千万が本当なら進学を止めて就職してもいいかなとも思う。もしブラック企業だったりすれば、辞めてもう一度院試を受けなおせばいいだけだし。


 応募は去年登録した新卒向けの大手就職支援サイトからすることにした。1年前は万一院試に落ちたらということで、一応就職支援サイトにも登録していたのだ。登録だけしてほとんど使わなかったけど。


 手続きは全てネットで完結するらしく、氏名、住所、生年月日、学歴、職歴などなど一般的な項目を入力して、志望動機のところではたと考え込んだ。


 国王になる志望動機か。


 どんな国かも分からない国の国王になる動機なんてあるわけないよな、と思いながら、ちょっと考えて「天下布武」と書いておいた。やっぱ信長だね。


 なんでもそうだが、こういうネタは風化するのも早い。応募して最初の1週間はどきどきして待っていたが、ちっとも連絡がこないうちに卒論発表会やら卒業にかこつけた飲み会やらに追われてすっかり忘れてしまっていた。


 そして、3月。


 無事に卒業式も終わり、卒業アルバムも受け取って下宿先に戻ってきた俺は、メールボックスに見慣れないアドレスからのメッセージが届いていることに気づいた。


 それは、1月にネタで応募した国王募集の合格通知だった。


 入社日は4月1日ということだったが、その前に職務内容の説明と職場の案内、そして最終意思確認のためということで、会社を訪問することになった。


 そして辿り着いたのは、某県某市、市町村合併の前までは村だったところにある寂れた駅で下り、そこから1時間に1本のバスに乗って30分揺られたところのバス停。そこに広がるのは、方向感覚を失うほどの田園風景だった。


 吉里吉里国かよ。


 中学生のころに図書館で借りて読んだ中学生には妙にエロかった小説(注:そこしか覚えていない)を思い出すような舞台設定に、やっぱいたずらだったかな、と後悔しつつ、さりとて今更引き返す訳にもいかないので地図に従って年収1千万の会社を探して歩き始めるのだった。


 ………………これ?


 会社というよりも古民家、しかもただ古いだけの方の、を目の前に、俺は何度も地図と建物の間で目を往復させたが、このあたりにこれ以外の建物は存在しない。


 吉里吉里国よりひどいんじゃないか、これ。


 もしかしてテレビのバラエティ番組の企画とかだったりするのかな。電波少年とか? 懸賞生活的なやつ?


 なんか、歳が10か20上になったような感想しか出てこないが、そのくらい現代社会から隔絶された田舎なのだ、ここは。田舎に泊まろう!も来ないような。泊まる家がないから。ダーツの旅なら来てもいいかもな。


 と、門らしきものの前でしばらく逡巡していたが、このまま何もしないわけにもいかないと思った俺は、意を決して敷地内へと足を踏み入れた。


 トントン


 「ごめんください。合格通知を頂いて来たものですが」


 年季の入った引き戸を叩いて訪問を告げると、中からとたとたと音がして誰かが中から引き戸を開こうとした。


 が、開かない。


 どうやら立て付けが悪くて引っかかっているようだ。


 仕方ないので俺も加勢することにして、鞄を置いて引き戸に手を掛けた。


 ガラガラッ


 俺が手を掛けると、引っかかっているものが外れたのか引き戸は途端に勢い良く開いた。そして、俺はその中に全くその場にそぐわないものを見たのだった……。



 「粗茶ですが」


 と言って差し出された茶に、砂糖をスプーン一杯すくって入れる。さらにミルクも入れてスプーンで軽くかき混ぜ喉を潤す。3月のまだ寒い外を歩いて冷えた身体にお茶の温かみが染み渡る。


 もちろん紅茶だ。カップはどこのメーカーか分からないが割りとちゃんとしたティーカップ。それがちゃぶ台の上に出された時にはその場違い感に悶絶しそうになった。


 しかし、俺の目の前にあるのはそんなものが全く気にならないほどの異常事態だった。


 見た目高校生くらいの少女が、髪をピンク色に染めて、白とピンクのフリフリのドレスに身を包んで、畳の上に正座しているのだ。しかも、お姫様っぽいティアラや手袋を身につけて。


 全く意味が分からないよっ。


 「あの、僕は求人募集に応募して合格を頂いてこちらに伺ったのですが……」

 「はい。国王様ですね。ようこそいらっしゃいました」


 よかった。ここで合ってたんだ。


 俺はとにかく道に迷って全く無関係な民家に紛れ込んだわけではないことにひとまず安堵した。そして、今の状況のわけの分からなさによりいっそうの不安を感じたのだった。


 「それなんですが、国王というのはどういう意味なんでしょうか?」

 「国を治める者という意味です」

 「いや、もちろんそうなんですけど、……、あの、どこの国の?」

 「これから作ります」


 頭が痛くなってきた。


 全く以って吉里吉里国じゃないか。じゃあ、この後の展開は、この古民家から日本国と世界に対して独立宣言をすればいいのか!


 「どこに?」


 だんだんイライラしてきて言葉遣いがぞんざいになってきた。早くこんな電波な会話を切り上げて東京に帰りたい気分だ。


 「この世界ではない、別の世界です」

 「は?」

 「いわゆる、異世界です」

 「……、話を聞こうか」


 俺は、何を隠そう、わりと超常現象に目がないタイプだ。


 といっても、闇雲に霊魂は存在するとか宇宙人は存在するとかいうのを盲信するタイプのとはちょっと違う。


 一口に超常現象と呼ばれるものもその中身は玉石混交だ。大抵は人間の創り出した創作で、中には歴史のある創作もあってそれはそれで奥が深い。しかし、俺が興味があるのはそれ以外のものについてだ。


 超常現象の中にはまれに創作物ではなく現実に起きている現象がある。俺はそういう実在の超常現象を探し出して、その裏に隠された合理的な原因を探すのが楽しいのだ。


 それに、そういう話を研究室の先生や先輩と議論するのはもっと楽しい。そもそも俺がこういうことに興味を持つようになったのは、研究室の先生が原因なのだから。


 だから、お姫様風の少女が「異世界」と言った時に、俺の超常現象アンテナがピンと立って告げたのだ。


 これはネタだ。


 ネタならば、美味しくいただくより他に選択肢はない。もし1人で食べきれないネタだとしても、持ち帰ってみんなで食べるおみやげにする義務がある。例え、この身が滅びようとも!


 「私は実は異世界から来た人間なのです」


 少女はそう切り出した。


 「とある事情から私は国を追われまして、辿り着いた地で新たな国を興すことを決意しました。私には仲間がいますが、それだけでは力が足りませんでした。そこで、古の勇者召喚の儀を参考に異世界から協力者を得ようという事になったのです」

 「えっと、いろいろ突っ込みたいところが満載なんだけど、とりあえず、勇者召喚!?」

 「あ、はい。いきなりそんなことを言われても困ってしまいますよね」


 勇者召喚。ライトノベルやネットノベルでは定番ネタの1つだから一応概念としては知っているが……


 少女が説明してくれたところによると、勇者召喚の内容はほぼその理解で正しいらしい。行われたのは過去1度きり伝説として残るのみで、その勇者は魔物を魔界に閉じ込めて平和をもたらし、人間界に秩序をもたらしたのだそうだ。


 そして今、彼女とその仲間は、その伝説の勇者召喚の儀を参考に、新しい魔法を作り上げたのだ。


 彼女らはそれを「異世界の門」と名づけた。


 この魔法は勇者召喚の儀と同じく、世界を渡るのに必要な様々な機能が詰まった魔法で、違う点は勇者召喚の儀が一回きり一方通行だったのに対して、異世界の門は何度でも双方向に世界を渡ることができるところだ。


 ただし、何事も完璧ということはなく、門を一度閉じてしまうと再び同じ世界の同じ時間につなげるのはほぼ不可能となってしまうという問題があった。そこで、何度も行き来するためには門は開けっ放しにしておかなければならない。


 「なるほど。それで人が滅多に来ないこんなど田舎に」

 「あ、いえ。門が繋がる先はコントロールできないので、ここに繋がったのは偶然です」


 ここまでのところ、お話としては理屈が通っているようだ。しかし、まだ机上の空論でしかなく、何か証拠を見せてもらわないと本当には信じられない。


 「では、そろそろ異世界の方に案内いたします」


 俺の心を読んだのか、はたまた予定通りなのか、少女は俺をその異世界の門というところへと連れて行った。


 「そういえば、名前、聞いてたっけ?」

 「はわわっ。すっ、すいません。私、かえでと申しますっ」


 楓。異世界というと横文字な名前のイメージがあったんだけど、意外と和風なんだな。


 「そういえば、なんで楓は日本語をしゃべってるの? 異世界から来たのに」

 「異世界の門には自動翻訳能力を通過者に付与する力もあるんです。翻訳は一般的な言葉だけじゃなく、固有名詞や未知の概念も、その意味や語源を辿って適切に翻訳されます。私の名前も国王様には日本語の名前として聞こえているのではありませんか?」

 「名前も翻訳されるんだ」

 「はい。ついでに文字の読み書きも翻訳されるので言葉の問題で異世界での生活に困ることはありません」


 なるほど。お約束ではあるけど、ものすごいチート能力だな。頑張ってこれまで英語の勉強をしてきた苦労が何だったのかと思うよ。


 「今は私のほうが異世界人なので、私の言葉が翻訳されていますが、門をくぐった後は国王様の方が異世界人ですので、国王様の言葉のほうが翻訳されます」

 「なるほど」


 その区別にどのくらいの意味があるのかはよくわからないが、あえて突っ込む必要もない気がしたので、とりあえず頷いておいた。


 「さ、こちらがその門になります」


 そう言って楓が示したのは、古民家の一番奥にある土間だった。


 そこは窓に板が打ち付けられて外から覗き込むことができないようになっていた。外からの光が入って来ないため部屋は暗くなるはずだが、実際には床から正体不明の光が溢れていて意外に明るかった。


 「これが?」

 「異世界の門です」


 床から溢れる光は、円の中に様々な模様が描かれたいわゆる魔法陣のようなものから発生していた。おそらく、この魔方陣が異世界の門の本体なのだろう。


 「円の中に入ってください」


 言われるままに円形の魔法陣に足を踏み入れた俺は、ほんの数秒で立ったまま意識を失い、気がついた時には別の部屋、といっても似たような窓のない土間だが、に立っていた。


 ドンッ


 「キャッ」


 後ろから何かにぶつかられ、小さな悲鳴のようなものが上がった。


 「こ、国王様、立ち止まらないでください」

 「あ、ごめんごめん」


 ぶつかったのは楓だった。円を歩いて通過する間に世界を渡るから、立ち止まった俺に後から来た楓がぶつかってしまったようだ。


 「ようこそ、異世界へ」


 そんな掛け声とともに開け放たれた扉の向こうは……、やはり古民家だった。さっきとは違い、今度は多少価値のありそうな古民家だったという違いはあるが。


 「えっと、ここは?」

 「異世界です」

 「いや、それは分かったんだけど、……、なんか、あんまりさっきと変わり映えしない気がするんだけど」

 「そ、そんなことないですよ。ほら、見てください、外の景色」

 「おんなじくらい田舎だ」

 「あ、いえ、でも山の形とか」

 「あー、確かに違う……かな?」


 楓に引っ張られて外の見えるところまで来たが、そこにはさっき古民家に入る前に見たような、いや、それよりもひどい、見渡す限り人っ子一人いない大自然が広がるだけだった。


 「あー、楓、もう戻ってきたの!?」


 ふと、外を見る俺の背後から元気な女の子の声が聞こえてきた。振り返ると、緑色の髪に白とライトグリーンのドレスを来た少女に、黄色の髪に白とライトオレンジのドレスを来た少女が立っていた。


 「やっぱ、本物はかっこいいねー。あたしの見る目は間違ってなかったね」

 「こ、こら、撫子。そんな失礼ですよ」


 撫子と呼ばれた緑髪の少女が俺に触れるほど近くまで来て、しげしげと俺の顔や身体を見つめてくる。楓はそんな撫子を止めさせようと後ろに引っ張った。


 「おー、これが新しいお兄ちゃんかー」

 「お、お兄ちゃん?」


 もう一人の黄色髪の少女は、少し離れたところから俺を見てそんなことを言っていた。


 「桜も、国王様に何を言っているんですかっ」


 こっちの少女は桜という名前らしい。この2人は楓の「仲間」なんだろう。他の仲間はどこにいるんだろうか。


 俺は周囲に視線を動かして、再び外の景色を見て、「仲間」どころか「住民」の気配すら感じられないその光景に一抹の不安を覚えるのだった。


 「2人とも、ちゃんと挨拶してくださいっ」


 とうとう堪忍袋の緒が切れた楓の声に視線を戻すと、服の乱れを治す撫子とのんびりした調子で楓をなだめている桜の姿があった。


 「はーい。あたしは撫子と言いまーす。こう見えてもエルフなんだぜ」


 そう言って緑の長い髪を掻き上げると人間のよりも長い耳が現れた。


 「まあ、大したことはないんだけどね」

 「エルフは一般的に魔法が上手なんですけど、撫子は特に優秀な魔法使いなんです」


 撫子の大雑把な自己紹介を楓がフォローした。褒められた感のある撫子は若干得意げだ。


 「桜は桜なのです。お兄ちゃんが来てくれて嬉しい」

 「そうそう。よろしくね、日向っ」


 桜の自己紹介は大雑把どころか自分の名前を繰り返しただけで終わって、すぐに俺に飛びついてきた。さらに、撫子まで俺に飛びついてこようとしたので、楓はまた後ろから2人を引っ張った。


 「2人とも、国王様に失礼ですよっ」

 「あのー、そのことなんだけど」

 「はい?」

 「「国王様」って呼び方、何とかならないかな?」


 前から違和感があったもののそういうものなんだろうかと受け入れていたが、撫子と桜が全然「国王様」と呼ばないので、その呼び方は必須ではないのかと思って楓にそう切り出してみた。


 「あ、失礼しました。では、「陛下」とお呼びすれば……?」

 「いや、逆で、もっと普通に名前で呼んでくれれば」


 言い忘れていたが、俺の名前は日向ひなただ。履歴書にも書いておいたので、楓は知っていると思う。現に撫子は知っていたし。


 「公式な場面でお名前を呼ぶのは失礼に当たりますが、私的な場面に限定すれば……」

 「もうー、楓は堅すぎるんだよ。日向がああ言ってくれてるんだし」

 「おー。お兄ちゃんはやさしいのだ」

 「じゃあ、えっと、日向様」

 「あ、うん。もうちょっとくだけてくれてもよかったんだけど、それでもいいよ」


 まだ堅いけど、国王様よりはだいぶましだ。


 「ところで、他の仲間はどこ? 顔だけでも見ておきたいんだけど」

 「えっ」

 「楓、まだ言ってなかったの?」

 「ごめんなさい」

 「ん?」


 さっきまでの楓の強気な姿勢が一転して弱気になって、逆に叱られていた撫子が楓に優位な立場を取りはじめた。


 「あたしたち3人が仲間なんだよ」


 元気になった撫子が胸を張って言った。余談だが、撫子は張っても大して胸が盛り上がらない。


 「うん。だから、他の仲間のこと。国を作るっていうんだから、他にもいるんでしょ、仲間が」

 「いないよ。あたしたち3人の国なんだ」

 「は?」


 言っちゃ悪いが、目の前にいる女の子達はお世辞にも大人の女とは言い難い。……桜の胸は立派な大人だが、それはともかく見た目女子高生な女の子3人が集まって国を興すといっても、あまり真剣な話には聞こえない。


 「あっ、あの、日向様。黙っていて申し訳ありません。でも、私たちはどうしても国を興さないといけないんです」


 ただ、楓の声音と瞳にはただの思いつきではない決意があるように思えた。どういう事情かはまだよく分からないが、伊達や酔狂というわけではなさそうにも思える。


 「とりあえず、今日はここに泊まっていってください。その間にできる限りの事情を説明します」


 そう言われて、元より日帰りできるとは思っておらず、泊まりがけになる準備はしていたので、泊めてくれるといって断るつもりはないというように伝えたら楓は心底ほっとした表情をしていた。



 異世界の門は世界間での時間の流れを調整する力もある。異なる世界は全く異なる時間の中にいるので時間の流れは全然リンクしていないのだが、異世界の門でつながっている間はその門を通った者の時間を元の世界の時間に紐付けておいてくれるのだ。


 何を言っているかというと、要するに俺は朝、家を出て、昼を大分過ぎてから古民家に着いたので、いろいろ話しているうちにすっかり日が傾いてきたのだ。


 で、時間がリンクしているせいで、元の世界で日が陰ってきたということは、この世界でも日が陰ってきたということなのだ。


 それまでの間、俺は楓たちからこの世界のあらましを聞くことができた。


 まず、この世界の中心には大きな大陸が1つある。その中央には中央帝国と呼ばれる帝国があって、これが大陸の半分くらいを支配している事実上の世界の支配者だ。


 この中央帝国というのは、遙か昔、魔王が世界を脅かしていた時、時の魔法使いが人生を掛けて生み出した勇者召喚の儀によって召喚された勇者によって興されたと言われていて、一時は世界全土をその版図に収めたこともあるのだそうだ。


 楓たちはこの中央帝国の出身で、とある理由で帝国を追われてこの地へと逃れてきた。


 帝国国内は今内乱が続いていて、このままでは世界に戦争の火種が飛び散ってしまう。それを食い止めるためにも一刻も早く新しい国を興して帝国に攻め入り、内乱を鎮めて帝国の統治を回復しなければならない。


 それが楓たちの目的だった。


 新しい国の出発地となるこの場所はかつて松郷と呼ばれた街から少しの距離のところにある。北嶺山脈の麓にあるその街は、世界最北端の都市として知られ、付近の鉱山を結ぶ街道の中継地として栄えていた。


 しかし、10年以上前に魔物に占拠されたことで街は放棄され、今は誰も住んでいない。


 北嶺山脈の北側には魔物が支配する魔界が広がっていると言われており、松郷の事件は魔王の再来かと恐れられたが、その後、松郷の魔物の支配地域が広がることもなく、魔物の集団がたまたま人間界に迷い込んだだけと結論づけられた。


 とはいえ、街を占拠した魔物は近づく人間に襲いかかるので、かつて鉱山で栄えたこの付近も徐々に寂れていって今では松郷から離れたところにいくつかの鉱山を残すのみとなってしまった。


 「そこで、この魔物たちをあたしたちで追い払って、そこにあたしたちの国の建国を宣言してやれば、この地域が新しい国になるってわけ」

 「へー。でも、そんな勝手に自分たちの土地にしちゃってもいいものなの?」

 「土地は5年以上放置されると所有者がいない土地という扱いになるのが通例で、所有者のいない土地なら最初に開拓した人がその土地の所有権を持つことになります」

 「なるほど。この土地は10年以上前から人が住んでいないから、魔物を追い払えば所有権を主張できるのか」

 「はい。地主が国の庇護下に入るかは、その地主の判断ですから、新しい国を興すといえばそこからその国は独立国になります」

 「ただしっ、独立したってことは戦争を仕掛けられたら自分で守らないといけないってことだけどねっ」

 「それは物騒だな」

 「みんなで力を合わせれば大丈夫なのだー」


 調子のいい撫子に真面目な楓の掛け合いの中、時々俺の質問やおっとりした桜の合いの手が入って説明はテンポよく進んでいった。


 しかし、如何せん、俺にとっては未知のことばかりで、あれこれ質問しているうちに時間が過ぎてしまい、気がついた時にはもう日も陰っていていたのだ。


 「日向様、せっかくなので、日のあるうちに松郷の街を見て見ませんか?」

 「え、でも、そこは魔物がいるんじゃないの?」

 「遠くから見る分には大丈夫です」


 それではと、楓について外に出ることにした。撫子と桜はその間に夕飯の準備をするようだ。


 外に出てみると、周辺はすべて耕され小麦やら何やらが植えられていて、建物は俺たちがいたところ以外には少し離れたところに1つあるきりだった。


 俺たちがいた建物は、古いもののそれなりにしっかりした作りの木造の建物だった。


 「この場所には小規模な農業集落があったのですが、何年も前に魔物に襲われて破壊されていました。私たちはその内の損傷の軽微な1軒を修復して住むことにして、残りは全部撤去して農地にしたんです」

 「じゃあ、この辺が綺麗に耕されてるのは、全部楓たちがやったの?」

 「はい。ここに移り住んできた時は、まず生きていくことが課題でしたから、とにかく農業を軌道に載せることが最優先でした」


 ちょっと驚いた。楓たちの生活は想像以上にサバイバルだったようだ。たしかに、誰も周囲にいなければ自給自足を達成する他はないか。


 俺たちは家を出たところから見えたもう1軒の建物の方へと向かって歩いていた。


 「この辺には魔物は出ないの?」

 「出ます。特に農地を荒らされるので困っています。見つけ次第追い払うか退治するようにしています」


 魔物が出ると聞いて、思わず当たりをきょろきょろと見回してしまった。


 「大丈夫です。この辺の魔物は臭いでわかります」


 そう言って楓が俺に笑顔を見せたので、年下の女の子にビビっているところを見られた恥ずかしさに顔が赤くなった。


 離れたところにあったもう1つの建物は物見櫓ものみやぐらだった。


 楓が先にはしごを登っていき、俺はその下からはしごを登っていった。楓はまだドレス姿のままで、顔を上げると中身が見えてしまいそうな気がしたので、なるべく下を見てはしごを登っていった。


 櫓の上に登ると、この辺り一体を囲んでいた林の向こう側が見えた。そして、そこに松郷の街はあった。


 松郷はこの辺りの田舎具合から想像していたより大きな街だった。外観を見るだけで都市の人口が想像できるほど詳しくはないが、1万人くらいの人口はあったのだろうか。


 遠目ながら建物は石か何かを使って立てられていることがわかる。楓の家のような木造ではないようだ。そのためか、魔物に占拠されたという割には建物の損傷が少なく見える。


 あれを奪還して住民を帰還させることができたら、確かに国として名乗りを上げることも今ほどは荒唐無稽な話には聞こえないかもしれない。


 でも、どうやって?


 そんな考えに耽りながら松郷の光景に見入っていると、急に楓に仰向けに押し倒されて馬乗りに乗りかかられた。楓は俺の身体をまたぐように四つん這いになり、俺の胸の上に両手を置いていた。


 「な、何を……」

 「しっ」


 楓は全身から緊張感が漂っていて、何かに聞き耳を立てているようだった。


 その時、やっと俺は周囲に漂う悪臭に気づいた。さらに、よく聞くと微かな息づかいや足音も聞こえる。


 魔物が近くに……


 全身に緊張が走って、思わずゴクリと唾を飲んでしまう。その音すら魔物に聞かれるような気がして、慌てて身をすくめた。


 「うん。群れじゃない。よし」


 不意に楓がそう言うと、身体を起こして飛び降りるように櫓のはしごを降りていった。


 重しがなくなったので、俺は慌てて立ち上がり櫓の外を見た。一体、魔物というのはどんな姿をしているのか。怖いもの見たさの興味本位だった。


 櫓の柵から顔を出すと、そこには奇っ怪で醜悪な姿の大男が1人歩いているのが見えた。そして、眼下にはそこに向けて足下から素早く駆け寄って行く楓の姿もあった。


 ようやく楓の存在に気づいた大男がその醜悪な顔を駆け寄る少女に向けるや否や、手のひらを大男に向けて楓が何かを唱えた。


 「Lightning Arrow」


 その瞬間、楓の手のひらから稲妻のような光が大男に向かって放たれ、大男はうめき声一つ上げずにその場に倒れた。


 「すっげ。あれって魔法?」

 「日向様、もう大丈夫です」


 倒れた大男の近くに立って、楓は笑顔でこちらに手を振っていた。俺は急いで櫓から下りると楓の側へと駆け寄った。


 「これって魔物?」

 「はい。松郷を占拠しているのと同じ、オークと呼ばれる魔物です」


 オークといえばファンタジーの世界では人型の魔物の代表格で、醜い容姿が特徴とされているやつだ。それがこれか。


 「おそらく畑の作物を盗みに来たんだと思います。単独行動をしていたみたいなのでこのまま放置しても大丈夫でしょう」

 「死体を片づけたりしないの?」

 「魔物の死体は時間が立つと自然に消えてしまいます。魔物の身体を構成していた魔素が拡散してしまうからだと言われています。だから、このままで大丈夫です」

 「へえ、そんなものなんだ」


 そろそろ日も山際に掛かり始めたので、櫓とオークはそのままにして、急いで家に戻ることにした。


 変える道すがら、俺は楓に魔法について聞いてみた。


 楓によれば、この世界には魔法があるが、素養のある人にしか使えないらしい。


 魔法使いとしての能力は、体内に溜められる魔力の総量と、魔法技能、つまり魔法の運用能力の高さの2つに分けられ、撫子は魔法技能が極めて高く、桜は魔力総量が極めて大きく、共に天才魔法使いと呼ばれていたそうだ。


 「楓は?」

 「私は2人から比べると全然。普通に魔法が使える程度です」

 「ふーん。でも、あんなオークみたいな大きな魔物を1発で仕留めるなんてすごいよね」

 「はわっ、あ、あれはたまたまですから」


 俺が褒めると楓は恥ずかしそうにして慌てて首を振って否定していた。


 「お風呂入ってるよー」


 玄関を開けたら撫子がぴょんぴょん飛び跳ねるように走ってきた。料理をしていたらしくさっきのドレスの上からエプロンをつけていた。


 「撫子、はしたないよ」

 「そぉ? 可愛くない?」


 そう言って撫子は俺の目の前でくるりと1回転してみせた。エプロンとドレスの裾が風でふわっと広がって、足がひざ上まで見えた。


 「エプロンのことじゃなくて、廊下を走る方」

 「もー、楓はいつも堅いんだから」

 「だって、日向様が見てるでしょ」

 「日向だって元気で可愛い女の子、好きでしょ」

 「ま、まあね」

 「へへん。じゃ、お風呂、お先にどうぞ。あたしはまだ料理があるので、これにてっ」

 「撫子っ」


 撫子はまた廊下をぴょんぴょん跳ねるように走って去っていった。


 「すみません、日向様。撫子にはいつも注意しているんですが」

 「気にしてないからいいよ。それに、あんまりかしこまるのも息苦しいし、撫子はあれでいいんじゃない?」

 「ありがとうございます」


 楓は育ちのせいなのか、日常的な所作が一々折り目正しく丁寧だ。それはそれでいいのだけど、3人が3人ともそんな感じだとちょっと落ち着かない気がする。


 せっかく撫子が勧めてくれたので、俺は一足先に風呂に入ることにした。楓は撫子の手伝いをしに台所へと行った。


 風呂は現代日本では見かけなくなったいわゆる五右衛門風呂だった。


 こちらの気候は日本より温暖らしく、エアコンも何もない風呂場で裸になったからって寒かったりすることはない。快適で結構だけど、夏になったら暑いのだろうか?


 募集内容に社宅とあったけど、本当に国王になったらこっちに住むことになるのだろうから、居住環境も大事なポイントだ。そういえば社宅ってどこになるんだろう?


 「お兄ちゃん、お湯加減はどうー?」

 「えっ、え?」


 突然聞こえてきた桜の声にドキッとして辺りを見回した。しかし、誰もいない。


 「熱いー?」


 そうか、これは五右衛門風呂だから桜が火の調整をしてるのか。


 「大丈夫。ちょうどいいよ。桜は外?」

 「おー。いつもは自分の魔法でお湯の温度を調整するんだけど、お兄ちゃんは魔法ができないから、桜が代わりにやってるんだよー」


 なるほど。魔法って便利だな。


 「そういえば、この辺って夏は暑いの?」

 「暑いよー」


 やっぱ、暑いのか。


 「だから、蓄冷ブロックをいっぱい買わなきゃダメなんだよ」

 「蓄冷ブロック?」

 「南の寒いところの冷気を固めたブロックなの。それを家の中に置いておくと、家が涼しくなるんだよー」


 エアコンはなくても暑さ対策はちゃんとできてるのか。冷気を固めるってどんな原理なんだろ。見てみたいな。


 「魔法で冷やしたりはできないの?」

 「そんなことしたら、桜でも魔力切れで1日で倒れちゃうよー」

 「ああ、なるほど」


 そういえば、桜は魔力総量が大きいって言っていた。それで家を冷やし続けて1日が限界か。多いのやら少ないのやら。



 お風呂を出る頃には、外はすっかり暗くなっていたが、室内は蓄光ブロックというもので明るく照らされていた。


 これは昼間、日向においておくことで日光を吸収して光を蓄え、夜に発光することで灯りとなるものだ。寝るときには箱の中に入れて蓋を閉めることで光を止める。


 お風呂場を出た後は食堂へと案内された。夕食のメニューは白米のご飯、野菜と芋の揚げ物と、ハムと山菜と野菜の鍋、それにお酒も出てきた。


 「今日はごちそうだよー」

 「日向様、ご飯はどのくらい召し上がりますか?」


 撫子がにこにこと配膳して、楓が緊張した面持ちで茶碗にご飯をよそってくれる。食器は全て陶器製で割りと高そうなものだった。


 それに比べて、テーブルの方はいかにも庶民的だった。さすがに、ちゃぶ台ということはなかったが、4人で座るのがいっぱいいっぱいの広さで、とても国王様の食事風景とは思えない。


 そんなことを言えば、食事のメニューも日本で普段食べていたものとそれほど大きく変わるわけでもなく、王侯貴族の食事というにはいささか寂しい。


 「あの、お口に合いませんか?」

 「え? ううん。おいしいよ」

 「よかった」

 「この料理はね、楓がなるべく日向の食べ慣れたものをって考えて作ったんだよ」

 「撫子っ」


 撫子に秘密を暴露された楓は顔を真っ赤にしていた。


 「あれ、料理は撫子と桜がしてたんじゃないのか?」

 「あたしがしたのはただの下拵えだよ。水を汲んだりとか野菜を洗って切ったりとか米を研いだりとか。料理は楓に任せないと何ができるか分かったもんじゃないよ」

 「おー、楓、料理の天才」


 なるほど。そういう役割分担なのか。確かに料理人がいるわけでもなし、3人で力を合わせる以外に3食の準備をする人はいないわけで、心のこもった手料理だというのなら文句を付けるようなところではない。


 それにこの米は日本人の俺から見てもよく炊けている。そういえば、外の畑には米は見当たらなかった気がするけど、米はどこから持ってきたんだろう?


 「米は今日のために近くの町で買ってきました」

 「近くに町があるんだ」

 「はい。片道1日半くらいのところに」

 「遠っ!」

 「付近の町は皆、魔物に滅ぼされたか、魔物から逃げて捨てられたかのどちらかですから」


 詳しく食料事情を聞いてみると、この地方の食べ物は小麦粉を捏ねて焼いた無発酵パンのようなものや、でなければ芋や豆が主食らしく、発酵パンは高級品扱いらしい。また、米はほとんど生産されていないようだ。


 楓たちの畑ではまだ小麦の収穫に成功していないらしく、そのため今生育中の冬小麦の収穫までは芋と豆しかないそうだ。


 初めてこの地に辿り着いた時の(主に胃袋的な)絶望と、そこからいかに楓が残りの2人に愛と勇気を(食べ物によって)与えてきたかというストーリーを、撫子が涙ながらに語ってくれた。


 まあ、あれだ。アンパンマンは空腹の人々の希望の星だということがよくわかった。


 「今度来る時は、米をなるべくたくさん買ってくるよ」

 「本当か、日向!」

 「お兄ちゃん、大好き」

 「日向様、いいんですか?」

 「どうせ、その食事を俺も食べるんだろ? だったら、美味しい食事のほうがいいからな。他にも何かリクエストがあれば言ってくれよ」


 他にも、味噌とか醤油とか出汁とかもあったほうがいいかもな。今度来る時はあれこれ買って電車じゃなくて車で来るようにしよう。


 というか、よく考えたら隣町まで1日半も掛けなくても、楓が日本に行って米を買ってくればよかったのに。



 ご飯を食べ、お酒を飲んだらほろ酔いでいい気分になって、なんだか眠くなってしまった。


 話の続きは明日にということになって、俺は寝室へと案内された。


 寝室にはベッドが1台置かれていた。このベッドだけは王様サイズといってよい大きさで、今まで見たことがないほど大きかった。


 ようやく国王らしいものに出会えたと思った俺は、ベッドに横たわるとすぐにまどろみの中へと引きずり込まれていった。



 それからどのくらい経っただろう。俺は若干の息苦しさに目が覚めた。何かが身体の上に乗っているようだ。


 「撫子、この後、どうしたらいいんだろう?」

 「とりあえず、服を脱がしちゃえ」

 「おー。脱がしちゃえー」

 「ふえぇ」

 「もー。楓がやらないんなら、あたしが先にやる」

 「ダメだよ、撫子ー。これは、正妻のお仕事なんだよー」

 「うー。頑張るよぉ」


 暗くてよく見えないが、俺の上に楓が乗っていて、右に撫子、左に桜がいるらしい。楓はなぜか俺の服を脱がそうとしているみたいだ。


 「楓」

 「ひゃっ。ひ、日向様」

 「何してるの?」

 「あっ、あのっ、そのっ、こ、これは」

 「日向ー。これから日向はあたしたちと一夜を共にするんだぜ」

 「おー。桜はお兄ちゃんと一緒に寝るー」


 暗い中、両サイドからステレオサウンドで撫子と桜が声を張り上げてきた。声が大きくて寝ぼけ頭に響く。


 「ちょ、ちょっと待って。これは何?」

 「何って、国王様の夜のお務めに決まってるじゃん」

 「お兄ちゃんは桜の旦那様なんだよー」

 「撫子、桜、ちょっと待てって」

 「日向様。日向様が国王様になられましたら、私が正妻に、撫子と桜が側室になることが決まっています」

 「は?」


 正妻に側室!? 楓と撫子と桜が?


 「私は中央帝国の皇室の血、つまり帝国建国の勇者の血筋を引いています。日向様と私が結婚することで、日向様の権威は帝国の皇帝に比肩するものにもなりえるのです。そして、撫子と桜は私の子どもの頃からの側近でした。私が結婚する時は一緒に後宮に入ると誓いあった仲です」

 「いや、でももうちょっと順序があるっていうか。そもそも俺はまだ国王になるかどうか返事してないし……」

 「それからもう一つ、日向様に言っていないことが……。あの、申し訳ありませんでした!」

 「はい?」


 予想外の展開にびっくりしているところにいきなり謝られて、つい変な声が出てしまった。


 「国王様のお給料は年1千万円とお約束してましたが、今はこの通りですからすぐにお支払いできるものがありません。松郷を奪い返して復興させられればそのくらいの余裕は生まれるはずですが、今の状況では畑でとれた芋くらいのものです。ですからそれまでは、国王様のお給料は私たちが身体でお支払い……」

 「楓っ!」

 「はっ、はいっ」

 「撫子も、桜も、ちょっとそこに座りなさい」


 楓の話を聞いて、俺は思わず大声を上げてしまった。突然怒りだした俺に驚く楓たち3人をベッドの上に正座させ、俺もその正面に正座して向かい合った。


 「楓、撫子、桜、君ら、年齢は?」

 「16歳です」

 「16だけど」

 「桜は17歳だよー」

 「え、桜がもしかして一番年上なの?」

 「おー。お姉ちゃんなのー」


 見えない。桜が一番年下だと思ってた。と、いけない。脱線した。


 「とにかく、みんな未成年じゃないか。いくら国のためだからって、結婚みたいな大きな決断はもう少し大人になってから冷静に相手を見極めてするものだよ。まして、お金がないから身体でって発想は後で絶対後悔する」

 「でも、今の私たちには他にできることが……」

 「それでもダメ」

 「どうしてですか?」

 「確かに君らのやり方は一見問題は解決したみたいにみえるよ。でも、本当は大事な問題から目を逸らして見ないようにしてるだけなんだよ」

 「どういう意味ですか?」


 俺の言葉に、楓は何を言われたのか分からないという顔で、俺をただ見つめ返すだけだった。


 少し冷静になってきた俺は、そもそもどうして楓たちがそこまでして俺を引き止めたいのかと考えた。すると、昼間から感じていたもやもやの焦点が少し合ってきた気がした。


 「今日は会った時から、すごく俺に気を使ってたよね。この家が古いのはどうにもならないけど、その服は普段から着てるものじゃないでしょ。そんなので農作業ができるはずないから」

 「はい」

 「ご飯も手が込んでた。料理の中心の楓がずっと俺をエスコートしてたのにあの出来だから、撫子や桜も頑張ったんだよね。食器も結構高価なものみたいだったし、お風呂の準備だって手間がかかったはずだよ。今日はとにかくいたれりつくせりだったね」

 「……」

 「それでさっきの誘惑。楓は給料を身体で支払うって言ったけど、要するに俺に楓のことを惚れさせて、惚れた弱みを握ろうって作戦だよね、撫子、桜」


 俺はそう言って撫子と桜の方を向いた。俺の追及に2人は目を泳がせている。


 「……はい。もともと桜が、男の人は好きな女の子のためならなんでもできるんだって言ったのが始まりで……」


 2人が何か返事をするよりも早く、楓が代わりにそう答えた。


 「あたしがいろいろ悪乗りして作戦を立てたんだ。2人は悪くないよ」

 「やっぱり撫子か。でも、この中でリーダーは楓なんだよね。だったら、責任は楓がとらなきゃ」


 撫子が楓と桜を庇ったのを見て、俺は再度楓に視線を戻した。


 「確かに惚れた弱みを握るって作戦はそんなに悪い作戦じゃないかもしれない。勇者を召喚しても味方になってもらわないと意味がないからね」


 小説なんかで勇者を召喚したものの怒らせて敵に回ったせいで大変なことになるっていうのはよくあるパターンでもあるしな。


 「でも、俺は国王になるんだよね。このたった4人で興そうとしている国の国王が単に惚れた弱みだけで続けてるだけみたいなことで、本当に帝国と戦うことなんてできるの? 帝国ってそんなに弱い相手なの?」

 「そんなことは……ないと思います」

 「だよね。だったら俺は惚れた弱みなんかじゃなくて、心から納得して国王になるべきなんじゃないかな」

 「その通りだと思います」


 俺の言葉に楓は神妙に頷いた。


 正直、俺は異世界での国王業務というのに興味津々なので、給料のことなんか二の次で引き受ける気は満々なのだが、そうは言っても楓たちが俺のことを飾りにしか思っていないのなら引き受ける価値はないのではないかと思っている。


 それに、俺が実際に国王になった時のことを考えて、楓たちがどの位有能かを知っておくことも大切だ。安易な解決策に簡単に飛びついてしまうようだと一緒に仕事をしていくのに不安を感じる。


 「少し時間を頂いてもいいですか?」

 「どの位?」

 「もう夜も遅いので、一晩考えさせてもらって、明日の朝、改めてお話しします」

 「分かった」


 楓は頭を下げて撫子と桜を連れて外へと出ていった。


 少しきつく言い過ぎたかなと思ったけど、3人とも芯のしっかりした子のようだし、あのくらいはっきり言ったほうがむしろ奮起するような気もする。明日はどんな話になるのやら。


 それにしても、あんなハーレム展開、この先、望んでもまずチャンスはないだろうな。あの3人に対してもあれだけきっぱりと断っておきながら2度目はないだろうし。


 「ぐ。ちょっと惜しかったかも……」


 もう一度寝るためにベッドに横たわったところで、俺はさっきの自分の選択をほんのちょっと後悔していたのだった。



 「お兄ちゃん、朝ご飯だよー」


 翌朝、起こしに来たのは桜だった。俺はすぐ行くと言って待ってもらって手早く着替え、洗面所に案内してもらって顔を洗ってから、食堂に向かった。


 食堂にはすでに楓と撫子が待っていた。3人の服装は昨日のドレスとは打って変わって、七分袖のシャツにスボンという肉体労働がしやすそうな服装になっていた。


 「日向様、今日は私たちの普通の生活をお見せします」


 そう言って出してきた朝食は、蒸かした芋と、豆のスープだった。味付けは上手で美味しく食べられたが、米もパンも肉も魚もない食事は味気ない。これと比較すると、昨日の晩ご飯がどのくらいごちそうだったのかよく分かる。


 「この辺りは交易路から外れているので、身近に採取できるものか畑で収穫したものしか食べられませんから、食事はこんなのが普通です。服装も農作業のために動きやすい服装をしていることがほとんどです」


 内容的には昨日も聞いたことだが、実際に実物の服装と料理を目の前にして、その料理を食べながら聞くと実感が大分異なる。


 「じゃあ、そろそろこの後の話をしてくれる? この生活は今だけのものなんだよね」

 「はい。日向様が国王になりましたら、すぐに作戦を開始します」


 楓の話す作戦とは、要するに松郷を魔物から奪還するということだ。


 松郷はオークとその上位種であるハイオークによって占拠されていて、その数は数百体の多い方にも上ると考えられている。松郷の奪還はその数百体のオーク族を殲滅する必要があった。


 オークの知能は人間よりは低いが猿よりは高い。その上、力が人間の十倍以上もあり、魔力を持っている。そのため、数百体のオークを殲滅するには万単位の戦力が必要になる。


 もちろん訓練された魔法使いなら一対一でも勝負になるが、数百人もの優秀な魔法使いを集めるのは田舎の諸侯程度の力では難しい。


 占拠された松郷が未だに奪還されずに放棄されたままになっているのはそういう理由なのだ。


 「そんな状況をたった4人でどうやって挽回するんだよ?」

 「それは、召喚勇者の持つ力を使います」


 楓によれば、魔王によって世界が滅亡に瀕していた時、召喚された勇者は魔物の軍勢に対して正に一騎当千の活躍をしたらしい。


 なので、千体のオークがいても勇者が1人いれば十分な計算になる。


 「って、俺が勇者じゃないか! 俺のどこにそんな力があるんだよ」

 「いえ、その力は召喚魔法で与えられた力なので、日向様も持っているはずです。その力は……」


 そう言って楓は召喚勇者の持つ力を説明した。詳細は後に書くが、勇者が魔物に対して発揮する力は強力で、たった一人で世界を救ったというのも不可能ではないと思えるものだった。


 その後、松郷を奪還した後の計画へと話は移った。


 魔物に占拠された松郷の奪還は勇者の初陣としてはまたとない舞台で、作戦成功の後、即座に周囲の都市や町に伝令を送って、松郷の解放と新国の独立を宣言する。


 1人で松郷を解放したという事実自身が勇者の降臨を証明する証拠になり、昔の住民を中心にいくらかの人々が移住してくるはずだ。


 その人々の力を借りて松郷周辺の閉鎖された鉱山を復活させ、鉱物資源の貿易拠点として松郷を繁栄させるのだ。


 折しも帝国中央で内乱の気配があり、諸国が軍備を増強しつつあるので、鉱物資源、特に鉄に対する需要は高まっている。その流れに乗れば松郷を急速に発展させることも不可能ではない。


 「でも、それだと周辺国が黙っていないんじゃ」

 「日向様の勇者としての名声と私の血筋を考えれば、周辺国は当初は内心警戒しつつも表面上は友好的に接してくるはずです。もし強攻策を取ると、それを理由に逆にその国自身が他国から介入される可能性がありますから」

 「……、それを理由に他国に介入する口実を与えることができるということか」

 「……、はい。この辺りは帝国からは離れているので、逆に権威に弱いところがありますから」


 まるで源頼朝を戴く坂東武士だな。降って湧いた権威を生かさず殺さず、お互いに牽制し合いながら自分たちの権益を守るために利用しようとするんだろう。


 だとすると、そこで国同士の思惑の違いをうまく突いて、どうやってこちらの意見を通していくかが成功の鍵を握るな。北方地域の国々の盟主としての地位を確立することが最初の目標ということか。


 「銀杏の木には気をつけないとな」

 「なんですか?」

 「いや、こっちのこと」


 ここまで聞いて、楓の話してくれた計画はよくできた内容だと思えた。もちろん楓が話した事実関係が間違っている可能性もあるが、そのリスクを言うなら俺が異世界の門を渡った時点で選択を間違えたと言うべきだと思う。


 「今説明した通り、この計画は日向様が重要な鍵を握っています。日向様が国王に就任して頂かなければ、松郷は奪還できず、周辺国に対する権威付けも弱まってしまいます。ですから、ぜひ私たちと一緒に戦ってください。お願いします」

 「「お願いします」」


 この時点で俺の気持ちはほぼ決まったが、もう一つ楓に出していた宿題があった。


 楓だけでなく撫子と桜にも頭を下げられて思わず首を縦に振りそうになったが、自制して最後の質問をした。


 「募集内容にあった年収1千万については?」

 「……、今は無理です。でも、松郷を奪還して国力がついてくれば必ず」

 「つまり、前払いなしの成功報酬ってこと?」

 「それは……」

 「俺は4月からの所属は本当ならもう決まってて、国王になるってことは、そっちの話を断るってことになるんだから、ただ働きっていうわけにはちょっと」

 「……はい……」

 「だ、大丈夫だよ。勇者は魔物相手なら無敵なんだから、日向が負けるわけないよ」


 言葉少なになる楓に脇から撫子が援護した。そこで、俺は話の目先を変えてみた。


 「じゃあ、そこは勝てたとして、松郷を取り戻した後はどうやって給料を払うの?」

 「国を興せば税収があります。それに、鉱山経営からの直接収入もありますから」

 「でも経費もかかるよね。採算は取れるの?」

 「計算上は採算が合うことになってます。松郷にしても鉱山にしても、以前使っていたものを再利用するので、初期投資は少なくなるはずです」

 「でも、思ったほど移民が増えなかったり、逆に予想外の事態で経費が嵩んだりしたら?」

 「それは……」

 「これは大事なとこだよ。給料の話は別にしても、国が破産したらおしまいなんだからね」


 数字の話になると撫子や桜はお手上げなのか、不安そうに楓を見つめるだけだ。そしてその楓も俺の追及に顔を強張らせていた。


 楓はいくつか具体的な数字を持ちだして説明したが、計算の元になる人口増加率や鉱山再開の初期投資の額が決定できないのでシナリオが確定できない。


 しかし、シナリオが確定できないのは仕方ない。計算の妥当性は門外漢の俺には評価できないが、どんぶり勘定でないことが確認できれば今の俺には十分だった。


 「じゃあ、国の経営がうまくいったとして、どうやって給料を払うの? こっちのお金は日本では使えないよね」

 「それは、こちらで宝石を買って、それを日本で売ります。こちらで高価な宝石は、日本でも高価なようですので」

 「宝石って?」

 「いろいろです。ダイヤ、ルビー、サファイア、エメラルドとか」

 「宝石類の鉱山はこの近くにあるの?」

 「いえ、残念ながら……」


 ということは、こっちの市場流通価格で宝石を購入して、日本の市場流通価格で売るってことになるのか。こっちの価格も高いみたいだから、鞘を取るというよりも単純に給料の現物支給ってことになるな。


 「惜しいな」


 宝石の市場価格を知っているというのは、日本に来た時に身につけていた宝石を売って資金を作ったからだろうか。いずれにしても、楓は日本の宝飾品類の相場を確認したことがあるということだ。


 「そこに気づいてるのなら、もうちょっと調査すればよかったのに」

 「あの、日向様、どういうことですか?」

 「この食器……」


 そう言って、俺はさっき朝食を食べた時に使ったコップを持ち上げた。手にただのコップとは思えない重量がかかる。


 「これ、金だよね」


 俺は不真面目な学生という自覚はあるが、一応、これでも機械工学科の学生なのだ。最近はコンピューターシミュレーションばかりいじって実機から遠ざかっているけれど、主要な金属の手で掴んだ時の重さくらいはなんとなくわかっている。少なくとも金や白金とそれ以外の金属を間違えるつもりはない。


 「そうですけど……?」

 「日本ではね、金ってすごく高価なんだよ」

 「ええっ」

 「本当に!?」

 「おー!?」


 俺の一言に三者三様に驚く楓たち。


 「さっき楓はこれが君らの普通の生活だって言ったよね。で、服も食べ物も昨日とは打って変わって質素なものになった。なのに、食器だけは昨日の陶器製から、金食器に変わったから驚いたんだ。実は、こっちでは金食器って大して高価じゃないんでしょ?」

 「はい。高価な食器はほとんど陶器製で、金食器は庶民でも使う普通の食器です。そもそも金属としての金自体そんなに高価ではないですから」

 「だけど、日本じゃ金食器なんてまずお目にかからないほど高価なものだよ」


 俺はあまり金の相場には詳しくないけど、たとえば、このいま手に持っている金のコップは売ったら少なくとも数十万円くらいにはなるんじゃないだろうか?


 「あ、それじゃあ!?」

 「うん。給料は金製品の現物支給で間に合うよ」

 「やったね、楓」

 「やったー」


 俺の言葉に、撫子と桜は手を叩いて喜んでいる。でも、楓の顔はまだ曇っていた。


 「でも、本当ならこれは私たちが気づいているべきだったんですよね」

 「もう一歩踏み込んで調査してれば気づけたはずだよね。帝国を敵に回そうとしてるくらいなんだから、そのくらいは調査できてるべきだっただろうね」

 「そうですよね」

 「何暗くなってんだよ、楓。反省なんてまた次の機会にすればいいじゃんか。とにかく、日向が仲間になってくれることになったんだから、次は魔物たちをぶっ倒すことだけ考えればいいんだよ」

 「おー。やっつけろー」


 撫子と桜がテンションを上げて盛り上がっている。不自然なほど高いのは、すっかり落ち込んでしまった楓をなんとか慰めようとしているのかもしれない。


 そういう俺自身、ちょっとやりすぎたかなと思っている。国王になるということは、ある意味、楓たちに俺の未来を預けるということなのだから、楓たちに厳しくなるのは当然だけど、最後のやりとりはちょっと意地悪だったかもしれない。日本は楓たちにとっては異世界なのだから。


 「あの、日向様、…………」


 楓が不安そうな顔で俺を見てくる。そういえば、まだちゃんと返事してなかったな。


 「楓、それに撫子と桜も、あらためてよろしく」

 「こっちこそよろしくな、日向」

 「おー。桜もよろしくなのー」

 「日向様、よろしくお願いしますっ」

 「こっちの世界のことはまだわからないことばかりだけど、何かあったらすぐに相談して。異世界人だから思いつくこともあるかも知れないし。金食器のことみたいにね」

 「……はい」


 こうして俺の初めての異世界訪問は無事に幕を閉じた。


 この後、異世界の門を通って日本に戻り、バスと電車を乗り継いで、東京の自宅にたどり着いた時にはすでにとっぷりと日が暮れていた。すっかり疲れていた俺は、帰り道にコンビニで買ったサンドイッチを食べると、シャワーだけ浴びてすぐに泥のように寝てしまったのだった。

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