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その色は、眉輪にとって、とても懐かしい色だった。
年若い乳母に手を引かれたまま、幼子は目の前の光景に目を奪われた。
それまで眠気で重かった瞼が、嘘のように軽くなる。母親似と言われる目許を興奮に染め、言葉もなく、ただその色彩に魅入った。
「ごらん、眉輪」
微かな笑みを漂わせ、壮年の男が手招く。眉輪は嬉しくなって、飛び跳ねるように駆け出した。寝起きのままの髪が不揃いに揺れる。
「おとうさま」
舌足らずに、名を呼ぶ。それだけで、眉輪の心は踊った。
部屋の中央に敷かれた褥の上、重い病身を母に支えられながら、父が優しい眼差しを庭先に向ける。その隣にちょこんと座ると、眉輪も彼に倣うように視線を移した。
「うわぁ……きれーい……」
生駒山から昇った朝陽が、日下の里を照らし出す。
小さな海のように広がる日下江は、空を映して燃え上がり、天に焦がれて背を伸ばした蓮花は、その真白の花びらを同じ色に染めた。朝焼けが、日下を、父を、母を、そして眉輪を包み込む。それは、眩しいほどの赤一色の世界だった。
「美しいだろう? わたしたちの日下は」
「ぼくたちの、日下?」
父の誇らしげな声に、眉輪はぱっと顔を上げた。優しい双眸が、幼子を映し出す。
「そうだ、わたしたちの日下だ。わたしと、中蒂と、若日下部と……眉輪の、日下だ」
その言葉に、幼子は感嘆の声を上げる。
傍らに侍っていた母・中蒂も頬を緩めた。その表情は甘い喜びに満ちていた。
母と父は、親子ほどに年の離れた夫婦だった。けれど、実子である眉輪から見てもふたりの仲は睦まじく、その様子は侍女たちが絶えず憧憬の眼差しを送るほどであった。
「中蒂も、ごらん。わたしたちの日下に、蓮が咲いた」
「はい。日下の、一番美しい季節がやって参りましたわ」
父の言葉に、母が素直に頷く。幸福感に、彼女の長い睫が細かく揺れた。
水面をきらきらと反射させる朝焼けの赤は、母の透き通った白い頬を仄かに染め上げる。それはまるで、初恋の喜びに打ち震える少女のようであった。
その美しい横顔が、眉輪は好きだった。