欲張りな愛情【藍堂有利】
アメリカから帰ってきて二年が経った。
日本の大学にも通い始めた芽榴は、東條グループの仕事にも手をつけ始め、毎日が忙しい。
けれど忙しくても、ちゃんと休養をとって、至福のときを過ごして、とても充実していた。
「うわぁー、すごい」
そして今、芽榴は恋人とともに温泉旅行に来ている。
大学もお休みで、仕事も全部片付けて久しぶりに3日ほど自由な時間がとれたのだ。
「喜んでもらえてよかったです」
老舗旅館の部屋の中、お風呂上がりで浴衣姿の有利が隣にいる。
いつもは袴や着物が多いから、有利の浴衣姿を見るのは高2の夏祭り以来だ。
わずかに懐かしさを感じるけれど、旅行という空気があいまって、新鮮さをかもしだしてくる。
「あはは。でもちょっと緊張するなー」
「2人で旅行ははじめてですからね」
今回の旅行は有利の提案だ。
というのも、有利の父がここの宿泊券ペアチケットをもらったらしいのだが、有利の両親は行く暇もないため、有利に譲ってくれたらしいのだ。
「温泉、気持ちよかったですか?」
「うん、とっても。日頃の疲れが吹き飛んじゃった」
芽榴がにこりと笑うと、有利は湯のみにお茶を注ぎながら嬉しそうに微笑みを返してくれた。
「貸切の露天風呂もあるみたいですよ」
「へぇ、きっと景色綺麗だろうねー。行ってみたいかも……」
「混浴ですけどね」
付け加えられて、芽榴は飲んでいたお茶を軽く喉に詰まらせてしまった。
「大丈夫ですか?」
「あははー、大丈夫大丈夫。気管に入っちゃっただけー」
心配して有利が芽榴の背中をさすってくれる。
しかし、おかげでただ隣に座っているときよりもお互いの距離が近くなってしまった。
もう咳き込みも止んだのに、有利の手はまだ背中に添えられている。
「ね、有利くん。背中もう大丈夫だから」
有利と付き合って3年。
一緒に過ごしてきて、いろいろなことを経験して、でも相手が有利だからか、いつだって何をするにしても、芽榴は緊張してしまう。
たとえばこんなふうに名前を呼ぶのも、呼ばれるのも。
「芽榴、こっち向いてください」
「……イヤ」
気恥ずかしくて、芽榴はわざと有利とは反対のほうを向いてしまう。
今は絶対顔が赤くなっている。自分で分かっているのだ。
こんな間抜けな顔は、有利だから余計に見せたくない。
「それ、かわいいだけですよ」
まるで子どもをなだめるみたいに優しい声で言って、芽榴の頰に触れる。
逆を向いていた顔は簡単に有利に引き戻されてしまった。
「真っ赤です」
「分かってるってば」
「まだ緊張してますか?」
「ずっとしてるよ。……なんで有利くんは緊張しないの」
「こう見えてもかなりテンパってます」
真顔で有利が言ってくる。それが面白くて、芽榴は少し吹き出してしまった。おかげでほんの少しだけ、緊張がほぐれたような気がする。
「笑わないでください。かっこ悪いの、分かってますから」
「そーいう意味で言ったんじゃないよ。それに、有利くんはかっこいい……あ」
自分で口にして、芽榴の顔はまたボッと赤くなる。
常日頃から思っていることだから、何の違和感もなく口から言葉が出て言ってしまった。
慌てたように恥じらう芽榴を見て、有利は薄く笑っている。芽榴の背に添えていた手が芽榴の肩を抱いていた。
「芽榴は本当にかわいいですね」
「からかわないで」
「からかってませんよ。本気です」
有利は真面目な声で言って、芽榴の顎にもう片方の手を添える。
そうして静かに芽榴にキスをした。
「もうやだ……心臓がもたない」
恥ずかしさと嬉しさと幸せが混在する複雑な気持ちで頭はいっぱいで、芽榴の心臓は爆発しそうなくらいにうるさく鳴り響いている。
その音を感じようとするみたいに、有利は芽榴のことを抱きしめて、胸と胸を密着させた。
「僕は芽榴に片想いしてるときからずっとドキドキさせられっぱなしでしたよ」
有利は「だから」と言葉を付け加え、芽榴が逃げられないようにホールドしたまた、また芽榴にキスをする。
「もっと、僕のこと好きになってください」
そんな欲張りな言葉を芽榴に囁きながら。