好意と変わりつつあるもの
年内最後の更新となります。
翌日、時間通りに庭へと降り立ったサーナを出迎えたのは、アルベルトだった。
アルベルトは、時折サーナとミリアリスの元へ談笑に訪れることがあり、サーナが驚くことはなかったが、ミリアリスがいないことに瞳を瞬かせれば、そんなサーナを見つめてアルベルトは礼を取った。
「ようこそ、サーナ様。お待ちしておりました。」
「アルベルトさん、ミリィがいませんけど…何かあったんですか?」
「いえ、何と言うことはないのですが…妹は今、サーナ様に召し上がって戴くための菓子を焼いております。」
「ミリィが?…そういえば、よくお菓子を作るって前に言ってましたね。」
四阿に案内されながらサーナがそう返せば、アルベルトは微笑みを持ってそれに応え、サーナが腰掛けたところで、アルベルトはミリアリスの行動の意味を語り出した。
「ミリィは、何か心に迷いがあるとよく菓子を焼くのです。誰にも手伝わせず、一人きりで…物心ついた時から、それは変わりません。」
「迷い…」
「ミリィは、その声で自分の意志を語ることが出来ません。それ故に、歯がゆい思いをすることも少なくないのでしょう。ですから私共家族も、その行動が貴族令嬢たる者がすべきものではないとしても…ミリィのしたいようにさせています。」
自分の言葉に耳を傾けているサーナの傍で、手ずから紅茶を注ぎながら、アルベルトは静かな微笑みを浮かべている。
そしてサーナは差し出された紅茶を受け取ると、喉を潤してからその瞳をアルベルトに向けた。
「――ミリィの迷いは、私の行動のせいですね。」
問うわけではなく、確信を持って告げられた言葉に、アルベルトは微かに目を見張り、だがすぐに表情を整えると、その瞼を伏せ、頷いた。
「…サーナ様のお察しの通りにございます。ミリィは、サーナ様がお会いする度に何かを語ろうとして躊躇されるお姿に、何かとても重要な事柄を話されるおつもりなのかと、察したようです。」
「やっぱり、そうですか…」
「兄としての勘ですが…ミリィはサーナ様のお立場に気づいているのかもしれません。…ですが、それを自ら問いかけるのを恐れています。サーナ様との親しい関係が、壊れてしまうのではないかと…恐れて。」
「……」
「恐れながら申し上げます。妹は、サーナ様を深くお慕い申し上げております。…ですが、一臣下の息女としては、不釣り合いの立場と抱くべきではない望みに存じます。それでもどうか、妹の想いを汲んで戴きたいと…!」
「アルベルトさん。」
片膝をつき、深く頭を下げながらそう言い募るアルベルトの言葉を遮り、はっとして顔を上げたアルベルトを見つめ、サーナは微笑みかけた。
「アルベルトさんが不安に思うことなんて、何もないですよ。ミリィとの関係は、私自身が望んだものです。それが不釣り合いだとか、望んじゃいけないとか、そんなこと関係ありません。半身が望んだ、そこに意味があるんです。」
「サーナ様…」
「でも、ミリィを悩ませてしまったのは…私のせいです。私が、もっと早く打ち明けていたら…」
「いえ、サーナ様の迷いも…ミリィは存じ上げておりますから。」
アルベルトの言葉にサーナは微かに微笑んで、そっと息を吐き出す。
その手が温かいカップを包むと、サーナはアルベルトに立つように促した。
「…ミリィは、黙っていた私を責めないでしょうね。私の立場を重んじて、きっと…」
「…恐らくは。」
「私達、同じ迷いを抱いていたんですね。…私も、怖かったから。」
「サーナ様…」
「でも、怖かったのは…関係が変わるかもしれないことより、ミリィに嫌われてしまうんじゃないかって、そのことだったんです。…ミリィは凄く純粋に、私を慕ってくれているから。」
「……」
「でも、そんな風に怖がってたら…ミリィに失礼ですよね。ミリィの気持ちを、疑っているみたいで。」
そう言って表情を歪ませながら俯いたサーナに、アルベルトはそれを否定するように首を振り、冷めかけの紅茶のカップを下げると、また新たなカップを差し出した。
その行動にサーナは顔を上げ、自分に柔らかく微笑みかけるアルベルトの表情に、励まされたように薄く微笑みを浮かべた。
「――サーナ様、お伺いしたいことがございます。」
暫くののち、静かにそう切り出したアルベルトに、サーナがそれを了承すれば、アルベルトは真剣な表情で言葉を紡ぎ出す。
「…ミリィは、メルアドネの花と明確な意志のやり取りをしているように、私には見えました。しかし、ミリィにはそのような力はありません。それはサーナ様、貴女だけのもの。」
「……」
「しかし、もし本当にミリィとメルアドネの花との間で、そのようなやり取りがあるのだとしたら…ミリィは、見えざる者に愛されているということになります。」
「……」
「それは、事実なのですか?」
アルベルトの問いかけに、サーナは何も答えず、ただ真っ直ぐにアルベルトの瞳を見つめている。
まるで全てを見透かそうとするように、透き通った夜を映す漆黒の瞳に、アルベルトは気圧されながらも瞳を逸らさなかった。
そして、永遠にも思えたその視線の交錯は、サーナが穏やかな微笑みを浮かべたことで断ち切られた。
「私の護人達の審査を、アルベルトさんはクリアしました。これで、お答え出来ます。」
「審査…?」
「全てを見通す見えざる者の瞳――私の護人達は、私に近づく全ての人を審査しています。護人達に認められなければ、私に近づくことを彼らは認めません。…そしてそれは、私の力に関することでも同じです。」
「……」
「アルベルトさんは、私の護人達に知ることを認められました。…勝手に審査をして、ごめんなさい。」
そう言って頭を下げたサーナにアルベルトは驚き、頭を上げるよう懇願し、それにサーナはほっと息を漏らすと、アルベルトの疑問の答えを口にした。
「このことは、ミリィも同じです。そもそも、どうして私がミリィと初めて出会った時、近づいたのか…分かりませんか?」
「…?」
「あの日、空の上からこの庭を見た時、見たこともない花達が咲き乱れていることに驚いて、そして『彼女達』に招かれて…ミリィに出会いました。」
「……」
「ミリィに出会って、メルアドネの花を見て…驚いたのを今でも覚えてます。花に宿る見えざる者達は、私が近づくと一斉に花を咲かせます。例外はないんです。でも…メルアドネの花だけは、『ミリィの力で、咲きたい』、私にそう言いました。」
「…!」
「だから凄く驚いて…そして彼女に慕われるミリィが気になって、仲良くなりたいと思いました。だからこそ、メルアドネの花が咲かないことに悩むミリィに、アドバイスをしたんです。」
自分の言葉を唖然とした様子で聞いているアルベルトに苦笑いを浮かべ、サーナは紅茶を口に運ぶ。
その瞳は、懐かしむように細められていた。
「元々、この庭の植物達はミリィに好意的でした。その中でもメルアドネの花は、強い力を持っていて、ミリィを慕っていた。そしてそれは、私がミリィと仲良くなりたいと願い、ミリィが護人達に認められたことで、より増しました。」
「では…」
「そうです。ミリィがメルアドネの花と意志の疎通が出来ているのは、『彼女』がそれを望み、私がミリィに加護を与えたからです。ミリィには、その『資格』があったから。」
「サーナ様が、ミリィに加護を…?」
「元々ミリィには、地と風の魔力の素養がありました。そこまで強くはないけど、私が加護を与えるには十分でした。…でもまだ今は、ミリィは加護を自覚していないので、メルアドネの花と意志の疎通が出来ている、はっきりとした自覚はないと思います。」
「……」
「ミリィは、私が初めて加護を与えた人。見えざる者達は、その重要性を確認しています。ミリィは、私の護人達が認め、この世界に存在する全ての見えざる者達が、その存在を知っている――半身の友達。そんな立場に今、あります。」
サーナの口から語られる言葉の、そのあまりの重大さに、アルベルトは衝撃に何も言えずにいた。
次話に続きます。
ミリィちゃん、知らない間にとんでもないことに…。
次話は来年の更新になります。
お待ちいただければ幸いです。