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賀茂家の因果、鬼

 新幹線なんて何年ぶりだろう。遼一とサクラを乗せた新幹線が動き出した。サクラはサングラスに帽子、そんなに派手ではないがセンスの良いスタイルだ。考えてみれば、三週連続で会ってる。今日は柳原がいない。おじいさんに会うなら一人で行けばいいのに、と言ったら、一人では気まずいと言われた。遼一にしてみれば、サクラと二人でいることが気まずい。

「芦屋さん、普段と変わらなかったです。」

「……。」

「いつも通り、無表情で無関心です。」

「……。」

「ヨガの呼吸法が効いてるのかなぁ。最近、心が安定してます。」

「ごめんなさい、本当に。」

 無視してるのかと思ったら、突然謝ってきた。

「優光の会にもう行かないと思ってた。どうして行くの?怖くないの?それに今日だって、本当は行きたくないんでしょ。」

 なぜ優光の会に行くのかと聞かれたら、霊を操れるようになるには芦屋を頼るしかないから。それに芦屋が自分を殺すようにはどうしても思えない。遼一は芦屋との会話の中でそれは強く感じる。初めて会ったときに、絶対に殺さないと言ったことを今も覚えている。確かにサクラの役に立つために芦屋の力を借りるというのは、矛盾を感じるけど。

 今日も同じ。どうしても一人でおじいさんに会うの嫌だから、と言われれば、ダメだとは言えない。

「俺もいろいろ知りたいし。あと山に登るんでしょ。山登り好きなんです。滅多に行けないけど。」

「だから、そういう格好なんだ。今すぐ登れる勢いだもん。」

 山の道具はリュックの中で、着替えと洗面用具はショルダーバッグに入れてある。

「じいちゃんに電話したら、すぐに遊びに来いって言われて、ビックリした。何て言うんだっけ。拍子抜け?肩透かし?暖簾に腕押し?なんだっけ?」

「まぁ、大歓迎なら良かったですよ。おじいさんって、何をしてる人なんですか?」

「知らな~い。引退して、福井に移ってからは、ママからも何も聞いてないんだ。ただ週末は山に登るから、歩きながら話をしようって、言われた。」

「ふ~ん。」


 福井駅からまた乗り継いで、おじいさんの住む越前大野駅に着いた。電車の旅は思った以上に遠かった。あっという間に会話がなくなり、サクラはほとんど爆睡していたのだ。寝ていてくれて助かった。霊の話以外に共通の話題はないし、かといって電車の中で霊の話はできないし。

「お~い、来たかぁ。疲れただろう。……、ん、君は誰だね?」

 サクラのおじいさんが駅まで迎えに来ていた。

「あっ、風間遼一といいます。」

「なんだサクラ、一人じゃなかったのか。」

「言わなかったっけ?」

 おじいさんはじっと見つめて、「そういうことか。」と聞こえない程度に呟いた。

 軽自動車だったが、三人乗って荷物を積んでも余裕があった。そんなに遠くもなく、すぐに家に着いた。

 家には仏壇があり、おばあさんとサクラの母親の写真が飾ってあった。

「お線香、あげていい?」

 サクラは仏壇の前に座り、慣れた手つきでお線香をあげた。遼一はその様子をしっかり観察し、ぎこちなかったが同じようにお線香をあげた。遼一は初めてサクラの母親の顔を見て、「きれいな人だなぁ。」と少し仏壇に見とれていた。

「サクラ、家の中ぐらいサングラスを外しなさい。帽子も。」

「ごめん、忘れてた。」

「まぁ、芸能人だからなぁ。ハハハ。」

 怒っているわけではなく、気軽に笑い飛ばしていた。

「お昼は食べたのか?」

 午後二時を過ぎていた。

「福井駅で食べたから、大丈夫だよ。じいちゃんは?」

「もう食べたよ。夕方まで時間があるから、いいところに連れてってやる。」

 また車に乗り込み、目的地には十五分ほどで着いた。

 途中から車がすれ違えないほど狭い道になり、普段あまり人が来ないことを(うかが)える。車から降りるとすぐに小さな鳥居があり、参道は狭いのに、まわりに巨石が点在していた。その巨石を苔が覆いつくし、この一帯の神聖な空気を作り上げているようだ。

 しかしそれ以上にサクラが驚いていることがあった。

「どうだ、サクラ。」

 神聖な空気とともに違和感なくそこにある霊の存在。

「こんなに澄み切ってる霊を見たことがない。」

「この霊たちは、身体に入っても悪さをしない。もしろ調子が良くなる。理由はわからん。」

 そういって、おじいさんは霊を自分の身体に取り込んだ。

「俺は霊が見えて、浄化する。移すことはできない。サクラは見えるけど、取り込めないんだったな。君は?」

「あっ、はい。見えるといってもサクラさんみたいには見えなくて、歪んで見えるだけです。霊は取り込めます。人に移せるんですけど、身体の中で浄化のイメージがまだわからないです。……すいません、ここの霊が見えるけど、他の霊との違いがわからないです。」

「私とじいちゃんは色が見えるから。すごくきれいだよ。」

「君も取り込んでみなさい。」

 遼一は右手でそっと引き寄せるように取り込み始めた。何かが身体に満ちてくるのがわかる。満たされたところで取り込むのをやめた。

「なんか細胞が活性化されてるような気分です。」

「いいなぁ。」

 サクラだけがこの美しい霊を身体に取り込めない。

 遼一が右手に霊を集中させた。

「遼ちゃん、右手がキラキラしてるよ。」

「これ、サクラさんに移せないかなぁ。」

 遼一がサクラの右手を握ると、ソフトボールほどの霊の塊が地面に落ちた。

「なんか、拒絶されたみたいで、ショックです。」

「わたしもぉ。」

 みんな、クスクス笑い出した。ホームドラマのワンシーンのようだ。

「夕飯の買い物でもして、帰るか。」

 

 夕食を終え、お風呂を済ませると、おじいさんが日本酒を持ってきた。地酒で純米無濾過生原酒と書いてある。おじいさんのお気に入りのようだ。おじいさんはぬる燗という温度が良いらしく、サクラはそのままグラスでいただく。遼一は弱いから遠慮したのだが、美味しい水があるから割って飲めと付き合わされた。

「あれっ、飲みやすい。意外に美味しい。」と素直に感じたが、どんどん進められそうなので口に出すのを思いとどまった。

「じいちゃん、ママのこと教えて。私が知っておいたほうがいいと思う話。嫌なことも全部。パパのことも。」

「俺、散歩でもしてきますか?」

「遼ちゃんも、一緒に聞いて。」

「いいのか?」

 おじいさんは俯いたまま静かに言ったので、サクラに言ったのか、遼一に言ったのか、わからなかった。

「司君が亡くなったのは、サクラがまだ小学生の頃だったかな。その頃はまだ俺も現役で、瑠璃子と源蔵と三人で動いてた。」

 瑠璃子は情緒が不安定で、霊を取り込むのが危険だった。瑠璃子が霊を見つけ、浄化するのは、おもに柳原の役目。強力で柳原の手に負えない場合、おじいさんが浄化していた。心が弱ってるときに霊を身体に残していると、負の感情に引きずられてしまうから。

「あっ。」

 遼一は、工場でのことを思い出した。

「ある日、司君が死んだと連絡がきた。心臓麻痺だったそうだ。」

 瑠璃子は、自分が殺したと思い込んでいた。知らないうちに霊を取り込んで、無意識に霊を移したかもしれない、と。

「瑠璃子には何度も言った。絶対に霊を取り込んでるはずはない!って。」

 葬儀が済み、初七日が過ぎたころには、少し落ち着きを取り戻した。瑠璃子自身も気をつけてたから、霊を取り込んでる可能性は低いはずだと思っているはず。

「あのぉ、すいません。お父さんの爪、変色してたとか血豆とか、覚えてますか?」

 遼一の質問にサクラが反応した。

「そうか、そうだね。爪に血豆なんてなかった!変色もしてない!ねぇ、じいちゃん。爪に血豆が何個もあったら覚えてるよね。」

「一個ぐらいじゃあれだけど、何個もあったらさすがにな。」

「ママのせいじゃなくて、良かったぁ。」

 ほっとしたのか、サクラはグラスの日本酒を飲み干した。

「源ちゃんって、じいちゃんのときからいたんだね。ママのこともじいちゃんのことも話してくれないから。」

「瑠璃子が俺を避けるようになって、源蔵も大変だったと思う。結局、俺は早めに引退して逃げるようにここに来た。源蔵には本当に申し訳なかった。だから、お前にも合わせる顔が無くってな。瑠璃子が亡くなった時も、戻ろうかと考えたが、土御門の連中に、こちらで面倒見るって言われて。もう、居場所がないって思ったよ。」

「うぅ、全然知らなかったぁ。私、昨日まで、じいちゃんに嫌われてるって思ってたから。」

 サクラが泣き始めた。そして空になったグラスを口に持っていき、遼一に日本酒を催促する仕草をした。

「あっ。」

 慌てて、サクラのグラスに日本酒を注いだ。

「あの、すいません。向こうにいたとき、お母さんが誰かと会ってたの知りませんか?柳原さんが言うには、霊の操り方を教えてるようだったって言うんです。」

「いや、知らんなぁ。」

 そういって、徳利をお猪口に注いだが、もう空になっていた。

「温めますか?」

 と、徳利をつかんで遼一が聞いた。

「いや、お前さんには無理だ。」

 と、遼一から徳利を取り上げ、自分でぬる燗を温めにいった。

「あれっ?酔ってないな。」

 アルコールを滅多に飲まない遼一が、水で割ったとはいえ、コップで2杯も飲んでいる。しかも美味しいからもう少し飲みたいと思っていた。

「酔わないから、不思議なんだろう。一つは良い酒だということ。もう一つは良い水で割ってるからだ。そして、あの霊を取り込んだのが酔わない一番の理由だろうな。もう一杯どうだ。」

 おじいさんが、これからというときにサクラは寝てしまっていた。長旅の疲れもあるだろうし、お酒も回ったのだろう。おじいさんはサクラを抱きかかえ、奥の部屋まで運び、布団を掛けて寝かせた。

「明日も早いし、君ももう寝るか。サクラの隣に布団は敷いてある。」

「あっ、あの、彼氏ではないので。あの、……ここで寝ます。」

 遼一は、もう一杯だけ水割りの日本酒をいただき、ここに布団を運んだ。


 朝、気がつくと良い香りがする。おじいさんが朝食の準備をしていた。サクラも起きているようで、バタバタと身支度をしている。

「あっ、おはようございます。」

 遼一は、布団を抱えて奥の部屋に向かった。

「じいちゃん、私、朝食べないんだって。」

「いいから。山でバテるから、少しだけでも食べなさい。」

「は~い。」

 朝食後、荷物や水分などをおじいさんに確認してもらい、家を出た。登山口まで三十分ほどで到着し、軽くストレッチをして出発した。

「テレビの仕事は忙しいのか?」

 おじいさんがサクラに声をかけた。

「じいちゃん、嫌なこと聞かないでよ。電車に乗って、ここまで来て、一度も声を掛けられなかったんだよぉ。レギュラーは無いけど、たまには出てるかな。」

 自虐気味だが、笑いながら答えた。

「そうかぁ、それならいいんだ。」

「よくな~~~い!」

 サクラが、大きな声で突っ込みを入れた。

 遼一が笑い出したが、おじいさんは意味が分かってなかった。

 一時間ほど歩いて、休憩することにした。水分が身体にしみる。

「あの、すいません。昨日の霊がもう体の中にいない気がするんです。」

「浄化したんじゃないの?」

「いや、あの霊は浄化するというより、取り込んだ身体の方を浄化してくれてるんじゃないかな。君の細胞をきれいにしたことで、消耗して消えていく。そんな感じなんだろうなぁ。」

「気分的には、まさにそんな感覚です。」

「どうしてあの場所に集まってるのかはわからない。サクラも感じたと思うが、山の湧き水のように、なんらかに濾過されて、あの透き通るような霊になったんじゃないかな。探せば、きっと他にもあるはずだし、サクラなら見つけられるんじゃないか。」

「あの霊を病気の人に移してあげれたら、治るかもしれないですね。」

「……そうだなぁ。」

 

 急な上り坂が続き、会話が減った。

 それでも時折見せる山々の景色に心が癒された。身体は疲れているが、気持ちのよさも感じてる。息を切らせながらも、ゆっくり登る。遼一がたまに登る山は、1時間ほどで山頂に到着する。ハイキングと登山の違いを痛感したが、疲れるほど呼吸する空気が美味しいと感じる。

 登山口から三時間ほどで、まわりの景色がひらけた。

「気持ちいいなぁ。」

 遼一は、深呼吸をして身体中に山の空気を浸透させた。

「少し休憩するか。」

 サクラのおじいさんは、まったく疲れてる様子もない。

 サクラは栄養補給のゼリーを飲むと、大きくため息をついた。そうとう疲れているようだ。

「じいちゃん、あとどれくらい?」

「一時間くらいだ。」

「よし!」

 サクラは気合を入れるように立ち上がった。

 さっきまでの森の中と違い、遮る木々も少なく、時折吹く風が気持ちよい。ようやく目指す山頂も視界に入ってきた。

 山頂に到着。

 小さな祠があり、三人がそれぞれお参りした。

 お昼にはまだ早かったが、おじいさんがシングルバーナーを準備し、ホットサンドを料理し始めた。

「手伝おうか。」

 リュックを下ろし、サクラが言った。

「邪魔だから、景色でも見てきなさい。」

「は~い。」

 サクラは、遼一を連れて山頂の周辺を歩いて回った。雲も高く、見晴らしも良い。少し暑いと思っていたが、休んでいるうちにだんだん身体が冷えてきた。風が吹くと、寒いとさえ感じる。

 戻ってみると、すでにホットサンドは完成しており、三人分のコーヒーを淹れるところだった。

「いただきます。」

 猫舌の遼一には、まだチーズが熱かったが、抜群に美味しかった。山で食べると旨味が増すのは本当だった。サクラのマンションで飲んだコーヒーよりも飲みやすい。というか美味しい。もちろん声には出せないが。ただ驚いた表情で飲んでいることをおじいさんが察したようだ。

 ニコッと、遼一に笑いかけた。

「昨日、瑠璃子が誰かと会ってなかったか?と聞いただろう。違うとは思うが、サクラの兄の悟のことを思い出してな。」

「えっ、私にお兄さんがいたの?」

 サクラは驚いてはいたが、それほどの反応ではなかった。

「そうか。瑠璃子も土御門家も言ってなかったのか。たぶん、瑠璃子が霊の操り方を教えてたのは、悟ではないと思うが。悟は霊が見えなかったんだ。それでよそに里子へ出された。」

「えっ、どうして?」

「見えない者にとって、俺たちのやってることは気味の悪いことでしかないんだ。得体のしれない、理解できないことなんだ。」

「サクラさんのお父さんは、普通の人ですよね。」

「司は、土御門家の人間だ。すべてわかっていて結婚した。このことにかかわる賀茂家の末裔は、能力のを持つ人間か、土御門家の人間としか結婚できない。悟は今頃、普通の人として生活してるだろう。悪かったな、サクラ。話さないほうが良かったか。」

「ううん、もっと早くじいちゃんに会いに来ればよかった。」

 サクラの顔は、けっしておじいさんを責めるような表情ではなかった。

「もうひとつ、賀茂家の末裔が知っておくべき話がある。土御門家の資料に残ってることなんだが、兄弟や親子が交わると、恐ろしい鬼になる。」

「交わるって、セックスのこと?」

 きっと近親者の結びつきを禁止させるためのことだと思われていたが、昭和の時代、手術中に輸血された賀茂家の末裔が鬼になった記録がある。交通事故で重傷だった患者の血液が特殊で、仕方なく家族間の輸血をしたのが原因だった。伝承は本当だったのだ。意識もなかった患者が、突然暴れだし、そこにいた医師たちを全員殺害した。その患者も出血多量ですぐその場に倒れ、亡くなったが、この世のものとは思えない恐ろしい形相だったという。すぐに土御門家が立ち入り、悲惨な事故として、違うシナリオを作り上げた。

「万が一のことを考え、賀茂家の末裔は献血してはいけないことになってる。」

「それって、本当の話なんですか?」

 あまりに現実味がない話に、遼一としてはおじいさんがどこまでその話を信じているのかが気になった。

「わからんなぁ。だが考えてみろ、血の話が真実なら、怪我をした子供のすり傷を母親がナメただけで鬼になっちまう。でも鬼になった話は嘘とも言い切れないから、気をつけたほうがいいだろう。」

 山頂での休憩が、背筋のザワつく時間になってしまった。


 下山も注意が必要だった。何でもないようなところで、遼一が足を滑らせた。おじいさんに注意されて気づいたが、どうやら靴紐が緩んでいた。場所が悪ければ、大怪我につながる。日常の生活にも当てはまることだ。

「ここも滑るから、気をつけたほうがいいな。」

「なんだか、遼ちゃんのほうが孫みたいだよ。」

 余裕で下るサクラに比べ、遼一は体重を後ろ気味にかけているため、バランスを崩しやすかった。スキーと同じで、怖がると自然に重心が後ろに移動してしまう。ほんの少しのことなのだが。

 それでも登りよりは、圧倒的に早い。

「多少の怪我なら、昨日の神社ですぐに治してもらえる。」

 おじいさんは笑いながら、遼一に発破をかけた。

 下りの方が景色を見る余裕がある。登りの時には気づかなかった花を見つけた。鳥の鳴き声もだ。耳を澄ませば、何種類もの鳴き声が聞こえる。気持ちに余裕がないと、目も耳も機能しないことが悲しい。

「山に登るのは、そりゃあ健康のこともあるけど、体力が落ちるといろんなものが鈍ってくる。感覚は大事だからな。」

 おじいさんは遼一に何かを伝えたいのだろう。だが遼一には本質を見抜くまでには至らなかった。それはおじいさんにもわかっていた。

「はい。」

 遼一は、ただ返事をするしかなかった。

「遅ぉーい。」

 先に下りてたサクラが、痺れを切らして待っていた。

 遼一はまだサクラのお兄さんや鬼の話を引きずっていた。お兄さんに会いたいとか思わないのか、サクラも鬼になるのか。ただ妄想が頭の中を無駄に駆け回る。昔から切り替えが苦手で、どんどん悪いほうに考えてしまう。それでも内村先生のお世話になってからは、症状が軽くなっている。

「そういえば、柳原さんから連絡はないんですか?」

 遼一がそう言うと、サクラはスマホを見せた。

「圏外。」

「サクラ、何か食べたい物でもあるか?」

「う~ん、……そば。蕎麦が食べたい。」

 何かを思い出したように言った。

「あっ、れ?サクラさん、今日帰るんですよね。」

「もう一泊。どうせ私、仕事ないし。」

「えぇ、えぇ~っ!」

「変な声を出すな、恥ずかしい。」

 おじいさんに怒られたが、遼一の頭の中はそれどころじゃなかった。


 無事に下山し、温泉で身体を休めた。

 おじいさんの身体に多くの傷跡があった。だがそれを興味本位で尋ねられるような神経を遼一が持っているわけがない。また果てしない妄想の旅が始まった。まだ遼一の知らない、霊からの攻撃があるとか、たまに関係のない暴漢に襲われるとか。まさかサクラの身体にもたくさん傷跡があるのか。

「サクラは、悟のことは知ってたのかもな。」

「あっ、いや、……そうですね。そうかもですね。」

 妄想していた遼一は、すごく焦った。

「ふぅ、会いたいって、思ったりするんですかねぇ。」

「わからん。それを聞いたとしても、どうすることもできないからな。」

 サクラが、やっと温泉から出てきた。サングラスも帽子も被らずに。

「どうしたんですか?」

「いいの。どうせ、誰も気づかないし。」

 ふてくされたサクラを乗せて、車はおじいさんの自宅に走った。


 夜、行きつけの蕎麦屋に向かった。

「いらっしゃい。空いてる席へどうぞ。」

 おじいさんのお薦めで、おろし蕎麦と醤油かつ丼のセットを注文した。大根おろしと蕎麦の組み合わせなら聞いたことはあったが、醬油味のかつ丼は初めてだった。

「はい、お待たせしましたぁ。……あれぇ、森川サクラちゃんだよねぇ。」

 蕎麦屋の奥さんが、サクラに気づいた。

「はい。あぁ、どうも。」

 サクラは、困ったふりはしているが、遼一から見てもうれしそうなのがわかった。

「サイン、もらっていい?」

「いいですよ。」

「……っていうことは、森川さんのお孫さん?」

 きっと、おじいさんが仕込んだのだろう。温泉から出てきたサクラが妙に痛々しかったから、蕎麦屋の奥さんに電話で頼んだのかもしれない。やっぱり孫の落ち込んでる姿は見ていられなかったと思う。


「明日、祝日だから休みでしょう。」

「会社じゃなくて、家。」

「なんかイベントでもあんの?」

 サクラに詰め寄られる遼一。

 普段、家族ともそんなに会話が無いから、もう一泊するという話をどう言えばいいのかが思いつかない。母親は、必ず「なんで?」と聞いてくる。遼一はその答えが浮かばないのだ。それでも遅くならないうちに、もう一泊することだけは伝えなければ。せめてメールやLINEのやり取りでもしていれば、と後悔していた。

 とりあえず玄関の外に出た。

 あっ、メッセージがあった。電話番号で送れる。

「わけあってもう一泊する」と母親に送った。

「どんなわけですか」母親から、すぐに返信が来た。

 遼一は返事の文面が思いつかない。

 しばらく遼一が悩んでいると、母親から電話が掛かってきた。

 ブーブー鳴ってる電話を睨んでいたら、サクラに電話を取られた。

「もしもし。」とサクラが電話に出た。

「はい?遼一の電話ですよね?」母親が困惑する。

「お母さま、初めまして。わたくし、遼一さんとお付き合いさせていただいています、森川サクラと申します。すいません、私のおじいちゃんが急に倒れてしまい、遼一さんに病院まで付き添っていただきました。こんな時間になってしまったので、ご迷惑でなかったら、もう一晩、泊まってもらってもよろしいでしょうか。」

「……。あっ、はい。こちらこそ、迷惑でなければ、泊めてやってください。……あのぉ。」

「はい。」

「いえ。遼一をお願いします。失礼します。」

「こちらこそ、ありがとうございます。失礼します。」

 ピッ。サクラが遼一の電話を切った。

「遼ちゃん、何してんの?飲むよ。」

「あっ、はい。」

「遼ちゃんのお母さんも、「あっ。」って言ってたよ。親子だね。」

 遼一の電話を持ったまま、サクラは家の中に入っていった。

「あっ、スマホ。」

 遼一も、家の中へ戻った。

 

「サクラさん、ありがとうございます。」

「よかった。本当は怒ってると思って、ドキドキしてたの。」

 サクラは、遼一にスマホを返した。

「遼ちゃん、いろいろ面倒なことになってるけど、これからもよろしくお願いします。頼りにしてます。」

 サクラは正座して、遼一にお辞儀をした。

「頼りになれるよう、なられるよう?に頑張ります。」

「フフッ。でも遼ちゃん、もう芦屋のとこに行くのやめなよ。」

 そう言いながら、もう足を崩し始めた。

「大丈夫です。いや、大丈夫かどうかじゃなくて、霊を自由自在に操れるようになるには、芦屋さんに教わるしかないんです。俺、自分でも、なんか変わってきてるのがわかるんです。」

 サクラは、ふと初めて会った時の遼一を思い出した。やけにオロオロしてて、話すのが苦手だって言ってた。話し方は変わってないけど、あの頃に比べたら、まるで別人のようだ。

「もしも芦屋がママの霊を盗んだ犯人だったら、遼ちゃんだって狙われる可能性があるよ。もう一つ心配なのは、芦屋の望む通りに遼ちゃんの能力が高くなった時、優光の会に取り込もうとするんじゃないかって。」

「ちょっと待て。……サクラ、今、優光の会って言わなかったか。」

 ぬる燗を仕込んでたおじいさんが、優光の会に反応した。

「じいちゃん。優光の会、知ってんの。なんで?」

「ちょっと待て。」

 そういって、ぬる燗をお猪口に注いで、一口飲んだ。

「優光の会は、土御門家が設立した宗教法人だ。名前は違えど日本中にあるぞ、土御門家で設立した宗教法人は。強引な信者集めもしないし、詐欺のような金集めもしない。目的は俺も知らん。ずいぶん昔からあるぞ。」

「じいちゃんも行ったことあるの?」

「行く理由がない。新堂から聞いたぐらいで、その頃は新堂も設立理由は知らないって言ってた。まだ新堂も二十代の若者だったからなぁ。」

「新堂さん、亡くなったんだ。もしかしたら殺されたかもしれないの。誰かに霊を移されて。」

 サクラたちが賀茂神社に行った時のことを話した。第一発見者がサクラたちで、柳原が見たところ、外傷も無さそうなので、心臓麻痺などの突然死の可能性が高い。ただ、爪が変色していて、小さな血豆が数ヶ所あったから、霊を移して殺したのではないかとサクラたちは疑っている。

「源蔵が言うなら、間違いないだろうな。」

「どうして?」

 サクラが不思議そうに尋ねた。

「まさか、元刑事とかじゃないですよね。」

「そうだ。源蔵は、もともと刑事だよ。刑事の仕事をしながら手伝ってくれてたんだ。俺が引退する何年か前に辞めた。瑠璃子が心配だったんだろう。それにしても新堂を殺したのは、優光の会の誰かってことなのか?」

「優光の会の代表が、三年前に芦屋って人に突然変わったの。いろんな噂が流れてて、人を呪い殺してるとか。もし本当なら、霊を移せれば殺せるでしょ。で、見に行ったの。そしたら、芦屋の身体の色はママと同じくらい強かった。……じいちゃん、三年前なんだよ、ママの霊を盗まれたの。」

「……霊が残ってたのか。俺は葬儀のときも気づいてやれなかったんだなぁ。」

 おそらくサクラは、おじいさんが瑠璃子の霊の存在に気づいたら、きっと浄化しようとするからだ。しかし瑠璃子の霊の力はおじいさんの能力を遥かに凌ぐものだった。無理に浄化しようとすれば、間違いなくおじいさんは死んでいた。それがわかっていたから、あえて瑠璃子の霊を秘密にしていた。

「じいちゃんには、……言えなかった。」


 サクラのスマホに通知が来た。

「源ちゃんだ。」

 優光の会がらみの病死で、爪に変色及び血豆数ヶ所が確認できたのは、ジャーナリストの澤田京子と娘を虐待していた義理の父親。家族の証言が取れた。

「二人は、家族の証言が取れたって。……なんか怖いね。本当に人を殺してたんだって思ったら、やっぱり怖いよ。どうしよう。」

 サクラの手が小刻みに震えていた。

「もう、その辺にしなさい。お前たちがどうこうできる話じゃないだろ。優光の会の仕業なら、その背後に土御門家がいる可能性も高いぞ。」

「とりあえず、柳原さんにもう調査するのやめてもらいましょう。調べてるってバレたら、柳原さんが危険です。」

 サクラは、急いで柳原に電話した。優光の会と土御門家がつながってることも伝えた。

 優光の会と土御門家がつながっていて、瑠璃子の霊を盗んだとしたら、霊の所在は教団か研究所のどちらか。何か目的があるなら、研究所だと思う。芦屋の個人的な理由なら、教団に祀られてるかもしれないが。

「明日、またあの神社に連れて行ってもらえませんか?」

「あぁ、わかった。」

「遼ちゃん、お母さんにお土産買わなきゃね。」

 みんな、もうこの話題から離れようとした。


 翌日、美しい霊のある神社へ行き、遼一は全身が満たされるほどの霊を取り込んだ。そしておじいさんの車で越前大野駅ではなく、一時間かけて福井駅まで送ってもらった。

「サクラのことを頼んだぞ。」

「はい。」

 遼一とおじいさんは、固い握手を交わした。

「サクラ、また遊びに来なさい。」

「うん、じいちゃんも元気でね。」

 サクラと遼一の姿が見えなくなるまで、おじいさんは黙って見送った。

 

「なんか、いろいろあったね。」

 さくらは、またサングラスと帽子を被っていた。

「おじいさん、元気そうで良かったですね。」

「ねぇ、どうする。これから。」

「これからって?」

 遼一は腕を組み、困ったような顔でサクラを見た。

「なに、その目。なんか文句でもありそうじゃない。」

「もう、優光の会にかかわるの止めるんでしょ。」

「遼ちゃんは、どうすんの?」

 遼一も昨日の夜から考えていた。今のままだとまた強い霊を取り込んだときに対処ができない。浄化できるようになり、取り出せるようになり、芦屋のように無害、もしかしたら病気を治せる状態で人に移せるようになれればいいのに。サクラや柳原と一緒に浄化活動をしていれば、少しずつ経験を積めばなれるかもしれない。しかし芦屋に教われば、間違いなく早い。それは頭ではなく、遼一の身体がそう感じているからだ。

「俺は今まで通り、優光の会へ行きます。調査のためじゃなくて、今まで通り、心の病気の治療のため。心療内科の先生も来てるし、大丈夫です。サクラさんの浄化活動にも専念します。あ~、思い出した。サクラさん、優光の会の動画って編集終わりましたか?北川さんからアップする前に確認させてって釘刺されてたんです。」

「だいたい済んでるけど、アップするか迷ってた。すごくつまんない内容だし、あと遼ちゃん映ってるから。」

「あれも治療の一部で、人前で何かをするっていう練習だったんです。以前の俺だったら、今こうしてサクラさんと、まともに話もできなかったですよ。全然、気にしないでください。」

「ふ~ん、そうなんだ。」

 サクラは遼一から目を離し、外の景色を眺めた。

「楽しいの?」

「優光の会ですか?」

「うん。」

「心療内科の先生に言われたときは、抵抗ありましたよ。だって、宗教団体なんて怖いじゃないですか。でも行ってみたら、あそこに通ってる人たちがみんな良い人で。心療内科の先生に、俺が芦屋さんに似てるって言われたんです。」

 サクラの視線が、遼一に戻った。

「どういうこと?」

「芦屋さんも心の病気を持っていて、先生が治療したみたいです。治療っていっても心療内科だから、薬を出したり対話をするとかだと思うんですけど。芦屋さんって、本当に無口で、必要なこと以外話さないんです。顔の表情だって変わらないし。」

 遼一は話をしている自分に対し、感心していた。人と話をするのが苦手だったのに、今、サクラと普通に会話をしている。

「どうするかは、柳原さんと三人で考えましょう。」

「うん。」

 今、いくら話を重ねても、きっと何も生まれない。どうする?を永遠に繰り返すだけだと思った。

 サクラがサングラス越しに遼一を見てる。

「ねぇ、髪型とか気にしたことないの?」

「あっ、えっ?伸びてきて、邪魔になったら床屋さんへ行きます。」

「今度、私が行ってる美容室に連れてってあげる。」

「えぇ~、やめてください。緊張するし、恥ずかしいです。」

 困ってる遼一を見てるサクラの顔は、サングラス越しでもわかるくらいうれしそうだ。

「その心療内科の先生なら、絶対に行けって言うと思うよ。治療のためにって。」

 内村先生なら確かに言いそうだ。

「念のため、先生に確認してみます。」

 サクラは他の乗客のことを忘れて、思いっきり吹き出し、笑いだした。お腹を抱えて笑っている。口を押えて我慢し始めた。

「遼ちゃん。今度、一緒に洋服買ったり、ご飯食べに行こ。治療のために。これも先生に確認しといてね。」


 柳原が家まで送ってくれるというので、サクラと同じ駅で降りることになった。サクラが、少しだけでも三人で話したいというから。

「源ちゃん、刑事だったの!じいちゃんから聞いたよ。」

 サクラはいつものように後部座席へ乗り込むと、まずそれを聞いた。

「あぁ。」

 柳原は、そっけなく返事をした。

「お疲れ様です。助かります。」

「大変だったな、サクラとじいさんの相手で。」

「うわぁ、なにそれ。そんなことないよ。ねぇ、遼ちゃん。遼ちゃん、後ろに座ったら。」

「嫌です!」

「はやっ。」

 サクラは柳原に、優光の会は土御門家が設立した宗教法人だと説明した。それとサクラの父親が亡くなったとき、爪は変色してないし、血豆もなかったこと。

「そうか。俺は司さんの指までは見てなかったから、思い出せなかった。よかったな、サクラ。瑠璃子さんは、ずっと気にしてたからなぁ。」

「それで源ちゃん、しばらく調べるのやめよ。危ないから。」

「まぁ、そうだな。」

 柳原は、爪で頭をかいた。

「もしも犯人が優光の会なら、なんで土御門家の新堂を殺す理由があるんだ?」

「じいちゃんに会って、わかったこともあったけど、わかんなくなったこともでてきた。でも、源ちゃんが調べた結果で芦屋が人を殺してることだけは、はっきりした。」

「新堂が土御門家を裏切ったとか、なんかの秘密を握ったとか。新堂が殺されることを土御門家が知ってたのかが鍵だな。」

 柳原の推理通りだと思うが、遼一には、それをどう調べればいいのか見当もつかない。柳原がそれを調べれば、必ず危険にさらされる。

「やめてよ、源ちゃん。危ないから。」

「わかってるよ。ただ警察の知り合いに、病死でもなんでも爪が変色して血豆ができてる死体を見つけたら、連絡をくれるように言ってある。」

「病死じゃ、警察もわからないんじゃないですか?」

 遼一は素朴な疑問を投げかけた。

「例えば、顔の利く病院関係者に変な薬物が出回ってるから、そういう死体が出てきたら内緒で教えてくれ、とかさ。看護師にお小遣いを渡したり。いろいろやり方はあるんだよ。葬儀屋っていう手もあるしな。」

 なるほど、と感心したが、逆に恐ろしいなぁ、とも思った。

「……なるほど。」

 サクラと柳原は、しばらく黙って様子をみることにした。土御門家が本当に関わっていれば、必ずこっちの様子を探ってくる。まずは、新堂の件を報告に来るだろうから、それからまた考えることにした。

「みんな、勝手に動かないでね。」

 みんな、と言いながら、サクラは柳原の後頭部に語り掛けていた。


 遼一の自宅の前に到着した。

「柳原さん、ありがとうございました。サクラさん、楽しかったです。いつでも連絡ください。なんでもお手伝いしますので。」

 そう言って車から降りると、柳原に向かって丁寧にお辞儀をした。

 遼一の後ろから扉の開く音がした。

 遼一が振り向くと、遼一の母親が玄関から出てきたのだ。

「遼一!」

「あっ、……待って。」

 遼一は、蚊の鳴くような声で言った。もちろん、母親には聞こえない。

 後部座席の扉が開き、サクラが出てきた。

「初めまして。」

 帽子とサングラスを外したサクラが、遼一を通り過ぎて母親に挨拶をした。

「あっ。」と、遼一。

「あっ、えっ?」と、母親。

「森川サクラと申します。」と、サクラ。

「……ほっ、……本物?」

 そう言いながら、なぜか後ずさりをする母親。

「ご挨拶が遅れて、すいませんでした。」

 ニコニコしながら、母親に近づき、福井のお土産を渡した。

「あのぉ、お茶でも……。」

 車の前で固まってる遼一と目の前のサクラに視線を何度も移動させ、母親はあきらかに動揺していた。後ずさりの姿勢のまま、サクラからお土産を受け取る。

「いえ、マスコミの目がうるさいので、今日のところは帰ります。」

 そう言って、扉を開けたままの後部座席に戻っていった。

「遼ちゃん、またね。」

 サクラが車の扉を閉めると、柳原は静かに走り始めた。


 サクラのおかげで、母親から執拗に質問攻めにあっていた。相変わらず、家では部屋に立てこもっているので、自然に黙秘権を行使している。一応、サクラに迷惑がかかるから、と他の人には言わないよう母親に念を押した。

「ねぇ、ちょっとだけでいいから!」

 遼一の部屋の前で、母親が静かに訴える。

「……。」

「心配してんのよぉ。」

「……。」

 家族は両親と遼一の三人暮らし。兄もいるが、結婚して家を出た。遼一の病気を気にして、自分が家を出ることにしたのだ。不登校も繰り返し、就職しても転職を繰り返し、心の病が家族にも遼一にもプレッシャーをかけていた。

 そんな遼一の様子が、ここ最近変わってきた。

 突然、黙って外泊したり、女性と旅行に行ったり、まさかその相手が芸能人だったり。母親として驚きの連続で、いろいろ話を聞かせてほしかった。

「顔つきが変わったね。」と、遼一は母親に言われた。

 

 仕事は、以前のように黙々と作業する毎日。森内リーダーの意地悪も相変わらずで、ため息は出るが、以前のように夜まで気持ちを引きずることはなくなった。平野が、頻繁に声をかけてくれるようになった。これだけでも、会社の居心地は変わるものだった。森内リーダーの爪は、血豆が残ったぐらいで健康的な色に戻っていると、平野が教えてくれた。

 平野から週末に予定した飲み会の誘いが来た。

「すいません。今日も行くんですが、金曜日もヨガ教室なんです。」

 遼一は、飲み会に行きたくないので、嘘をついた。

 悪気が無いのはわかっているが、翌日には、かなりの範囲でヨガ教室の話が広まっていた。何人かに場所や料金などのシステムを尋ねられ、困ってしまった。

「飲み会に行ったほうが楽だったかもしれない。」と、以前なら絶対に思わないことを遼一は考えていた。それでも、黙って隅の方に座っていればという発想だが。

 優光の会で初めてサクラに会ったとき、会話の練習になると言われ、連れ出されたことを思い出した。本当にサクラと話すようになって、身構えることは少なくなった。母親に顔つきが変わったと言われたが、そういうことで遼一に話しかけやすくなったのだろうか。

 心臓の発作で倒れた設計の志村は、今も入院している。まだ不機嫌な坊主頭の男と同一人物なのか確認していないが、命に別条はないらしいということを朝のミーティングで聞いたので、とりあえず安心した。

 

 火曜日。いつものように仕事が終わると優光の会へ向かう。遼一にとっては、いつも通りの生活なので、あえてサクラには報告していない。それでも教団の前に近づくと足取りが重かった。

「遼一君。」

 後ろから声をかけてきたのは、内村先生だった。

「どうしたの、考え事?何でも話してね。あれだったら、中で聞くよ。」

 何かを察して、内村先生は優しく誘ってくれた。

「あっ、内村先生、こんにちは。」

 もう「今晩は」のほうが良かったか?とそんなことを気にしている。

「ヨガの特訓で忙しいのかな。まぁ、いつでも声掛けてよ。」

「はい。……あの、知り合いの女性に美容室へ連れてくと言われたんですけど。」

「はは~、この間のタレントさんでしょ。森川さんだっけ。行ってきなよ。」

「でも、緊張すると思うし、恥ずかしいです。迷惑をかけるかもしれないです。」

「遼一君。」

「はい。」

「大丈夫です。いつも通りでいいですから、身を任せてみましょう。必ず、美容室に行ってください。また経験値を上げましょうね。」

 

 その頃、森川サクラは優光の会にいた。奥の部屋に案内され、広報担当の北川を待っている。先日、YouTubeの撮影をした部屋だ。今日、柳原は同行せず、サクラ一人で来た。

「すいません、お待たせしました。」

 ノックをして、部屋に入ってきたのは北川と女性スタッフ一名。

「こちらこそ、突然お邪魔してすいません。」

 立ち上がり、お辞儀をして挨拶をした。

「どうぞ、おかけください。」

 女性スタッフが部屋にある冷蔵庫から、ペットボトルのお茶をテーブルに用意した。

「よろしかったら、どうぞ。」

「ありがとうございます。」

 そう言いながら、サクラはノートパソコンをテーブルに置き、電源を入れた。

「先日の動画の件ですよね。一応形だけなんですが、拝見させてください。あれっ、今日、風間も来てるようですけど。ちょっと、呼んでみますか?」

 北川がそう言うと、女性スタッフが立ち上がった。

「いえ、風間さんには後で会うことになってますから、大丈夫です。」

 サクラは慌てて、女性スタッフを制止するかのように手を挙げた。

 ノートパソコンをお互いが見えるよう横に向け、編集した動画をスタートさせた。


 遼一は通常のヨガ教室に参加していた。ほぼいつも通りのメンバーといつもの位置で、芦屋の動きに合わせてポーズを決める。あれだけ硬かった身体が、初心者クラスでは物足りないくらい楽に動けている。曜日や時間でレベルも変わるので、週一ペースなら、自分の上達に合わせてクラスを変えることができる。

 遼一にとってこの時間は、この後に続く特別レッスンのための準備運動だった。それでも酸欠になりそうだったハードな深呼吸さえ、負担を感じることもなく身体が鍛えられていた。

 通常のヨガ教室が間もなく終了する。最後に呼吸を整え、リラックスした状態をキープする。

 やっぱり怖くなってきた。みんなが片付けだし、各々に教室を出ていく。どんどん人がいなくなると、ますます恐怖心が膨れ上がる。

「ダメだ。」

 と、遼一の心が口走り、身体が教室から出ようと動き出した。

 その瞬間、遼一は誰かに手首をつかまれた。

 芦屋だ。

「あっ。」

 同時に遼一の身体に霊が入ってきたのもわかった。

「どうですか。」

 震えそうなほどの恐怖心が、嘘のように消えた。

 キョトンとした表情で芦屋を見る遼一は、軽く深呼吸をして、ゆっくり部屋を見渡した。

 最後の一人が教室を出ると、芦屋は遼一の手首を放し、自分の定位置に戻った。

「始めますよ。」

 ぼーっと立っている遼一に向かって、芦屋が言った。

「あっ、はい。……あの、これ、どうすればいいんですか?」

 自分の胸のあたりを指でさしたが、なぜか嫌な感じがしない。

「前回、風間さんからお預かりしたエネルギーです。原因はわからなかったので、お返しします。今日は、これを無力化しましょう。」

「すいません、芦屋さん。これが身体に入ったとき、違和感を感じなかったんですけど、どうしてですか?これが入った瞬間に、気持ちが落ち着きました。」

「簡単です。このエネルギーの強さよりも、今の風間さんが遥かに強いからです。」

 先週よりも強くなってるということを、どう受け止めてよいのかピンとこないが、受け入れてレッスンを始める以外に選択肢はなさそうだ。

 深呼吸から始まる。深く深く息を吸い、静かに息を止め、永遠に息を吐く。そして、更に吐き出す。これを十回繰り返す。

「風間さん、イメージしてください。透明で美しいもの。それを身体から解放してください。」

 遼一の頭に浮かんだ透明で美しいもの、福井の神社で身体に取り入れた霊。遼一の目には普通の歪んだ空気にしか見えなかったが、サクラの言う美しさを自分なりに想像していた。光り輝く苔、それを取り囲み神々しく輝く透明なもの。それを全身から解き放つ。

「ダメです。まだ身体に残ってるのがわかります。」

「そうですね。」

 芦屋は、遼一の身体を見つめ、わずかに首を傾けた。

「少し移してもらってもいいですか。」

「あっ、はい。」

 遼一は右手に意識を集中した。右手が歪み始めたとき、何かを感じ、すぐに思い出した。福井の神社の霊だ。どういうことだろう?確かにあの福井の霊をイメージしたが。

 芦屋が右手を遼一に差し出すと、スーっと身体の中に取り込んでいった。

「白く濁っていたエネルギーが、きれいに透けて見えます。濾過されて、異物が取り除かれたようです。」

 芦屋は、何かを感じ取るように言った。

「素晴らしい力ですね。」

 芦屋は、また首を傾げた。

「無力化するイメージが、難しいです。」

「無力化?無力化をする意味がありません。」

 今日の目標は、さっき取り込んだ霊を無力化することだったのに、意味がないと言い出した。

「では、ポーズをとるときに気の流れをイメージしてください。息を吸いながら身体中の気を肺に集めて、そして息を吐きながら右手の先から流れ出るように。」

 芦屋の言うとおり、気の流れを意識しながら、ポーズを真似した。レベルが高くなると、芦屋のようにバランスが取れなかったり、身体の柔軟性が足りなくてポーズを決めることが難しい。気の流れといっても、やはり霊を意識してしまうので、また右手が歪みだす。

「気にせず、そのままエネルギーを外に出してください。」

 芦屋の言う通り、右手から流れ出すイメージで意識を集中させている。それでも二十センチほどの霊の塊が、ゆっくり溢れるのを待って指先から零れ落ちていく。

 今日はいつもより、時間が長く感じる。


 編集した動画を観ながら、北川は小まめにメモを取っていた。サクラはその様子が気になっていたが、いまさら仕方がない。言われたように編集すればいいと諦めた。

「森川さん、よろしいですか。」

「はい。」

「提案があります。私のほうで用意する素材も使いたいのですが、いかがでしょう。この部屋だけの撮影でしたから、編集も苦労されたでしょう。もちろん、こちらで編集はさせていただきます。森川さんにお願いしたいのは、最終チェックです。ご要望通りに編集いたしますので。」

 苦労の跡を探すのが大変なくらい手抜きの編集に、言葉を選んでダメだしされたようなものだった。

「よろしくお願いします。」

 サクラは、素直に丸投げした。

 パソコンを北川に渡し、必要なデータを取り出してもらった。

「風間君ってさ、ここへ来るようになって何ヶ月になったかなぁ。内村先生の患者さんとして来てたんですよ。」

「心療内科の先生ですよね。」

「はい。実は私も内村先生に連れてこられたんです、患者として。何人もいますよ、そういう人。そもそも代表の芦屋さんだって、そうですから。」

「えっ、そうなんですか。」

 この教団がウチムラ・クリニックのリハビリ施設の役目も担っていた。内村自身も幼いころから心に病を抱え、いつか同じ病で苦しんでいる人を救いたいという思いから、医学の道に進んだらしい。

「教団の元代表は、内村先生の叔父にあたる方ですから。芦屋さんが新しい代表になった経緯は知りませんが、本堂の奥にご神体を(うつ)された時期と芦屋さんが代表になられた時期が同じ頃でしたね。実質的に教団を運営してるのは内村先生のお身内の方で、芦屋さんは世間でいう教祖の役割です。優光の会のシンボルですね。」

 遼一が慕っている内村が、教団関係者ということに、サクラは驚いた。内村が土御門家とつながっている可能性があるからだ。

「ヨガを習ってる人って、どのくらいいらっしゃるんですか?」

「そうですね、二百人は超してると思いますよ。」

「そんなにいるんですか!」

 当たり障りのない質問をしたつもりが、驚いてしまった。

 

 軽く世間話をして、また後日、連絡をもらうようになった。

「これから、どうしますか?」

 北川が、風間のことを気にして聞いてきた。

「連絡が来ることになってるので、ホールとか適当に時間つぶしてます。」

 本当はサクラが来ることを、遼一は知らない。

 動画の内容を確認してもらうことは口実で、サクラの目的はご神体として母親の霊を祀っていると思ったから。遼一や柳原には、しばらく行動しないと言いながら、実は福井から帰るときには、もうこのことを計画していた。まったく知らない人が犯人でもない限り、芦屋以外に考えられない。

 無謀な計画と思えるが、母親の霊に近づければ必ずわかる。霊を盗まれる3年前まで、サクラと母親の霊はつながっていたから。

「では、これで。私たちも帰るので。もしあれだったら、この部屋を使ってもらっても構いませんよ。」

「ありがとうございます。お言葉に甘えます。」

 サクラは、改めてお礼を言った。

「私は、もうしばらく事務所にいますので、何かあれば声をかけてください。」

「えっ、君、まだ帰らないんだ。」

 女性スタッフの言葉に北川が反応し、二人とも部屋を出て行った。

 

 出入口近くの事務所に内村が残っていた。

 「内村先生、お先に失礼します。」

 北川が打ち合わせの資料などを片付け、せわしなく事務所を出ようとした。

「あっ、そうだ、内村先生。打ち合わせで使った部屋に、まだ森川さんが残ってます。風間君が終わるまで待ってるそうですよ。」

「そうですか。わかりました。ヨガ教室が終わったら、芦屋さんと遼一君しかいませんからね。生徒さんたちが帰ったら、あとでご挨拶に行ってみます。」

「そうですか。よろしくお願いします。では、お先です。」

「お疲れ様です。」

 事務所を出る北川に、女性スタッフが声をかけた。彼女は内村に頼まれて、コーヒーを準備していた。


 サクラはパソコンを開き、適当に芸能ニュースのページを出した。そしてスマホを左手に持ち、扉から周辺を確認し、急いで部屋を出た。ヨガ教室の前を通ると、まだ人の気配があった。本殿に向かう通路は、日中しか使用しないためすでに薄暗く、外から差し込むわずかな明かりを頼りに歩いている。

 大きな扉があり、引き戸になっている。そ~っと身体一人分ほど開けたときに、後ろから足音が近づいてきた。慌てて中に入り、静かに扉を閉めた。スマホのライトを点け、隠れるところを探したが、大きな柱が二本と、奥に扉はあるが静かに歩くには遠い。

 サクラは、柱の後ろに隠れた。

 扉がゆっくり動く音。しかし電気を点けるわけでもなく、部屋の中は暗闇のまま。そっと柱から扉を見たが、扉は開いたままになっている。だが、そこに人はいない。間違いなく危険な状態だとサクラは察知した。警備員や見回りなら部屋の電気かライトを点けるはず。

「どうしよう。」

 耳を澄ませて足音を聞きたいのに、自分の心臓の音がうるさくて集中できない。

 後ろにいる。

 サクラが感じたのは、気配でも足音でもなく、霊だ。

 振り返って、スマホのライトを向けた。

 芦屋じゃない。知らない顔だ。しかも身体が半透明で数種類の色をまとっている。芦屋ほどではないが、霊を操れる人間だ。

「あなたが森川さんですか。」

 後ろにいた男は、サクラの腕をつかんだ。

「あれっ?」

 霊がサクラの身体に入らない。口から無理やり押し込もうと、手をサクラの顔に近づけた。

「……ママ?」

 男の手からサクラの口に、霊が吸い込まれていった。

 サクラの身体は震え、息を詰まらせたように苦しみだした。

 男はしばらく様子をみて、扉の方へ歩き出す。

 サクラの身体が崩れるように倒れた。

 一瞬、静寂に包まれたが、男の耳に唸り声が響き、振り返った。

 サクラの爪が床を引き裂き、身体を重そうに引きずる。その音がどんどん男に近づいていく。

「なんでだよ、やめろ!」

 男の顔は引きつり、逃げようとしても身体に力が入らない。

 サクラは大きな唸り声をあげた。サクラの声とは思えない、オオカミにでも威嚇されてるようだった。

 男の髪の毛をつかみ、後ろへ放り投げた。

「助けてくれぇ!」

 男は大きな声で叫ぶ。

 またサクラは、身体を引きずるように男に向かって歩き出した。

 ドンっ!

 男の横に立っている太い柱を強く叩き、男に襲い掛かった。

「……助けて。」

 サクラの左半身は動いていなかった。男が無我夢中で逃げようとモガいたら、サクラは体制を崩し、勢いよく転び、頭を床に叩きつけた。

 身体をバタバタさせながらも、奥の扉に向かって男は懸命に逃げた。

 サクラは頭から血を流し、身体を引きずりながら、怒り狂うような叫び声をあげたが、男は奥の扉から逃げていった。

 扉が完全に開き、誰かが部屋の電気を点けた。

 芦屋と遼一が駆け込んできた。

 そこにいたのは獣のように口を開け、目は血で染まり、まるで鬼のような形相のサクラだった。頭から血を流し、遼一たちを睨みつける。

 左半身が動かない身体を引きずり、唸り声をあげ、飛びかかろうとした。しかしサクラの身体は思うように動かず、また床に倒れ込んだ。

「サクラさん!」

 遼一はサクラに駆け寄り、起こそうとした。

「サクラさん!サクラさん!」

 サクラは遼一の肩を右手でつかみ、歯をむき出し、首に嚙みつこうとした。

 とっさに遼一は右腕を前に出し、首は守ったが、そのまま右腕を噛みつかれた。目の前のサクラの顔は、この世のものとは思えないほど恐ろしいものだった。

 遼一は、恐怖と痛みで気を失いそうになっていた。

 芦屋は、両手のひらをサクラの左胸に当てた。ドンっ!という鈍い音とともにサクラの身体は横に倒れた。以前、遼一の身体から霊を取り出した方法だ。しかしあの時とは違い、サクラの身体から飛び出したのは、三十センチ程度の小さな塊だった。噛みつかれている遼一も重なるように一緒に倒れた。

 鬼と化したサクラの顔が、徐々に元の美しい顔に戻っていった。しかし頭から流れる血は止まらず、目はかなり充血していて、呼吸も弱っている。

「救急車を呼んで、早く病院に連れて行ってください。」

「あっ、はい。」

 救急車を呼び、すぐに柳原に電話をした。

「……何があったんだろう。」

 芦屋は、胸を押さえてよろめき、不意に片膝をついた。

「大丈夫ですか、芦屋さん!」

「はい、取り出すエネルギーが強すぎて、反動を抑えられませんでした。それよりも風間さん、今、取り出したエネルギーをさっきのように変換してください。」

「俺も、サクラさんみたいになったら……。」

「いいから、急いでください!早く!」

 珍しく、芦屋が大きな声を出した。

「はいっ。」

 霊に近づき、左手を差し出した。少ないが身体に入るとき、ずっしりと重さを感じた。かなり強力な霊だということがわかる。

 遼一は心でイメージした。光り輝く苔、それを取り囲み神々しく輝く透明なもの。その中にサクラの美しい顔も浮かんだ。

 霊が自分の身体の中で変化した瞬間を感じることができた。硬いものが柔らかくなり、ザラザラしたものが滑らかになり、トゲトゲしたものが丸くなった。

「芦屋さん、終わりました。どうするんですか?」

「その女性に移しなさい。」

「サクラさんは、前にも移せなかったんです。」

「では霊を口に集中させて、直接移しなさい。」

「あっ、いや。」

「風間さん、早く!彼女が死んでもいいんですか!」

 芦屋の言葉に圧倒され、言われるがままにサクラの口から霊を移した。

 救急車よりも先に柳原が到着し、すぐに救急車も教団の前に到着したのがわかった。頭からの出血も止まり、呼吸も落ち着いている。まだ意識は無いが、遼一がサクラに移した霊の治癒力の効果を芦屋は気づいていたのだろう。

 サクラが担架で運ばれると、遼一は芦屋に礼をいうことも忘れ、そのまま救急車に乗った。柳原は芦屋に一礼し、自分の車で救急車に着いて行った。


 一人残った芦屋は、部屋の奥にある扉へ向かって歩き出した。

「大丈夫ですか、内村さん。」

 サクラに霊を移したのは内村だった。

「なんなんだ、あの化け物は⁉」

 内村も殺すつもりで霊を移したので、予想もしていなかった。

 本堂と呼んでいるさっきの部屋は、儀式のとき以外は使用しない大部屋で、通常は祭壇も無ければ、椅子やテーブルもない。内村の逃げ込んだ部屋は、儀式のときに必要な道具類が収納してある。そしてまたその奥に扉があり、サクラの母親、瑠璃子の霊が保管されていた。

「誰を殺しても構いませんが、殺されないように気をつけてくださいね。」

 いつもの無感情な芦屋に戻っていた。

「これ、ケガに効くようです。」

 そういって、ヨガのレッスン中に遼一が身体から取り出した霊を内村に移した。

「……風間さんを殺したら、許しませんからね。それと、瑠璃子さんの霊を勝手に使わないでください。また使ったら、遠慮なく殺します。」

 声のトーンが少しだけ低くなり、脅し以上の気持ちを内村に伝えた。

 バタバタと走って、誰かが本堂に入ってきた。さっきの女性スタッフだった。

「内村先生、大丈夫ですか?」

 女性スタッフは、内村に抱きついた。

「日下さん、内村さんも少しケガをしてるので、お願いしますね。」

 芦屋は、日下という女性スタッフに内村を任せ、帰っていった。


 病院に運ばれたサクラは、すぐに処置され、集中治療室に入った。病院長がサクラのおじいさんの知り合いで、柳原が手配してくれた。遼一もサクラに噛まれた腕を手当てしてもらい、柳原が家まで送ると言ってくれたが、遼一も病院に残ることにした。

「何があった?」

 サクラの意識が戻ってからと思ったが、柳原は我慢できなくなった。

「何をしに来てたのか、俺も知らなかったんです。芦屋さんにヨガを教わってるとき、建物の奥の方から物を叩くような音が聞こえてきて。それで芦屋さんと本堂に入ったら、サクラさんがいて……。近づいたら、襲い掛かってきました。それで腕を嚙まれたんです。」

「なんでサクラが、お前を襲ったんだ?」

「なんでって、わからないです。……サクラさんの中に霊が入ってました。」

「なにっ?サクラは霊を取り込めないんだぞ!」

「……。」

「悪かったなぁ。……今は、待つしかないな。」

 遼一に答えを求めたことを、柳原は後悔した。

 

 サクラに噛まれた腕の痛みが消えている。麻痺してる感覚でもない。遼一の身体に残っていた霊が、傷を癒してくれたのか。もう身体の中にあの霊の感触は残っていない。腕の痛みとともに消えている。

「……あっ!」

 寝ていた。

 薄い毛布、いやタオルケットが掛けられていて、枕元にメモ紙が置いてあった。

「家にいる。起きたら電話くれ。柳原」

 スマホを取り出し、電話をしようとしたら、まだ朝の5時だということに気づいた。柳原が家にいるなら、サクラは大丈夫なのだろう。そう思い、スマホを枕元に置き、もう少し寝ることにした。

 

 容態も安定していて、サクラは一般の病室に移った。脇腹の少し上の方に打撲の痕があったが、骨や内臓にも異常はなく、問題はないということだった。

「ごめんね、遼ちゃん。……源ちゃんも、ごめんなさい。」

 サクラは、二人に内緒で行動したことを謝った。

「だいたいな、人には勝手に動くなって言っておきながら、どういうつもりだ、サクラ!」

 難しそうな表情の柳原は、腕を組んだまま少し大きな声をあげた。柳原にとってサクラは、何ものにも代えがたい娘のような存在なのだ。サクラにもしものことがあったら、瑠璃子に申し訳が立たない。

「こいつがいなかったら、……。」

 柳原が泣き出してしまった。緊張の糸が切れたのか、自分でも抑えられなくなっている。

「本当にごめんね。……遼ちゃんが助けてくれたんだね。」

「いや、芦屋さんがいたから、助けることができたんだ。芦屋さんがサクラさんに憑いた霊を取り出してくれたから。」

「私に霊が?どうして?」

「わからない。でも本堂にはサクラさんしかいなくて。頭から血が流れてて、身体をヨタヨタ引きずってて、……。」

「うわぁ、なんでぇ?本当に私なの。」

「それに顔が、……。」

「もう、やめて!それ以上聞きたくない!」

 サクラは、そんな姿を遼一に見られたことが恥ずかしかった。

「ゆっくり休もう、サクラさん。それに霊をサクラさんに移したのは芦屋さんじゃない。間違いなく他にいる。」

「うん。」

 サクラは、遼一の言葉遣いが変わっていることに気づき、少しニヤけてしまった。

「おっ、この病院に爪が変色して血豆のある患者がいるってさ。」

 柳原のスマホにさっそく情報網の通知が来たらしい。

「……っつうか、森川サクラだってよ。」

 柳原がスマホの画面を見せ、サクラが自分の爪を見せた。

 個人情報なんて、あったもんじゃない。しかし自分の爪が霊を取り込んだ証拠になった。

「どうやって霊が入ったんだろう?」

 サクラは不思議だった。今までに経験がなかったから。

「たぶん、口からだと思う。」

 遼一は、うつむいたまま答えた。

「あぁ、だからお前、サクラとキスしてたのか。」

「えぇ~っ!」と、サクラ。

「あっ、いや、あの……。芦屋さんに、早くしないと死ぬって言われて。」

 サクラにこれ以上聞きたくないと言われたが、嫌な話を続けることになった。

 その時のサクラの顔は、本当に鬼のようで恐ろしかった。芦屋がサクラから霊を取り出いても、頭からの出血は止まらず、呼吸も弱まっていた。サクラから取り出した霊を遼一の身体に取り込み、それをサクラに移した。

「身体に取り込んだ霊を、福井の神社にあった霊と同じような性質に変えられたんだ。芦屋さんは、その霊に治癒力があるってわかったみたいで。……すぐに頭の出血も止まったし、呼吸も落ち着いた。」

「誰がサクラに霊を移したんだ?」

 柳原が椅子から立ち上がり、辺りをうろうろと歩き始めた。

「ちょっと待って!サクラさん、本当に覚えてないの。霊を移したってことは、サクラさんを本気で殺そうとしたってことだよ!」

「芦屋ってやつじゃなかったら、他にもいるってことだろ、霊を操るやつが!」

 柳原は、外の景色を見始めた。落ち着かなくて、じっとしていられない。

「あれっ?どうしてサクラさんは、……。」

 あの恐ろしい形相のサクラは、あのとき本当に鬼になっていたんだ。

「サクラさん。サクラさんが移された霊、あれ、きっとお母さんだよ。だから、サクラさんは突然死じゃなくて、鬼になったんだ。おじいさんが言ってたよね。確か親兄弟の血が混ざると鬼になるって。30センチぐらいの霊なのに、サクラさんの身体から取り出した後、芦屋さんがフラついてた。とんでもなく強力な霊だったんだ。」

 遼一は、思いつくままに口走った。サクラの表情も見ないで。

「ごめん、ちょっと一人にしてもらってもいいかな。」

 サクラの言葉に、やっと遼一も気づいた。

 無神経だった。「母親の霊に殺されかけた」といったようなものだ。悲しい、苦しい、寂しい。そんな女性にかける言葉を遼一は知らない。なんと言って病室を出ればいいのかわからない。でも心配で仕方がない。

「帰るぞ。」

 柳原が、遼一に声をかけた。

「はい。……あっ、さくらさん、退院したら山登りに行きませんか。」

 言葉にはならなかったが、サクラは「うん。」と頷き、手を振った。

 病室を出た遼一は、サクラが怒ってるわけではないと思い、ホッとした。

 

 雨が降っていた。会社も休んでしまったし、柳原に車で家まで送ると言われたが、なんとなく家には帰りたくない。病院のロビーは人で溢れていた。

「柳原さん、土御門家の人と話がしたいんですけど。」

「なんの話がしたいんだ?」

「新堂さんは事故だったのかと、土御門家と優光の会の関係です。ついでに霊の研究とかも。新堂さんの話の内容によってですけど。」

「直球、ど真ん中だな。土御門家が敵なら危ねぇけど、味方ならサクラを守ってもらえる。なんかお前、変わったな。」

「最近、母親にも言われました。そうなんですかね。」

 すぐに柳原は土御門家へ電話してくれた。

「新しい担当者と会うことになった。午後から賀茂神社だ。時間もあるし、今のうちに昼飯食っとくか。」

 

 賀茂神社に近い、柳原が行きつけの定食屋に入った。町中華というやつだ。

「なに食べる?」

 遼一は外食の経験が、ほぼ無い。メニュー豊富というのが、逆にハードルを上げている。何を頼めばいいのか悩んでしまう。それにネギが苦手なので、食べたいというより、食べられるメニューを探さなければならない。福井の蕎麦屋は助かった。蕎麦のネギが別皿だったし、醤油かつ丼も白髪ねぎがきれいに飾られてるだけだったから、外しやすかった。サクラに笑われ、おじいさんには呆れられたが。

「ネギが嫌いなんだろ。サクラから聞いてる。」

 バレてるし。

「唐揚げとニラレバと麻婆豆腐にラーメンふたつ。全部ネギ抜きで。」

「ありがとうございます。」

「適当につまんでくれ。足りなかったら、追加する。」

 恥ずかしくて、ネギ抜きが言えなかったから、ラーメンを食べたことが無かった。家族で外食も、遼一がいるとファミレスか回転ずしだった。

 ラーメンが目の前に来た。

「いただきます。」

 遼一はレンゲでスープを一口飲んだ。うまい。こんなに美味しいものを、今まで食べなかったことに心の底から後悔した。

「ラーメンって、すごく美味しいですね!」

 柳原は、まさか初めて食べたわけじゃないよな?という疑惑が頭をよぎる。

 無意識に入院中のサクラに電話をかけてしまった。

「悪いな、こんなときに。なぁ、こいつ、生まれて初めてラーメンを食べたのかもしれない。」

 そう言って、テレビ電話に切り替えた。

「ほら。」

 一心不乱にラーメンを食べる遼一を見せた。

「ありがとう、源ちゃん。元気出た。」

「サクラ、一緒に飯を食いに行ったら、ネギ抜きって言ってやれよ。」

「わかった。」


「食べながらでいいんだけど、考えてることを教えてくれ。」

 土御門家の人間と、この段階で話をしたいというのは、ある程度、遼一に考えがあるはずだと思っていた。

「あっ、はい。」

 まわりに他のお客もいるので、なるべく小声で話した。

 サクラを襲ったのは、間違いなく優光の会の人間。おそらく瑠璃子の霊も優光の会にあるはず。土御門家は全国組織なので、組織としてのつながりはあっても、殺人が絡む事件にかかわることは考えにくい。仮に土御門家が主体の犯罪なら、似たような事件が日本中で起きていてもおかしくない。むしろ新堂が、土御門家とは別の理由で優光の会と関係があれば、証拠隠滅のために襲われた可能性も出てくる。

「例えば、サクラさんのお母さんの霊に関係してるとか。」

「なるほど。……病院で、そんなことまで考えてたのか。」

「まだ何の接点も無いのが、サクラさんのお母さんと一緒にいた男性です。それとお母さんを殺した犯人は病気で死んだんですよね。でもその病気が霊による殺人なら、その犯人を殺した人も未知なる存在です。」

「瑠璃子さんと一緒にいた男は、俺も何度か見てる。瑠璃子さんを殺した犯人のことは、今、調べてもらってるよ。爪の血豆と変色。そんなのがあったら、絶対、記録に残ってるはずだからな。」

 感情的なった柳原は、指で握っていた割り箸を自分の太ももに叩きつけた。割り箸は、バキッと折れて、まわりの注目を集めてしまった。

「そろそろ行くか。」

 最後の唐揚げを口に入れて、柳原は席を立った。


 食べ過ぎた身体で、賀茂神社までの登りはキツい。しかも雨上がりで、足元も滑りやすかった。

 神社の敷地にある建物の中に入り、土御門家の新しい担当者が来る前にお湯を沸かした。柳原は独身生活が長いためか、そういったことの手際がいい。

「新しい担当者って、新堂さんの子供ですか?」

「知らねぇよ、俺に聞くな。」

 柳原が二人分のお茶を淹れ、先に飲み始めた。

 コンコンと、玄関の扉をノックする音。

「失礼します。」

 スーツ姿の男が二人、入ってきた。

「今後、担当させていただく。藤原です。」

 体格の良い、体育会系というタイプなのか、声がデカい。遼一よりも年齢は上に見える。

 その後ろから入ってきたのは、新堂の事故の立ち合いに来た男だった。

「遠藤といいます。今回お二人が聞きたい話は、新堂のことですよね。」

 遠藤は、藤原に外で待つよう指示した。

「わかりました。これと照らし合わせて、一応チェックします。」

 藤原は資料のようなものを持って、建物から出て行った。

「まず、新堂は病死です。心筋梗塞と判断されました。あなた方は、新堂から何か聞いてるんですか?」

「何かとは、具体的にどんなことでしょうか?」

 遼一は答えずに、逆に質問する。最初から腹の探り合いになった。

「私は土御門家の本部に在籍していますが、研究施設にも携わっており、今回の新堂の件に疑問を持っています。」

「爪のことですか?」

 遼一と遠藤のやり取りにイライラしながらも、柳原は黙って聞いていた。遠藤のようなタイプは苦手なのだ。新堂のことも苦手だったから、よほどのことでもない限り話に入ろうとは思ってなかった。

「知ってるんですね。……そうですか。」

 遠藤は、これまでの経緯を話し始めた。

 やはり遠藤も、新堂の爪の変色と複数の血豆が気になった。賀茂家の霊に関する資料を調べたら、そういう記述も確かにあった。しかし信憑性に欠けるため、報告しなかった。

「インターネットの掲示板に、『呪われて死ぬと、爪に血豆ができて変色する』というのが出てきました。優光の会絡みです。以前にも、芦屋のことで同じようなものが出ていました。最近、『爪のことを刑事が調べてた』というのもあります。心当たりはありますか?」

 遠藤は、柳原に向かって尋ねた。

 すると観念したように、柳原はスマホの画面を前に出し、スクロールさせた。

「これ全部、爪の変色と血豆があった遺体のリストだ。」

「何件あるんですか!」

 あまりの多さに、遼一は驚いた。

「サクラのも入ってるから、入院中とか、情報がダブってるのもある。それでも三十件以上はあるな。」

「では、信憑性はあるということですね。」

「あぁ、霊と爪の関係性なら、サクラが証明できる。昨日、霊を移されて殺されそうになったからな。爪にしっかり血豆ができたよ、変色も。」

「それで、入院されてるんですか。」

 遠藤も、森川サクラが入院していることは電話で聞いていたが、状況がそこまで切迫しているとは思ってもみなかった。

「新堂さんと優光の会のつながりはあるんですか?」

「ご存じの通り、優光の会の設立には土御門家が携わっています。前の代表と新堂は面識があったようですが、新しい方とは記録は残っていませんでした。新堂の事件に関係しているとは考えにくいですね。」

「でも新堂さんだけじゃなく、他に三十件以上もあるんですよ。サクラさんは、優光の会の誰かに襲われました。」

「そのすべてが優光の会に関係していると証明できればいいのですが、物理的な事件ではないので、証拠を探すのはおそらく不可能でしょう。」

 遠藤の言う通りだ。三十件という他の事件がなおさら話を複雑にした。監視カメラに被害者と優光の会の人間が話をしていても、たとえ握手をしていても、殺人の証拠にはならない。

「遠藤さん。俺たちが知りたいのは、誰が瑠璃子さんの霊を盗んだのかってことなんだよ!」

 回りくどい話に痺れを切らし、柳原はストレートに聞いた。

「瑠璃子さんというのは、サクラさんのお母さんのことですね。霊を盗まれた話は初めて聞きましたが、どういうことですか?」

 遠藤の驚いた顔は、とても演技には思えない。本当に知らないようだ。瑠璃子と面識はなかったが、あの殺人事件は土御門家にも衝撃が走った。

「瑠璃子さんが殺されたとき、誰も浄化できない強力な霊が残った。祠を建てて、その中に和紙を蝋で固めた囲いを作り、霊が動かないようにするはずだったんだが、新堂が霊を密閉できるっていう素材を使って本殿に移動したんだ。土御門家の研究施設で開発した素材だって新堂が言ってた。それが三年前に、誰かが瑠璃子さんの霊を盗みやがった。」

「つまり、その、三年前にまたその素材が、盗むのに使われたんじゃないかって。」

 遼一が柳原の言葉に付け足すように言った。

「なるほど、確認してみます。霊が盗まれた日付を教えてください。」

 遠藤は土御門家に電話を掛けた。その素材の使用に関する記録、新堂のパソコンやスマホに優光の会関連の履歴があるか。

「柳原さん、先ほどの情報を土御門家で調べてもよろしいですか?」

 柳原は黙ってメールの画面を開き、遠藤に渡した。スマホを受け取った遠藤は、そのメールを自分のアドレスに転送し、柳原にスマホを返した。遠藤はその情報の中を確認し、文章を付け加えて転送した。

「遠藤さんも土御門家の末裔なんですか?」

「違いますよ。」

 土御門家というのは組織の名称で、この組織の中に末裔はいない。という説明を遠藤はあえてしなかった。

「遠藤さん、もう一つだけいいですか?」

「はい。……あっ、ちょっといいですか。霊が盗まれる少し前に、新堂がその素材を持ち出しています。」

 優光の会との電話やメールの履歴はまだ確認できないが、新堂が霊の盗難にかかわっている可能性はでてきた。

「で、風間さん、なんですか?」

 遠藤は、パソコンで何かを確認していた。

「あっ、……いや。何でもないです。」

 遼一が聞こうとしたことは、遼一や柳原のような霊を操る人を土御門家がどのくらい把握しているのか?芦屋のことは知っていたのか?しかし今それを知ったところで、きっと話が紛らわしくなると思い、聞くのをやめた。

「藤原さんに、聞かれるのはまずいんですか?」

 ずっと外にいる新しい担当者のことが気になった。

「話は最初から聞いてますよ。これ、つながってますから。私に何かあった場合の備えです。サクラさんが襲われたと言われたので、藤原は今、護衛のために病院へ向かってます。もう、お互いの疑いは晴れたようですし。」

 藤原を外に出していたのは、新堂殺害の疑いが遼一たちにもあったから。霊を使った殺人なら、まず一番の容疑者と考えるのは当然だった。

「まぁ、そうだな。考えもしなかったが、そりゃそうだよな。」

 柳原は、バツが悪そうに遼一の顔を見ながら、頭を搔いた。

「そのパソコンって、賀茂家の霊に関する資料とか歴史も見られるんですか?」

「パスワードを知ってる一部の人間だけなら。」

 遼一の質問に対し、遠藤は、質問の内容によってはという意味を含ませた。

「……鬼です。」

 サクラのおじいさんが言っていた賀茂家の鬼伝説。セックスと血の話を聞いていたが、資料には他にどんな鬼のことが載っているのだろうか。手術中に、鬼になった人は出血多量で死んだと言っていたが、鬼になった後のことが知りたい。

「そのことに関しては、伝承、文献ともにいつの時代にもありました。それらを分析して仮説を立てたものがあります。もちろん検証はできませんが。……すべて目を通してもらっても構いませんけど、どうされますか?」

 遼一は、顔と手を横に何度も振った。

「鬼になったら、その後どうなるんですか?」

 遼一の質問に合わせて、遠藤がパソコンのキーを打ち始めた。

「うん?不完全な鬼は動きが鈍く、その場で殺されてます。不完全とは、どういう状態なのかわかりませんが。完全な鬼は動きが素早く、生きている人間の魂を喰らう。人里離れた場所に住み、腹が減ると生きた人間の魂を喰らいに来る。分析の結果では、霊を移されたことが原因になってます。血の話は現代だけですね。セックスも霊を移した事例と考えられています。」

「完全な鬼になったら、もう人には戻れないんですか?」

「わかりません。そういう事例が無いので。……サクラさんと関係があるんですか?」

 遠藤の表情が険しくなった。

「もしも鬼が現れたら、退治しなくてはいけません。そのときは、あなた方にも協力していただきます。土御門家があらゆる手段を講じて、鬼の首を刎ねます。」

 遼一は、その重くシリアスな言葉にサクラの首が刎ねられることを想像し、一気に何かが込み上げてトイレに駆け込んだ。

 柳原は頭を抱え、遠藤は黙って目を閉じ、遼一の嗚咽が治まるのを静かに待った。涙目になり、疲れた顔でトイレから出てきた。

「サクラさんに何かあったんですね。」

「優光の会の本堂で、鬼のような形相をしたサクラさんが、足を引きずりながら襲ってきました。芦屋さんが、サクラさんの身体から霊を出してくれたんです。サクラさんの身体にあった霊は三十センチ程度の小さな塊でした。誰かが、サクラさんにお母さんの霊を移したんです。」

「こいつから連絡が来て、俺が着いた頃にはいつものサクラの顔だったよ。ぐったり倒れてたけどな。サクラがどうしたいのかは知らねぇけど、俺は瑠璃子さんの霊が悪いことに使われてるってことが許せねぇんだ!」

 柳原は、自分の太ももを強く何度も叩いた。

「柳原さん、これからどうしますか?」

 遠藤は、柳原に無茶な行動をするな、という意味を込めて尋ねた。

「そうだな。とりあえず、サクラが退院してから考えるしかねぇだろ。無茶もできねぇしな。」

「土御門家が組織として動くときには、必ず連絡します。ですから柳原さんも、何かされるときは必ず連絡をください。お願いします。」

 遠藤は、さらに念を押すような形で、柳原に釘を刺した。

 土御門家が敵じゃないだけで、ホッとした。遼一の中で一番の心配はそのことだったから。だが、気になることがもう一つ。十年前、瑠璃子と一緒にいたという男性の正体だ。

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