(2)
「ちゃんと紹介するわね。こちらは柿崎拓海さん」
お姉ちゃんが柿崎さんのことを紹介し始めた。
・・・知ってるよ。名前は今日まで知らなかったけど。
「知り合って、もう一年以上になるのよ」
あたしは十年前から知ってるよ・・・。
「あの、ね、えーっと。あたしたち・・・」
どくん、どくん、どくん。鼓動が嫌な音をたて続ける。
落ち着け、心臓。落ち着け。
赤い顔で、もじもじするお姉ちゃん。助けを求めるように柿崎さんを見てる。
柿崎さんは頷いた。
どくん、どくん、どくん。
嫌な音がどんどん早くなる。
聞きたくない、聞きたくない。聞いちゃったら、あたしの夢が・・・
十年の恋が・・・
だから聞きたくないのに・・・。
「僕たち、付き合ってます」
きっぱりと、あたしに向かってそう柿崎さんは言い切った。
ああ・・・。
聞いちゃった・・・。
ズッキーン!って・・・心臓に痛みが走った。
体中が心臓になったみたいに痛い。ギュッと奥歯に力を込めて痛みに耐える。
聞いちゃった。
決定的に、聞いちゃった。
「なんか照れるね、すごく。改まって言うとさ」
頭をかきながら、本当に照れくさそうに柿崎さんが言う。
「そうね。すっごく恥ずかしいわ」
「一海は黙ってただけだろ」
「だってえ・・・」
甘えるように柿崎さんの腕をつかむお姉ちゃん。笑ってお姉ちゃんを見つめる柿崎さん。
ふたり共、幸せそうに・・・。
いたい。痛い。ジリジリ!って体中が痛む。
こんなにも痛いのに・・・。
あたしの口元は、口元だけは笑ってる。
だってあたしは笑うしかない。
笑う以外に、なにをすればいいか分からない。
「七海ちゃんが迷子になって偶然この店に入ってきた時は、本当に衝撃だったよ」
興奮ぎみにあたしに話しかける柿崎さん。
あたしは、なんとか笑い続ける。体中じりじりする痛みに耐えながら、必死で。
お姉ちゃんが感心したように柿崎さんに話しかけた。
「すごい偶然なのねえ」
「だろ? すごい確率だよな」
「確かにそうね」
「だから、思ったんだよ」
甘い笑顔で柿崎さんがお姉ちゃんに語りかけた。
「これは絶対、運命だって」
運命・・・。
ああ・・・そうか。
そうだったのか。
あのとき柿崎さんが言った『運命』って、あたしとの事じゃなくて・・・
それは自分とお姉ちゃんの事だったんだ。
ふたりの出会いとその結びつきが運命に違いないって言ってたんだね・・・。
そうだったんだ。
そういう事だったんだ・・・。
あぁ、みっともない。なんて情け無い。すごく恥ずかしい。
そんな感情がグルグルと胸の中を暴れ回る。
あたし、なんてみっともない勘違いしちゃったんだろ。
ひとりで浮かれて。
バカみたいだ。
花梨ちゃんは無表情で、黙ってコーヒーを飲んでる。
恥ずかしい・・・すごく。
事情を全部知ってる花梨ちゃんの前にいる事が、すごくすごく恥ずかしい。
やれやれ、って思ってるかな。呆れてるかもしれない。
でも呆れられても・・・しかた無い。
よく見もしないで突っ走った結果だね。自業自得だね。
花梨ちゃんは忠告してくれてたのに、またやっちゃったよ。
やっちゃったよ・・・。
「一海、前に七海ちゃんの写真見せてくれたろ?」
「ええ、何度か見せたわよね」
「七海ちゃん、一海のやつね、いっつも自慢そうに君の写真を見せるんだよ」
「やだ、そんな、自慢なんてしてないわ」
「可愛いでしょ? この子が七海よって」
「もうっ、拓海っ」
「一海の自慢の妹の顔はすっかり覚えてたから、すぐに分かったよ」
お姉ちゃんは恥ずかしそうに、でもニコニコしてあたしを見てる。
自慢の妹。
そんな風にあたしの事、話してくれてたんだ。
でも・・・。今、お姉ちゃんのその言葉は・・・
正直、辛い。
可愛いとか自慢の妹とかって言われるのは、すごく辛いよ。
それでもなんとか笑顔だけは取り繕う。さすがに言葉は何も出てこないけど。
「ごめんね七海。なにも話してなかったから驚いたでしょ?」
黙ったままのあたしを見て、すまなそうにお姉ちゃんが謝った。
「そのうちに、ちゃんと言おうとは思ってたんだけど・・・」
「え? 一海、僕の事を話してなかったの?」
「え、ええ・・・」
「でも七海ちゃんは僕の事、知ってたよ?」
「えっ?」
お姉ちゃんが目をパチパチさせた。柿崎さんが首を傾げる。
「七海ちゃん、僕のこと知ってるって言ったよね?」
「あ・・・・・」
あ・・・どう、しよう。
「七海、拓海のこと知ってたの?」
「え、あ・・・」
「どうして? どうして知ってるの?」
「あ、あの・・・」
あたしはお姉ちゃんと柿崎さんの顔を、交互に見た。
「ええと・・・」
「なに?」
「あの、ど・・・」
「え?」
「ドブ・・・」
ドブ、に・・・
十年前に、ドブに落ちてた女の子・・・
覚えて、いませんか・・・?
覚えていませんか・・・?




