(4)
それは、今から十年前のこと。
まだ幼い少女だったあたしは・・・
自分の不注意で川に落ちてしまったの。
不幸にも、その川は深くて足が届かなかった。
あたしは必死に、もがいた。
死にたくないっ! なんとか助かりたいっ!って・・・
でも急流に流されて、幼いあたしは成すすべもなく・・・
「すとっぷ」
あたしの話を遮って花梨ちゃんが片手を上げた。
「なに?花梨ちゃん」
「その話は事実と違う」
「・・・どこが?」
「七海ちゃんが落ちたのは、正確に言うと『川』じゃない」
「・・・・・」
「落ちたのは、あそこでしょ?」
「・・・・・」
「三丁目の駄菓子屋の向かいの、ドブ川・・・」
「か、『川』には違いないでしょ?! 『川』にはっ!!」
もうっ! いいじゃん別にー!
細かい事にあんまりこだわると、立派な大人になれないんだよっ!!
「七海ちゃんの話っぷりじゃ、千と千〇の神隠しみたいな、清流に飲み込まれた不運な少女みたいじゃん」
「似たようなもんじゃん!」
「違うでしょ?」
「・・・・・」
「違うでしょ?」
・・・はい。
ちょっと違うんです。実は。
三丁目の駄菓子屋でねー、クジが当たったのよ。それも三回連続で!
その快挙に浮かれてスキップしながらの帰り道、足がもつれて落っこちたの。
脇のドブ川に。
「七海ちゃんって、スキップへたくそだったもんね」
「うん・・・。正統派スキップが、どーしてもできなくて」
自己流変形スキップしてて、落ちたの。
脇のドブ川に。
「七海ちゃんさぁ、思い込みで事実をねじ曲げる悪いクセがあるよねぇ」
「と、とにかく! あたしはその時成すすべもなく・・・!」
急流に流され、浮き上がる事もできない。
水の勢いは恐ろしいまでに強く・・・
あたしの体は、まるで頼りない木の葉のようにグルグルと・・・
「だーかーらー」
花梨ちゃんが、また片手をあげてストップの要求をした。
「あの流れの悪い澱んだドブ川で、そんな事になるわけないじゃん」
「流されたのっ! グルグルしたのっ! 体がっ!」
「それ、パニックで頭がグルグルしてたんだってば。落下地点でバシャバシャしてただけだって。絶対」
「体験した本人が言ってるんだから間違いないの! 花梨ちゃん、体験した事ないくせに!」
「そりゃないわよ。ドブ川で溺れた体験なんか」
うぐぐぅぅ・・・!
「そ、そしたらその時! あたしの命の危機に・・・」
救い主が現れたの。
あたしの事を引っ張り上げて、助けてくれた少年。
『しっかり! もう大丈夫だからね!』
あの透き通るような清涼な声。今も、忘れられずに耳に残ってる。
泣きながら見上げた目に映ったものは・・・
真っ青な、夏の空。
どちらかといえば、色白な肌。
日に照らされた、少しだけ茶色な髪の色。
彼の心みたいな、真っ白なシャツ。
綺麗な、優しそうな目。心配そうにあたしを見つめてた。少し年上のお兄さん・・・。
それは、運命の瞬間なの。
それから十年もの長い間続く、あたしの初恋の始まった瞬間だから。
一途に、一途に想い続けるあたしの運命の恋の始まり・・・。
『怖かったね。かわいそうに・・・』
優しい声。泣き続けるあたしを慰めてくれる声。
そして彼はあたしの涙が止まるまで、ギュッと抱きしめていてくれた。
今でも覚えてる。
『あぁ、王子様だ』って、なんの疑問もなく思った瞬間のこと。
心に焼きつくって、まさにあの瞬間のことなんだよ・・・。
あたしの心を奪った王子さま・・・。
「で、七海ちゃんはその真っ白いシャツに、ヘドロだらけの体でガッシリ抱きついたわけだ」
「・・・・・」
「家帰ってから大変だったろーなー。王子様。シャツ捨てたよね。きっと」
花梨ちゃんが、薄目であたしを見ながら言う。
「シャツ一枚ダメにしちゃったねぇ」
「そ、そんな事、気にするような彼じゃないもんっ!きっと!」
「王子様は気にしないかもしれないけど、母親はヒステリー起こしたかもね」
「か、彼はね、ずうっとあたしを抱きしめてくれていたんだからっ!」