(2)
あたしは口をポカンと開けたまま、検査薬からお姉ちゃんに視線を移した。
お姉ちゃんはあたしを見ている。
お姉ちゃんの顔を、その姿を、あたしは上から下まで眺めた。
うん、間違いない。これはあたしのお姉ちゃんだ。
見た事ないくらい厳しい表情だけど、いつものあたしのお姉ちゃんだ。
そのお姉ちゃんが・・・
妊娠?
妊娠した?
あたしのお姉ちゃんのお腹の中に、赤ちゃんがいる??
あたしの視線はお姉ちゃんのお腹に留まった。
・・・あたしだって、一応女の端くれだ。
妊娠って事態が、どれほどの一大事か良く理解できる。
お姉ちゃんが、嘘や冗談を言ってるわけじゃないのも理解できる。
その言葉の重みに、全身がすくむ。
でもどうしても、その言葉とお姉ちゃんが結びつかない。
だってそんな、そんな・・・
あたしはうろたえて、言葉を失ってしまった。
「だからあたしは拓海と結婚します!」
「バカな事を言うんじゃないのっ! 良く考えなさい!」
我を失ってしまったあたしを置いてきぼりで、怒鳴り合いが再開した。
「考えた末の結論なの!」
「嘘おっしゃい! 感情的になって先走ってるだけでしょう!?」
「何と言われようと、結婚しますから!」
「結婚なんてできるわけないでしょう!」
結婚・・・。
今度は結婚って単語が飛び出してきちゃった・・・。
確かに、結婚と妊娠って単語はワンセットな感じがするものだけど。
どうしよう。
あたし、話の展開についていけないかも・・・。
身・・・身の置き所が、無い・・・。
後ろの花梨ちゃんを見た。
花梨ちゃんは・・・
この家族の深刻な修羅場に、他人のあたしが居て許されるものなんだろうか?
って、モロに苦悩の表情で突っ立っている。
あたしはその手をすがる様な思いで握り締めた。
お願い花梨ちゃん、ここにいて。一人になったら、あたしもうどうすりゃいいのか分かんないよ。
お願いだから帰らないでっ。
「結婚しなかったら、この子をどうするって言うの!?」
お姉ちゃんが自分のお腹に手を当てながら叫んだ。
そのリアルな姿に、あたしはついビクリとしてしまう。あの中に赤ちゃんが・・・。
「だからお母さんは、さっきからその事を言ってるの!」
「どういう事よ!?」
「一海の体が、妊娠、出産、育児に耐え切れるはずがないでしょう!?」
「・・・・・っ!」
「妊娠や出産は命懸けなのよ! 健康体でもリスクが高いのに、自分の体の事が分からないわけじゃないでしょ!?」
「それは・・・でもっ!」
「諦めなさいっ」
キッパリとしたお母さんの言葉に、お姉ちゃんの表情が強張った。
「おかあ、さん・・・?」
「一海、あなた死ぬつもりなの? お母さんはあんたの母親として、そんな危険を許すわけにはいかないの」
「そんな・・・」
「絶対に許さないからね」
「・・・・・」
「病院で処置する時は・・・お母さん、ずっと一緒にいてあげるから」
沈黙が、部屋中に満ちた。
それまでの騒々しさが、まるで嘘みたいに。
重力を感じるくらい、重苦しい空気が場を支配する。
『病院。処置』
不気味なオブラートに包まれた言葉があたしの両耳を襲う。
あたしは花梨ちゃんの手を強く握った。花梨ちゃんも同じくらい強く握り返してくる。
それは・・・それはつまり・・・
「自分の身の安全と引き換えに、この子を殺せって言うの?」
お姉ちゃんが沈黙を破った。
ゆっくりと、ものすごく重々しい口調で。
「その通りよ」
そう返すお母さんの口調も、負けないぐらい重々しい。
あたしの手はじっとりと汗ばんでいる。心臓が、バクバクと嫌な鼓動を刻む。
無意識に呼吸が乱れて、寒気も走る。
赤ちゃんを・・・お姉ちゃんの子どもを、お母さんは・・・。
その事実の恐ろしさに、あたしの心はすくみ上がる。
でもお母さんの目に、迷いはまったく見られなかった。
「信じられない・・・」
「かまわないわ。でも出産は許さないからね」
「お母さんは、あたしに自分の子を殺せって言うの?」
「じゃああんたは、お母さんにあんたが死ぬのを黙って見てろと言うの?」
「決め付けないでよ! あたしが死ぬと決まったわけじゃないでしょう!?」
物静かだった空気が、お姉ちゃんの悲鳴で破られた。
まさに、それは悲鳴だった。悲嘆に暮れた叫びの声。
・・・お姉ちゃん・・・!!
「それでも明らかに、他の人より確率が跳ね上がるのは事実でしょ?」
「でも・・・!」
「万が一、そうなったらあんたはどう責任とるの?」
「責任って・・・」
「勝手に産んで、自分は死んで、残された子どもの人生は? 家族の気持ちは?」
「・・・・・!」




