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とある夜の話【柊来羅】

 心はもらったと信じても、そばにいないという物理的な距離感は人を不安にさせる。

 というのも、芽榴がアメリカにいるあいだ、来羅は何度も芽榴と別れたほうがいいのではないかという不安に駆られていたのだ。


「柊くんの振り方ってえげつないよね」


 通りがかりに教室の扉の向こうから聞こえた女子の声に嫌気がさす。

 慣れない「柊くん」という呼び方には違和感しかない。加えて振り方がどうと陰で言われても困る。気に入らないのならそのときに直接言われなければ分からない。

 来羅は風雅と違って全員に優しくするほどお人好しではないのだ。


 大切な友人と、大好きな子に好かれていればそれでいい。そういう人間。


 だからそういうたいてい陰口はスルーするのだが。


「ていうか楠原さんとまだ付き合ってるんだっけ?」


 その話題が聞こえて扉にかけた手が止まる。


「ぽいよー。楠原さんってやっぱ変わってたよねぇ? 風雅くんにあんなに好かれてたのに柊くんのほうに行くなんてさぁ?」

「えー、私は風雅くん獲られなくてよかったーって感じだけど。それに柊くんもイケメンだし普通にうらやましくない?」

「いやいや、ないでしょ」


 続く言葉はだいたい来羅にも想像がつく。

 誰に言われなくても来羅自身がそう思っていることだから。


「だってあれだけ完璧な女装してた人と、そーいうことできなくない?」

「あー……たしかに。まあ想像はできないかなぁ」


 それが一般論だと分かるから。

 いくら芽榴が優しい言葉をかけてくれても、そばにいなければ気持ちの変容も分からない。


「……どうしたら男になれるんだろうね」


 これが母親のために完璧な女子を演じてきた自分に残された罰なのだと、来羅は思っていた。








「ん……」


 ガタンガタンと揺れる音で目が覚める。

 地下鉄に乗っているあいだ来羅は少しだけ眠っていたらしい。

 飲食店でのバイトを終えて、一人暮らしの自宅へと帰る途中。

 毎度女性客に声をかけられるが今日はなかなか離してくれず大変だった。そのせいか、やけに疲れが押し寄せている。


(帰ったらるーちゃんに連絡して、寝よーっと。……あ、その前にコンビニで水買って……)


 そんなふうに考えながら、スマホを見てみると。


『お邪魔してます』


 芽榴からのそんなメッセージが入ってることに気がついて、来羅は眠気など忘れて地下鉄を降りるや否や一直線で家まで帰ったのだった。


 芽榴には合鍵を渡しているため、来羅がいなくても部屋には入れる。

 だから来羅が帰ったときにはすでに芽榴は来羅の部屋にいたのだが。


「るー……ちゃん」


 部屋にいる芽榴の姿を見て、来羅は絶句した。

 とりあえず深呼吸を重ねて。

 来羅はソファーで眠ってる芽榴に声をかけた。


「るーちゃん、こんなところで寝てると風邪ひくよ?」

「……ん、うー……ん?」


 眠そうな目をゆっくり開けて、芽榴の瞳に来羅の顔が映る。


「あ……来羅ちゃん、おか、えり……なさい。え、あ! ごめん寝て、た!」


 最初こそ起き抜けの掠れた声を出していたものの、徐々に状況を把握できてきたのか、最後は悲鳴に近い声を上げていた。


「ら、来羅ちゃんえっとこれはその!」

「るーちゃん落ち着いて」


 珍しく取り乱した様子の芽榴に、来羅の頰が緩む。それ以前に来羅の心ごと芽榴のせいで緩みっぱなしなのだが。


「ご、ごめんなさい。眠っちゃって……えっと」

「疲れてたんでしょ? それより……どうしたの? そんなの抱えて」


 来羅は視線を下げ、芽榴が抱えているソレを見つめた。来羅の視線の先にあるものを自覚している芽榴は視線を彷徨わせる。


「家に来たら……その、珍しく来羅ちゃんの服が脱ぎっぱなしで放置されてて」

「ああ……今日は朝からバタバタしてたから」


 昨晩ゼミのプレゼン資料を作るために徹夜して、朝もギリギリまで寝ていたため、来羅は慌ただしく家を出てしまったのだ。


「洗濯しようかなって……思ってたんだけど」

「そのまま寝ちゃったんだ?」

「…………うん」


 来羅の問いかけになぜか芽榴の顔が急激に赤くなる。やけに長い間を置いて芽榴は頷いて、何かあることは明白だった。

 分かりやすすぎる芽榴の対応に来羅は苦笑する。


「もう……るーちゃんってば、何も隠さなくていいのに。本当は、どうしたの?」

「……怒らない?」

「怒るようなことなの?」

「怒るっていうより……引かれそう」

「うーん。それは無理かな。それで?」


 来羅は笑顔で首をかしげる。すると芽榴は抱えていた来羅のシャツを口元に押して当てた。


「来羅ちゃんと最近会えてなかったから……」


 お互い大学のことや仕事のこと、いろんなことで忙しくて、なかなか会えずにいた。でも電話はしていたし、会う暇が本当にないくらい忙しかったから寂しいと思う余裕さえなかった。


「来羅ちゃんの服拾ったら……来羅ちゃんの香りがふわっとして……その、なんとなく抱きしめちゃって……そのまま……寝ちゃいました」


 最後はほとんど聞き取れないくらいか細い声で芽榴は答えた。

 予想外の反応に来羅は口をぽかんと開けてしまう。


「……引かないって言ったのに」


 恨めしそうな顔で見つめてくる芽榴に来羅は首を横に振って答える。


「引いてないよ。びっくりして……気緩めたらだらしない顔しちゃいそう」


 来羅は真顔でそんなことを言う。


(だって……そんなの、まるでるーちゃんが……)


「私に……抱きしめてほしかった?」


 頭に浮かんだ疑問が、そのまま口に出る。

 聞いてから後悔したけれど、その後悔も芽榴が全部吹っ飛ばしてくれた。

 コクリと小さく、恥ずかしげに頷いて。


「ごめん……こういうの来羅ちゃん好きじゃないって分かってるんだけど」

「好きだよ」


 来羅は間髪入れずにそう答えていた。

 相手が芽榴じゃなければ「本当に」と答えていたかもしれない。相手が芽榴じゃなければ、自分の服を勝手に抱きしめられて気持ち悪いとさえ思ったかもしれない。


 相手が芽榴というだけで、どうしてこんなにも愛しくなるのかと、いっそ不安に思うくらい幸せな気持ちが来羅の心には溢れていた。


「るーちゃん、さすがにそれはかわいすぎるんだけど」

「かわいい……?」

「うん。……ねえ、るーちゃん」


 芽榴の手を取って、来羅は切なげに目を細める。


「本人がここにいるのにいつまで私の服を抱きしめてるの?」


 そう口にして、芽榴の手を少し強引に引いて胸に抱き寄せた。息を吸い込めば大好きな香りが全身を満たしてくれる。

 満たされて霧が晴れたら、自然に心の内側も口にできた。


「……るーちゃんは、私にこうされるの、抵抗ない?」

「抱きしめてもらえること?」

「うん」

「……嬉しいよ?」


 それを態度で示すように芽榴は背中に回した腕に力を込めてもっと強く来羅に身を寄せた。


「ねー、来羅ちゃん」

「なぁに?」

「キスしてもいい?」

「え……ちょ、るーちゃん」


 唇が触れ合うだけのキス。突然与えられた芽榴からのキスに来羅は驚いた。


「ん……どうしたの? るーちゃんからしてくれるなんて、珍しい……。そんなに寂しくさせてた?」

「うん。でもそれ以上に……私が来羅ちゃんに寂しい思いさせてたんでしょ?」


 芽榴の滑らかな手が来羅の頰を包む。


「また、来羅ちゃんを1人で悩ませちゃったね。……ごめんね」

「……違うよ。私が……勝手に昔の自分にとらわれちゃうだけで」


 過去を変えることはできない。だから来羅の背負う「本当の男になれない」不安は一生消えないのだと思う。それを芽榴はちゃんと知って、理解してくれている。


「来羅ちゃんが思ってるよりずっと……来羅ちゃんは男の人なんだけどね」

「……ちゃんと、そう見える?」

「見えなきゃこんなにドキドキしないよ」


 そう言って芽榴はふわりと笑う。


「でもね……。来羅ちゃんはみんなに男らしく思ってほしいのかもしれないけど……私はそんな来羅ちゃんを、私だけが知ってればいいと思うの」


 来羅の不安を、全部芽榴は飲み込んでくれる。

 欲しい言葉を、来羅の想像を超える言葉で連ねてくれる。


「来羅ちゃんにドキドキさせられるのは、私だけがいいもん」


 芽榴を好きになったことを一度だって後悔したことがない。毎日毎日、好きになることしかできない。

 好きになる気持ちに、終わりが見えなくて困るくらい。


「るーちゃん……」


 何度唇を重ねても、思いの半分も伝わる気がしない。


「明日……寝坊しても大丈夫?」


 もう今日は自分で自分を止められる気がしなくて。


「うん」


 その許可が出る前には、芽榴のことを抱きかかえていて。

 誰が何と思おうと、芽榴が望んでくれるなら自分の全てを与えたいと、そんなふうに願った。


 とある夜の話。


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