愛くるしいワガママ【琴蔵聖夜】
アメリカから帰ってきて二年。芽榴は順調に日本での大学生活を始めていた――のだが。
「聖夜くん。こっち向いて」
現在、ひねくれてしまった彼氏様の機嫌をどう直したものかと悩んでいた。
今日は聖夜の方は大学の講義は全休らしく、芽榴の講義が終わったら久しぶりにデートをしようということになっていた。
お互い忙しい身であるため、芽榴と聖夜はなかなか予定が合わない。毎日電話はしているが、会うのは久しぶりで、おそらく1ヵ月ぶり。
芽榴が聖夜に会えることを楽しみにしていたように、聖夜の方ももちろん芽榴と会えることを楽しみにしていて。
芽榴のことをわざわざ大学まで迎えに来てくれていたのだが。
運の悪いことに、芽榴と颯が一緒にいるところに、聖夜がやってきてしまったのだ。
颯とは通う大学が一緒で、今でもとてもお世話になっている。本当は颯のためにも、接触は控えようとしていたのだが、颯の方が進んで芽榴の大学生活のサポートをしてくれていた。
そういうわけで、芽榴のそばに颯がいることにひどく機嫌を損ねた聖夜は、無言のまま芽榴を連れ去り、今に至る。
怒っているというよりも、機嫌を損ねているだけだということは、手をつないだままでいることから分かる。
それをかわいいなどと告げたら、本当に怒ってしまいそうだから、芽榴は聖夜の機嫌を直すことに専念した。
「聖夜くん、ごめんね。……機嫌直してくれる?」
「別に悪くないやろ」
「……すごく悪いよ」
芽榴が困った声で言うと、聖夜はムスッとした顔のまま芽榴のことを見下ろした。
「俺は1ヵ月お前に会えへんかったのに、そのあいだもあいつはお前に会い放題やったとか、不公平にもほどがあるやろ」
彼氏という立場になったにもかかわらず、聖夜の嫉妬は尽きない。相手が完璧人間の颯だから、余計に芽榴の心が自分から離れていかないか、不安なのだろう。
「そんなに会ってないよ」
「でも会おうと思えば簡単に会えるんやろ。……なんで俺はお前に会うこともままならんのや」
最終的には自己嫌悪に陥ってしまう。自分一人で不安を抱え込んでしまうよりは、こうやって不安をぶつけてくれたほうが嬉しいのだが、対処が難しい。
「でも今日会えたじゃん。私はそれが嬉しいよ」
「そういうかわいいこと、あいつにも言うてるんとちゃうの」
「言ってないよ。聖夜くんにしか言わないから」
芽榴がそう告げると、聖夜は少し気をよくしたみたいで、表情が少し緩んだ。
「……悪い。みっともない嫉妬や。忘れて……って、無理やもんな。はあ、出だしからかっこ悪いわ、俺」
芽榴に謝りながら、聖夜は自らの嫉妬心にため息を吐く。しかし、聖夜の嫉妬は今に始まった話ではない。
そんな嫉妬しやすい部分も含めて、芽榴は聖夜のことが好きなのだ。
「聖夜くんはいつもかっこいいよ。私もヤキモチ妬いちゃうし、おあいこだね」
「嘘つけ。お前がヤキモチなんか妬くわけないやろ」
とはいいつつも、聖夜は興味津々な視線を芽榴に向けてくる。「いつ妬いたのか」と具体的な話を聞きたそうな視線に、芽榴は苦笑した。
「今も結構妬いてるよ」
「は? 今?」
「うん。だってほら、聖夜くんは本当にかっこいいから、みんな聖夜くんのこと見るもん」
芽榴との久しぶりのデートだからか、聖夜はいつもよりかっこよくきめている。何もしなくてもかっこいいのに、服も髪もしっかり整えた彼は、ただ歩いているだけで人の目を惹く。
「だから聖夜くんには、せめて私のこと見ててほしいのに……ずっと他のほう見てるから、嫌だよ」
機嫌を損ねた結果、聖夜は芽榴のことを見てくれなかった。芽榴だって、聖夜とのデートだから真理子に相談して精一杯かわいい格好をしてみたのに。
そう告げると、聖夜は先ほどまで全然向けてくれなかった視線を、がっつり芽榴に向けてきた。ひねくれているくせに、こういうところは単純すぎるくらいに素直だ。
「お前しか見てへんに決まってるやろ」
「そっぽ向いてたじゃん」
「横目に見てた。だって、お前……今日すごいかわええもん。おかげで大学に行ったらすぐ見つかった」
そして聖夜はまた、颯のことを思い出したみたいで眉を寄せる。
「こんなかわええ格好してさ、別の男のそばで笑っとるんやもん。……不安にもなるし、嫉妬もする。しゃあないやんって、俺のワガママ許してや」
ほしいものはなんでも手に入る彼が、手にしてもなお、自分のもとから離れていかないか不安なもの。それは唯一、芽榴という愛しい彼女だけ。
世間では怜悧冷徹と言われる彼が、芽榴の前でだけはこんなにもかわいらしい。
「じゃあ、許す代わりに、今日は楽しいデートにしようね」
芽榴が聖夜に屈託ない笑顔で笑いかけると、聖夜はなんともいえない複雑な表情を浮かべた。
今度は何がお気に召さないのだろうと、芽榴の笑顔が崩れかけると、聖夜が芽榴の耳元に唇を寄せた。
「俺は、楽しいだけじゃ満足できひんよ」
そう口にして。聖夜は少しだけ歩みを速める。
芽榴の手を引いて、聖夜は近くのビルの中に入り、そのまま従業員以外立ち入り禁止の扉を開けた。
「聖夜くん! ここ、立ち入り禁止って……っ、ん」
芽榴の困惑の声は吸い取られる。古びた蛍光灯で照らされた、埃っぽい倉庫の中には、聖夜と芽榴のキスの音が響いていた。
「何か言われても、俺のこと怒れるやつなんておらんよ」
「それ、職権乱用。ダメだって、言ってるじゃん」
「お前があんまかわいいこと言うから、キスしたくなったんよ。街中でせんかっただけでも褒めてや」
そんなふうに甘えたことを言って、聖夜はまた芽榴の唇に吸いつく。
「ダメ、聖夜くん」
「無理。どんだけ、俺が我慢したと……いって!」
ワガママを言い続ける聖夜の頭を、芽榴が軽く叩く。優しく叩いたのに、聖夜の反応は大げさだ。
「続きは……デートが終わったら、その……何も言わないから。今は普通のデートをしようよ」
芽榴は聖夜の胸にしがみついて、お願いする。恥ずかしくて、頬を染めながら告げると、聖夜は大きなため息を吐いた。
「分かった。……でも、今止めたこと後悔することになるで。今ので俺の芽榴不足追加や」
「……そんなこと言ってもダメ」
久しぶりに会えて、芽榴だって聖夜と二人きりになりたい気持ちはあるけれど。まずは会えなかった間のことを、些細なことでも話して、お茶をして。そんなデートがしたいのだ。
芽榴が願えば、聖夜はそれを叶えてくれる。小言を言っても、聖夜は芽榴の思いは全部聞いて、叶えてくれるのだ。
「前言撤回」
「へ?」
「お前だけは、俺のこと叱れるよ。……本当、俺はお前にかなわへんわ」
そう口にして、聖夜は芽榴にもう一度軽いキスをした。
「行こか。楽しいデート、するんやろ?」
聖夜は芽榴に手を差し出してくれる。芽榴がその手に自らの手を乗せると、聖夜は優しく笑ってくれた。
そんな聖夜の笑顔が、芽榴は大好きなのだ。