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ふわり、恋心  作者: 紫月咲
1章 初めての友達
2/8

乙女の境遇、空から舞い降りた乙女

作中にて、軽くですが侮蔑発言があります。

不愉快に思われる方はご注意くださいませ。





22年前、秋の穏やかな満月の夜に、ミリアリスは生まれた。

父ロズワルドと母フィオレンティーナ、そして6歳になった兄アルベルトにとって、待ち望んでいた誕生だった。


しかし、生まれた亜麻色の髪を持つ娘は、泣き声を上げなかったのだ。

表情は確かに泣き顔で、その眦からは大粒の涙を流していた。

けれど、その大きく開かれた口からは、何の音も発せられなかったのである。


そのことに、娘を産み落としたばかりのフィオレンティーナは悲鳴を上げ、隣室で今か今かと誕生を待ちわびていたロズワルドとアルベルトは、血相を変えて飛び込んできた侍女とその悲鳴に、思わず産屋となった部屋に飛び込み、愕然とした。


愛しい娘であり妹は、声をなくしたまま、生まれてきたのである。



そして、ミリアリスと名付けられた少女は、生まれてからすぐに、声を取り戻す術はないかと、一縷(いちる)の望みを持って、父母が王国中から集めたあらゆる名医に診せられた。

しかし結果は芳しくなく、原因も治療法も分からず、呆気なくその望みは絶たれ、母フィオレンティーナは絶望と自責の中にいた。


『どうして、無事に産んであげられなかったの』

『どうして、この子が苦しまなくてはならないの』


フィオレンティーナは(ふさ)ぎ込み、食事も喉を通らぬ様子で、しかし自分の運命も知らず、声なく笑う娘を見つめ、ただただ涙する日々だった。

けれどそんな妻を支え、奮い立たせたのは、夫ロズワルドであった。



2人は、互いに子爵家に生まれ、邸も近い幼なじみだった。

ロズワルドの父である前ドードリン子爵と、フィオレンティーナの父である前オルバトロ子爵は夫妻で親交が深く、幼い頃に引き合わされた2人は、互いに淡い恋心を抱いた。

所謂、『一目惚れ』である。


お互いに手を繋ぎ、片時も離れることなく、しかし互いの父母が帰宅するために2人を引き離そうとすれば、涙を浮かべながら首を振るフィオレンティーナと、そんな彼女を背に隠し、護ろうとするロズワルドに、それを見た子爵夫妻達は、あまりの微笑ましさに、その日の帰宅を諦めた。

そして子供達が同じベッドで穏やかな眠りについた夜、夫妻達は酒を酌み交わしながら、その日の内に2人の婚約を口約束で決めてしまったのだ。

勿論それはただの口約束に過ぎず、2人が成長し年頃になった頃、それでも互いを想い合っていれば、その時に正式な婚約を交わすことにしていた。


それは、貴族同士では政略婚が少なくない中、両子爵夫妻はお互いに恋愛結婚だったからである。


そして成長した2人は、その気持ちを互いに変えることなく、フィオレンティーナはロズワルドの元へと嫁いだ。

互いに27歳の冬のことだった。



そして時を数え、嫡男アルベルトが生まれると、ロズワルドに爵位を譲った前ドードリン子爵は早々に隠居し、妻と東の領地に移り住んだ。

ドードリン子爵家は、代々東の地に国王から領地を賜っており、そこは広大な農地を有する村であった。

そして前子爵夫妻は、貴族の社交よりも土と戯れることを好んだ。

故にこれ幸いと、煩わしい子爵位を息子に譲り、執務から解放された子爵夫妻は、隠居とは名ばかりの第二の人生を謳歌し始めたのだ。



そうして月日は流れ、ロズワルドとフィオレンティーナが結婚してから、10年目の冬。

結婚記念日を迎えようとしていたある日、フィオレンティーナは子を授かったことを知る。

アルベルトが生まれてから、5年の月日が流れていた。


待望の子は、フィオレンティーナの胎内で健やかに育ち、性別は女の子であった。

それを知った父と子は、娘であり妹である子の名を、競うように考え始めた。

そんな夫と息子を、母は微笑ましく眺め、胎内に宿る我が子に語りかける。

まさに、幸せの光景だった。


そして、揉めに揉めて決まった、兄が授けた名――『ミリアリス』は、生まれてくるのを待ちわびる一家や使用人達に、親愛を込めて呼ばれていた。

彼女は生まれ来る前から、多くの者に愛されていたのだ。



『君は忘れていないかい?レティーナ。ミリアリスは、皆に愛されながら生まれてきたのだよ。たとえ、話せなくても…それは変わらない。私達の愛する()であることも。』


ロズワルドの言葉に、悲しみに暮れるばかりのフィオレンティーナは、はっとしたように伏せていた顔を上げた。

するとそこには、穏やかな表情で娘の頬を撫でる夫の姿。

そしてその指を小さな手で掴む娘は、声はなくとも楽しそうに笑っている。

フィオレンティーナは立ち上がり、夫の横に並ぶ。

その肩を、ロズワルドは優しく抱き寄せた。



『私達が、悲しみにいつまでも囚われていてはいけない。この子の行く末を…ミリアリスの幸せのために何が出来るのか、考えていかなければ。…きっと話せないことで、この子が傷つくこともあるだろう。その苦しみから、護ってやらなければ。』


この無垢な笑顔が、いつまでも変わらぬように。

愛する娘の未来が、温かなものとなるように。


夫の言葉にフィオレンティーナは頷き、その眦に溜まった涙を拭う。

その表情には、母の強さが浮かんでいるように見えた。





     *





ミリアリスは、健やかに育っていった。

父母や兄に愛され、使用人達からも偏見や差別もされずに、穏やかな愛を与えられながら。

そのお陰か、ミリアリスは純粋で優しい、慎ましやかな少女となっていた。


けれどその穏やかな生活は、ある日突然変化する。

ミリアリスは兄アルベルトと同じく、14歳で社交界にデビューした。

兄に手を取られ、父母を伴い夜会に現れたミリアリスは、その亜麻色の艶やかな波打つ髪を背に流し、透き通る水のような淡い水色のドレスを身に纏っていた。

元々、通っていた学院でも成績優秀で、そして話せないことを気にせず、誰とでも分け隔てなく接することが出来るミリアリスは、その柔らかな微笑みと少女らしい愛らしさで、多くの友から親しまれていた。


故に夜会でも、多くの友から声をかけられるミリアリスは、年齢的に婚約者を決め始める令息達にとって、理想の相手でもあった。

しかしそれは、一部の令嬢達にとって、あまり喜ばしいことではなかったのだ。



そしてその夜会の場で、それは起こった。

父母が他の貴族への挨拶に向かい、兄が飲み物を取りに傍を離れ、ミリアリスと友人である数人の令嬢が壁際で筆談をしていた時、傍でクスクスと笑い声が聞こえてきたのだ。

その笑い声にミリアリス達が視線を向ければ、数人の派手な令嬢達が、視線を向けずに、しかし明らかにミリアリス達に向けて笑い声を漏らしていた。

そしてその笑い声と共に聞こえてきた会話に、ミリアリスと友人達は耳を疑った。


その会話は、明らかにミリアリスを蔑んでいた。


『話も出来ないご令嬢なんて、一体子爵家のために何の役に立つのかしら』

『筆談でしか意志疎通が出来ないなんて、嫁ぐ先もきっとありませんわね』


そんな会話を交わして、またクスクスと笑い声を漏らす令嬢達。

それはミリアリスにとって、初めて耳にする中傷だった。


それまでミリアリスは、自分が話せないことを、ありのままに受け止めていた。

話せない以外は健康で、耳も聞こえるし文字も書ける。

故に、それを不便に感じることは少なかった。


しかしミリアリスは、悪意ある中傷を口にする令嬢達に、初めてそのことに思い当たる。

『自分は、父母や兄にとって…一体何の役に立てるのだろう』と。

もし嫁ぐことがなければ、ミリアリスは子爵家に留まることになるだろう。

子爵家は嫡男である兄アルベルトが継ぐし、将来的には妻も迎えるだろう。

そんな中、嫁ぐことも出来ずに生家に留まるミリアリスは、邪魔になるだけではないだろうか。


その可能性に思い当たり、愕然とするミリアリスは、自分の友人である令嬢達が、ミリアリスを中傷した令嬢達と言い争いになっていることに気づかなかった。

その騒ぎにアルベルトが気づき、足早に戻ってきた兄は妹の友人からことの詳細を聞くと、その表情を険しくし、すぐに父母の元へ走った。

そして同じく表情を変えた父母が駆けつけ、父は娘を中傷した令嬢達の姿を見て、その姿と記憶にある名を脳裏で確認すると、すぐにアルベルトと共に夜会の場を後にした。


そして一家が乗る馬車の中で、ミリアリスは父母と兄の顔を見つめながら、涙ながらに問いかけた。

『私は、この家にとって何の役にも立てないのではない…?』と。

その問いに父母と兄は顔色を変え、母は強く娘を抱き締め、その言葉を否定した。


『ミリィが何の役にも立てないなんて、私達の誰もが思うはずもないの。あなたは私達にとって、大切な大切な家族なのよ!』


母の涙ながらの言葉に、ミリアリスが頷くこともせずに見上げれば、その両手が握られ、ミリアリスが視線を向ければ、恐ろしく真剣な兄の表情がある。


『他人の心ない言葉に、傷つくことはないんだよ…ミリィ。君の素晴らしさは、私達家族や君の友人の誰もが知っている。自分に価値がないなどと、そんな不要な憂いなど、感じなくていいんだ。』


兄の言葉を呆然と聞くミリアリスに、父も真剣な表情で語りかける。


『ミリィにはミリィの良さがある。話せないことを利用せず、前向きに捉え、いつも笑って過ごせる君は、あのご令嬢達よりも素晴らしい内面の美しさを持っている。そんなミリィを愛し、護ってくれる人が現れるまでは、私達に甘え…護られていなさい。』


最後は穏やかに告げられ、優しく頭を撫でてくれた父の優しい手に、ミリアリスはほっとした表情で頷き、漸く微笑んで見せた。

その姿に安心したように息を漏らした父母と兄は、漸く穏やかな気持ちで帰路へとついたのだった。


後日、ドードリン子爵家当主であるロズワルドと、次期当主であるアルベルトより、件のご令嬢達の父や兄弟へ、正式な抗議(・・)がなされたのは、ミリアリスも知らない事実である。



しかし、あの夜会をきっかけに、ミリアリスの行動に変化が起きた。

1つは、夜会に積極的に参加しなくなったこと。

友人達が開く近しい会には出席しても、多くの貴族が参加する夜会には出席しなくなった。

そしてもう1つは、祖父母の影響からか趣味であった花達の世話や交配を、より学ぶために専門の学院へと進学したことだった。


王国で暮らす貴族の子息や令嬢は、まず7歳から15歳までを総合学院で過ごし、一般教養から魔力の扱い方、そしてこの世界の王たる龍王と半身、六属龍の在り方と尊さを学び、魔力に特別な素養のある者や騎士を志す者は、魔術学院や騎士養成院へと進学し、その他の分野に素養のある者は、専門院に進学し、研究に明け暮れる。

そして主に貴族の令嬢は、将来嫁ぐことを視野に、自分の家より爵位の高い家へ行儀見習いとして3年間通うのが一般的である。

更に将来的に爵位を継ぐ者は、幼き頃より学んでいる帝王学や教養をより身につけるため、王城へと上がり、父である当主の傍で学ぶのが一般的である。


しかし、その例外の最たる者が、七公家(しちこうけ)アレクセイ公爵家嫡男ヴェリウスであった。

彼は総合学院を卒業後、騎士養成院へと入学すると、本来ならば4年かかる課程を2年で修了し、父ウェザリアスの傍で執務や教養の全てを学ぶと、20歳の時に守護騎士団へと入団し、25歳で近衛隊総隊長を拝命し、28歳の若さで騎士団長に抜擢された。

この最年少記録と異例の経歴は、公爵家の権力も何も使わず、ヴェリウスが己の努力だけで掴み取ったものであり、故に多くの貴族がそれを今でも讃えている。



ミリアリスは、総合学院を卒業後、薬学院へ入学した。

薬学院は、植物の交配や新種の発見、土壌改良など、植物の全てを研究する専門院である。

しかし、薬学院は専門院の中でも最難関であり、入学出来る者は毎年一握りであった。

そんな薬学院への入学試験をなんなく突破したミリアリスに、父母も兄も、自分のことのように喜んだ。


勿論、父母も兄も…ミリアリスには乙女の幸せである結婚のことを考えて、行儀見習いに出て欲しい想いもあった。

しかし、幸せは1つではない。

あの夜会の後、元々話したことはなかった恋や結婚などの話を、余計に口にしないミリアリスに、父母も兄もその心を汲み、彼女の望みのままに過ごしてくれることを願っていた。

そして、薬学院でのことを楽しそうに語るミリアリスに、父母と兄は心から安堵し、その毎日を見守っていた。



18歳の時、薬学院を卒業したミリアリスは、その頃には既にその研究成果が、王都の子爵家の庭や東の祖父母が暮らす領地で、その素晴らしさを発揮していた。

ミリアリスが作り出した新種の野菜や果実は、東の広大な農地で育てられ、その育てやすさから領地に暮らす者達の暮らしを助け、子爵家に収められる税金は増え、その資金を元に、当主ロズワルドは領地の道や施設を整備する。

そして王都の子爵家の庭で咲く花は、一般的な花からミリアリスが交配した新種の花まで咲き誇り、その珍しさや素晴らしさは貴族達にも知れ渡り、子爵家の評判は高まっていく。


ミリアリスは、本人の想い以上に、子爵家を支えていた。

その裏で、ミリアリス本人が乙女の幸せの1つを…諦めていたとしても。





     *





月日は流れ、ミリアリスは22歳になっていた。

28歳になった兄アルベルトは、フェロール伯爵令嬢フェリシアナと学院生時代より交際し、既に両家で正式な婚約を済ませていた。

勝ち気で気立ても良く、しかし気品もある義姉(あね)は、ミリアリスを本当の妹のように可愛がり、あの夜会の現場も目撃していたようで、あの(・・)令嬢達が恐れ(おのの)くほど、厳しいお説教をしていたと、ミリアリスは友人達から聞いていた。


そんな家族と日々を過ごしながら、ミリアリスはいつものように、侍女に髪を背で緩く編んで貰い、身軽な服装にエプロンを巻き、その両ポケットにベルと筆談用具を仕舞い、様々な道具を入れた籠を手に、中庭の奥に向かった。

その日も、蕾をつけたものの、花開く様子のないメルアドネの花の様子を確かめたかったのだ。





(やっぱり、昨日と変わらないわ…)


その薄紫の蕾は閉じたまま、一向に開く様子を見せない。

それほどに、この新種であるメルアドネの花は育てることが困難な、気難しい花であった。


こうして蕾をつけるまでに、季節を1つまたいだ。

メルアドネの花は季節を問わず、一年中いつでも花を咲かす代わりに、いつ花開くのか予期出来ない花でもあった。

この花を作り出した薬学院時代の友人は、あまりの気難しさにお手上げで、ミリアリスに白羽の矢を立てたのだ。


そしてミリアリスは、今や付きっきりでこのメルアドネの花を見守っているのだが、一向に変化はない。

そうして時間は過ぎ、今や『大鐘楼の9つの音』が鳴り響き、夕闇が迫りつつある。





(今日も咲かなかったわ…。一体どうしたら、この子は私に心を開いてくれるのかしら…)


ミリアリスは深くため息をつき、思わず空を見上げていた。

夕陽の朱と青空の青が混ざり合おうとする中に、雲の白さが浮かび上がっている。

しかしふとその中に何かの影を見つけ、ミリアリスは思わず確認しようと瞳を瞬かせた。


その影はどんどん大きくなり、暫く見上げていると、それが人の姿をしていることにミリアリスは気づく。

そしてその影がより鮮明になった時、その人影も自分を見上げるミリアリスに気づいたようで、明確な意志を持って近づいてくる。





(女性、だわ…。私と、同い年くらいかしら…?)


鎖骨までの漆黒の髪。

夜を映したような瞳。

ふわりと揺れる白銀のワンピースとのコントラストが美しく、ミリアリスは瞳を奪われた。

その女性は、まるで風を意のままに操るようにミリアリスの前に舞い降りると、しかし地には降り立たずに、ふわりと浮いたまま、ミリアリスを真っ直ぐに見つめて、柔らかな微笑みを浮かべている。



それが、ミリアリスと――龍王の半身、なつなの出会いだった。









ミリィちゃんの生い立ちと境遇、そしてなつなちゃんとの出会いのお話でした。

ミリィちゃんは、家族や友人に愛されていた分、悪意の言葉には弱かったようです。

ある種思い詰めて、答えを探して、今のミリィちゃんが出来上がったようですしね…。

大丈夫だと思いますが、もし辻褄が合わない部分などありましたら、教えてくださいませー!

次話では、いよいよミリィちゃんとなつなちゃんの交流ですね!

腕が鳴ります!(笑)

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