第4話 王子(中身は侍女)は学園に立つ
王立学園の正門前に、王家の紋章を戴く重厚な馬車が停止した。
周囲には、これから登校する貴族の子弟たちがざわめきながら、その扉が開くのを遠巻きに見守っている。
しかし、その馬車の中で、私――リリア(体は王子)は、かつてない人生最大の絶体絶命の危機に直面していた。
お父様、お母様!
私、初日から社会的死のピンチです!
「ど、どうしましょう……! これ、全然収まりません!」
私は涙目で、自身の股間を見下ろした。
先ほどまでの、ギルバート殿下による『遠隔・朝風呂の感覚共有』のせいで、王子の体は完全に戦闘態勢に入ってしまっていた。
深紺のズボンの生地が、内側からテントのように猛烈な勢いで押し上げられている。
王子の体は魔力特化で華奢な分、その部分の自己主張がとてつもなく目立つのだ。
どうしてこんなことに!?
馬車に乗る前はただの平和な布の塊だったのに、今は完全に自己主張の激しい独立国家みたいになってます!
まるで、長き封印から目覚めて鞘から飛び出そうとしている荒ぶるエクスカリバーじゃないですか!
私のお嫁入り前の純潔な心が、この聖剣のせいでゴリゴリと削られていく。
『おやおや。また元気なのか? 僕の体は淡白だと思っていたが、中身がウブな処女だとこうも反応が変わるのか。興味深い生態データだ』
耳元のピアス、魔導通信機から、殿下の悪魔のように楽しげな声が響く。
淡白って絶対嘘ですよね!?
完全に暴れ火竜じゃないですか!
「他人事みたいに言わないでください! これじゃ降りられません! こんな……股間に巨大キノコモンスターを飼ったようなはしたない姿でなんて……!」
『降りろ、リリア。御者が扉を開けるぞ。あと三秒だ』
「えっ!? 無理無理無理! 社会的に即死します!」
『三、二……』
ガチャリ。
無情にも、馬車の扉が開かれた。
「ギルバート殿下、学園に到着いたしました」
御者が恭しく手を差し伸べる。
外からの眩しい陽光が差し込み、待ち構えていた生徒たちの好奇の視線が一斉に突き刺さる。
私は絶望した。
だが、ここで降りなければ「引きこもり王子、学園の門前で登校拒否」という伝説がまた一つ増えてしまう。
やるしかありません……!
お父様、ヴァレリウス家の家訓『いかなる敵にも背を向けるな』を今こそ実践する時!
たとえ股間に荒ぶる火竜を飼っていようとも、私は誇り高き騎士の娘……ッ!
私は覚悟を決めた。
王子のマントをバサリと翻すと、それを前身頃に覆いかぶせるようにして盾とし、ゆっくりと馬車から降り立った。
――ザッ。
石畳を踏む音が響く。
私は、極限まで背筋を伸ばし、顎を引いて立っていた。
いや、立たざるを得なかった。
少しでも前屈みになればマントの隙間から「元気すぎる王子」がこんにちはしてしまうし、早歩きをすれば下着と聖剣が擦れて、暴発してしまう恐れがあったから。
ううぅ、擦れる……!
一歩歩くごとにズボンの布地が擦れて、継続ダメージが……ッ!
だめ、これ以上歩いたら、私の中の『何か』が限界突破して爆発しちゃいます!
私の内心はパニックだった。
足を動かすたびに、過敏になった聖剣の先端が布に触れる。
そのたびに「んっ」という甘い声を奥歯で噛み殺し、必死に眉間に皺を寄せる。
結果として、私のその姿は周囲の生徒たちにこう映ったらしい。
「おい、見ろよ……」
「あれが第三王子? 噂の虚弱体質とは全然違うじゃないか」
「なんて威圧感だ。まるで、一歩も引かぬ歴戦の将軍のような凄まじい殺気……!」
違います! ただ痛いのと気持ち悪いのが混ざって、顔面が引き攣ってるだけです!
誰か助けて、早くトイレに行かせてぇぇ!
生徒たちの間に、ビリビリとした戦慄が走る。
私が股間の聖剣に力を込め、脂汗を流しながら虚空の一点を見つめているその表情が、彼らには勝手に威圧として作用していた。
「……どけ」
私は蚊の鳴くような声で呟いた。
だが、その声は極度の緊張と我慢で低く押し殺され、地を這うような重低音となって周囲に響き渡った。
生徒たちが左右ににサッと道を開ける。
『くくっ……傑作だ。全員が君の醸し出すオーラに怯えているぞ』
耳元で魔王が笑っている。
私は半泣きになりながら、サビついたアイアンゴーレムのようなぎこちない歩調で歩き出した。
だが、その道を塞ぐ巨大な影があった。
「よう、引きこもりの『幽霊王子』がついにお出ましか?」
立ちはだかったのは、熊のように体格の良い男子生徒だった。
腕を組み、挑発的な笑みを浮かべている。
私の記憶にある「王都貴族名鑑」が脳内で素早く検索をかける。
ランドルフ・ベルグマン。
武闘派で知られる伯爵家の三男坊。
典型的ないじめっ子だ。
ど、どうしよう……!
なんでこんなトイレに行きたい極限状態の時に限って、ガキ大将が絡んでくるんですか!
私はピタリと立ち止まった。
止まった瞬間、マントの下でズボンがさらに張り詰め、限界ギリギリのテンションがかかる。
「無視かよ? おい、兄上たちが甘い顔をしてるからって、調子に乗るなよ。お前みたいな魔力だけのヒョロガリが……!」
ランドルフが一歩近づき、私の胸倉を掴もうと太い腕を伸ばした。
その時。
――ビクンッ!!
ランドルフの手が近づく恐怖と緊張で、私の体(王子)が過敏に反応し、股間の聖剣が意思を持っているかのように大きく跳ねた。
マント越しでも布地が揺れるのがわかるほどの衝撃。
ひあぁっ!?
私は「あひんっ」という情けない悲鳴を噛み殺すために、奥歯が砕けるほどギリィッ!と食いしばり、涙目でランドルフを下からキッと睨みつけた。
私は騎士の娘!
こんなところで、変な声なんて出してたまるもんですかぁぁッ!
「ッ……!?」
ランドルフは、ピタリと手を止めた。
そして、私がわずかに聖剣の位置を直そうとした瞬間、ランドルフは「ひっ!」と情けない悲鳴を上げて尻餅をついた。
「わ、わかった! 悪かったよ、殿下!」
大柄な男が、怯えて脱兎のごとく逃げ出していく。
周囲は水を打ったように静まり返った。
睨みつけただけで巨漢を退けた、「最強の王子」が爆誕した瞬間である。
『……ははははっ! 凄いなリリア。まさか、テントを隠す動作と我慢の表情だけで、格上の相手を制圧するとは!』
「……トイレ……トイレはどこですか……」
私は誰にも聞こえない声で呟き、逃げるように校舎へと駆け込んだ。
◇
男子トイレの個室。
私はガチャリと鍵をかけ、その場に力なく崩れ落ちた。
はぁ、はぁ……。助かった……。死ぬかと思いました……。
虚弱な王子の心臓が、限界を超えて早鐘を打っている。
ズボンのベルトを緩めると、圧迫から解放されたエクスカリバーが、びょん!と元気に立ち上がった。
ああもう! なんでこんなに元気なんですか!
お座り! 待て!
……って、言うこと聞くわけないですよね。
途方に暮れる私。
すると、ピアスからひどく冷静で、甘い声が降ってくる。
『リリア、安心しろ。今、僕の方でもその処理をしてやる』
「えっ?」
は? 処理? え、まさか……。
『僕が果てれば、魂のパスを通じてその余韻でお前の方も落ち着くだろう。……というわけで』
チュッ、とやけに生々しく湿った音が聞こえた。
『今、鏡の前で君の胸の先端を、甘く舐め上げているところだ』
「ひぁっ!?」
トイレの個室で、私は思わず自分の平らな胸を抱きしめて身悶えした。
いやあああ! 私の、私の胸が、自分の顔をした変態に蹂躙されてるぅぅ!
しかも、なんでこっちの王子の体までビクビク反応してるんですか!?
これが感覚共有の本当の恐ろしさ……ッ!
直接的な刺激が、脳髄に防御力無視の貫通ダメージとして叩き込まれる。
王子の聖剣がさらにビクビクと脈打ち、熱を増していく。
「だめ、逆効果です! それじゃ余計に……っ!」
『そうか? じゃあ、もっと激しくしないといけないな。回復魔法はたっぷりかけてやる』
クチュクチュという水音が、先ほどよりも一層激しくなる。
「待っ、学校! ここ学校のトイレです!回復魔法じゃなくて即死魔法ですそれぇ!」
『関係ないね。……さあ、一緒に極上の天界へイこうか、リリア』
静寂に包まれた男子トイレの個室に、私の甘い喘ぎ声と、王子の低い唸り声が混ざり合う。
ああ……もうダメ。
初日から学校のトイレで、自分自身の遠隔操作で天界に連れて行かれるなんて……。
お父様、お母様、リリアの青春は、完全に終わりです……っ!
こうして、輝かしい学園初日の朝から、私は「自分自身との遠隔情事」によって、強制的に果てさせられるのだった。




