レイヴェル皇国への輿入れ 1
前2話を少しだけ調整しました。
要約すると、王都の住人は不吉な黒雪という噂を信じている。救われた街の人々はノエルを慕っている。フリーダは、王都の噂を収集した。といった感じです。
八年前のある日。
城を抜け出した私は一人、広場のベンチで声を殺して泣いていた。
婚外子の私は、父や継母から他人のように扱われている。唯一優しかった産みの母も亡くなり、自分がどうして生まれてきたのか分からなくなってしまったのだ。
そんな私を慰めてくれたのが、ものすごく格好いい見た目のお兄さんだった。
泣いている理由を聞かれた私は、事情をぶちまけて泣きじゃくった。
いま思えば不用心だし、彼も急に重い話をされて驚いただろう。でも、彼は嫌そうな顔一つしないで、私に生きる道を示してくれた。
「最初から生きる理由を持っている人間の方が少ない。普通は自分で見つけるものだ」――と。
生まれてきた意味を持たない私にも、努力すれば居場所が出来るかもしれない。
その言葉は、真っ暗だった世界に指した一筋の光だった。
その眩しさに憧れ、お兄さんの横顔を見上げる。
「私にも、見つけられるかな?」
「きっと大丈夫だ。だが……そうだな。どうしても見つけられなければ、そのときは俺が手助けをしてやる。だから、出来るところまでがんばってみろ」
それが私を励ますための方便であることは子供心にも分かった。でもその優しさが嬉しくて、私は顔を上げる。すると、通りの向こうに使用人の姿が見えた。
時間切れだ。
私はベンチから立ち上がり、お兄さんに笑いかける。
「私、がんばる。がんばって、いつか立派な聖女になるわ!」
「……聖女?」
お兄さんがぱちくりと瞬いた。
「適正、あるんだって。目指す意味が分からなかったけど、いまは違うよ。私は立派な聖女になる。そして街のみんなや、お兄さんのことを護ってあげる!」
そうして笑うと、お兄さんはその驚くほど整った顔をくしゃりと破顔させた。
「そうか、ではそのときを楽しみにしている」
これが、私が憧れたお兄さんとの出会い。
そして――
私は港でレイヴェル皇国の騎士たちと合流し、船で南の大陸へとやってきた。船旅はわずか一日で、港に着いた私はタラップを降り、レイヴェル皇国の桟橋に降り立つ。
だが、胸を満たしたのは潮の香り――ではなく、瘴気を含んだ澱んだ空気だった。
「……まさか、ここまで瘴気が充満しているなんて」
瘴気は動植物に悪影響を及ぼす。
港を満たす瘴気は、人々の寿命に影響を及ぼすレベルに達していた。
いますぐ瘴気を浄化するべきだと進言したい。でも、他国から嫁いできた、しかも『詫びの品』である私がそんな出過ぎたことを言うわけにはいかない。
そんなことを考えていると、不意に私の足元に影が差した。視線を向けると、そこに――美術館から抜け出してきたような、整った顔の青年が立っていた。
サラサラの黒髪に縁取られた、線の細い整った顔。精巧であるがゆえに冷たさを感じさせる彼は、青く深い瞳で私のことを静かに見つめていた。
――ど、どうして彼がここに!?
会ったのは子供の頃に一度きり。だけど、その芸術的なまでの美しさは間違えようがない。目の前に立つ青年は、私が目標としていた『憧れのお兄さん』の成長した姿。
私は憧れのお兄さんと再会した。
信じられない。
だけど、あの日のお兄さんで間違いないわ! こんなに顔が整った人間が世界に二人もいるとは思えないもの! でも、彼がどうしてここに――っ。
待って、嫌な予感がするわ。
「あの、貴方は、もしや……」
「俺がレイヴェルの皇帝、アルベルトだ。そなたはアシュタルのノエル王女だな?」
ぎゃあああああぁああぁっ! さ、最悪のパターンだわ。
憧れのお兄さんと再会できたのは嬉しい。
でもいまじゃない。いまじゃないのよ!
私は『立派な聖女になって、お兄さんのことも護ってあげる!』と宣言したのだ。なのに、いまの私は不吉な聖女で、詫びの品で、彼の身内を傷付けた愚かな王太子の妹だ。
憧れのお兄さんに、惨めないまの自分を見られたくない。あんな大口を叩いて、詫びの品として送られてきました! とか言える? 言えるわけないわ!
胸を張って名乗るどころか、全力で誤魔化してこの場から逃げ出したい。どうか、彼が私に気付いていませんようにと、祈りながらカーテシーをした。
「――きゃっ」
桟橋のでこぼこに足を取られ、私はとっさに足を踏み出した。その瞬間、不覚にもアルベルト陛下の胸元へと飛び込んでしまう。ドキンと胸が鳴る――どころか、背筋に悪寒が走った。
――これは、呪い?
どういうこと? アルベルト陛下は呪われているの?
いや、それより、いまはこの体勢よ!
私は彼の腕の中から抜け出し、「大変失礼いたしました」と頭を下げた。どんな反応をしているかしらとゆっくり顔を上げると、彼は冷ややかに私を見下ろしていた。
「……俺に色仕掛けは通用しないと、先にこの地を訪れた聖女から聞いていないのか?」
「ち、違います! いまのは本当に躓いただけですから!」
技術交流の聖女、そんなことまでしてたの!?
そんな誤解をされてはたまらないと必死に否定する。
アルベルト陛下はわずかに沈黙して、それからおもむろに口を開いた。
「……そなたに、少し質問をしたい」
「な、なんなりと」
まえに会ったことがあるか? なんて聞かれませんようにと祈る。
「そなたが黒雪の聖女と呼ばれているのは事実か?」
よかった。他の質問だった。
「はい、事実です」
「なぜだ?」
「それは……私が使う浄化の雪を見た者がそう呼んだから、でしょうか?」
私がそう答えると、彼は少し考えた後に「そうか」と息を吐いた。
「あの、それがなにか?」
「いや、なんでもない」
このとき、誤魔化すことに夢中で、私は説明を怠った。
本来であれば、黒雪の異名は、浄化の雪が瘴気を吸って黒く染まることから来ているというべきだったのだ。それを私は言いそびれ――彼と私の間ですれ違いが発生した。
「黒雪の聖女、我が皇国はそなたを歓迎する」
え、すごく意外だ。
「歓迎、してくださるのですか?」
「ひとまずはな。その先にどうなるかはそなた次第だ」
「私次第、ですか?」
言われ慣れてない言葉に首を傾げる。
「分かっていると思うが、そなたの兄は我が皇国の聖女を傷付けた。その上ろくでもない聖女を送り付け、あまつさえは皇国のために死んだ者たちを冒涜した」
――最後のは初耳なんですが!?
もちろんそんな突っ込みは出来なくて、私は深々と頭を下げた。
「申し訳ありません。その節は、兄が大変な失礼を働いたとうかがっております」
「そうだな。だから、あの男の罪を謝罪ごときで許すつもりはない」
「それは、理解しています。ですから、これは兄のための謝罪ではありません」
兄の不始末の責任が妹にあるか否か。
普通はない――けど、状況にもよると思う。
今回、兄は王太子という身分で他国の人間に無礼を働いた。同じ国の王女として、私はこの国の人々に謝罪をしなければならない。
「……そうか。そなたの心意気は受け入れよう。だが、王太子は決して許されぬことをした。その妹であるそなたを憎む者も少なくはない」
……そうよね。
分かってはいたことだ。でも、兄はどれだけのことをしたんだと泣きそうだ。
「……陛下も、私を憎んでおいでですか?」
「少なくとも、無礼な男の妹として、そなたの評価は底辺にある。ゆえに、そなたを皇妃として迎えるが、恋人にするように愛を囁くつもりはない」
それは仕方ないわね。
理屈では別の人間だと分かっていても、様々な感情がその邪魔をする。私がその事実を受け入れようとしたその直後、彼は「だが――見極めようと思う」と続けた。
ええっと……どういうこと?
「そなたは敵対国の姫で、我らを愚弄した王太子の妹だ。どれだけ否定したところで、人は生まれを変えられない。だが、その後の評価はそなたの行動次第だ」
「……私の行動を、見てくださるのですか?」
私の言葉にアルベルト陛下は答えず、背後に控える騎士たちに視線を向けた。
「フリーダ」
「陛下、お呼びでしょうか?」
やってきたのは二十代半ばくらいの女性の騎士。後ろで高く纏めた赤髪が印象的な彼女は、何者も寄せ付けぬ冷たさを纏っていた。
そんな彼女が、アルベルト陛下を前にかしこまる。
「彼女がノエル王女殿下、我が花嫁となる女性だ。――ノエル王女殿下、彼女はフリーダ。六芒領主の一人にして、そなたの侍女長となる女性だ」
「六芒領主が私の侍女長に……?」
驚きに目を見張ると、フリーダにじろりと睨まれた。
「私が侍女をまとめるのは不満でしょうか?」
「いえ、まさか! ただ、六芒領主といえば、この地を護る重要な役割があるとうかがっています。そのような方に私の侍女長をお願いしてもいいものかと」
「監視されたくないと?」
監視って言っちゃったよ、この人!
でも突っ込むとマズい。聞かなかったことにしよう。
「見られて困ることはありません。ただ、私は心配しているだけです。この国は聞いていたよりも瘴気の密度が高いようですから、騎士の出動回数も多いのではありませんか?」
「ご心配なく。我らは貴女の兄が言うような無能でも臆病者でもありませんから」
兄めぇ……と、天を仰いだ。
「不快にさせたのなら謝罪いたします。ただ、私は皇妃になると同時に聖女でもあります。もしもその力でお役に立てるのならと考えています」
「不吉な名を冠するような聖女は必要ありません。貴方は皇帝の妻となる方なのですから、余計なことには首を突っ込まず、大人しくしていてください」
「……でしゃばるなと言うのなら従いましょう。皇国の聖女も優秀だと聞いていますから」
ずいぶんな言われようね。
でも、悪いのは兄だ。なのに、ここで私と彼女が争うのは馬鹿らしい。
なんてことを考えていたら、アルベルト陛下が私を見た。
「彼女は苛烈だが高潔でもある。せいぜい失望させぬことだ」
「ご期待に添えるように努力いたします」
「……それがいい。それと、明日は結婚の儀として、民の前で結婚を発表することになっている。それに備え、今日は宮殿でゆっくりと休むがいい」
そう言い残し、彼は颯爽と去って行った。私はその後ろ姿に向かって静かに頭を下げる。すると、同席していた他の六芒領主たちから様々な声が上がった。
「あれが愚かな男の妹か、関わりたくないものだ」とか、「黒の聖女などと不吉な二つ名を冠するとは、偉大な聖女様とは正反対だな」とか、侮蔑の視線を向けられる。
まるで針のむしろだが、その時間は意外にも長く続かなかった。
「ノエル王女殿下、こちらへ」
フリーダにそんなふうに促されたからだ。
私は彼女の後を追い、そのまま馬車へと乗り込んだ。
「陛下はのんびりでいいとおっしゃいましたが、明日の結婚の儀までには覚えるべきことはたくさんあります。皇国に嫁いだからには、この国の仕来りにしたがっていただきます。朝までにすべて叩き込むつもりなので、お覚悟を」
甘えを許さぬ言葉。だけど――なにも教えず、私を笑い者にすることだって出来るはずよ。なのに、手間を掛けて、私に必要なことを教えようとしてくれるのね。
アルベルト陛下はおっしゃった。
彼女は苛烈だが高潔だ、と。つまり、あの兄の妹である――というレッテルを払拭したければ、彼女に認められて見せろということね。
「フリーダ様、何卒よろしくお願いいたします」
「ふんっ、せいぜい根を上げないことです」
望むところだ。チャンスがあるのなら逃げたりなんてしない。
アシュタル国では、チャンスすら与えてもらえなかったから。




