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3/5

 婚姻の話は瞬く間に屋敷中に広がった。老若男女、貴賤の垣根を越えて、誰もがその祝福すべき日を待ち望んでいた。

 けれど、その華やかな雰囲気は長く続かなかった。日下の地を、絶望が取り囲んだ。


「大王の軍が、屋敷を取り囲んでおります――っ!」


 日香蚊(ひかか)の報告に、部屋は喧騒に包まれた。侍女たちの間から、堪えきれない悲鳴が上がり、不安が伝染していく。

 その中心で、父が表情を硬くさせた。衰えを見せ始めた声帯が、大きく震えた。 

「……何故だ。なにゆえ、大王はわたしに軍を差し向けるのだ」

 いつもは優しさを滲ませる双眸は、酷く暗い色をしていた。

 頼りない灯台の火を反射させた瞳に、ふるふると静かな激情が映し出される。握りしめた拳が、床を叩いた。

「これでは……これではまるで、謀叛人のようではないかっ」

「っ、畏れながら……」

 凶器的な音が、全ての音を切り裂く。父の言葉に、日香蚊が項垂れた。

 その意味を知り、父は愕然とした。馬鹿な、と低い呟きが部屋に落ちる。肺の奥底から搾り出すような、そんな声だった。

「……謀叛、だと? この、わたしが?」

「王」

「わたしが、謀叛人だと……大王は、そう仰るのか?」

「王、どうか、お身体に障ります……!」

 母が、慌てて細い腕を伸ばす。

 けれど、何年もの間、父を癒してきたその手さえも、この現状の前では無力だった。 

「わたしに、叛意などありはしない。何かの、間違いだ。わたしは、わたしはっ、若日下部をも、大泊瀬皇子へと差し上げたではないか――っ!」

 悲痛な叫びに混ざり、ごぼり、と固まった液体が落ちるような音が聞こえた。

 父の口許に、袖に、褥に、紅の大輪が花開く。錆びた鉄の香りが幼子の鼻腔を詰まらせた。息苦しさに、涙が滲んだ。

「王っ、王……っ!」

 父の口から吐き出される赤が、母の白く細い掌を染め上げていく。

 それでも、母は構わず父の名を呼び続けた。その身体を、支え続けた。その間も、彼女の手は赤を吸っていく。

 眉輪の手を、乳母が引いた。幼子の視界から全ての悲劇を隠すように、四、五人の侍女たちが、啜り泣きながら周りを取り囲む。何も知らなくて良いのです、と彼女たちの目が語っていた。眉輪はただ、それに抗う術を持たぬまま部屋をあとにした。

 それでも、その耳には父の絶望と、母の悲鳴が耳鳴りのように絶えず鳴り響いた。最後に見た赤い光景は幼子の脳裏に焼きついていた。



――翌朝。いつもより赤い朝陽が日下を染める頃、眉輪は父の死を知った。


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