甘え
「なに?」
スィエル町に向かって高原を歩いていたとき、ユートが短剣を渡してきた。
「持っとけ。これもマナを流せる。弓は遠距離武器だ。近くに寄ってこられた時はこいつがあった方がいいだろ。まあ護身用みたいなもんだ」
「なるほど。ありがとう!」
少し前には、こんな風に武器を持って旅に出るなんて、夢にも思わなかった。人生何があるかわからないものだ。
「ねえ、スィエル町に行くには一日ちょっとかかるって言ってたけど、高原をずっと歩くの?」
「いや、しばらくしたら小さな森を通る。森を抜ければ道があって、そしたら町まですぐだ。時間的に、森で野宿になるかもな」
「え! 森で!?」
「なんだ? 別に食料はあるし、湖もある森だ。問題ないだろう?」
「んーまあ、そうなんだけど……」
――そういうことじゃなくて……現代っ子には森で野宿とかハードル高いのよね……
百合菜は心が折れそうだった。
「仕方ない! 負けるなわたし!」
ユートは不思議そうな顔をして百合菜を見た。
陽もだんだんと落ちてきた頃、魔獣にも遭遇する事なく高原を抜け森に入った二人は、予定通り野宿をするための湖に到着した。
「わー! 水が綺麗! ふふっ……冷たくて気持ちいい!」
両手に水をすくって顔を洗う。その心地よくひんやりとした冷たさは、旅の疲れを癒すには充分だった。
「ついでにあっちの影で風呂がわりに水浴びでもしてこい。俺は火をおこしてる」
「え!? ……わかった。覗かないでよ?」
「アホか。誰がそんなガキみたいな貧相な身体を覗くかよ」
「ひっどーい! 失礼しちゃうわ本当!」
本当の事だろ、と言いながらユートは木の枝を集め始めていた。相変わらず憎たらしい奴だ。百合菜はそう思いながら水浴びの支度をする。
「おい、武器は持っていけよ。あと遠くへは行くな。何かあったら叫べ」
「はーい」
――こういうところイリスさんみたいだな。
百合菜はそう思いつつ水浴びに向かった。
足を水に浸け、チャプチャプと両足をバタつかせる。冷たすぎず、これなら身体にかけても平気かもしれないと、百合菜は少しずつ身体に水をかけていった。
最初は冷たさが堪えたものの、慣れると平気になってきた。
水浴びを終え、タオルで身体を拭いていたとき、近くの草むらにふと気配を感じる。
「……なに? ユート……なわけないよね、まさか」
近くに置いた弓を手に取る。しかしその後は全く気配がない。
今この瞬間、一人でいるということを今更自覚した百合菜を不安が襲う。
「……早く帰ろう」
高鳴る心臓を抑え、急いでユートの元へ帰った。
「おう、飯出来てるぞ」
「あ、ありがとう」
焚かれた火は冷えた身体にちょうど良く、先ほどの恐怖心を落ち着かせてくれた。
「……どうした?」
「え? いや、なにもないよ? ご飯ありがと。お腹空いてたんだー! 頂きます!」
食事を口に運ぶ。
そのとき、獣の鳴き声のような声が聞こえてきた。二人はとっさに音の方向へと顔を向ける。
「きゃ!」
それは猪のような、大きな獣だった。口からはよだれを垂らし、目は血走っている。見るからに危険だ。さっきの気配はこいつだったのか。百合菜は思った。
「チィ……囲まれてんな」
ユートに言われ辺りを見ると、もう三、四匹同じ獣がいた。
「やるしかねぇな」
そう言うとユートは獣たちに斬りかかる。一気に二匹仕留めた。剣さばきは凄まじく、流れるように三匹目、四匹目を切りつける。
「おい! ボケっとしてんな!」
気づくと最初に現れた一番大きい獣は百合菜に向かって来ていた。
慌てて弓を構える。マナを流し、狙いを定めて矢を射るが、手が震える。うまく当たらない。
――そんな! 練習のときは出来たのに!
目の前に獣が迫っていた。頭が真っ白になる。ダメだ。
百合菜は目をつむった――
鈍い音がした。
目を開ける。
目の前は赤く、染まっていた。
「ユー……ト?」
焼ける匂いがする。獣が燃える匂いだ。ユートの火のマナで、切りつけられた獣は燃えていた。
しかし、赤色はそれだけではなかった。
ユートの左腕からは血が流れている。かなりの怪我を負ったようだった。
「ったく……お前は本当に……おい、怪我はねーかよ」
「け、怪我ならユートが! 腕! 早く止血! 止血しないと!」
――わたしを庇って……!
自分のせいだ。自分のせいでユートが怪我をした。百合菜はどうしようもない気持ちに駆られた。
「大した事ねーよ……。これくらい」
ユートは傷を押さえながら言う。
「嘘! これで止血するから!」
百合菜はハンカチを取り出してユートの腕に巻いた。よく見ると傷はそんなに深くなさそうだ。血もこれで止まるだろう。百合菜は少しだけホッとした。
「……ごめんなさい。わたしの所為で。練習では出来たのに……手が震えて……。ごめん……ごめんなさい」
涙が止まらない。先ほどの恐怖心と相まって、涙はとめどなく流れる。
「別に……怒ってねーよ。だいたい、実践と練習は違うんだ。当たり前だ。動けなくても。これはお前の所為っていうより、俺の不注意だ。……だから、もう泣くな、バカ」
「……うん」
疲れたから寝ると言い、ユートは横になった。
ユートは優しい。自分は甘えていた。ユートがいればなんとかなると、心のどこかで思っていた。自分の旅なのに、ユートに怪我を負わせてしまった。まだ旅は始まったばかりなのに、これではダメだ。守ってもらうばかりじゃいけない。
百合菜は震える両手を、かたく握りしめた。