子育て日記【柊来羅】
誰かと恋をして、幸せな家庭を築く。
そんなことは、自分の人生で、きっと起こり得ないことだと思っていた。
だから来羅は、目の前の光景を夢にすら描いたこともなかったのだ。
「パパー! くるかわいくしてー!」
リビングでコーヒーを飲んでいた来羅の肘に愛しい重りがぶら下がる。
来羅が視線を下げると、自分によく似た少女が唇を尖らせていた。
「どうしたの、くるちゃん。もう十分かわいいじゃない。そのワンピースとっても似合ってるよ?」
心からそう思う。先日来羅が仕立てた衣装は、小学一年生の娘、来実のかわいさを存分に引き立てている。そうなるように来羅が作ったのだから当然なのだが。
「かみ! かみもかわいくしたいの!」
「今も、その三つ編みかわいいじゃない。ママがしてくれたんでしょ?」
「パパがしてくれるおだんごがいいーー!」
そう言って地団駄を踏む来実は、とても愛らしい。
自分より容姿を可愛いと、心の底から思ったのは後にも先にも妻と、来実だけだった。
「パパ、ごめん。ゆっくりしてるときに」
来実のおねだりを聞いていたら、困り顔の芽榴がリビングにやってきた。
腕にヘアセットの道具を一式抱えて。
「ううん。もともと、くるちゃんのオシャレは私担当だから。ママは謝らないの」
自分の手で来実をもっと可愛くすることができると思えば、それだけで楽しくなる。
自分がかつて頑張っていたことが無駄にならずに、時を超えて今役に立つことが、本当に嬉しいのだ。
「くるちゃん、パパが髪結ってあげるから……ここ座って。ママ、それちょーだい」
芽榴からヘアアイロンやブラシを受け取って、来羅は来実の髪を優しく撫でた。
「ママはおともだちのいえにもっていくおかし、よういしてー!」
「はいはい。ラッピングのリボンはピンク色でいいー?」
元気よく頷いて、来実は鼻歌を歌う。
今日はお友達の家に遊びに行く予定らしく、おめかしにもいつも以上に気合が入っていた。そんなところまで父親譲り。
「はい、できた」
ささっと慣れた手つきで髪を結い上げる。
手鏡で見せてあげれば、来実はキラキラした笑顔を来羅に向けてくれた。
「パパ、やっぱりすごーい! まほうみたい!」
キャッキャッはしゃぐ娘が愛しくて、笑みがだらしなく溢れてしまう。
「ね、パパ。くる、かわいいー?」
「うん。とっても。世界一かわいいよ」
「やったー! ママー、パパがくるはママよりかわいいってー!」
飛躍した解釈に少しだけ頭を抱えたけれど、そんなところまで可愛らしいから笑うことしかできない。
本当に、幸せな毎日。
しばらくして、来実を友達の家まで送った芽榴が家に帰ってきた。
「おかえり、るーちゃん」
「ただいま。うわっ、ごめん。片付け任せちゃって」
芽榴が来実を送っている間に、来羅はヘアセット道具を片付けて、洗い物も済ませていた。
「何言ってるの。るーちゃん、お仕事と家事で疲れてるから私がくるちゃん送るべきだったのに」
「来羅ちゃんが行ったら他の子たちに帰してもらえないよ。人気のパパなんだから」
美人で、かわいいお洋服も作れて、髪もきれいにしてくれるオシャレパパ。というのが、来実の同級生とそのママたちが抱いている来羅の印象らしいのだ。
「ほんと、自慢のパパさんだよ。来羅ちゃんは」
そうしてくれたのは、他でもない芽榴。
来羅を……自慢のパパに、誰かの父親に、させてくれたのは芽榴だ。
いつだって、来羅の心にはその感謝の気持ちが溢れてる。
自分を選んでくれて、ありがとう。
言葉しにしたら、凡庸になってしまうのだけど。
「でも、来実は来羅ちゃんに甘えすぎだなあ。もうちょっと厳しくしないと、わがままに育っちゃいそう」
「いいじゃない。女の子は甘えん坊なくらいが可愛いでしょ」
「来羅ちゃん、そういう子毛嫌いしてなかったっけ」
「だってくるちゃんは、かわいいから」
親バカ丸出しの発言をしてみれば、芽榴は困り顔だ。
そんな芽榴の顔を見つめて、来羅は薄く笑む。
「るーちゃんに似て、かわいすぎなくらい」
「かわいいのは認めるけど。来実は来羅ちゃん似でしょー?」
「顔はね。でも仕草はるーちゃんだよ。一挙一動がほんと、かわいいもの」
そう口にして、来羅は芽榴の頬に手を添える。
「だからね、世界一かわいいの称号はくるちゃんにあげちゃうしかないけど。……でも。それでもね」
額と額をあわせて。互いの目を見つめる。
こんなに近い距離で見つめ合うのは久々で。
来羅以上に頬を赤くする芽榴がそれはそれは愛らしくて。
言葉は、迷いなく紡がれた。
「私が恋をするのは……これからもずっと、るーちゃんだけだよ」
重ねた唇は、今もなお、甘い味がした。




