不安をキスで奪って【柊来羅】
アメリカから帰ってきて2年が経つ。
芽榴はみんなよりも1年遅れて日本の大学にも通い始め、現在は大学1年生。
恋人の来羅は大学2年生で、別の大学で順調な学生生活を送っている。
今日は来羅とデートの約束をしていて、大学の講義が早めに終わった芽榴は、来羅の大学まで足を運んでいた。
大学の中央図書館の前のベンチで、芽榴は約束通り来羅を待る。すると、見知った顔が図書館の中から出てきた。
「あ、楠原さん」
「藍堂くん。こんにちはー」
有利と来羅は学科は別だが、同じ大学に通っている。どうやら有利は図書館で勉強していたみたいだ。
「こんにちは。柊さんと待ち合わせですか?」
「うん、そう」
芽榴が嬉しそうに笑顔で答えると、有利は困ったような笑顔を芽榴に返した。
「そうですか。僕もさっきまで柊さんと一緒に図書館にいたんですけど、少し用ができたみたいで、こっちに戻ってくるのも、あと少し時間かかると思います」
「そーなんだ。……教えてくれてありがと」
「いえ。あの……一緒に待っていたいんですけど、僕、次は講義が入ってて」
「いーよいーよ。もともと一人で待つ予定だったから」
有利の気遣いに、芽榴が苦笑する。対する有利は大げさなくらいに心配そうだ。
たしかに芽榴が来羅の大学に来るのははじめてだが、ただベンチで待っているだけのこと。何の危険もない。
そう答えようとしたのだが、芽榴が口を開く前に別の男子が有利に声をかけた。
「藍堂、講義行こうぜー……って、え、誰? 藍堂の彼女? うわあ、超かわいい」
有利の友人らしき男子が、芽榴のことを見て、頬を染めた。有利はそれを予想していたみたいに小さくため息を吐く。
「いいえ、違います。柊さんの彼女ですよ」
「え? あ、柊のほうか。あーどっちにしろ……残念。連絡先交換するのも怒られそうだし」
「当然ですよ。僕も怒ります。……こういうふうに声をかけてくる人がたくさんいそうだから、一緒にいてあげたいんですけど」
有利は友人のほうを見ながら、またもため息を吐いた。
「ああ、柊と待ち合わせ? まだ時間かかるだろうなぁ。このあいだ振った女にまだつきまとわれてるんだろ?」
「え?」
友人の言葉に芽榴が反応する。すると、有利は「しまった」というような顔で、友人の口を塞いだ。
来羅が女子に告白されていることは芽榴もなんとなく察している。あれほどの美人が告白されないわけがない。
けれど、来羅がそれを芽榴に報告してくれたことは一度もなかった。
「藍堂くん、それ……」
「違いますよ。柊さんは教授に呼ばれてるだけです。ほら、行きますよ」
そう言って、有利は半ばむりやり友人を連れて、次の講義へと行ってしまった。
有利がいなくなって、ベンチで来羅のことを待つ。
この大学の学生ではないからか、道行く人がちらちらと芽榴のことを気にしていた。先ほどから、何人かにも声をかけられているが「友人と待ち合わせていて」と告げると、なんとかその場を乗り切れていた。
「ねえ、きみ」
数回目の声かけ。そろそろ面倒だな、と思いながら顔をあげると、チャラチャラした見た目の男子が目に映った。雰囲気だけで言えば、簑原慎に近いものがある。つまりは、芽榴の苦手なタイプだ。
「あ……はい」
「誰かと待ち合わせ?」
「……はい」
「じゃあさ、それまで俺とお茶でもしない?」
「いえ、すぐ来てくれると思うので」
「でもさっきからずっとここにいるじゃん」
いつから見ていたのだろう。芽榴が拒否しても、男は食い気味に誘ってくる。
「いいでしょ? ここで一人で待ってても暇なだけだって」
「でも……ちょ、っと、手はなして……っ」
挙句、芽榴の手を引っ張って無理やりどこかへ連れて行こうとする。芽榴がそれに抵抗して、男の手を振り払おうとした、そのとき――。
「僕の彼女に、何か用?」
綺麗な声が2人の問答を止める。白く細い手が、芽榴の手を握る男の腕を掴んでいた。
「……ひ、柊!?」
「来羅ちゃん……」
芽榴が来羅に視線を向けると、来羅は芽榴に「遅くなってごめんね」と眉を下げて笑いかける。そしてその笑みを急激に消し去って、男へと向けた。
「で、この子はもう、一人じゃなくなったわけだけど……まだナンパする気?」
「よりにもよって柊の彼女かよ……。なんでもねーよ!」
男は舌打ちをしながら、逃げるように走り去っていく。
けれど芽榴はその姿を目で追わない。視線はすでに来羅だけに向いていた。
「ごめんね、るーちゃん。遅くなっちゃって」
「ううん。待ち合わせの時間はまだだもん。私が早く来ちゃっただけだから」
芽榴がそう言って、にこりと笑うと、来羅も「ありがとう」と笑顔を返してくれた。そして来羅はやっと落ち着いたと言わんばかりに大きなため息を吐いた。
「有ちゃんが連絡くれて、急いでこっちに来たから、少し息切れしちゃった」
芽榴と離れた後、有利が来羅に芽榴が来ていることを連絡してくれたらしい。それで来羅は急いで用事を済ませて、こちらへ戻って来てくれたらしい。
芽榴を優先してくれる来羅の行動は、素直に嬉しいのだが、それを聞いた芽榴は少しだけ表情を曇らせた。
「どうしたの?」
「え、あ……ううん、なんでも」
「なくはないでしょ。はい、思ったことはちゃんと口にする」
思ったことを素直に口にできなくて、芽榴と来羅は結ばれるのに少々時間がかかった。それが理由かは分からないけれど、来羅は芽榴が言葉を呑みこもうとすると、すぐに察して、こんなふうに話を聞いてくれようとする。
「来羅ちゃん。告白されてたんでしょ?」
「……それ、誰から聞いた? 有ちゃんは言わないだろうから、有ちゃんの友だちね。あの背が高めの髪がツンツンした男でしょ?」
正解だ。芽榴が答えずにいると、来羅は勝手に推測して「今度お礼しなきゃね」とにっこり笑った。
そして話を戻し「告白じゃないよ」と、芽榴の質問を否定した。
「もうすでに振った子なんだけど、ちょっとややこしいことになってて。でも今さっき、決着をつけてきたとこ」
来羅は芽榴に拳を突き出して、ニッといたずらな笑みを見せる。冗談めかして告げて、芽榴を安心させようとしてくれているのだと伝わってきた。
「私には、るーちゃんだけだから」
そう言って、芽榴の手をそっと握った。滑らかな綺麗な指が芽榴の指に絡んで、ぎゅっと芽榴の手を包み込む。
「でーも、るーちゃんもモテモテだから、私は毎日不安だよ」
「モテないよ」
「告白されてないだけでしょ? 颯の監視をかいくぐって、告白できる男がいるなら、むしろその勇気をたたえるわよ」
「監視って……」
颯と芽榴は大学が同じこともあって、よく一緒にいる。そのときの報告を来羅は受けているらしく、芽榴の大学での行動はわりと全部筒抜けだ。
「まあ、それもちょっと嫉妬しちゃうんだけど」
来羅は困り顔で肩をすくめてみせる。そんな来羅の姿に構内を歩く女子学生たちは釘付けだ。
来羅の気持ちはまっすぐ芽榴に向いている。それでもたくさんの女の子を魅了してしまう来羅に不安は尽きない。
そんな芽榴の気持ちも、来羅はちゃんと分かってくれている。
「だから、みんなに私とるーちゃんがラブラブだって見せつけないとね」
そう言って、来羅は構内の道の真ん中で、芽榴にキスをした。ちゅっとかわいらしい音を立てて、芽榴の顔を見つめて微笑んだ。
「だぁいすき」
真っ赤になる芽榴の頬を撫でながら、来羅は低い声でそう囁いた。