(6)
「山神さん・・・」
「はい、なんですかね?」
部屋から出る間際に、お母さんがポツリと言葉を発した。
「私、ずっと以前に主人を亡くしたんです」
「私は、妻を亡くしました」
おじさんも、小さな声で話し出す。
「はい。一海ちゃん達から聞きましたよ」
「小さな子ども二人を遺されて、途方に暮れて・・・」
「お金も無くて、女手ひとつで・・・」
「仕事と家事と子育てと、気が狂いそうに大変で・・・」
「一海は体が弱いし、七海は突飛な事ばかりするしで・・・」
「拓海はお人好しが過ぎるわ、大地はいきなり化粧品に執着し始めるわで・・・」
ちょ、ちょっとお母さん。
突飛な事ばかりって、なによそれっ。
あたし、結構自分なりに頑張ってたつもりなんですけどっ?
周りの人達だって評価してくれてたし。
大地も憮然とした表情でムッと唇を曲げてる。
大地が化粧品に執着したのは将来の夢のためなのに。
亡くなったお母さんの仕事を引き継ぐ、立派な志だ。それなのに・・・
なんだか、なぁ・・・ガッカリ。
親のくせに分かんないのかな? そんな事も。
・・・って考えて、ふと思った。
あたしも分かっていなかったな、お姉ちゃんの事。
家族だからって全てが分かるわけじゃない。近すぎて見えない事もある。
・・・実感だ。
それは別に悪い事じゃなくて、しかたのない、当然の事なのかもしれない。
だからこその家族なのかもしれない。
「一海は体が弱くて、心配で心配で・・・」
「拓海のこれからの人生が、気がかりで気がかりで・・・」
「だから・・・」
だから。
反対したんだ。
出産も結婚も。
息子が、娘が、心配で心配で大切で大切で・・・。
どうしようもなくて・・・反対するより他に、なかった。
わかる。家族だからわかる。
近すぎて見えないもの、近いからこそ分かるもの。
お母さんとおじさんの願い。
お姉ちゃんと柿崎さんの意思。
あたしと大地の望み。
誰しもが精一杯に抱える大事な想い。全てを受け入れて、皆が幸せになる道はあるんだろうか。
こんなにも、お互いを想っているだけなのに。
それが分かっているのに・・・
あたしには何もできない。何かをする力が無い。
それは本当に歯軋りするほどに、辛い・・・。
「家族ってのも人生もねえ、大事なようで、重荷なもんですわ。思い通りにゃならないし。何のひとつも叶えられんしねえ」
テルおばあちゃんが、穏やかな声で話してくれる。
「あたしみたいに家族を亡くした者には、なおさら難しい話ですよ」
慰めるような・・・癒すような声で。
昔語りをしてくれる・・・
あたしの父親も、男兄弟も、旦那も。
ぜーんぶ戦争に持っていかれましたわ。
万歳三唱して、旗振って、おめでとうってお祝いして。
殺されるのを承知で、そうやって戦争に送り出しました。
ひとりも生きて帰りませんでしたわ。
骨すら戻って来やしない。
小さな箱ん中に、名前の書いた紙切れ一枚。
お国のために死んで、おめでとうさんです。
役所の人に、そう言われましたわ。
母親は、あたしの目の前で爆撃でやられて。
姉達は、姪子甥子もろとも防空壕の屋根が崩れて生き埋めになりました。
生き残ったあたしはひとりぼっち。
乳飲み子を抱えてましてねえ。
でも乳が出んのですわ。
食べ物が無くてね。
腹が減って腹が減って腹が減って・・・。乳なんかまあ、出るはずがない。
死に物狂いで食べ物をかき集めようとしたけど、イモすらろくに手に入らず。
子どもは日に日に痩せ細り
どんどん弱っていって・・・
ある日、三回吐いて・・・
死にました。腕の中で。
なんにもできんかったですわ。
なーんにも、何ひとつ。
どんなに願っても想っても、なにひとつ叶えられんかったですわ。
歯軋りして、ただ耐えるより他になかったです。
いつか・・・いつか必ず、と。
いったい何が必ずなのか、それがいつの事なのか。
分かりもせんのに、ただそう願ってましたわ。
それなのに、と言うべきか。
だからこそ、と言うべきか。
今、あたしはこうして生きておりますがね。
いつか必ずと願った事が、果たして叶えられたかどうか。
いまだ答えは出とりませんが。
失ったものは二度と手に入らない。
だから家族を亡くしたあたしに、家族の事は、正直よう分からんです。
こんな学も無い年寄りが知ってる事と言ったら
何よりも大切な命や人間達も
消える時にはあっけないほど、儚く消え去るもんだという事ですわ。
でもね、生きてるからこそ苦しむ。
生きてるからこそ消えるもんなんですわ。
だから、ねえ・・・
「生きてるからこそ、失う前に話し合いもできますから。なんなら何泊かしていきんさい」
「・・・・・」
「拓海君も一海ちゃんも、うちの大事な従業員です。なんぼでも力になりますからねえ」
お母さんとおじさんは、深く深く腰を折り、ずっと頭を下げていた。




