第19章 — パニックバス(そして乗車禁止の彼女)
カイは海からよろめきながら上がり、
むせて、
そして宇宙そのものを呪った。
リュウナは後ろから巨大な恋する人魚みたいな笑顔で泳いできた。
「カーーーイ! あなた浮くの上手だね! あとで一緒に練習しよう!」
「“あとで”なんて存在しねぇ!! 練習もしねぇ!! 何もしねぇぇぇ!!」
カイは遊歩道まで全力で走り──
そして見た。
夜行バス。
ドアが開く。
エンジンが低く鳴る。
乗客が乗り込む。
カイの瞳に希望が宿る。
「いましかねぇぇぇ!!」
彼は人生最悪のコメディ映画の主人公みたいな走り方でバスに飛び込んだ。
「出して!! 出してぇぇ!! 早く発車して!! マジでお願いします!!」
カイは運転手に絶叫。
運転手は驚いて振り返った。
「お、おい落ち着け少年——」
ドォン!!
バスの側面に巨大な両手が叩きつけられた。
カイの目が飛び出る。
道路全体が揺れた。
乗客は絶句。
窓の外には、
小麦粉まみれで、
びしょ濡れで、
恋と狂気が混ざった笑顔のリュウナ。
「カイィィィ! バスで逃げるなんて、かわいすぎるよ〜♡」
「かわいくねーーーよ!! 公共交通機関だよこれは!!」
リュウナは窓にデカい犬みたいに額を押し当てた。
乗客の悲鳴が響く。
「カイ……」
彼女は甘い声で言う。
「入れて……♡」
「やだぁぁぁぁ!!」
「お願い♡」
「いやだって言ってんだろ!!」
震える運転手。
「お、おまえ……この子……彼女か?」
「ちがぁぁぁぁーーーう!!!」
「彼女だよ♡」
リュウナが満面の笑みで答える。
カイは座席に頭を打ちつけた。
「助けてぇぇぇぇ!!」
運転手は慌ててバスを発車。
バスが揺れながら動き出す。
カイは希望を感じた。
「やった……やった……! やったぞーー!!」
「カーーーイ♡」
カイは凍りついた。
窓を見ると──
リュウナがバスと並走していた。
軽やかに。
笑顔で。
速度は同じ。
「カイ〜♡ 人間の“ドライブデート”ってこういう感じなんだね! 素敵〜♡」
「デートじゃねぇ!! 逃げてんだよ!!」
「デートだよ♡ だってバスに乗ってるもん♡」
カイはパニックで停止ボタンを押した。
バスがカーブを曲がる。
リュウナも曲がる。
バスが加速。
リュウナも加速。
バスが穴を避ける。
リュウナも同じ角度で避ける。
カイは絶叫。
「なんでバスの動き全部コピーできんだよぉぉ!!?」
「だって私は、カイのそばにいたいから♡」
「いたくない!! マジでいなくていい!!」
「いたいよ♡」
カイは運転手に叫ぶ。
「もっとスピード出して!!」
「無理だ!! このバスは1998年製だぞ!! これ以上出ない!!」
窓を見る。
リュウナは──
浮いていた。
バスの横に。
天ぷら魚を持って。
微笑みながら。
「カイ……♡ 座ってる今なら印つけやすいよ♡」
「つけない!! 絶対につけさせない!!」
「じゃあ入るね♡」
カイが叫ぶ。
「走行中はドア開かねぇんだよ!!」
「私、ドアいらないよ♡」
カイは息を呑む。
「おい……ちょっと待て……どういう──」
ドンッ!!
リュウナは片手だけでバスの側面を掴んだ。
たった片手で、
バスにぶら下がり、
そのまま──
よじ登り始めた。
乗客たちの悲鳴。
カイは力尽きて座席に沈む。
「もうやだぁぁぁぁぁ……!!」
トン……トン……トン……
屋根からのノック。
彼女が上にいる。
カイの顔から血の気が引く。
「や、やめろ……」
彼は震えた声で呟いた。
「やめろ……やめろやめろやめろ!!」
天窓が震えた。
ひびが入った。
そして──
ひょこっ
頭が逆さまに登場。
小麦粉まみれの笑顔。
「やっほ〜、カイ♡」
「ぎゃあああああああ!!!」
カイはバスの通路を全力疾走。
乗客は叫び、隠れ、荷物を投げ、
ある者は撮影し、
ある者は祈った。
リュウナは天窓から軽々とバス内へ着地。
魚天ぷらを拾い上げ──
天使と悪魔が混ざったような笑顔で言う。
「カイ……♡ 二人きりの密室。完璧だよね……♡」
「その続きを言うなぁぁぁ!!」
交差点でバスが減速した瞬間、
カイは後部ドアから飛び出した。
転がって歩道に落ち、
人間ボールみたいにゴロゴロ転がる。
そして──
リュウナは天窓から再び飛び降り、
恋する流れ星みたいな勢いで彼を追った。




