浮気疑惑?【葛城翔太郎】
葛城翔太郎は、無愛想で女嫌い。
けれど根は優しいから、彼の友人と比較しなければ彼もかなりモテる人なのだ。
そういうことをしっかり理解したうえで、それでも芽榴は翔太郎に絶対的信頼を置いていることがある。
それが、翔太郎が絶対に浮気をしない、ということ。
しかし先日、翔太郎の一人暮らしの家に遊びに行ったときにとある事件が起きたのだ。
「うん。葛城くんは浮気しないでしょ」
舞子がコーヒーを飲みながら半笑いで答えた。
芽榴も自分から口にしたくせに、そのワードに違和感があって「葛城くんが浮気……してるわけないもんなー」と自己完結した言葉を口にしていた。
舞子とは通う大学が違うため、こうしてよく互いの近況を話し合っている。舞子は今でもとても仲よくしてくれていた。
「うちのバカ猿なら、ちょっと言い寄られただけでコロッといきそうだけど」
めでたく彼氏となった滝本とも、なんだかんだうまくいっているようだ。
「滝本くんも浮気なんてしないでしょー」
「まあ、そもそもあれに寄ってくる女子がいないだろうしね」
「舞子ちゃん……」
付き合っても舞子は滝本に厳しい。
「でもなんでいきなり浮気の話? それっぽいことでもあったの?」
それらしいことはあった。
人によっては「あった」と断定するかもしれない。
でも芽榴はどうしてもあの事件と「浮気」が結びつけられなかった。
「このあいだ、私の大学が休講だったから、木曜の夜から土日までの三日間に葛城くんのお部屋に遊びに行ったんだけどね」
「うん」
「葛城くんは金曜に大学の講義があって、ちょうどゼミの研究が長引いちゃって帰りが遅かったんだけど」
「葛城くん医学部だもんね。忙しそう」
「うん。むしろそんなときに来ちゃってごめんねって思って。……だからご飯作って待ってることにして、葛城くんもちょうどいい時間に帰ってきたんだけど……」
帰ってきた翔太郎は芽榴に「ただいま、遅くなってすまない」と言うなり、着てたシャツをゴミ箱に捨てたのだ。そして芽榴のご飯を食べるより前にお風呂場に消えてしまった。
「お風呂に行く前にシャツを捨てた理由聞いたら、汚れたからって言われて。でもパッと見た感じで汚れてなかったから、洗って落としてあげようかなーって思って。葛城くんがシャワー浴びてる間に、ゴミ箱から取り出したらね」
「……うん」
「胸元にグロスがついてたんだよねー」
「ああ……そういう」
そんなふうに説明して、やっぱり「浮気じゃないだろうな」と芽榴は思う。
「葛城くんに聞かないの?」
「聞いたら不機嫌になりそうだし。一緒にいるときはできるだけ怒ってほしくないから」
「まあ……葛城くんが浮気したとは思わないけど、何かあったんでしょうね」
「うん。でも、葛城くんのことだから、思い出したくないだろうしなーとか思っちゃって」
芽榴が苦笑すると、舞子は「よしっ!」と手を叩いた。
「とりあえず葛城くんに連絡しよう」
「え?」
「ここで考えても意味ないし! こういうのは会って話すのが一番でしょ!」
その週の金曜の夜、芽榴は翔太郎の部屋にいた。
舞子にレクチャーされるまま、翔太郎にアポをとると、翔太郎はあっさり受け入れてくれた。
「珍しいな。こんなに早く会いにくるなんて」
翔太郎は芽榴に麦茶を出して、芽榴の隣に座る。
隣とは言っても、人一人分スペースをあけるのが翔太郎らしい。
「ありがとー。ごめんね……ちょっと、葛城くんに話があって」
「……別れ話なら聞かないからな」
「そんなのしないよ」
翔太郎が眉間に皺を寄せるため、芽榴は皺の額に手を伸ばして困り顔で笑った。
「なら……お前が来るのを嫌がったりしない。気を遣わなくていいし、謝るな」
翔太郎は照れ臭そうにしながら素直に言ってくれる。
芽榴を呼ぶときだけは、こうして口調も優しくなって。
だからやっぱり芽榴は、こんな状況でも愛されている自覚だけが膨らむのだ。
「で、話ってなんだ? 電話じゃ難しい話だったのか……?」
「難しいっていうか……うーん」
電話でもよかった。けれど顔を見て話したほうがいいという舞子の意見に芽榴も賛同して今に至るのだ。
そういうことを説明しても、長くなるだけ。
芽榴は早速本題を口にした。
「このあいだ泊まりに来たときに、葛城くんの捨てたシャツにグロスがついてるの見ちゃいました」
芽榴がそう告げると、翔太郎の顔が強張った。
その反応を見ても、芽榴はやっぱり怪しいとは思わなかった。
「浮気かなぁーって思ったりもしたんだけど」
「ありえない」
「うん。ありえないなーって私も思っちゃった」
芽榴がそう答えると、翔太郎は驚いた顔をした。
「疑わないのか?」
「違うんでしょ?」
「違う。……でも疑ったから、聞いたんじゃないのか?」
翔太郎が浮気をしたとは思わない。でもこの聞き方はやっぱり疑ってるように思える。
でも本当に、芽榴は疑ってるのではなく、ただ心配してるだけなのだ。
「何かあったことは間違いないだろうから、抱きつかれたりしたのかな? って。そしたら葛城くん、あの日かなり疲れてたはずなのに私の相手してくれたんだなーって思って。でも聞いたら、私自身がショック受けそうだし。何より葛城くん思い出しなくないかもなーって思ったら聞くの迷っちゃって」
芽榴は「ごめんね」と謝る。
翔太郎のプライベートまで踏み込んでしまって申し訳ないとも思う。でも翔太郎のことを、芽榴はちゃんと知っておきたいのだ。どんな人に好意を持たれて、何があったのか。
芽榴がまっすぐ翔太郎の目を見て尋ねると、翔太郎は優しい顔のまま眉を下げた。
「……告白されて、抱きつかれた。ゼミが一緒の女子学生に」
やっぱり、とは思うけれど、芽榴の表情は曇ってしまう。
苦笑いを浮かべたまま、芽榴が暗い顔をすると、翔太郎が小さなため息を吐いた。
「……楠原」
小さな声で芽榴を呼んで、翔太郎が人一人分のスペースを詰めてくる。
芽榴のことを抱き寄せて、自分の腕の中に閉じ込めて、翔太郎は大きく息を吸い込んだ。
「俺はやっぱり、お前しかダメみたいだな。他の女に抱きつかれたときは、吐き気すら覚えたのに」
翔太郎は芽榴のことを抱きしめたまま、芽榴の香りを楽しむように、芽榴の肩に顔を埋めた。
「お前の香りは、落ち着く。……だからこそ、こうやってそばにいて嬉しくなるのも、もっとくっつきたいと思うのも、お前だけだ」
耳元で、しみじみとそんなことをささやかれて、芽榴の頰が微かに赤くなる。
「ちょ、っと……葛城くん? よ、酔ってる?」
「……なわけないだろうが」
夜とはいえ、翔太郎はお酒など飲んでいない。目の前にあるのは麦茶だ。
でも翔太郎がこんなにも饒舌に素直なことを話すから、芽榴はそう思わずにはいられないのだ。
「なあ……お前は俺のこと、好きか?」
翔太郎は少しだけ芽榴を胸から解放して、その顔を覗き込む。
真剣な顔で、どこか不安そうな声で。
翔太郎は、芽榴の気持ちを確認する。
「……ずるいよね、葛城くんは」
自分は先に言わない。いつも芽榴に先に言わせようとする。
でもそれで翔太郎が自信を持てるならと、芽榴は翔太郎を甘やかしてしまうのだ。
芽榴は翔太郎の顔に手を伸ばし、彼の眼鏡を奪って告げる。
「好きだよ。とっても」
笑顔で告げれば、翔太郎は嬉しそうに頰を緩めてくれる。
「……俺も、お前のことが好きだ」
芽榴の頰に手を添えて、翔太郎は芽榴にキスをする。
二、三度啄むようにキスをすると。
芽榴の腰を抱いて、吐息交じりに翔太郎は呟いた。
「いつも、お前のことだけを想ってる」
角度を変えて、芽榴に深く口づけて、翔太郎は不安の数だけ芽榴に愛を囁いた。
だからやっぱり、翔太郎を疑うことなんてできない。
「……翔太郎くん、好きだよ」
キスの最中に、その名を呼んでみたら、翔太郎は目を丸くした。でもすぐに驚き以上の感情が翔太郎の心を支配する。
「……馬鹿。……本当に、なんなんだお前は」
翔太郎は頰を染めながら、芽榴に愛しい文句を告げる。けれどその文句すらもう、甘い空気に溶けて。
「お前のことが……芽榴のことが欲しくて……たまらなくなる」
翔太郎に名前を呼ばれるだけで、頰が熱くなる。
触れられる以上に熱い気持ちが溢れてくる。
止めどなく浮かぶ感情が、教えてくれる。
「愛してる」
お互いの口から漏れたその言葉が、今の二人の感情のすべてだった。