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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

椎名さんの匂い

作者: ささみし

「椎名さんってさー、ちょっと臭くない?」

その一言から椎名さんへのいじめが始まった。


私が椎名さんに抱いていた印象は「地味で目立たない子」それ以外になく、実際に言葉を交わした事もないだろうし、たぶん友達も少ない……そんな曖昧な言葉でしか語ることが出来ないほど、希薄なものだった。

いじめの内容は先生にばれない程度の、傍から見ればクラスメイト同士のじゃれあいとも取れるようなもので、あまり深刻な事だとは思えなかった。

椎名さんも普通に学校に来ているし、普通に授業を受けているように見えた。

私はといえば、椎名さんがいじめられていると知ったときは「かわいそうだな」と思ったものの、それだけだった。


ある日の休み時間の事だった。

「椎名さんちょっと手上げてみてよ」

いじめの主犯格である高山さんと取り巻き数人が椎名さんを囲んでいた。

少し怯えた様子の椎名さんは、こわごわと右手を上げる。高山さんはその手を掴んで引っ張りあげ、腋の下に顔を近づけて大げさに匂いを嗅ぐしぐさをした。

「くっさー!なーんかこの教室臭いな―って思ってたんだよねー。椎名さんって腋臭じゃん!まじくっさいよ。なんとかした方がいいよほんと。」

その言葉を受けて、取り巻きもわざわざ匂いを嗅いでは臭い臭いと連呼する。

椎名さんは無言のまま俯いて、からかう事に飽きた高山さんたちが去ったあとも、休み時間が終わるまでじっとしていた。


その日の体育の授業はバレーボールだった。私は走ったり跳んだりといった単純な運動は好きだけれど、球技には苦手意識があったので憂鬱な気分だった。

軽い練習のあと、先生によって決められたチームで試合が始まる。私はチームメイトの足を引っ張らないように頑張った……つもりだったが、トスをあげようとしたときに見事に突き指をしてしまった。

「大丈夫?」と言って心配してくれる友達に「大丈夫じゃないよ」と冗談まじりに返すが、実際かなり痛くて涙目になっていた。

その後、保健室で手当を受けて体育の授業は見学することになった。


保健室で時間を取られてしまったので、授業が終わるまであと10分という微妙な時間になっていた。

ここから体育館に戻ったところですることもないし、この指では着替えるのに時間がかかるだろう、という自己判断で私は更衣室へと向かった。

しんと静まった室内には、脱いだ衣服だけが残されて持ち主の姿がない。誰もいない更衣室というのは、なんだか不思議な空間だ。

自分のロッカーの前に行き、着替えようとしたところで「椎名」という文字が目に入った。椎名さんの体操着入れは、少し汚れていた。

「誰もいない空間」というのが私の好奇心を勢いづけた。


前から少し気になっていたのだ。

『椎名さんって臭くない?』という言葉を聞いても私は特に臭いとか思わなかったし、それまではクラスメイトの匂いなんて気にした事もなかった。

「どんな匂いがするんだろう」それだけの好奇心。しかし背徳感で心臓がドキドキと高鳴っていた。

椎名さんの脱いだ服は、綺麗に畳まれていた。私は自分の痕跡を残さないように注意を払いながら椎名さんのブラウスを手に取った。それを顔の近くに寄せ、くん、匂いを嗅いだ。

シャンプーか洗剤の匂いに混じって、かすかに汗の匂いがする。でも臭いという程ではなかった。「なんだ、やっぱり別に臭くないじゃん」とブラウスを戻そうとしたが、腋臭という言葉が頭をよぎる。

腋臭というからには腋の下の匂いなのだろう。畳まれたブラウスは腋の部分が隠れているので、一度広げる必要がある。一瞬迷ったが「ここまできてやらないでどうする」という意味の分からない脳内悪魔のささやきに押されて、そっとブラウスを広げた。

特に汗染みができているというわけでもないし、やっぱり高山さんたちの言いがかりなんだろうな……。腋の下の部分を手に取り、鼻に近づけた。

……変な匂いがした。普通の汗の匂いとはちょっと違う。なんだろうコレ。他の部分との匂いを比べてみる。やっぱり腋の下だけ、違う匂いがした。

「これが腋臭、の匂いなのかな」確かにちょっと臭いけれど、嫌な匂いじゃない。もう一度嗅いでみると、鼻が少し慣れてしまったのか、匂いが薄く感じた。

今度は直接鼻に押し付けて、思いっきり息を吸い込んでみた。くらくらするような匂いが鼻孔から口内まで侵入し、肺が満たされる。

「なんか……くせになる……」

もう一度、とブラウスを顔に押し付けたところで、ガチャッという音がして更衣室のドアが開いた。

自分の行動の異常さにようやく気付き、サッと血の気が引いた。

ドアを開けたのは椎名さんだった。


まだ終業のチャイムは鳴っていない。授業中のはずなのになぜ……。そういえば椎名さんはいつも気付かないうちに着替えを済ませて教室に戻ってた。今にして思えば存在感の薄さを利用して授業を早めに切り上げていたのかもしれない。

そんなことを考えても時間は戻らなかった。

椎名さんは、私が着替えの途中だと判断したのか、私のことを特に気にする風でもなく自分のロッカー……つまり私のほうへ近づいてきた。

だが私の手元には依然として椎名さんのブラウスがある。どうすればいいのかわからずパニック状態の私が出した答えは、「これ、落ちてたよ」という嘘くさい言葉だった。

椎名さんは一瞬硬直したが、うつむきながら「ありがと……」と小さな声でつぶやいて私からブラウスを受け取った。

うまくごまかせた……?心臓の音でバレるんじゃないかと思えるほど、バクバクと激しい鼓動が鳴っていた。特に運動もしていないのに酷く汗をかいている。

早く着替えてこの場から立ち去りたかったが、突き指をかばいながら着替える事は思いの外難しく、手こずっていたら椎名さんのほうがさっさと着替えて出て行ってしまった。

「あ……あせった……」

緊張していた身体から力が抜けて、その場にへたり込む。なんであんなことをしてしまったのだろう。

けれど、私が何をしていたのか椎名さんは、たぶん、わかってない。わかってない……はずだ。

「でも、もしバレてたら……、どうなるんだろう」

椎名さんはあの通り無口だし、そもそもしゃべるような友達もクラスには居ない。別にどうもならないような気がする。さっきの反応だと、そもそも気付いていないという可能性のほうが高いだろう。

そう思ったら気が楽になってきた。

「よし、大丈夫大丈夫……」そう自分に言い聞かせながら着替えを済ませた。


その日以来、私は少しだけ椎名さんを気にかけるようになり、クラス内に私という接点が増えた結果、椎名さんへのいじめも次第になくなっていった。


私が帰り支度を済ませると、いつの間にか近くにいた椎名さんがぎりぎり聞き取れるくらいの小さな声で「いっしょにかえろ」と私を誘う。

「うん」と私。家の方向も違うし、通学方法も私は自転車なのに対して椎名さんは電車なので、校門までしかご一緒できないのだが……。

お互い無言で歩いて、校門で別れるときに「じゃあ」「うん、また明日」と挨拶をするだけ。

なんだか妙になつかれてしまってむず痒いけれど、悪くはない。今はまだぎこちないけれど、良い友達になれそうな気がしていた。

「あの時の事」は私の中で忘れたくても忘れられない黒歴史となったが、友達が出来たきっかけとして、いい意味でも忘れられない出来事となることを願って、私は自転車のペダルを漕いだ。

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