愛されたいと願ったことすら仮初めだと知った
痛い。
それが頬か心か、自分の事なのに僕はわからなかった。
近くにいる子供たちの笑い声は耳を通り抜けていく。
残っているのはパンッと乾いた肉の音と彼女の悲痛な声だけであった。
公園の桜の木の下、楽し気な子供たちを羨むように一人の子供が座っている。
だけどその子供はすぐに本へと興味を移す。
こちらの視線に気づいたのか、振り向いてきたので咄嗟に視線をそらした。
足取りは重くされど早い。
太ももに不快な振動が伝わってくるが、すぐに意識しなくなった。
あの子供はまるで昔の自分のようであったと懐かしみながら回想する。
僕は普通の家庭に生まれたと思う。
ただし、両親とは違い人と関わることが極端に苦手であった。
だから誰かと比べることができないため、「思う」というわけだ。
とはいえ、小さい頃は両親のように明るい性格だった。
友達と一緒に外で遊び、授業ではふざけて怒られることもあった。
だけどある時、ひとつ小さな失敗をしてしまった。
取るに足らないような、やっちゃったー、ぐらいで済まされるようなそんな失敗。
周りも責めることなく、少しいじって失敗をあやふやにしようとしてくれた。
恥ずかしい。
その感情は小さくしか芽吹かなかった。
その感情を成長させたくなかった。
途端に、友達と遊ぶことを、授業中ふざけることを避けるようになった。
何もしなければ失敗はしない。
人と関わらなければ恥ずかしい思いはしない。
そんなある種当たり前の答えに逃げた僕は、人との関わり方を忘れてしまった。
それが小学二年生の時。
そこからずるずると高校生まで生きてきた。
両親以外との関わりが無くなった僕に、止めを刺すように思春期が訪れた。
親が敵に見える嫌な時期。
学校にも家にも居場所がなくなってしまった僕は、夜な夜なこんなことを願うようになる。
愛されたい。
自分から人との関わりを絶ったくせに何を生意気な、と叱責されようとも溢れてきたのだから仕方がない。
だけど行動に移せなくなった僕にとってそれはあくまで叶わない願望でしかなかった。
高校二年生の春、彼女と出会うまでは。
第一印象は最悪だった。
先輩である僕に対して刺々しくどこか上からな発言の数々。
怒りを通り越して、こんな奴もいるのかと感心してしまったことを覚えている。
正直、二度と会いたくなかった。
しかし、運命というやつだろうか、その後も何度も出会う機会があった。
そのたびに刺々しい態度をとられていたが、不思議なことに最初に感じた近寄りがたい印象は薄まっていた。
おそらく本能的に彼女と自分が同族であるとわかったのだろう。
恥ずかしいを感じないために人と関わるのを避けた僕。
恥ずかしいを隠すために人に刺々しい態度をとってしまう彼女。
気づけば僕と彼女は偶然ではなく必然に会うようになっていた。
他の人とは違い、彼女の前ではたとえ失敗したとしても恥ずかしさを感じない。
彼女の態度も徐々に柔和していった。
彼女の前では、僕の前では、お互いにとって特別な存在であり続けるのも悪くはなかったかもしれない。
だけど二人とも心の奥底では、今の自分は好きになれない、変わりたいと思っていた。
今までは一人だったから変われなかった。
だけど二人なら?
困難であることには変わりない。
それでも安心感はあった。
三人寄れば文殊の知恵と言うが、二人でも多少は素晴らしい知恵が生まれるというものだ。
どうやって人と関わる?どうやって恥ずかしさを克服する?
僕と彼女の青春はそんなつまらないことに費やされた。
だけど楽しかった。
これは一生残る思い出だろう。
そう確信できる、そんな青春だった。
高校三年生の春。
桜が満開となる少し前のこの季節、僕の学年は卒業することとなった。
振り返ってみれば、友達と呼べるのは彼女ぐらいだっただろう。
入学前と比べて多少喋れるようになったけれど、受験で忙しかったといった言い訳もあり、そう大きな変化は生まれなかった。
しかし、人としては確かに成長したのではないだろうか。
卒業式で泣くことはなかった。
後悔のない学生生活を送れたからだろうか。
ただひとつ心残りがあるとすれば、彼女の存在である。
少し贔屓してしまうが見た目は美人と言っていいだろう。
だけど柔和したとはいえ刺々しい態度は完全には治っていない。
今までの印象もあってか、友達と呼べるのは僕ぐらいだろうか。
卒業したら彼女を一人にしてしまう。
とはいえ、永遠の別れと言うわけではない。
学校外で今後も普通に会うことはできる。
彼女が悩んでいたらその時は助けになろう。
そう決めて、卒業式が終わった。
式が終わるとクラスで記念写真を撮り、仲の良かった友達や後輩と個別に集まる。
思い出で笑ったり、泣いたり、青春の集大成のような光景が広がる。
僕はというと、式の前に彼女に呼び出されていたのでその光景を後に階段を降り、グラウンドの隅にある桜の木の下に向かう。
桜の舞う下で彼女が頬を赤らめ待っていた。
その姿に思わずドキリとしてしまう。
軽いジャブのような刺々しい発言は一向に来ず、もじもじと恥ずかしそうにしている。
そんな姿がまた可愛く、こちらまで頬を赤らめてしまった。
彼女は自身を落ち着かせるよう深呼吸をし、意を決してこう言った。
付き合ってください。
その言葉は頭の中で何度も繰り返される。
彼女を異性として意識したことは何度あっただろうか。
そのたびに関係が悪化しないようにと、思いを封じ逃げてきた。
そんな弱い僕とは違って、彼女は恥ずかしさを堪え、隠すことなく真正面からぶつけてきたのだ。
嬉しい。
まずこの感情が浮かんだ。
恥ずかしい。
自分を責めるように、今までの自分を殺してきたこの感情もまた生まれた。
そのとき、告白をし頬を赤らめ目を閉じて返事を待っている彼女の姿が目に移った。
ああそうか。
今まで何度も何度も恥ずかしいと感じてきたが、それは一時的なものでしかなかった。
それに惑わされて、嫌いな自分を生んでしまっていたのだ。
彼女も同じだった。
だけど、一時的な感情に流されることなく、惑わされることなく真正面から思いをぶつけてきている。
僕の中の恥ずかしいといった感情はすっかり消えていった。
そしてずっと願っていたあの言葉が脳裏に浮かぶ。
愛されたい。
誰とも関わることのできなった僕の不格好で都合のいい願い。
叶わない、そう思っていたものが今叶おうとしている。
彼女と出会ったことで僕は変わった。
閉じこもっていた殻を脱ぎ捨てることができるようになってきた。
人と関われるようになって、思春期も収まり両親を敵と思うこともなくなった。
居場所がないと感じることは無くなったのだ。
ん?
であるならば?
なかなか返事をしないことに不安を覚えたのか、彼女はそっと目を開ける。
そして僕の顔を見てギョッとした。
どんな表情をしていたのか自分ではわからない。
だけど一つ気づいたことがある。
僕は、僕が。
愛されたいと願ったことすら仮初めだと知った。