Prologue.
炎が視界いっぱいに広がっていた。
敵の爆撃によって破壊された多くの建築物は、その攻撃によって一瞬で瓦礫の山に変貌した。
瓦礫の下に、人の死体。瓦礫の上に、人の死体。瓦礫にサンドされている、人の死体。見渡す限りの死体の山。そこに地獄は広がっていた。
西暦二〇一四年、イギリス。
ある地方都市が戦場となったのはたった四時間前のことだった。英国本土の制圧のために、侵攻してきた敵軍は波のように街を攻撃して去っていった。
全てが地上と空からの攻撃によって破壊された街。為す術なく骸となった人々の魂は、果たして天国へと昇っていったのであろうか。その悲痛を叫ぶ魂は、神に抱かれるのだろうか――――
――そんなことを考える暇もなく、瓦礫の中を一人の少年が歩いていた。
全身煤だらけの傷だらけ。少年と言っても、まだ幼い、十歳もないだろう幼子が、吹き付ける風に今でも吹き飛ばされそうな足取りで、あてもなく彷徨っていた。
少年の瞳に映る世界は、曖昧に濁されていた。まるで描かれたばかりの絵を擦って汚くしたような世界が、彼の瞳に映っていた。光はその朧気な瞳には届かず――かと言って、意識をかき乱すほどの絶望に苛まれているわけでもない。謂わば、放心状態というやつだ。
ふと、眼前を何かが阻む。俯き気味だった顔を上げる少年。――それは煙の中に居た。まずその正体を一言で表すなら、巨大、と言えるだろう。
「ふん、このガキが『白雪姫』の転生体だと? 笑わせてくれる。また間違いかも知んねぇが――ガキ、ここに居ることに悔いろ」
そう言いながら、巨大な影が少年の首をガッと掴んだ。少年は何の抵抗も、何の反応も示さない。
影は、その手に力を込めて、少年の息の根を止めにかかった。
――その時、立ち込める煙から影の本体が垣間見えた。
側頭部から生える捻れた角と、喋るごとにギラつく牙。巨躯であるという特徴も合わせて、それは人ならざる存在であった。
それは単に、『魔人』と呼ばれる存在であった。
古来より人類と敵対する人のようで人ではない存在。魔皇を頂点として崇拝し、五大魔帝なるそれぞれの種族の王を称える異形の者たち。
そのうちの一人が、少年の首を掴む。慈悲なのか、楽しんでいるのか。ゆっくりと込められていく力に、徐々に締め付けられていく首元。無表情だった少年の顔に、変化が見られた。
朧気な瞳が、徐々に見開いていく。顔が引きつり、自分の置かれている状況をやっと飲み込んだようだった。手足をバタつかせ、小さな抵抗を試みるも――魔人はただニヤリと笑っているだけ、少年にはどうすることも出来なかった。
少年はその顔に焦りを見せた。どんどんと締め付けられる首。呼吸ができにくくなると、より多くの酸素を確保しようと呼吸を荒げる。それが面白いのか、魔人は尚も笑い続けた。
「ゃ……めろっ……」
「あアん? 聞こえねぇなァ!?」
掠れたような声で少年は魔人に訴える。しかし、わざとらしく魔人は聞こえない素振りを見せる。
「ゃっ……やめっ……」
「なんだってェ、あアーッ!?」
尚も声を出す少年に、それをかき消すように声を荒げる魔人。
少年は意を決した。
「やっ……っ――」
「あ?」
「やめろぉぉおおおおぉぉっ!!!」
獣の咆哮とも取れるような叫びが、魔人の耳を劈く。しかしその顔には余裕の笑みがにじみ出ていた。
しかし魔人は咄嗟に現状を理解する。顔に浮かべた笑みが凍り、一気に眉間にしわが寄せられた。
――刹那、魔人の周囲を大小の魔法陣が展開し、瞬時にあらゆる属性の魔法攻撃が魔人を襲った。
「こっ、これは――っ!!」
魔人は少年を手放し、その丸太のような太さの両腕で攻撃を防ぐようにした。
地面に落ちた少年は、ゆっくりと立ち上がる。
「このガキァーッ!」
魔法陣から放たれる魔法攻撃を受けながら、魔人は少年に襲い掛かる。
しかし。
魔人は既に少年の手の上に居たのだ。
少年は天に掲げるようにして右腕を挙げた。すると少年の頭上に、黄金に輝く巨大な魔法陣が展開する。
「斃れろ――」
幼い少年の一言とともに、振り下ろされた右腕。魔法陣も同じように弧を描いて、魔人に向けられる。それは銃口を向けられることに等しいことだった。
「――いや、消えろ」
その言葉に呼応するかのように、黒色だった少年の髪が、根元から白く脱色していく。
無愛想な少年は、小さな声で前言を撤回し言い返すと、開いていた掌をクッと握った。
途端に、魔法陣から極太いレーザー状の魔法が放たれる。
「――――」
魔人が声にならない叫びを上げたようだった。
――そして、後に残ったのは、焦土と化した戦場だけだった。
◇◇
魔法。
有史以前よりその存在を確認されている超自然的な技術である。人類の間では繁栄と衰退の象徴とされているように、強大な力を持ち、時に全てを滅する巨大な炎となり、時に傷ついた生命を癒やす光ともなる。
魔法の発展は、二千年あまりの歳月を経て飛躍的に進歩しており、その過程から科学技術も生まれた。
まさに、人類の繁栄を助力した存在とも言えよう。
魔法の発生時期は定かでないが、少なくとも神話の時代や伝承にも登場することから、既にその時より存在していたとされている。ここで学者たちは、架空のものだと思われていたお伽話でさえも、現実だったのではないか、という議論をし始めている。それらのお伽話で育った大人たちは、その存在の実在を願ってもいる。
これら神秘的な側面も持つ魔法は、魔力なる大気中を流動する『自然魔力』と体内で生成される『生体魔力』の二種類が互いに結合し、生体魔力からの魔法の素である『術式』の出力と自然魔力がそれを受け入れることによって発生する。
魔法にも属性などが存在し、近代魔術に於いての課題は『複数の属性を合成した魔法の開発』だったりした。
こういった歴史を持つ魔法には、未だに多くの謎があり――また可能性が秘められている。無限大の可能性を秘めた魔法に、多くの期待が寄せられている。
しかし、その期待とは裏腹に、魔法が世界を破壊していた事例も存在する。
それは戦争である。
古来から存在が確認されているように、古来から魔法は、あらゆる武器を凌駕する殺傷性を有する強大な武器としても用いられていた。魔法による攻撃、それを防ぐための魔法による防御。
そう。
この二千年以上にも及ぶ人類が持つ果てしない闘争心が生み出したのが『魔法戦争』であった。
科学技術によって生み出された強力な武器でも、魔法の前には無力な赤子同然であった。
ただ唯一、多くの有識者が胸を撫で下ろした事といえば、神話や伝承などで用いられる魔法は、人類には使えないということだ。多くの国が、神の振るった力を再現しようと尽力したが、その度に被験体たちの『魔術回路』と呼ばれる、予め人間にプリントされている魔法を発動させるためのトリガーが、焼け切れてしまったために、再現不可能ということで事無きを得ている。
――しかし、その安堵を覆した存在が居た。居たのだ。もうこの世に、その人物は居ない。
彼女の名を知る者はごく僅かであり、その名を口にする者さえ、もうこの世には居ないのだ。
強いて、彼女の名を上げるとすれば――白雪姫、と答えるしかない。勿論、お伽話の白雪姫ではなく彼女の渾名で有っただけにすぎない。
けれどその名こそ、数多の魔術師が畏敬を捧げる名であることには変わりない。
彼女は第一次世界大戦期、大英帝国陸軍の魔術師師団隷下に設けられた特殊部隊――『魔女部隊』に所属しており、九名から成る魔女兵を先導した人物として知られている。
人には生まれついての得意不得意がある。魔法にもそれは言えたことで、属性魔法を扱うにあたって得意不得意が存在した。しかし、彼女だけは違った。あらゆる属性魔法を操れるだけでなく、ごく少数の人間しか扱えなかった『治癒魔法』の担い手でもあり、陸軍の先端を征く存在であった。
そして何より、彼女は自然魔力と生体魔力を一つのエネルギーに置き換えて、両方の魔力をリンクする手間を省いていたことが確認されている。更に、その御蔭か、彼女の体内から魔力が尽きることはなかったという。
知識に富み、強力な魔法を操る絶世の美女としてイギリスに君臨した。無論、彼女はその気ではなかったが。
賞賛と畏怖、渇望と排斥、羨望と嫉妬、それらの狭間で生きた彼女は、結婚することも子を成すこともなく生涯を軍人として、魔女として生きた。
唯一彼女に出来なかった事といえば、寿命を伸ばすことぐらいだったろう。
生涯を賢者として崇められ、そして秘匿された彼女の所在。大英帝国の思惑が彼女の生涯に制限を与えた。
――そして晩年。
女王陛下みずからが、白雪姫の住居を訪れた。彼女が見慣れた国の重鎮や、権力者たちが彼女のベッドを囲んだ。
「女王陛下、このような情けない姿を晒してしまい、申し訳ございません」
「構いませんわ、白雪の姫」
「一つ、話を聞いてもらっても、構いませんか? 陛下」
ええ、とベッドに横になる弱々しい彼女の手を取る女王が返す。弱く握り返された手を、包むように掴む女王は、彼女へ優しげな微笑みを向けた。
「私はもう死ぬ身でございます。しかし、この魂は――私の力は、新たな時代に生まれる子どものうちの誰かに、継承されることでしょう。私とは縁もゆかりもない子どもが、可哀想にも私の力を引き継ぐのです。その子は、私の唯一の子どもとなるでしょう。血は繋がらずとも、私の子であるでしょう。どうか、その子を見つけた時は、最大限のご助力を頂きたい」
「……分かりましたわ、白雪の姫」
「それは……良かった」
伝説と謳われた魔女は死んだ。
それと同時に秘匿されていた白雪姫の遺言が、どこからとも無く流出し、あらゆる国家や権力者などが魂の転生を耳にする。
――それは、これからの時代は血で血を洗う『伝説』を求めて争う時代になることを意味していた――