第9章 — 小屋作戦(ドラゴン娘を騙す方法:存在しない)
カイは走りすぎて、もう自分がどこにいるのかすら分からなかった。
砂浜?
森?
地獄?
もしかしたら全部同時かもしれない。
そのとき、ヤシの木の影の間に、昼間ライフガードが使っている古びた小屋が見えた。
灯りは消えている。
ドアは半開き。
カイは深呼吸した。
「よし……ここで二分だけ隠れればいい……二分……」
彼は呟いた。
「ここなら……絶対見つからな……いはず……」
彼は素早く中へ入り、静かにドアを閉め、背中を押し当てて息を整えようとした。
小屋は狭く、傾いた棚、壊れたラジオ、床に散らばったライフジャケットがあった。
潮の匂いが濃すぎて、海そのものがここに住んでいるようだった。
カイは机の裏へ転がり込み、完全に動きを止めた。
「よし……作戦変更……ここで静かにして……彼女が通り過ぎたら……反対側に走るんだ……」
誰にも聞かれていない独り言が続く。
今日一日、誰も話を聞いてくれなかったからだ。
静寂。
完璧な静寂。
リュウナが空から落ちてきて以来、初めてカイは希望というものを感じた。
彼は目を閉じた。
深呼吸。
そして──聞こえた。
カチッ。
まるで誰かが……ドアに鍵をかけたような音。
カイはゆっくり目を開けた。
ゆっくり顔を向けた。
そして……見た。
リュウナ。
小屋の天井の上に座っていた。
足を組んで。
小魚をぶらぶらさせながら。
満面の笑みで。
「やぁ、カイ。」
「アアアアアアアアアア!!!」
「しー。」
リュウナは指を口元に当てた。
「静かにね。ここ反響するから。」
カイは絶望的に指を向けた。
「ど、どうやってそこに座ってんだよ!?」
「屋根の穴から入ったの!」
彼女は嬉しそうに答えた。
「私はドラゴン娘だよ? よじ登るなんて簡単よ。できないのはカイだけ。」
「俺は“気候まで操れる300メートル級の海竜”じゃねえんだよ!!!」
リュウナは天井から──ふわりと降りてきた。
そう、
ふわりと。
重力? そんなもの彼女にとっては“人間専用ルール”。
カイは壁まで下がった。
「や、やめろ……警告するぞ……これ以上近づいたら……窓から飛び降りるからな!!」
リュウナは窓を見た。
「そのガラス……ひび入ってるよ。飛び降りたらケガする。」
「そのつもりなんだよ!!」
「やだ。」
彼女は可愛いのに恐ろしく見える口尖らせ顔で言った。
「カイがケガするの嫌。私はただ……あなたに印つけたいだけ。」
カイはライフジャケットを盾のように構えた。
「来るな!! 俺には……もっふもふの防御がある!!」
リュウナは大笑いし始めた。
あまりに笑うので、ライフジャケットのバックルまで震えた。
「カイ……その盾じゃ首守れないよ……?」
カイはごくりと唾を飲んだ。
「よ……予定では……避け……」
「かわいい♡」
リュウナは言った。
「でも無意味♡」
一歩進む。
カイは三歩下がる。
彼女は二歩進む。
カイは壁に追い詰められる。
「ちょっとだけ……ひっかくね……?」
甘すぎて逆に恐怖の声。
「または……小さく噛むだけ。選んで♡」
「選ばねぇよ!!」
カイはもう逃げ場がないことを悟った。
椅子へ足をかける。
登る。
そして──窓へダイブ。
ガラスが砕け散る。
カイは外の砂に転がり落ちた。
「いってぇぇぇ!! 俺の背中ぁぁ!!!」
叫びながらも立ち上がる。
リュウナは割れた窓に顔を出し、あごを枠に乗せて、まるで悪さをした子犬を見るみたいに微笑んだ。
「カイ……」
「なんだよおお!?!?」
「私、ドアから出るね。これ以上壊したくないから。」
彼女は小屋の中へ引っ込んだ。
カイはまた走り出す。
叫びながら。
心の平和を求めていたはずが、いつの間にか謎ジャンルに巻き込まれた主人公のように。
そして追いかけっこは、また始まった。




