モブキャラとしではなく、死人です
見慣れない天井。
カイトさんの腕の中で気絶していたらしい。頬には、ついさっきまで触れていた彼女の体温が、熱の残滓のようにこびりついている。
メイドの胸が大きすぎて窒息して気絶するなんて、格好悪すぎて笑えない。
ようやく魔法の灯りがすべて点灯し、部屋の全貌が露わになった。しかし、視界に飛び込んでくるのは……。
本、本、そして本。
部屋の隅から隅まで、おびただしい数の書物が積み上がっている。日用品や衣服はその「本の大海」の上に無造作に放り出されていて、足の踏み場もないほどだ。
なるほど、ルルーンはなかなかのズボラな本の虫だったらしい。なんだか少し、親近感が湧く。
ふと足元に目を向けると、そこには大きな姿見が置かれていた。ベッドの上からでも、今の自分の姿がはっきりと映し出されるようになっている。
腰まで届く鮮やかな青い髪。吸い込まれそうなほど深い、金色の瞳。 丸みを帯びた幼い頬は、思わず指でつついてみたくなるほど愛らしく、体つきは細いが不健康というわけではない。
……あまりにも、出来が良すぎる。これ、絶対に女の子だろう?
僕が眉をひそめると、鏡の中の美少女も同じように眉を動かした。 驚いた表情さえこれほど愛らしいなんて……。なんだか無性に腹が立ってくる。
しかし、股の間に「それ」がしっかり付いていることを確認した瞬間、なぜか心の中に微かな遺憾の意が芽生えたのは、自分でも驚きだった。
「はぁ……。なんてこった……」
「っ!」
溜息を吐いた瞬間、ベッドの脇で丸まっていた人影が大きく震えた。
まだいたのか、カイトさん。
彼女は僕に向かって飛びかかりたい衝動を必死に抑え込んでいるようで、全身を強張らせている。潤んだ瞳がじっと、一点の曇りもなく僕を見つめている。……なんだろう、この、蛇に睨まれた蛙のような、生理的な恐怖は。
お願いだから、食べないでください。
「あ、あの……」
彼女が震える声で口を開いた。綿菓子のように柔らかく、甘い声だ。もっと聞かせてほしい。
「坊ちゃん……? 私のこと、覚えていらっしゃいますか?」
……いや、覚えていない。
頭の中は今もぐちゃぐちゃだ。前世の記憶とルルーンの断片的な記憶が混ざり合い、膨大な情報の濁流に吐き気がする。
それにしても、カイトさん。なぜ僕の手を握っているんですか? 確かにその掌は柔らかくて心地いいですが、四歳児に向ける力加減にしては強すぎませんか? それに、主従の距離感としてこれは健全と言えるのでしょうか。
「あのね、坊ちゃん……聞いてください……。ああ、決して責めたいわけじゃないんです。ただ、私の真心を伝えたくて……。お願いですから、もうあんな風に私を驚かせないでください。わかっているんですよ? 坊ちゃんは、何でも自分一人でやりたいんですよね。今回も、当主様のお手伝いをしようとしたのでしょう? でも、坊ちゃんには無理なんです。不器用で、ただ引っかき回すだけで……。結局あんなに酷い怪我をして、もう少しで帰ってこられなくなるところだった……。何でも私が代わりにしてあげると言ったでしょう? ずっとお傍で守ってあげると言ったでしょう? なのに、どうして隠れて抜け出したりしたのですか?」
彼女の瞳から、濁った光が漏れる。
「あのお嬢様がそそのかしたのですか? それとも、ケイトが信じられなくなったのですか? お願いですからやめてください、坊ちゃん。知っていますよね? お嬢様は、坊ちゃんが傷つくようなことばかりさせるんです。今だってきっと、部屋に引きこもって坊ちゃんの写真に向かって謝っているのでしょう。あんな上辺だけの、何の役にも立たない謝罪なんて、聞くだけで虫酸が走ります。……それでも私は、この屋敷で失礼な振る舞いはできません。私の命は坊ちゃんのものです。つまり、私の行動は坊ちゃんの意志そのもの。もし私がお嬢様を罵倒すれば、主人である……坊ちゃんに泥を塗ることになる。だから我慢しました。拳を握りしめて血が滲んでも、笑顔でいたんですよ? 偉いでしょう、坊ちゃん。ケイトにご褒美をくれるべきですよね? そうでしょう……?」
彼女は顔を近づけ、掌を広げて見せた。爪は半ばから折れ、無惨に傷ついた皮膚がそこにあった。 僕の手を握るもう片方の手に、さらに力がこもる。
……怖い。なんだこれは。ルルーン君、君は一体このメイドに何を植え付けたんだ。やめてくれ、ケイトさん。もう十分だ。
死よりも重い恐怖が僕を縛り付けた。四歳の小さな体は動くこともできず、ただ小刻みに震えることしかできない。
彼女はベッドに這い上がり、濁った黒い瞳を僕の顔に寄せてくる。耳元で、甘ったるい囁きが響いた。
「もう分かったんです。坊ちゃんは、わざと私を困らせているんですね? ケイトはもういらない子なんだと思って、私の元から逃げ出そうとした。……私の視界から消えれば、今日みたいにいなくなってしまう。だから、ずっと私の傍で、私の言うことだけ聞いていればいいんです。何も心配しなくていい。何にも触れなくていい。ただ、私に依存して生きてくれればそれでいいんです。ずっと抱きしめて、二度と離れられないようにしてあげますから……。いいですよね、私の小さな当主様?」
教科書通りのヤンデレによる脅迫だ。
どうやら僕の今世は、ここで終わったらしい。誰か、脱出方法を教えてくれる人がいたら、心から感謝するんだけど。
『バゴォォォォン!!』
「ふぎゃっ!?」
想像していた監禁エンドは訪れなかった。監禁宣言をぶちまけていたカイトさんが、変な悲鳴を上げて僕の上に倒れ込んできた。……重い。
えっ、本当に誰か助けに来てくれたのか?
ベッドの脇に、僕と同じくらい小さな影が立っていた。どうやら彼女が犯人らしい。
「う……。に、にぃ……にぃ……」
同じ青い髪、同じ金の瞳。声も愛らしい。ルルーンの記憶が正しければ、四歳くらいだろう。 ただ、ルルーンよりも少し小柄で、髪はツインテールに結ばれている。
そして今、床に落ちたティーポットを手に、目に涙を溜めている彼女の姿——。
それを見た瞬間、僕の生存本能が激しい警鐘を鳴らした。
そうだ、忘れるはずがない。オーロラという姓、そしてこのあまりにも特徴的な容姿。
彼女こそが、ゲーム『盟約の魔剣使』において最強最悪のヒロインの一人。 世に『氷の令嬢』と恐れられる、『フロスティア・オーロラ』。
すべてが繋がった。なぜ僕がルルーンというキャラに心当たりがなかったのか。
僕が転生したルルーンは、原作には絶対に登場しないキャラクター。 ——フロスティア・オーロラが四歳の年に、死んでいるはずの兄だったからだ。




