第16章 — 波の下の怪物(そして泳げない人間)
カイは水際で完全に固まっていた。
海面は静かだった。
静かすぎた。
恐ろしいほどの静けさ。
「ど……どこ行った……?」
カイは海を凝視しながらつぶやいた。
「消えた……消えたぞ……これ絶対よくない……絶対……」
すると、水面が小さく ぷくっ と鳴った。
小さな泡。
カイは一歩下がった。
「やだ。」
また泡。
今度は大きい。
「やだやだやだ……」
三つ目の泡は巨大だった。
「やだやだやだやだ──!!」
シャアアアアア!!!
リュウナが水面から飛び出した。
恋に狂ったクジラのように。
巨大な笑顔とともに。
カイはあまりの恐怖で、近くのカモメまでビビらせる悲鳴を上げた。
「カイィィ!!」
彼女は最高に嬉しそう。
「海って楽しいね! 私、水の中だとすっごく速いんだよ!」
そう言うと、彼女は再び水中に消えた。
青い光の軌跡が矢のように海を切り裂く。
カイの目が飛び出しそうになった。
「やべぇ!!
やべぇやべぇやべぇやべぇ!!
これ、最悪のパターンだぁ!!」
彼は左右を見渡し、逃げ道を探した。
だがもう遅い。
水面が震え始めた。
小さな波が彼の足元を囲むように揺れた。
まるで、巨大な何かが彼の脚を旋回しているように。
カイは水際にある浅い岩の上に飛び乗った。
「水から出ろ……出ろ……出ろっ……!!」
自分に言い聞かせる。
海はさらにざわつく。
そして──
波の下から声がした。
「カイィィィ……♡」
「海の下でしゃべったぁぁぁぁ!!??」
「みーつけた……♡」
カイは絶望で固まった。
1秒。
2秒。
そして何かが彼の脚を引っ張った。
カイは叫んだ。
「ぎゃあああああああ!!!
やめろやめろやめろ連れてくなぁぁぁぁ!!」
岩からずり落ち、
膝までしかない浅瀬に落下。
でも恐怖レベルは100%のまま。
リュウナが水から現れた。
青い髪が顔に張り付き、
深海みたいに輝く瞳。
美しい。
危険。
破滅的にかわいい。
そして全身びしょ濡れ。
「カイ……一緒に海に入ってくれたのね。
これは……受け入れのサイン♡」
「サインじゃねぇぇぇ!!
ただ転んだだけだよ!!」
「パートナーの近くに倒れ込むのは、海竜の伝統だよ♡」
「伝統じゃねぇ!! 今作っただろそれ!!」
リュウナはゆっくり、猫のように水の上を滑るように近づく。
カイは走った。
水深くぶ……膝。
走り方はまるで必死なアヒル。
リュウナは余裕の速度で追う。
「カイ……♡」
「やだ!!」
「カイィ……♡」
「やだって!!」
「カイイイイイ……♡」
「何回言わせんだよ!! やだ!!」
彼女はあっさり追いついた。
カイは足を滑らせた。
リュウナは彼のシャツをつかみ、倒れないよう支えた。
「カイはすぐケガしちゃうね……かわいい♡」
「かわいくねぇ!!
その“かわいい”いらねぇ!!」
「じゃあ……印つける?
全部解決するよ♡」
「解決しねぇぇぇ!!」
カイは彼女の手を振りほどき、
水から飛び出し、
びしょ濡れの猫のような勢いで砂浜へ逃げた。
リュウナは水を滴らせながらついてくる。
その足跡は青く光り、月明かりで輝いていた。
彼女は、完全に恋した怪物の笑顔で言った。
「カイ……知ってる?
人間と海竜が同じ水を分け合ったら、運命が結ばれるの♡」
カイは目をむいた。
「そんなルール存在しねぇ!! 事実じゃねぇ!!」
「今から事実にする♡」
「させねぇぇぇ!!」
カイは叫びながら走る。
リュウナも嬉しそうに追いかける。
そして海の奥では──
天ぷら魚が困惑しながらクルクル回っていた。




