第1.5話 最悪の目覚め。私の体で好き放題する変態王子と絶望の『悪魔の取引』
「……う、ぅ……んっ……」
どのくらいの時間が経ったのだろう。
鉛を飲み込んだような胃の不快感と、頭をカチ割られるような激しい頭痛と共に、私はゆっくりと意識を取り戻した。
私、生きてる……?
あんな大爆発が起きたのに……お父様がお守りくださったのでしょうか……。
ゆっくりと目を開ける。
見慣れない、豪奢だが埃っぽい天蓋の装飾が見えた。
体を起こそうとして、私はかつてないほどの強烈な違和感に襲われた。
……体が、重い?
いや、違う。
体が重いのではない。
いつものように、バネのように跳ね起きようと腹筋に力を入れたのに、体がピクリとも反応しないのだ。
まるで自分の体ではない他人の皮袋を着せられているかのように、動かすたびにギシギシと軋む。
それに、いつもなら無意識に感じているはずの『胸の重み』や『さらしの窮屈さ』が全くない。
どういうことですか?
爆発で私の体が……削げ落ちてしまったとでも言うんですか!?
パニックになりかけながら、手をついてなんとか上半身を起こす。
視線の位置が、異常に高い。
そして、床についた手のひらの感覚がおかしい。
いつもの、水仕事や剣の素振りでマメだらけになった、誇り高き私の手ではない。
驚くほど滑らかで、それでいて骨っぽく、ぞっとするほど冷たい感触。
「な、なんですか、これ……一体どうなって……」
震える唇から紡ぎ出された自分の声を聞いて、私の脳味噌は完全にフリーズした。
低い。
少し掠れた、弦楽器のように響く、少年の声だ。
だ、誰の声!?
私!? 私が喋ったんですよね!?
恐る恐る、自分の手を目の前にかざす。
そこにあったのは、骨が浮き出るほど華奢で、青白い血管が透けて見える、明らかに男の……それも、高貴な身分の男の手だった。
「えっ……? 嘘、でしょう……?」
私はガクガクと震える手で自分の顔を触る。
シャープな顎のライン。
高い鼻梁。首元に触れると、そこにはあるはずのない硬い突起――喉仏があった。
そして、信じられない思いで、胸元へと手を滑らせる。
ない。
平らだ。
洗濯板のように平らで、骨ばった胸板。
「まさか……そんな、あり得ない。嘘だと言ってください……!」
私は荒い息を吐きながら周囲を見回した。
そして、部屋の反対側、歪んだ魔法陣の向こう側に倒れている『それ』を見てしまった。
見慣れた、ブカブカで野暮ったいメイド服。
床に投げ出された艶やかな黒髪。
丸みを帯びた、私自身の体。
私の肉体が、そこに転がっていた。
わ、私が、あそこにいる……?
じゃあ、今の私は……この体は……ギルバート殿下!?
呼吸が荒くなる。
王子の虚弱な心臓が、限界を超えて早鐘を打ち始める。
落ち着きなさい、リリア!
騎士の娘たるもの、いかなる異常事態にも冷静に対処を……無理です! 無理無理無理!
混乱の極みに達する私の目の前で、不意に、向こうに倒れていた『私』の体がピクリと動いた。
ゆっくりと、まるで精巧なからくり人形に命が吹き込まれたかのように、黒髪の少女が上半身を起こす。
その所作は、ガサツな私とは似ても似つかない、だらしなくも洗練された、奇妙なほど優雅なものだった。
黒髪の少女は、まじまじと自分の両手を開閉させ、裏表を確認し、次に首をコキリと無造作に鳴らした。
そして、私の顔で、私が一生かかっても絶対に作らないような、酷薄で、傲慢で、ひどく好戦的な笑みを唇に浮かべたのだ。
「ほう……なるほど。そういうことか」
聞き慣れた私の声。
でも、その声音には王者のような絶対的な威圧感が宿っていた。
野暮ったい眼鏡の奥の瞳には、先ほどのギルバート殿下と全く同じ、狂気と冷徹な知性がギラギラと燃え盛っている。
「禁書に記された術式の構成要素が物理的干渉によって欠落した結果、魔力パスを通じて魂の座標が強制的に置換されたか。確率は数万分の一……いや、実証例がない以上、これは極めて興味深い事象だ」
黒髪の少女は、ブツブツと呟きながらゆっくりと立ち上がった。
しかし、普段の私なら絶対にあり得ないことに、足元がフラついて壁に手をつく。
「おっと。重心の位置が全く違うな。それに……なんだ、前にあるこの無駄な質量は」
えっ?
次の瞬間。
あろうことか、ギルバート殿下は、自分の胸――つまり、私の豊かな胸を、両手で容赦なく鷲掴みにしたのだ。
「ひぃぃぃぃっ!?」
私(体は王子)の口から、情けない引き攣った悲鳴が漏れた。
同時に、私の脳髄を信じられない感覚が突き抜けた。
な、なにこれ!?
胸を揉まれているのはあっちの体なのに、どうして今私がいるこの王子の体の胸の奥が、ジンッと熱く痺れるような感覚が……!?
「や、やめてっ! やめてください! 私の体で、胸で、何をっ……!」
私の必死の抗議など、殿下の耳には欠片も届いていなかった。
ギルバート殿下は、まるで未知の魔法具でも鑑定するかのように、両手で私の胸をこれでもかと揉みしだき、その重量と形を確かめるように指を深く食い込ませている。
「す、すごい弾力だ。なんだこれは……。鋼のように鍛え上げられた筋肉の上に、極上の純度を持った脂肪が乗っている。体幹の安定性も素晴らしい。それに、この太もも……」
殿下はさらにエスカレートし、あろうことかメイド服のスカートをガバッと躊躇いなく捲り上げた。
露わになった白い太もも。
ガーターベルトが食い込む絶対領域を、自身の指がねっとりと這い回る。
「ひゃあっ!? だめ、そこは、あっ……!」
お父様、お母様! 娘は今、王子に……いえ、自分の体に触られて凌辱されています!
意味が分かりません!
触られているのはあっちの体なのに、こちらの体までビクビクと反応してしまい、頭がおかしくなりそうだ。
「心拍数、血流の速度、潜在的な筋肉量……すべてにおいて完璧な器だ。僕のあの呪われた欠陥品のような肉体とは、根本から造りが違う」
そして、彼はスカートを下ろすと、恍惚とした、しかしどこか嗜虐的な色を帯びた瞳で、こちらにへたり込んでいる私(王子の体)を見下ろした。
私自身の顔が、あんなにも下卑ていて、それでいて背筋が凍るほど色気のある表情を作れるなんて、今の今まで知らなかった。
「おい、そこの不敬な侍女」
「は、はいっ!? わ、わ、私はリリア・ヴァレリウスです! ギルバート殿下、ですよねっ!?」
私は恐怖と羞恥で涙目になりながら訴えた。
しかし、ギルバート殿下は楽しそうに目を細め、まるで獲物を追い詰める肉食獣のような優雅な足取りで近づいてくる。
逃げなきゃ!
殺される、いや、それ以上の何をされるか分からない!
そう脳が命令しているのに、この王子の貧弱な体は恐怖で硬直してしまい、膝がガクガクと震えて全く力が入らない。
あっという間に距離を詰められ、私は自分の肉体を纏った殿下に、床へ強引に組み敷かれてしまった。
「や、やだ! 私の上に私が乗ってる……って、重っ! 私、こんなに重かったんですか!?」
「君の名前はリリアか。……素晴らしい、本当にいい体を持っているな。今まで王宮内にこんな極上の器が存在していたのに、気づかなかったとは一生の不覚だ」
ギルバート殿下の顔が――私の顔が、鼻先が触れ合う距離まで近づく。
至近距離で見つめ合う、自分自身のアメジストの瞳。
だが、その奥にあるのは私を完全に掌握しようとする支配者の光だ。
「か、返して……! 私を、私の体を返してくださいっ!」
「返す? ふふっ、馬鹿を言え。今は原理的に不可能だ。この『魂の置換現象』を解明し、逆算の術式を構築するには膨大な時間と実験データが必要になる」
ギルバート殿下は、私の耳元――つまり、今私がいる王子の耳に顔を寄せ、毒のように甘く、低い声で囁いた。
「それまでは、僕がこの極上の体を徹底的に有効活用してあげよう。……君も、僕の体になれて光栄だろう? なにせ、落ちぶれた騎士の娘から、一気に王族へと成り上がれたのだからな」
「そ、そんな……!私は、家族のために真面目に働きたいだけなんです!」
絶望で顔を蒼白にする私の顎を、殿下はクイッと強引に持ち上げた。
逃げ場はない。
「これは取引だ、リリア。君は今日からその体を使って、僕の代わりに『第三王子』を完璧に演じきれ。……もし、僕の命令を拒否するというのなら」
ギルバート殿下は、ニィッと口角を吊り上げると、胸元――メイド服の第一ボタンを、指先でピンッと弾き飛ばした。
第二ボタンまで外され、さらしで窮屈そうに押し込められていた白い谷間が、無防備に露わになる。
「や、やめ……っ!」
「このままこの体で、王宮で一番人が集まる中庭を、全裸で走り回ってやってもいいんだぞ? 『没落したヴァレリウス家の娘が、ついに発狂して全裸で踊り狂った』となれば、君の家族の顔には永遠に消えない泥が塗られることになるな」
「――ッ!?」
悪魔だ!
この美しい顔をした王子は、人の心を持たない本物の悪魔だ!
私が大切にしてきた家族の名誉。
守りたかった平穏。
それが音を立てて崩れ去っていくのを、私はただ見ていることしかできなかった。
目の前が真っ暗になる。
こうして、貧しくも平穏無事だった新米侍女のささやかな日常は、大爆発と共に木端微塵に消し飛んだのだった。
お父様、お母様……ごめんなさい。
リリアの人生、もう終わったかもしれませんーーっ!!




