詫びの品 3
少しタイトルが迷走中で、もとは『敵国に嫁がされた聖女ですが、旦那様の呪いを解けるのは私だけです』です。
たぶんもう変わりません。変わっても一部だと思います。たぶん、きっと……
旅立ちの日の朝。
私は自分が生まれ育った部屋に別れを告げていた。薄いカーテン越しに、淡い日の光が差し込んでいる。その光に照らされた机の上、残された置き時計にそっと指を這わせた。
「これは、私が初めての浄化で町を救ったお礼にもらったもの」
私が使う浄化の雪は、瘴気を吸って黒く染まる。
それを見て不吉と恐れる人もいたけれど、この置き時計をくれた人は心から感謝してくれた。私にとってかけがえのない思い出の一つだ。
本当は持っていきたい。
だけど、部屋にはそういった思い出の品が数え切れないほど並んでいる。それらすべてを持っていくなんて、いまの私には出来ない。
私は未練を断ち切り、机の上から視線を引き剥がした。
後は……これだけね。
私は棚に飾っていたネックレスを手に取った。
「お母様の形見」
いつか娘が出来たら、プレゼントしようと思ってた。
お母様が、そうしてくれたように。
だけど……
少し考えた後、私はそれをポケットにしまった。
最後に一礼して部屋を出る。
そうして廊下を歩いていると、廊下の角で兄と出くわした。
私は軽く頭を下げ、なにも言わずにすれ違おうとした。だけど、兄は「まだこの国に残っていたのか!」と不機嫌そうに話し掛けてくる。
「今日、これから旅立つつもりです」
「そうか。ならばさっさと皇国へ行き、俺の代わりに許しを得てこい! 俺のおかげで皇帝に嫁げるんだ。せめてそれくらいは役に立て!」
一方的に捲し立て、足早に去って行った。
……兄は、どうしたのかしら?
会議の日が特別機嫌が悪かっただけ。
そう思っていたんだけど、どうやらそういう訳じゃなさそうだ。
それに、『許しを得てこい』って、なんか変じゃない? 兄の性格なら、詫びの品をやったんだから、もう謝罪は済んでいる! くらいは言いそうなのに。
……うぅん、分からないわ。
でも、国を出る私には関係のないことよ。
そう結論づけて考えることを止めた。
実は、このときの兄は、既に自らのおこないの報いを受けていたのだ。けれど、私がその痛快な理由を知るのは、もうしばらく後のことである。
到着したのは正門前の前庭。馬車が止められたその場所には、団長が率いる騎士団の面々と、司祭様が連れた聖女達が並んでいた。
視線が合うと、団長様や司祭様が近付いてきた。
「本当は港までお送りしたかったのですが、護衛はシグルド王太子殿下の部下がなさるとのことで、ここでお別れを言いにきました」
団長様は深く頭を下げた。
「ノエル王女殿下、いままで共に戦えて光栄でした。シグルド王太子殿下がなんとおっしゃろうと、貴女は騎士団にとって必要な聖女です。なにかあれば必ず駆けつけるとここに誓います」
「……ありがとう。私も貴方たちに護られて頼もしかったわ」
団長様と握手を交わす。
私は次に司祭様、自分を立派な聖女に育ててくれた元聖女へと向き直った。
「いままでお世話になりました」
「お世話になったのはこちらの方ですよ。口さがない者もいましたが、貴女の功績は疑いようもありません。だから……貴女は十分に頑張りました。これからは自分のために生きなさい」
「……司祭様?」
そんなふうに言ってもらえるなんてちょっと意外だ。
でも……嬉しい。
「実のところ、私はあまり心配していないのです。優秀な聖女である貴女なら、レイヴェル皇国でもきっと認めてもらえると信じていますから」
父から掛けられたのと同じような言葉。
だけど、司祭様の言葉には温かみがあった。
「ありがとうございます。色々と迷っていましたが覚悟が決まりました。私はこれからレイヴェルの皇帝の妻となり、アシュタル国との架け橋になれるように努力いたします」
兄の仕打ちは許せない。
私に無関心な父にも失望しかない。
でも私には、こんなにも自分を思ってくれる人達がいた。だから、私はそんな彼らのために出来ることをしよう。私が、そうしたいから。
でもそれは、司祭様の提案とは逆の答えだ。
今度は司祭様が困惑するはず――だったのだけれど、彼女は苦笑しただけだった。
「貴女ならそういうと思っていました。そんなに一人で背負わなくてもいいのですよ?」
「お気遣いありがとうございます。でも、これが私の生き方ですから」
あのとき、私を励ましてくれたお兄さんと約束した。いまの私は恥ずかしくて顔向けできないけれど、それが努力を止める理由にはならない。
「いままでありがとうございました」
お世話になった人々に手を振ると、彼らは盛大に手を振り返してくれた。そして、口々にお別れの言葉を掛けてくれた。私はその光景を胸に刻み、馬車のまえへ立つ。
そこには、ミレイユの姿があった。
「……部屋にいないから、見送りに来てくれないのかと思ったわ」
「ええ、見送りはいたしませんよ」
なら、なにをしに来たの?
首を傾げる私は、ミレイユが大きな鞄を持っていることに気付いた。
「ミレイユ、貴女、まさか……」
「私はノエル王女殿下の侍女です」
だからどこまでもお供するのだと、ブラウンの瞳はそう訴えていた。
彼女はいま二十七歳で、七年ほど前から仕えてくれている。私にとっては唯一気心が知れた相手で、無条件で私の味方になってくれる姉のような存在でもあった。
だから――
「貴方のことは司祭様にお願いしてあるわ。仕事に困ることはないはずよ」
危険な敵国に連れて行くつもりはない。
そんなふうに突き放したのに、彼女は首を横に振った。
「せっかくのお気遣いですが、私はついていきます」
「ダメよ」
「いいえ。あの日、貴女が無茶な直談判をした私の言葉に耳を貸してくれなければ、瘴気に侵された妹は死んでいました。だから、私はどこまでもお供いたします」
たとえそれが死地だったとしても。
そう聞こえた気がして、私は思わず泣きそうになった。
侍女と主とはいえ、しょせんは雇用関係だ。主が失脚すれば、その関係があっさり終わることも珍しくない。なのに、ミレイユは変わらず私を慕ってくれている。
それが本当に嬉しくて、だからこそ、私は突き放さなくちゃいけない。
「貴女がいなくなったら妹はどうするの?」
「いままでに貯めたお金を全部を渡してきました」
「貴女の妹はまだ幼いでしょ? 家族が必要よ」
「だとしても、妹は貴女について行けと背中を押してくれましたから」
熱いものがこみ上げた。だけど、歯を食いしばって堪える。
「バカね。どうせ『貴女の命の恩人だから』、とか言ったのでしょう? そんなことを言えば、行かないで欲しい。なんて、言えるはずないじゃない。だから、ダメよ」
「ノエル王女殿下、ですが……」
私はきっぱりと首を横に振った。
「私は私の家族を信じていない。期待だってしていない。だって愛されたことがないから。でも、貴女たちは違う。妹のために、戦場にいる私のもとまで直談判をしにきた」
その光景は忘れもしない。あのとき、ミレイユは死んだっておかしくなかった。そこまでして妹を護ろうとする、ミレイユたちの家族愛に私は憧れた。
「――だから私は、貴女たちに仲良く、幸せになって欲しい」
想いを託す。
ミレイユは肩を震わせて涙を流した。
「ズルいです、ノエル王女殿下。そんなふうに言われたら断れないじゃないですか」
「断らなくていいわ」
私はポケットからネックレスを取り出し、それをミレイユの手に押しつけた。
「ノエル王女殿下、これは……お母様の形見ではありませんか?」
「そうよ。娘が出来たらプレゼントしようと思ってたの。でも私には無理だから、貴女に託すわ。いつか、貴女に娘が出来たら、プレゼントしてあげて」
「……受け取れません。これは、ご自分の娘にあげてください」
ミレイユはボロボロと涙を流しながら、ネックレスを押し返そうとする。
だけど私はそれを拒んだ。
「お願い。私の分まで幸せになって」
「私の分までだなんて、そんな悲しいことは言わないでください!」
「言わなければ、受け取ってくれる?」
「それは……ノエル王女殿下が幸せになることを諦めないと、約束してくださるなら」
長い葛藤の後に告げられた言葉には、彼女の思いやりが詰まっていた。
だから、精一杯の笑顔で答える。
「約束する。最後まで諦めない。そうしていつか幸せになったと思えたら、貴女に手紙を出すわ」
「……はい。そのときは、妹と一緒に、このネックレスを持って会いに行きます」
彼女は流れる涙もそのままに、宝物のようにネックレスを握りしめた。
「……その日が楽しみね」
だけど、そんな日はきっとこない。
そう思いながら、私は笑顔でミレイユに別れを告げた。
こうして、私を乗せた馬車は、護衛の騎士たちと共に動き始める。生まれ育った国に別れを告げて、目指すのは海の向こうにある大陸。
この国での私の役目は終わった。私はこれから、新たな人生を歩む。
窓の外を見れば、馬車に駆け寄ろうとしたミレイユが止められているところだった。私は溢れそうになる感情を必死に抑え込んで、未練を振り払うように前を向いた。
馬車は王都の大通りをひっそりと進む。
不吉な黒雪の名を冠する私を見送る者はいないと、そう思っていた。
だけど、王都の外に出ると、急に歓声が上がった。
なにがあったの?
戸惑っていると、隣に乗っていた従者――兄が送り込んだ私の監視役でもある男が、「ノエル王女殿下、あれをごらんください」と窓の外を指差した。
あれは……住民たちが手を振ってる?
誰に? ……私に?
よく分からない。けれど、彼らの声は聞こえている。
『ノエル様、いままでありがとう!』
『レイヴェル皇国で幸せになってください』
耳を傾けた私に届いたのは、そんな言葉の数々。
数は決して多くないけれど、その声の一つ一つが私の未来を祝福してる。
「……なぜ? 私は黒雪の聖女と忌避されていたはずでしょう?」
「それは、貴女を貶めたい者が流した噂です。王都の住民の大半はそれを信じていますが、貴方に救われた街の住人など、貴方を慕っている者も少なくありません」
じゃあ、ここにいる人々の多くは、他の街の人々ってこと?
だけど、見送るといったって、他の街の人々が王都まで来るのは簡単じゃない。
それこそ、誰かの手引きでもなければ無理だろう。
それに、私を貶めたい者?
それって……
「貴方は兄の従者でしょう?」
「バレたら厳罰でしょうね。ですが、知っておいて欲しかったのです。この国にも、貴方を慕う者がたくさんいたのだという事実を」
「……ええ、覚えておくわ」
不覚にも視界が涙で滲んだ。
結局のところ、私はこの国が好きだった。
嫌なこともたくさんあったけれど、それと同じくらい嬉しいこともあった。仲間と呼べる人々がいて、私の居場所はちゃんとあった。
最後にそれに気付けてよかった――と、私は馬車の揺れに身を任せながら静かに涙した。




