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呪いの正体

 森川サクラはバラエティー番組のロケで、廃墟となった旅館に来ていた。これから霊能力者の龍玄、お笑いコンビK-スタイル、そしてバラエティータレント森川サクラの4人で、廃墟旅館をさまよう霊に会うという番組のロケが始まる。

 サクラは霊が見える。霊を操れる人もわかる。だから龍玄に霊が見えないことも知っている。サクラはそういう家系に生まれたからだ。

「うわぁぁぁぁぁぁぁ。なんか音が聞こえたぁ!」

「うわぁ!そこの人形動きましたよね。」

「今、私の肩に触ったの誰!」

 進行通りロケが進む。初めの頃は冷静を装う龍玄だったが、ロケが進むにつれてパフォーマンスも大きくなってきた。そして左手に握った大量の塩をK-スタイルの二人に叩きつけたのだ。

「うぇ、何するんすかぁ!」

 床に転がったり、口の中に入った塩を吐き出しながら、大げさなリアクションで応戦するK-スタイル。

「ふう、危うく憑りつかれるところだったぞ。」

 そういって龍玄は、力強い声でお経を唱え始めた。

 このコントにしか見えないやり取りに突っ込みを入れたり、驚いたり、笑ったりと反応するのがサクラのタレントとしての仕事。

 しかし森川家に代々伝わる使命は、亡くなった人が残した霊を浄化すること。サクラも母から受け継いだ使命を引き継いでいる。自分のYouTubeチャンネルで心霊スポット巡りを始めたら、コメント欄に怪しいスポットを書き込んでくれる人が増えたので、たまっている霊の塊を探しやすくなった。

 おかげで心霊スポット的なロケの仕事が舞い込んでくる。

 階段を下りた先に大浴場がある。

「待てっ!」

 龍玄がスタッフを含む全員を制止し、身振りで写真を撮るように促す。テレビカメラもズームで寄る。

「あそこに近寄るでない!」

 龍玄は、塩を思いっきり叩きつけるパフォーマンスをし、またお経を唱え始めた。龍玄のお祓いパターンはあまり種類がないので、多少バリエーションを変えても、観ていて飽きてしまう。

「龍玄さん、助けて!足が、足がぁ!」

 脱衣所でサクラが助けを呼ぶ。

 急いで龍玄がサクラの元へ駆けつけ、足元を見る。

「サクラちゃん。これは霊の仕業じゃなくて、床板に挟まってるだけだよ。」

 龍玄が、ニコッと笑って助けてくれた。

 そうやって、他のキャストが盛り上げる十五分ほどのコーナー。

 

「森川さん。」

 撮影終了後、霊能力者の龍玄に声をかけられた。

「お疲れ様。森川さんは、幽霊とか怖くないの?」

「あっ、お疲れ様です。そうですね。幽霊に脅かされたり、怖い目にあってないので、今のところは大丈夫です。」

「なるほどね。いや、森川さんのリアクションとか突っ込みが楽しくって、ちょっと調子に乗りすぎました。ごめんなさい。また他の現場でもよろしくお願いしますね。」

 龍玄は軽く頭を下げて、撤収作業中のスタッフの方へ歩いて行った。インチキ霊能力者で胡散臭いと思っていたが、真面目に目の前の仕事に取り組んでいるちゃんとしたタレントだ。サクラは心の中で「ごめんなさい。」と謝った。


 今日は心霊スポットではなく、奇跡の治癒能力と恐怖の呪いが話題の宗教法人優光の会に突撃するということになった。突撃といっても、事前に打ち合わせも済んでおり、最終的には優光の会の宣伝になるような動画の予定。もちろん、教祖の芦屋正太郎は出演しないから、タイトルのわりに中身の無いものになる。

 森川サクラの目的はYouTubeの話題作りではなく、霊を操るのは誰なのか?芦屋は霊を操れるのか?芦屋は利用されているだけなのか?を調べること。

「こんにちはぁ。突撃!心霊スポットで晩ごはん。の森川サクラです。今日は、夜でもなければ、心霊スポットでもなく、きれいな応接室。なんと宗教法人優光の会に来ています!奇跡の治癒能力と恐怖の呪いは本当なのか?ということで、今日はよろしくお願いします。」

「こちらこそ、よろしくお願いします。宗教法人優光の会の広報を担当しております、北川と申します。」

「みなさん、スーツとか、私服なんですね。勝手なイメージなんですけど、宗教団体の人って、制服っていうか、お揃いの修行服みたいなのを想像してました。」

「芦屋が代表になってからは、まだ三年ほどですが、それ以前から宗教法人として活動していました。私の知ってる限りでもお揃いの服で活動したことはないと思います。もちろん、儀式のときは正装ですよ。」

「優光の会って、芦屋さんが作ったのかと思ってました!昔からあったんですか?あれっ、なんで芦屋さんが教祖なんですか?」

「芦屋と優光の会の元の代表を引き合わせた方がいまして、信仰や教義はそのままで、芦屋のヨガと悩みや相談のサロンを取り入れる今の形で合意したんです。」

「引き合わせた方のお名前は?」と、サクラが質問したところで中止になった。

 スーツを着た年配の男性からクレームが入った。打ち合わせと違うということだ。まぁ、最初の質問から違うし、怒られても仕方がない。ただ北川がスーツの男性に謝っている姿を見ると、サクラとしてもバツが悪かった。

 そして打ち合わせ通りのつまらない質問と回答をしばらく続けていると、コンコンと、扉を叩く音とともに風間遼一が入ってきた。

「あっ、紹介します。今日、ヨガとサロンについての質疑応答を担当します風間です。」

 北川に紹介されるまま、遼一もソファーに座った。

「風間です。よろしくお願いします。」

 緊張気味の遼一は、座ってから自己紹介をしてしまった。しかしそんなことより、サクラが気になったのは、遼一が霊を操れる人だということ。そんなに強い能力があるようには見えないが、芦屋以外にも霊を操れる人がいた。

 そしてまた、つまらない質問と回答が繰り返され、一旦、休憩に入った。

「収録がおわったら、ヨガのレッスン風景と悩み相談のサロンも見学してもいいですか?できれば撮影も。」

「撮影は無しでお願いします。見学だけならいいですよ。でも、誰にも声をかけないでくださいね。来られてる皆さんにとって、とても大切で貴重な時間ですから。風間が案内します。」

 驚いた顔で遼一は、北川を見た。しかし北川は、優しい表情でコクリと促すような仕草をした。

 

 収録が終わり、遼一が見学の案内を始めた。この時間は、まだ悩みや相談のサロンは行っていなかったので、建物内を見学することになった。その後、ヨガのレッスンを見学する。サクラの目的は、霊を操れる人を探すことなので、サロンやヨガの内容はどうでもよかった。

 それよりも遼一の能力が気になる。まさか、この人が霊を操って澤田京子を殺したのか?他にも何人か教団にかかわる人たちが死んでいる。サクラの見る限り、遼一にはまだそこまでの能力はないと感じた。

 ヨガのレッスンがサクラの目に入ったとき、血の気が引くほどの恐怖を感じた。ヨガの指導をしている人間の身体に半透明の複数の色が力強くまとわりついている。サクラが今までに見たことのないレベルの能力者だ。

「教えてる人が芦屋です。」

 遼一は、レッスンの邪魔にならない程度の小さな声で言った。ただでさえ会話が苦手なのに、しかもテレビに出てる女の人と普通に会話などハードルが高過ぎる。

 見学も終わり、片付けも終えて、挨拶も済ませ建物を出た。そのあとを北川と遼一の二人が外まで見送りに来た。

「今日は、ありがとうございました。」

 見送りに出てくれた二人にお礼を言った。

「うまく話が出来なくて、すいませんでした。」

「風間さんは人間関係が苦手で、ここに来たって言ってましたよね。そういうことも良い意味で伝わると思いますから、いいと思います。あっ、今度、私の動画、手伝ってくださいよ。女子との会話の練習になりますよ。」

 思いつきだったが、サクラとしては芦屋のことを聞き出したいし、この風間という男の霊を操る能力がどの程度か知りたかった。

「いいですよ。」

 なぜか北川が返事をし、勝手に話が進んでいった。遼一の意思とは無関係に、夜、心霊スポットでご飯を食べる動画の手伝いをすることになった。


 森川サクラを乗せた車が、風間遼一の家に向かっている。運転しているのは柳原源蔵という男で、五十代独身、霊を操れる人。サクラの母の手伝いもしていた。サクラが見つけた霊を自分の身体に取り込み、浄化する。人に移すことはできない。

「どこまで話すんだ?」

「う~ん。一応、全部話すつもり。能力を自覚してればね。自覚してなきゃ、ただのオカルト話だから、そんときは目覚めさせる。」

 約束の時間より二十分早く着いたが、遼一はすでに家の前の道路に出ていた。柳原の顔は優光の会で会っていたし、柳原のほうも遼一の顔を覚えていた。柳原は手で後ろに乗れと合図した。

「失礼します。」

「こんばんは。よろしくね。風間君。」

「あっ、はい。」

 遼一は恥ずかしいし、緊張するし、来たのはいいが、どうしていいのかわからない。しかも相手は元アイドルだ。

「風間君、幽霊って信じる?」

 数か月前にも、同じ質問をされた。遼一は、久しぶりに内村先生のことを思い出した。

「怖いって思ってるのは、信じてるってことなんだって言われました。心療内科の先生ですけど。」

「私ねぇ、幽霊が見えるんだ。気持ち悪い?引いた?引くよねぇ。」

「そんなことないです!俺の場合、みんなが言うような人の顔とかじゃないんですけど、空気が歪んで見えるんですよ。ある人が言うには、生き物が死んだときに残ってしまったエネルギーが霊なんだって。」

「ある人って、……芦屋さんでしょ。」

「えっ、どうしてわかるんですか?」

「安心して、芦屋さんがすごい霊能力を持ってるのはわかってるから。私は見えるだけ。ただ風間君よりは、はっきり見える。私が見つけて、源ちゃんが身体に取り込んで浄化する。そんなことを私の家系は、平安時代からやってんのよ。」

「平安時代?」

「昔は怨霊とか祟りとかいって、陰陽師が頑張ってたんだけど、まったく解決しなくて。ウチの先祖もそんとき陰陽師で、術とか使えなかったんだけど、死んだ人が残した霊の塊が見えることに気づいたんだって。」

 以前の遼一なら絶対信じないし、怖いから聞くのも拒絶したはずだ。しかし今日を含めた数か月間に出会った人たちのせいで、自分のいる場所が変わってしまったようだ。先祖が陰陽師なんて現実の話とは思えないのに、その現実が目の前にいる。

 

「こんばんはぁ。突撃!心霊スポットで晩ごはん。の森川サクラです。今日は、鉄道の廃線になったトンネル跡。お弁当を持って、行ってきま~す。」

 YouTubeの撮影をしながら、霊の塊を見つけると、一旦撮影をやめる。

「これ見える?」

 サクラが、遼一に話しかける。

「歪んでるのはわかりますけど、ライトの明かりでなんとか。」

「それでも歪んで見えるんだ。源ちゃんは、これ見えないよね。」

 柳原が近づいてくる。

「源ちゃん、ここね。風間君、よく見てて。」

 サクラが指で示す場所に柳原が立ち、霊の塊に向かって握手を求めるように手を伸ばす。すると遼一の目には、歪んだ空気がみるみると柳原の身体に吸い込まれていくのが見える。ほんの数秒で吸い終わった。柳原の様子に変化はなく、何事もないように、またサクラの後ろに戻った。

「風間君。……風間くん!だいじょうぶ?」

「いや、あの、柳原さんは大丈夫なんですか?」

 我に返った遼一は、そう言いながら少し後ろによろけてしまった。

(かさ)なのか、重さなのか知らんけど、これが限界。吸い切れてないのが、そこに残ってるはずだ。」

「あのくらいなら、もう自然に消滅するはず。……風間君。源ちゃんは霊を身体に取り込んで浄化できるの。それでね、強い霊の塊をそのままにしておくと、誰かがそういう場所に近づいて、知らないうちに霊を身体に取り込んじゃうんだ。体調が悪くなったり、病気になったり。最悪、死んじゃう。」

「死んじゃう?祟りとか呪いですか!」

「普通に言えば、霊が憑りついて殺したってことになるから、そうなのかな?でも霊に意識は無いし、人に入るとなんらかしらの病原体になるって聞いた。なんでもいいんじゃない。悪い影響があるから、探して、浄化してるの。取り込む量は人それぞれだし、0とか少ししか取り込めない人の方が多いから、ほとんど影響がないんだけどね。」

 サクラは、遼一の顔をじ~っと見た。

「風間君、自覚してるんでしょ?そういう能力があるって。」

 遼一は、小さくうなずいた。

 柳原の取り込んだ霊が身体の中で浄化されたらしく、また撮影が始まった。撮影は順調に進み、それらしい雰囲気の場所を見つけ、美味しそうに弁当を食べる。こんなところでご飯を食べて、何が面白いのか?遼一には不思議だった。

 弁当を食べ終えると、そのままエンディングのセリフに入り、撮影は終了した。

「はい、終了。風間君、あそこにいる霊の塊、取り込んでみて。」

「嫌です!死んだら、どうするんですか!」

 撮影中、遼一も気になっていた空気の歪みがあった。サクラたちも触れなかったから、何もしないと思ってた。さっきの歪みより、さらに歪んでる。

「大丈夫。何かあったら、すぐに助けるから。信じて。」

 遼一はうつむき、黙ってしまった。

「信じて。絶対、大丈夫だから。」

 サクラは遼一の手を握り、目を見て懇願した。柳原の目に映るその光景は、詐欺師と被害者にしか見えなかったが、女性の免疫が無い遼一に「わかりました。」以外の言葉は口から出なかった。

「やんのかよ。」柳原の心の声。

「どうすればいいんですか?」

「近くに行くだけで、勝手に入ってくると思うけど、あれだったら、手をかざしてみて。風間君の吸い取れる限界になったら、勝手に止まるから。あとはじ~っとしてると、浄化して終わり。」

 さっきの霊よりも、遥かに強いことはサクラにもわかっていたが、遼一の能力がそれを上回るという確信もあった。自覚さえあれば、能力以上の霊は吸い取れないから。

「じゃあ、やってみます。」

 遼一は、ゆっくり歪んだ空気に近づき、そ~っと、手を差し出した。すると歪んだ空気が指先に吸い込まれるように流れ出し、どんどん勢いづき、濁流に飲まれてるかのように身体全体から入り込んでいる。遼一の表情が、恐怖から苦痛に変わっていく。

「えっ、どういうこと?そんな……。」

 予想外の光景にサクラが動揺している。とんでもない量の霊が遼一の身体を取り囲み、すごい勢いで吸収されていく。

「そんなことって。」

 無意識に遼一へ近づこうとするサクラの腕を柳原が捕まえた。

「待て!まだ危ないぞ。」

 はっ、としてサクラは我に返り、少し冷静さを取り戻した。遼一の顔をよく見ると、さっきまで苦痛に満ちた表情だったのが、眠っているかのような無表情になっていた。

 そこにあった霊の塊を遼一はすべて取り込んでしまったようだ。意識を取り戻すと、今度は驚きの表情に変わった。

「身体の中から、声が聞こえる。声が……。」

 息苦しい状態で遼一はできる限りに声を振り絞り、また意識を失い、崩れるように倒れてしまった。

 

 眩しい。閉じた瞼の上からでも、朝の日差しを感じる。ずいぶん遠い記憶の中にあった熟睡という感覚が頭の中に浮かんだ。少し身体のだるさを感じてはいるが、こんなにスッキリした目覚めの良い朝は久しぶりだった。なんだろう、この甘くて心地よい香りは……?

「……えっ?」

 目が覚めた遼一の目に映る天井は、間違いなく自分の部屋ではなかった。そ~っと身体を起こし、部屋全体を見渡した。

「えっ、……あれ。」

 遼一はアクシデントに対し、瞬時に脳が働くタイプではない。むしろ真っ白、思考停止に陥る。ただ、この部屋が女性の寝室ということだけは、家具やカーテン、雑貨類、そして匂いで理解した。

 するとトイレの水が流れる音。扉の閉まる音。足音。誰かが、この部屋に近づいてくる。

「具合、どう?まだ苦しい?」

 扉を開けたのはサクラだった。パジャマ姿で眼鏡をかけていていたが、声でわかった。

「あっ、あの、すいません。俺、なんで?」

「ふぅ~。……おはよう。」

「あっ、おはようございます。」

「動揺してるのはわかるよ。だから、ちゃんと会話しよ。動ける?動けるなら、リビングで話そう。」

 サクラの淹れたコーヒーを一口飲み、自分を落ち着かせるようにゆっくり息を吐いた。ブラックの苦みに慣れていないが、テーブルの上に砂糖らしきものは見当たらなかったので、我慢して飲むことにした。それにしてもパジャマ姿の女性が目の前にいる。その現実に抵抗があった。

「まだ、声は聞こえるの?」

 サクラの質問の意味がわからなかったが、すぐ思い出した。遼一の身体の奥の方から、得体の知れない声のような、叫びのような音が頭に響いてきたから。

「なんか聞こえます。声なのかどうかわからないけど、身体の中に何かいるのは感じる。でも、たぶん大丈夫です。手足っていうか、身体の一部みたいな感覚なんで、平気みたいです。これって、芦屋さんみたいに人に送ったりできるのかな?」

 そう言ったとき、サクラの顔が遼一を睨んでるように見えた。やばい、余計なことを言った。と思い、苦いコーヒーをもう一度口に入れた。

「昨日の夜、私の先祖がず~っと霊の浄化をしてるって言ったでしょ。覚えてる?」

「はい。なんか平安時代からって、言ってたような。」

「ちょっと長くなるけど、その話からするね。」


 平安時代初期、それ以前からあった怨霊や祟りの話。有名なのは菅原道真、平将門、崇徳天皇など。様々な陰陽師が様々な働きをしたが、怨霊が鎮まることはなかった。最終的に神様として奉ることでおさまるが、本当に霊の仕業なのか?と疑問を持つ者がいた。それが森川サクラのご先祖様。

 陰陽寮に在籍するご先祖様は、他の人にはない目を持っていた。それは、能力の高い術を扱う陰陽師の身体のまわりに半透明な色が見えること。ある日、色つきの陰陽師が澱んだ空気に手をかざし、それを自分の身体に取り込んでる光景を見てしまった。なんていう術なんだろう?その純粋な疑問から始まった。

 そこから現代に至るまで、医学や科学の解釈も交え、仮説を立ててきた。霊は身体とは別に存在するエネルギー体。霊と身体は表裏一体で、消耗の度合いも比例する。つまり身体が命尽きれば、霊も消費され消滅する。もしかしたら消滅ではなく、別のエネルギーに変換されるのかもしれないが。

 人が亡くなると、ほとんどの霊は時間差で消滅する。稀に霊が残る場合もある。大小様々で、強弱も様々に。そして風ではない何かの影響でフワフワと移動する。

 ほとんどの人には見えない。見え方も人それぞれ。空気が歪んでる。半透明で色がついている。色の種類によっては澱んで見える。

 その霊を自分の身体に取り込める人。その能力があっても自覚のない人が多い。自分の能力以上に霊を取り込むと、体調を崩し、死に至ることもある。取り込んだ霊を自分の中で浄化して消滅させる人と、自分の身体に蓄えて他の人に移す人がいる。

 平安時代、色のついた陰陽師が何食わぬ顔で、政治の実権を握る貴族に霊を移していた。その後、その貴族は当時流行っていた天然痘と同じ症状で亡くなったのだ。その貴族はある怨霊に恨まれ狙われていたという噂があったので、怨霊の仕業だとすぐに広まった。

 霊を移すときに病状のイメージをする。平安時代は天然痘が流行したので、イメージしやすい。霊が相手の身体の中でウイルスや細菌などの病原体になるということがわかった。これはサクラの家系の中に霊を蓄えて人に移せる者が現れ、時の権力者の指示で数々の人体実験をしたからだ。

 サクラは賀茂家の遠い末裔。平安時代から続く国からの特殊任務。陰陽寮の管轄だったが、他の陰陽師も知らない極秘任務。今は土御門家という組織の管理下で、霊の浄化を行っている。


「まぁ、理解できなくても、信じなくてもいいんだけど。」

「理解は無理でも、サクラさんのことは信じます!」

 最初に遼一の頭をよぎったのは、芦屋正太郎だった。もしかしたら、澤田京子に霊を移して殺したのでは?

 ぐぅ~。

 遼一の身体が空腹をアピールした。

「ごめん、私、朝食べないから。お腹空いたよね。なんでもいい?っていうか、何かあったかな?」

 そう言いながらサクラは台所へ向かうと、すぐに何か準備を始めた。

 何かを焼く音やお湯を注ぐ音が聞こえる。

「どうぞ。」

 遼一の前に、目玉焼きとコーンスープ、そしてトーストが用意された。

「いいんですか。すいません、いただきます。」

 心の底からうれしくて、コーンスープを飲むために手を伸ばそうとしたとき、さらにうれしさが込み上げてきた。ヤバい、涙まで込み上げてきた。遼一は焦ったが、もう遅い。三十過ぎのオヤジが、二十代おそらく後半の女性の前で泣き出してしまった。

「……ど、どうしたの?」

 こんな焼いただけ、お湯を注いだだけの料理に泣かれては、こっちが恥ずかしくなる。サクラは理由がわからなさ過ぎて困惑した。

「どうしたの!」

 怖くなって、つい、怒鳴ってしまった。

「すいません。何ヶ月前まで、楽しいって思えることもなくて、嫌なことばっかりで。死んだほうがましかなって考えたり。それが、……。」

「……それが?」

「サクラさんみたいなキレイな人と話してるだけでもすごいことなのに、ご飯まで作ってもらえるなんて。今までの人生ではありえないことだから。」

 また止まらなくなった涙を手で拭い、肩を震わせていた。

 サクラはハンドタオルを持って、遼一のそばに近づく。

「ごめんね。あなたがどんな人なのかも知らないのに、勝手に私たちの都合で引っ張りまわして。……ごめんね。」

 サクラはハンドタオルを握ったまま、後ろから遼一をやさしく抱きしめた。

 五分ぐらいの沈黙が過ぎ、遼一の高ぶった気持ちもようやく落ち着いた。そして深く息を吸っているとき、自分の背中にサクラの胸が当たっていることに気づいた。全身の血が、顔に集中してのではないかと思うくらい顔が熱くなった。

「た、たまご食べてもいいですか!」

 

 サクラは霊が見える人。霊は取り込めない。

 柳原は霊を取り込んで浄化する人。霊を見る能力は低い。

「遼ちゃんは……。」

 朝食を食べてる間に、呼び名が風間君から遼ちゃんに出世していた。

「遼ちゃんは、取り込んだ霊が浄化されてないから、移す人の可能性が高いね。もしも遼ちゃんが浄化する人だったら、源ちゃんが引退した後、引き継いでもらいたかったんだけどなぁ。あと、源ちゃんより霊の見え方が強いね。」

「初めて芦屋さんに会ったとき、芦屋さんの手から霊を移されたんです。俺の身体が反応したのを見て、『あなたは私と同じ能力がある。』って言われました。それと、霊ではなく、生命のエネルギーって。芦屋さんは、見ることができて、取り込むことができて、移すことができるって言ってました。移すっていうより、どうやって身体から出すんでしょうね。」

「その言葉遣い、何とかならないの?かゆいんだけど。」

「あっ、すいません。苦手で。」

「まぁ、いいけど。遼ちゃんにお願いしたいのは、芦屋さんが本当に澤田京子を殺したのか。ほかにも信者を虐待していた父親、信者をいじめていた同級生、信者のストーカー。心筋梗塞か脳梗塞で二人は亡くなっていて、一人はマヒで寝たきり。澤田京子も脳梗塞なの。ウイルスや細菌が関係するかわからないけど、人体実験の記録で心臓麻痺や脳の障害っていう事例もあるって、土御門家の人に言われたんだ。」

「俺も芦屋さんから霊を移されたけど、身体は平気です。直接話をしてますし、悪い人には見えない!ましてや人を殺すなんて……。」

 遼一が珍しく興奮している。サクラに対して怒っているわけではなく、芦屋は遼一にとっての恩人だから、疑いたくなかっただけだ。芦屋から教わる考え方や心構えなど、もちろん宗教の香りはするが、自己啓発的な要素があり、前向きになれた。それにヨガ教室も、精神を安定させるすばらしい体験だった。

「ごめん。そんなに怒んないでよ。」

「怒ってるわけじゃないんです。ただ芦屋さんは恩人だから、疑うような目で見たくないんです。」

 優光の会の芦屋、心療内科の内村先生、そしてサクラは、遼一にとって新しい世界のかけがえのない住人なのだ。

「遼ちゃん、身体の中の霊ってまだいるんでしょ。芦屋さんに相談してみたら。」


 遼一は半年以上前から、木造住宅に使われる木材のプレカット工場で働いている。ウチムラ・クリニックの内村先生のおかげで、仕事での不安や悩みを不安症という病気のせいだと言い聞かせ、以前ほど深刻にはならずに済んでいる。

 それでも職場の人となかなか馴染めず、休憩時間は孤立していた。遼一としては気を使って休憩時間を過ごすよりは気持ち的に楽なのだが、引継ぎする加工機のトラブルを教えてもらえなかったり、加工内容や出荷日の変更が遼一まで届かなかったり。意地悪なのか、偶然なのかの判断もできないが、どっちにしてもコミュニケーション不足が原因なのは間違いないだろう。

 年下の先輩にとって、無口で無表情の年上の後輩は扱いにくいと思う。遼一自身も、もっと気の利いた会話ができれば、職場の居心地も良くなるのはわかってる。

 火曜日と金曜日の仕事帰りに、宗教法人優光の会へ立ち寄ることが習慣になっている。ヨガ教室と悩み相談のサロンに通うためだが、両親の住む家よりも心の拠り所になっているから。本音を言えば、毎日通いたい。むしろ、ここで働ければどんなにいいだろう、と思うくらい。優光の会の北川に、一緒に働くことを打診され、その気になったことがある。しかし内村に「それは、ダメです。」と反対された。納得できる説明は聞けなかったが、遼一のためには良くないからだという。

 内村のダメは、遼一にとって絶対にダメだと理解している。

 

 遅刻せずに出勤したのはいいが、あまり眠れなかったので集中力に欠ける。特殊な事情とはいえ、女性の部屋で一晩過ごし、パジャマ姿の元アイドルと二人きりの時間。とはいっても、会話の内容も色気とは程遠く、男女の意識も皆無で、年齢も遼一の方がどう見ても上だが、立ち位置は明らかにサクラの方が上にいる。まぁ、今の職場もそうだし、タメ口で話せる相手は家族と高校で仲が良かった友達数人だけ。その友達も、今では縁遠い存在になっているが。それでも昨日は、遼一にとって刺激的な時間を過ごしたことに間違いない。おかげでベッドに入っても頭から離れず、気づいたら朝になっていたのだ。

 考えてみれば、森川サクラと話をしたことだけでも、自慢話になる。異次元的な状況のせいで、ミーハーな発想が浮かばなかった。

「風間さん!それ、どこの物件ですか!」

 高原主任が加工機の操作画面を見て、遼一に尋ねた。工場内の加工中の音がうるさいので、誰もが大きな声になる。

「○○町分譲A棟です!」

「それ、出荷日変更になってますよ!朝、森内リーダーから聞いてないですか!」

 高原主任は遼一よりも年は下だが、一、二歳しか変わらない。森内リーダーはひと回り近い年齢差がある。

「朝、渡された加工予定表です。」

 またか。と思いながら、加工機の音にかき消された小さな声で返事をした。

「森内!」

 高原主任が、さらに大きな声で森内リーダーを呼んだ。

「なんすかぁ!」

 ふてくされた顔で、森内リーダーは近づいてきた。時折、遼一を睨みつける。

「A棟っすよね!俺、言いましたよ!風間さんに!ねぇ!風間さん!」

 怒鳴り散らして、威嚇してくる。同じことは前にもあった。

「すいません。」

 無意識に謝ってしまう。これも遼一の悪い癖で、嫌がらせのスパイラルに陥る原因となっている。

 高原主任も森内リーダーの意地悪だと気づいているが、そこまでの正義感もなく、トラブルを回避できれば、この件は終了。遼一の心の病気は、こんなことが永遠に続くのか!と悩んでしまうことなのだ。

 加工の続きを始めたとき、声が聞こえた。このうるさい工場の騒音とは別に、遼一の身体から頭に伝わってくる声のような響き。遼一は思い出した。身体の中にあの霊がいることを。昨日、サクラが言っていた話を思い返していた。霊を取り込める人は、浄化する人と他の人に移す人。遼一は浄化してないから、移す人になる。症状をイメージすれば、相手を病気にすることができる。でも、どうやって霊を移すんだ?

「あっ!」

 芦屋と握手したときに、何かが遼一の身体に入ってきたことを思い出した。でも違う。移すという行為を芦屋がコントロールできなければ、近づいた人たちに霊を移すことになる。

 昼休み、母の作った弁当をいつものように一人で食べる。食堂は賑やかすぎるので、食べ終えると工場に戻り、加工機の椅子に座って休憩する。いつもならスマホを眺めて時間を過ごすのだが、どうやって霊をコントロールするのか考えていた。

「イメージかぁ。」

 ぶつぶつ独り言を言いながら、組んでいた腕をほどき、右の手のひらをじっと見つめた。すると右手全体が、少しずつ歪んできた。霊が右手に来てる。肘の方にも尾を引くように歪みが大きくなってきた。右手を床に差し出した。イメージでは霊の塊を床に置いたつもりで。

「うわっ!」

 直径二十センチほどの霊の塊が、自然な流れで床に転がり落ちた。無意識に、慌てて捕まえようと右手を伸ばしたら、すーっと、右手から身体の中に吸い込まれた。残りの昼休み時間、何度もそれを繰り返し、自然にコントロールできるようになっていた。

「イメージ、……病気の症状をイメージかぁ。」


 朝の変更に関するトラブルも、今日の加工予定の物件数には影響もなく、定時で帰れるように機械まわりの掃除を始めた。

「風間さん、定時っすかぁ。」

 不機嫌な顔で森内リーダーが、遼一の所に近づいてきた。

「そろそろ刃物交換じゃないっすか?」

「今週末に交換する予定です。森内リーダー、朝、ご迷惑かけてすいませんでした。飴どうぞ。」

 そういって遼一が飴玉を持った手を差し出すと、森内リーダーも困惑した表情だったが、自然に手が出ていた。

 その時の遼一の右手は、揺れるように歪んでいた。


 翌日の朝礼で、森内リーダーが入院したと報告があった。しばらく休むらしい。検査はこれからするのだが、症状から食中毒の可能性が高いようだ。

 遼一は首を傾げた。「食中毒かぁ。」声には発せず、頭の中でつぶやいた。頭痛・嘔吐・下痢で、イメージとしてはコロナかインフルエンザ、もしくは風邪だったのだが、まったく予想外の病名になっていた。

「天罰ですね。」

 普段、あまり話したこともない同じ部署の平野が、遼一に話しかけてきた。

「嫌いなんすよ、あいつ。俺、風間さんの味方っすから。」

 平野も中途採用で今年入社したばかりだった。年齢は森内リーダーとそんなに変わらないはずだが、遼一同様、嫌な態度が日常的だったのだろう。

「天罰ですか。」

 天罰を下したのが自分だと思うと、遼一は変な気分になった。

 大人げなく軽い仕返しのつもりだったのに、頭で思い描いていた以上になっていた。熱を出して、トイレにこもり、二、三日で治るくらいの風邪。それかコロナとかインフルエンザ。でも結果は、食中毒で入院。

 遼一は、これがとんでもない能力だと実感した。しかし遼一の心になぜか罪悪感のかけらも無い。以前の遼一なら、嫌いな相手に対して本気で死ねばいいのにと、妄想していたからだ。言いたいことも言えず、いつも我慢してばかりの苦しかったときを思い出した。

 しかし内村先生と出会い、優光の会へ行くようになってからは、他人や自分に対しての強烈な憎しみや苦しみに悩まされることも少なくなっていた。

「以前の俺なら、殺してたかもしれない。」

 高校生の頃、気に入らないことがあると暴力を振るう奴がいた。ひどい怪我を負うほどではないが、痛いからやめてほしいと願う。奴にとっては、ただのストレス発散だった。反発もしないから、それこそ罪悪感も生まれないのだろう。もちろん遼一の方が強ければ立場も逆転するけど、そんなことは絶対にありえない。

 だけど、……今はありえる。

 ストレス発散程度の仕返し。高校生の時に受けた軽い暴力を、受ける側から与える側になったのだ。腕力ではない、違う力で。今まで遼一が味わった苦しみに比べれば、頭痛や腹痛くらいなら平気だと思った。加工機を操作しながら、過去を振り返り、遼一に嫌な思いをさせた人間の顔を浮かべている。

 ビィー!ビィー!加工機からアラームが鳴った。

 同時に加工機は停止し、アラーム解除のボタンを押した。停止した理由は、投入した材料のサイズが設定されたサイズと違っていたから。つまり加工機に違う材料を投入していたということ。

 慌てて投入台に並べた材料を片付けて、正しい材料に入れ替えた。加工に使う木材は、それなりの重量があるので、一気に汗が滴り落ちた。

「何をしてんだろう?何ていうことを考えてたんだ、俺は。」

 切らした息を落ち着かせ、設定内容を確認し、タッチパネルのスタートを押した。

「あっ!」

 スタートを押した右手が、歪んでいる。霊が飛び出そうとしているのか?遼一はイメージしていない。なんで勝手に?

「風間さん、大丈夫ですか?手伝いますか?」

 高原主任が様子を見て、遼一のところにフォークリフトで駆けつけた。

「あっ、大丈夫です!」

 歪んでいる右手を身体の後ろに隠した。高原主任には、何も見えないのに。

「入れ替えた材料、使わないなら持っていきますよ!」

「すいません、助かります。お願いします!」

 段どり命の高原主任は、スマートな動作で材料をフォークリフトに積み、運んで行った。

 どうしよう。右手の歪みが消えない。サクラは、「霊に意識は無い。」と言っていたが、これは明らかに遼一の意識とは無関係だ。いや、過去を振り返って嫌な人間の顔を思い浮かべたとき、無意識にイメージしたのかもしれない。しかし、さっきまでの自分は本当に自分自身なのだろうか?特別な力を手に入れたことにより、遼一は不安になった。自分は平気で悪いことができる人間だったのか?嫌な記憶の中にいる人たちを探し出そうとしていたのは、本気で仕返ししようと思ったからか?遼一は自分自身に問いかけても、頭の中がぐちゃぐちゃになって収拾がつかない。

 耳障りなアラームの音が鳴らなかったら、今もまだ、仕返しのことを考えていただろう。さっきまでの遼一は、嫌な相手を病気にするくらい何の躊躇もなかったから。まさか霊に憑りつかれて、遼一のほうが霊にコントロールされてるような気さえする。

 お昼の休憩時間。いつものように加工機の椅子に座って、スマホを眺めた。

「頭痛、嘔吐、下痢って検索すると、胃腸炎とか食中毒ってでるなぁ。考えてみたら、移すときに浮かんだ映像ってどんなんだか思い出せない。風邪をひかせようとして、咳き込むイメージをしたら、肺炎、結核、肺がんとか出てくるし。」

 冷静になれば、ちょっとした仕返しではなくなっている。何もイメージしなければ大丈夫なのか?それもわからない。サクラは霊が病原体になるって言ってた。イメージしない場合でも、なんらかの病気になるのか?

 ふと、遼一の頭にデスノートが浮かんだ。

「死因を書かないと、たしか心臓麻痺で死ぬんだっけ。」


 午後の仕事が始まり、一人で作業してるから問題はないだろう。遼一も歪んでる右手をなるべく気にしないように作業を続けた。

 加工を終えた完成品が出てくる。それらをまとめて梱包するのだが、未加工の物が数本出てきた。そのまま梱包していいのか、データを作り直して加工するのか、指示書にも記載がないので確認しなければならない。

 少し離れた場所に設計の部署がある。

 こんな時しか話す機会がないので、緊張してしまう。もちろん恥ずかしいからではなく、うまく話せなくて、相手をイライラさせてしまうからだ。遼一は、加工リストのファイルを持って設計の部署に向かって急いだ。

「すいません、この物件なんですけど。」

「……。」

 八人のうち、返事をしたのは0人。めんどくさそうに遼一の顔を見上げたのが一人だけ。遼一はその人に向かって、説明を始めた。

「未加工品が出てきたんですけど。」

 そういって、手に持ったファイルを渡した。

「なに。で、どうしてほしいの?」

 このコレステロール高めで坊主頭の中年男は、ドラマに出てくる嫌な脇役のセリフを読んでるかのように言った。

「すいません、そのまま梱包していいんですか?」

 チッ、とわかりやすく舌打ちし、パソコンで図面の確認をし始めた。それからファイルをチェックし、パラパラと目を通し、机に投げ捨てた。

「指示書に何も書いてないんだから、黙って梱包しろよ。何もしなくていいってことだろ!」

「すいません。あのぉ……、加工のファイル、返してもらっていいですか。」

 演技なのかと思うほど不機嫌な態度で、遼一にファイルを返した。

「あっ!」遼一の口が開いただけで、声は出ていない。

 遼一の右手から歪んだ空気が、目の前の不機嫌な男の身体に入っていった。イメージしていないはずなのに、どうしてだ?心臓が破裂しそうなほどバクバクいってる。急いでこの場を離れようと、足早に設計の部署を出た。

 扉が閉まる前に、人が倒れるようなバタンと音がした。

「誰か、救急車に呼んで!」

 扉超しにも感じるざわつく空気。

 女性社員の悲鳴に近い話し声。

 入り混じる会話の中に、「心臓の持病が……」と確かに聞こえた。

 遼一は扉を開けて確認することなく、自分の加工機に戻り始めた。扉を開けて、もしも倒れているのが不機嫌な中年男だったら。でも誰かが心臓の持病があるみたいなこと言ってた。遼一に現実を直視する勇気などない。


「設計の志村さん、心臓の発作だって。さっき救急車きたよ。」

 しばらくして、そんな噂が工場内に広まった。遼一にその噂話を持ってきたのは、平野だった。そもそもどの人が志村なのか知らないし、できれば知りたくない。

「風間さん、なんか顔色悪いっすよ。大丈夫っすか?」

 平野はそういうと、遼一の返事も聞かずに高原主任を呼びに行っていた。

 すぐに高原主任が来て、早退することになったが、無理はしないことを条件に、加工の途中になってるぶんだけは終わらせることになった。

 気がつくと、右手がすでに歪み始めている。

 本当に無意識だったのか?自分のことなのにわからない。間違いなく、怒りが込み上げた。ファイルを返してもらうとき、ほんの少しでも憎しみを抱かなかったのか。自信がない。絶対に無いとは言い切れないから。

 

「芦屋さん。すいません、風間です。」

 遼一は、芦屋に助けを求めた。

 

 優光の会に到着した遼一は、事務所には顔を出さず、訪問者記入欄に自分の名前を書き、すれ違う人にお辞儀をしながら足早に奥の部屋へと急いだ。

「失礼します。」

 ノックすることを忘れるほど慌てていたが、部屋にいる芦屋の顔を見たら、強張った力が少し和らいだ。

 芦屋は、黙って遼一を見つめている。

「身体はどうですか?重さを感じたり、違和感などはありますか?」

「いえ、大丈夫です。ただ身体の奥の方から、声なのか、何かの音が頭に響いてきます。意識しないと分からないくらい小さな音です。」

「大丈夫そうですね。強いエネルギーを感じますが、風間さんの能力の方が上回ってます。覚えてませんか?初めてこの部屋で会った時の私の右手を。しばらく歪んでたと思いますよ。私の経験上、移すイメージを思い浮かばなければ、自分の身体から離れることはありません。ただ私たちと同じ能力を持つ人は別です。不用意に取り込んでしまう可能性はありますから。」

「移すイメージを思い描かなければ、握手しても大丈夫なのでしょうか?」

 遼一は、歪みが消えない右手をまじまじと見ていた。

「大丈夫です。それに例え移しても、ただ移しただけなら何の害もありません。私が移したエネルギーは、風間さんに悪い影響を与えてないでしょ。音も気にしなくて大丈夫です。間違いなく取り込んだエネルギーからの音ですが、風間さんの許容範囲を超えて圧縮されたからでしょう。」

 来てよかった。遼一の不安感は、みるみる薄れていく。サクラは霊と言い、芦屋はエネルギーと言う。情報源が違うのかもしれない。ただイメージするという霊のコントロールの方法は同じようだ。そういえば芦屋から、このエネルギーが人に与える影響という話を聞いたことがない。

「このエネルギーを人に移した場合、噂のように病気になるとか、もしくは病気が治るとか、……そんなこともあるんですか?」

 質問してから、後悔した。芦屋の表情が少し硬くなったように見えた。一瞬、遼一の身体が凍りつくほど寒気がした。そもそも噂を前提とすれば、芦屋が人を殺したのか、末期がんを治したのか、と質問しているようなものだ。

「風間さんが移した相手はどうなりましたか?」

 芦屋の細い目が見開いた。声は淡々としているが、遼一の身体は金縛りにあったように硬直している。「なんで?」声も出ない。

「風間さんの右手が歪んだままになっているのは、そこからエネルギーを出したことがあるから。そして移した相手が病気になった。右手の、今にも飛び出しそうなエネルギーが誰かに移ったら、また誰かが病気になるかもしれない。」

 能力を悪用したことがバレてる。

 軽い気持ちだった。

 嫌がらせをされた分の仕返しのつもりだった。

「……ご、……ごめんな……さい。」

「怒るつもりはありません。さっきの質問に答えます。病気にすることも、病気を治すこともできます。もちろん人を殺すことも難しくはありません。風間さん、心が弱った状態で強いエネルギーを身体に入れると、負の感情に支配されやすくなります。精神が不安定になり、感情的になり、自分自身もコントロールできなくなります。無意識というあなたの意識が、勝手にコントロールすることもありえます。能力をどう使うかは、風間さんが決めることですから。」

「でも、どうしたらいいのか……。」

 芦屋の言っていることがよくわかる。このままだと、遼一はまた誰かを病気にするだろう。最悪、相手が死んでしまうかもしれない。工場でのことも、こんな能力が無ければただ我慢して過ごすのに、つい感情的になり、つい自分が強くなったつもりになり、自分が嫌いだった連中と同じような行動をしている。

「もう一度言います。その能力はあなたの物ですから、どう使っても私は干渉しません。ただあなた自身がコントロールできないと、あなた自身が困ることになります。風間さん、私はそのお手伝いをすることはできます。」

 

 不安定な精神状態のまま、芦屋の行うヨガ教室に参加した。全く問題はないし、教室が終わった後に三十分ほど特別レッスンをしてくれるという。芦屋のヨガの動きは、とても滑らかで美しい。同じようには到底できない。芦屋が言うにはポーズは最終形で、まずは呼吸を意識して身体を動かすようにと教わった。

 始まって十分もしないうちに右手の歪みが消えていった。

「そういえば風間君。この間のYouTubeの……、なんだっけ?あっ、森川サクラさん。どうだったの?」

 珍しくヨガ教室に北川が参加したのは、こういうことだった。

 しかしこんなに社交的で明るく、悩みが無さそうというと失礼だが、どういう経緯で宗教法人優光の会に入信したのかがわからない。テレビ番組の制作会社で、バラエティー番組のディレクターをしていたと、広報の人が言っていた。やはり重圧的なストレスだったのだろうか?優光の会のYouTubeの登録者数や再生回数の多さは、間違いなく北川の実力だ。宗教色が薄く、純粋に番組として面白い。

「意味不明な撮影でしたけど、楽しかったですよ。」

 気を失って、サクラの部屋に泊まったなんて言えない。

「ここで撮影した動画、まだアップしてないようだから、どうしたのかなぁって。本当はさ、アップする前にチェックしたいんだけどね。」

「今日、帰ったら連絡とってみます。サクラさん個人のチャンネルで、事務所はノータッチらしいんですよ。だから編集も自分でやるそうです。苦手だって言ってました。」

「へぇ~、サクラさんって呼んでるんだ。」

 やばい、調子に乗ってこの人と話してると、丸裸にされそうだ。

「まぁ、よろしくね。」

「あっ、はい。」

 こんな詰め寄られる会話でも、不快な気持ちにならない。それよりもっと話したいと思うほど北川との会話は楽しい。

 北川の用事は本当にそれだけだったらしく、ヨガも途中のまま、そ~っと退出した。


 通常のヨガ教室が終わり、これから芦屋と遼一のマンツーマン指導が始まる。霊をコントロールするには、心と肉体を整える必要がある。それが芦屋の考えだった。ヨガの上達とともに霊を自由に操れる。

「遼一君、久しぶりだね。居残り?」

 ヨガ教室の扉を開け、内村先生が覗き込んだ。

 内村は、病院の時は「風間さん」と呼び、プライベートの場合は「遼一君」と気さくに下の名前で呼んでくる。

「はい。特別に鍛えてもらいます。」

 冗談が言えるほど、遼一は落ち着いていた。一時間前の自分が別人のように思えてしまう。

 内村は、今から始まる悩みと相談のサロンに参加する。「吐露の時間」という名称になっていて、もともと内村の提案で始まったことだった。心療内科医の内村は、オブザーバーとしての役割を果たしている。

「じゃあ、芦屋さん。遼一君をお願いします。」

 芦屋は、小さく頷いた。

 扉が閉まり、霊をコントロールするためのヨガが始まった。芦屋は立ち上がり、大きく息を吸い、息を止め、しばらくして息を吐く。さらに大きく息を吸い、もっと長い時間息を止め、絞り出すように息を吐く。それを何度も繰り返す。頭がクラクラしてきた。酸欠?経験したことのない不思議な感覚になった。

 遼一の右手が、また歪み始めた。

「風間さん、頭の中で身体の中心にあるエネルギーの塊をイメージしてください。それがあなたの中にある霊です。両手を高く上げ、頭の上で合わせてください。大きく息を吸いながら、右手にある霊を身体の中に戻してください。……では息を吐きながら両手をゆっくり下ろし、リラックスしてください。」

 遼一は、右手の歪みがゆっくり身体の中心に移動するのを感じた。

「できた、ありがとうございます!」

 意外に簡単だった。

「イメージで移動することは、これで体感できましたね。」

「はい、もう大丈夫です!」

「風間さん。」

「……はい?」

 芦屋はパンツの埃を軽く払うような仕草を見せ、吐息のような静かな声で話し出した。

「今の風間さんでは、移動はできてもコントロールはできません。精神が不安定だったり、体幹が弱いので、確実にコントロールすることは無理です。不用意に霊を移したり、感情を抑えられず、人を殺してしまうかもしれません。」

「……。」

 設計の志村が頭に浮かんだ。怖くて確認できなかったが、もし心臓発作があの不機嫌な男で、もし病院で助からなかったら。遼一が殺したことになる。

「風間さんは、強いエネルギーを取り込める能力がありますから、それに見合う心と身体が必要になります。あなた自身のために。」

「身体に入ったエネルギーを消したり、取り出したりすることは無理なんですか?」

 遼一は、この能力が凶器にしか思えなかった。この能力がいったい何の役に立つのかが想像できない。

「取り込んだエネルギーを人ではなく他の場所に移したりもできます。……この間お見えになった男性のように、エネルギーを無力化することもできます。確実にコントロールできるようになれば、イメージした通りに霊を操れます。」

「知ってたんですか!」

「一緒にいた女性は、賀茂家の末裔ですね。私には関係のないことですが、風間さんの能力は、いつかあの女性のお役に立てるはずです。」

 淡々と話す芦屋に、またしても底知れぬ恐怖を感じた。何をどこまで知ってるんだろう?遼一の表情は、感情のままさらけ出されている。この場からすぐに逃げ出したいと思いながらも、身体は動けないのか、動こうともしない。なんとなくわかっている。選択肢はない。芦屋が何を知っていようが遼一には関係ない。今必要なことは、霊をコントロールできるようになることだ。

「芦屋さん。ヨガ、教えてください。あの人の役に立ちたい!」

「はい。では、さっきの呼吸法から。」

 無表情のまま、たまに表情の変化はあるが、感情を一切表に出ない。内村先生は、どこまで知っていて、遼一と芦屋を引き合わせたのだろうか。遼一と芦屋が似ているといっていたのは、性格的なことではなく、この能力のことなのか。

 それでもサクラの役に立てるなら、この能力に感謝すべきなのか。生きがいどころか、生きていることに苦痛を感じていた過去に比べれば、生きる目的を与えられたと思える。たしかサクラは、遼一が霊を浄化できればと言っていた。芦屋の言うことが本当なら、霊をコントロールすることで浄化もできるということだ。芦屋の言う無力化とは、たぶん浄化のことだろうから。

「風間さん。」

 芦屋に呼ばれたとき、遼一は息を静かに吐いていた。

 返事をする間もなく、芦屋は両腕を勢い良く伸ばし、両手のひらを遼一の胸の下あたりに当てた。どんっ!という鈍い音とともに遼一の身体が後ろに吹き飛んだ。

 身体がコの字のまま床に落ち、詰まった息をゲホッゲホッと吐き出す。

「なにっ?あっ、痛ってぇ。……どうしたんですか。」

 床にぶつけた腰も痛かったが、胸の息苦しさの方が強かった。硬いもので殴られた感じではなく、やわらかくて重いものをぶつけられた感触だったので、痛みよりも驚きの方が勝っていた。

 芦屋が倒れた遼一の後ろを指さす。

 遼一も指先をたどり振り返ると、歪んだ空気の塊が大きくゆらゆら漂っていた。しばらくすると、ゆらぎが落ち着き、ハッとして遼一は芦屋の方に視線を戻した。

「えっ?」

 遼一の身体から霊を出したのはわかったが、なぜ突然、予告もなくこんなことをするのか?身体から離れた歪んだ空気を見て、殴られた怒りと驚きが消えてしまい、遼一は芦屋の言葉を待つしかなかった。

 芦屋は、わずかに首を傾けた。

 遼一も真似をするわけではなかったが、無意識に首を傾けた。

「風間さんが取り込んだ霊は、何か別のエネルギーが混ざってますね。こういう状態の物は初めてです。どうしても気になって、我慢できなくなりました。」

 芦屋が感じ取った異物のエネルギーは、かなり強力なものだった。芦屋の経験では、霊が別の霊を取り込むと強いほうに吸収されて終わる。

「これは預かってもいいですか。ちょっと調べてみたいので。」

「いや、あの、お願いします。俺のじゃないですし。」

「これはあなたが拾った霊ですから、あなたのものです。」

 以前に聞いた芦屋の病気の症状を思い出した。たしか興味の偏りがあり、無関心か集中のどちらか。興味が出るとそこだけに気が行ってしまう。それと霊はエネルギーだからという理由で所有権を気にしてるのだろう。

「風間さん。」

「はい。」

「風間さんが移した相手の身体に、この強い別のエネルギーが入っていたら、重症になるかもしれません。法律的には何の問題もないので、例え死んだとしても気にしないでくださいね。」

 今、遼一の頭に浮かんだのは、「この人は、興味のない人が死んでも興味がない。」ということ。いや、興味がある人でも「死」に対して無関心なのかもしれない。

 

 霊に重さはないと思うが、身体から抜けると気持ち的に肩や首が軽く感じる。身体の中に霊はいないので、仕事中も気にしなくていい。ただ霊をコントロールできる力を身につけないと、仕事どころか普通に生活することにも支障が出る。芦屋の指導は効果をすぐに実感できる。あの酸欠になりそうな呼吸法の成果は、たるんでいた腹部に腹筋という形で現れた。

 食中毒で入院した森内リーダーが週末に退院する予定らしい。翌週から職場復帰する。設計の志村の話題は耳に入ってこない。もしも亡くなったなら、必ず社内全体に連絡されるはずだから、まだ大丈夫ということだろう。そう思いながらも、遼一はやり取りした坊主頭の中年男と設計の志村が同一人物なのかを確認するつもりもなかった。

「風間さんのことは、何も言ってませんでしたよ。」

 十時休憩に入る少し前に、平野が話しかけてきた。

 嫌いだ、と言っていたのに病院へ見舞いに行ったらしい。普段見ていてもわかるが、誰に対しても愛想が良く、そのくせ他の人の悪口を会話の話題にする。下手に同調したり、相槌を打つとこっちが悪口を言ったことにされる。しかし見舞いに行く行動力がうまく世の中を渡る条件なら、遼一は一生無理なことだと自覚している。

「爪が変な色してて、なんか小さい血豆も何個かあって。ぶつけたんですか?って聞いたら、医者にも聞かれたけど、記憶にないって。そんで食中毒の原因は、風間さんからもらった飴だ!って言って笑ってましたよ。」

 さっき、遼一のことは何も言ってないと言っていたのに、普通に悪口を言っている。おそらく遼一の飴の話をしたくてわざわざ言いに来たのだろう。

 それでも元気そうなので、遼一は安心した。芦屋の言ってた別のエネルギーは移らなかったようだ。

 

 金曜日の夜、今日は優光の会には寄らず、まっすぐ家に帰った。三日続けて芦屋の指導を受け、激しい運動をしたわけではないのに、全身の筋肉が痛い。仕事も忙しかったので、なにか考え事をすることもなかった。

「芦屋さん、サクラさんのこと知ってたなぁ。」

 火曜日の夜、芦屋が言っていたことを思い出した。

 柳原が霊を取り込めることは、芦屋の能力なら見ればわかりそうだ。しかしサクラが賀茂家の末裔ということは、能力ではなく、情報だ。自分で調べたか、誰かが教えたか。芦屋が自分で調べるとは考えにくい。いや、興味があれば別だ。

 そもそも霊のコントロール方法なんて、誰かに教わったのか?サクラや柳原は、昔からの流れがあるから、伝承のシステムが構築されているはず。土御門家というサポート体制もある。芦屋の方にも、そういった歴史やグループがあるのでは?

 遼一自身が体感したことは、霊を取り込める能力のある人が霊に近づくと、勝手に取り込んでしまう。自分の能力以上の霊を取り込むと、体調を崩す。

「芦屋さんは、人が死んでも平気そうだなぁ。」

 芦屋は遼一にとって良い人だが、殺そうと思えば誰でも殺せるのも確かだ。良くしてもらってるから、疑いたくないという感情はあった。だけど、サクラが芦屋を疑う気持ちは、今ならわかる。

 芦屋が知っていることをサクラに話していいのだろうか?

 LINEだ。

「暇?」

 サクラからだった。この間、勝手に登録された。

「はい」

「明日は?」

「はい」

「じゃあ、デートしよ」

「……?」


 デートのはずなのに、柳原の運転する車が遼一の家の前に止まった。また柳原が手で乗れという素振りをするので、頭を下げてそれに従った。今日は助手席だった。

 遼一の母親が玄関から出てきた。休みの日でもほとんど家にいて、友達付き合いも無い息子。そんな息子を家から連れ出してくれる友達らしき人に挨拶をしようとしたが、母親は柳原の顔を見て後ずさりし、大きくお辞儀をして家に戻っていった。

「源ちゃんの顔が怖かったのかな。」

 母親のリアクションが、妙にウケたらしい。サクラは柳原の肩を執拗に叩いた。

「すいません、失礼な母親で。」

 真面目に謝ったのに、サクラの笑いが止まらなくなった。

「今日もYouTubeの撮影ですか?」

「違うよ。ちょっと付き合ってもらいところがあるんだ。ちょっと遼ちゃん、撮影だったらもう少し派手な服着るし、それに化粧も髪型も全然違うでしょ。」

「えっ、そうなんですか?」

 怒らせたと思い、遼一は慌てて後部座席を振り返った。

 サングラスに帽子被っているから、化粧も髪型もわからない。

 サクラは、クスッと笑ってる。

「そうだよね。遼ちゃん、目も合わせないし。だいたい顔だってろくに見ないしねぇ。後ろに違う女の人が乗ってても気づかないかも。」

「そんなことはないですよ!……たぶん。」

 天気予報は晴れだったのに、フロントガラスに大粒の雨が叩きつけてきた。ワイパーは忙しなく雨を払いのける。すぐに小雨に変わり、上がったと思ったら、また強い日差しが降り注ぎだした。

 遼一はスマホのアプリで何かを調べていた。

「何見てんの?」

「天気アプリです。雨雲レーダーで確認したら、この上だけピンポイントに濃い雨雲が通り抜けてます。すげぇ~!」

 少し興奮気味の遼一は、数時間後までの雨雲の動きを見て楽しんでいる。

 柳原は運転しながら、バックミラー越しにサクラの様子をチラチラ気にするように見た。するとサクラもその動きを察して、上目遣いでバックミラー越しに目を合わせた。柳原の言いたいことはわかってる。なぜ、雨雲の動きを見るだけで、そんなに興奮するほど楽しいのか?柳原の聞いてくれ、というニュアンスは伝わったが、答えられても理解する自信がない。変な空気が流れそうなので聞けない。

 しかし、すでに今の状態で変な空気になっているが。

「サクラ、行先は伝えたのか。」

 しびれを切らしたように柳原が言った。

「神社。」

 とりあえず、答えた。

 遼一に向けて言ったつもりだが、遼一はスマホをいじってる。天気はもちろん、風の強さや湿度まで気にし始めてる。

「どこに行くんですか?」

「えぇ、今言ったよ。神社って。」

「そうじゃなくって、場所です。天気調べますから。」

 サクラは、こんな風に笑うんだ。と、少し驚いた。天気のアプリに夢中というのも意味不明だが、意外な一面を見られたのは案外うれしかった。

 

 一時間ほど車で移動し、古い平屋の建物の敷地に入った。先に高級車が一台止まっていて、その横に止めた。

 見上げると小高い山になっていて、その中腹に鳥居が見えた。

 柳原は車から降りると、家の鍵を開けて中に入っていった。

「源ちゃんは、留守番。行こ。けっこう歩くよ。」

「あっ、はい。」

「最近、芦屋さんのとこ、行った?」

 サクラの歩くペースが速く、二人の距離が離れていく。気がつくとサクラは立ち止まり、何か声をかけてくる。

「……火曜日から木曜日まで、ふぅ。……仕事が終わってから、ふぅ。……ヨガを習いに行ってました。」

「ヨガ?」

「ふぅ。……もともと火曜日と金曜日に、ふぅ。……通ってたんですけど、ふぅ。……今週は三日続けて、ふぅ。……です。」

「ふ~ん。……先に行ってるね。上で待ってる。」

 もともと体力には自信はないが、この三日間のヨガ疲れが残っていた。腹筋も割れてはいないが、ぷにょぷにょの脂肪の奥に硬い筋肉らしき感触が手で押してわかる。


 賀茂神社と明記された鳥居の前に着いた。

 そこからまた長い階段を登ると、拝殿の前が広場のようにひらけており、右側に儀式を行う土俵のような屋根付きの舞台があった。他にも、神様が関係していそうな縄を用いたものや、しめ縄で立ち入り禁止を表す場所もあった。

「遼ちゃん。」

 社務所ではなさそうだが、関係者の使う小さな建物があり、サクラはそこの前にいた。この神社は一般には開放していないのだろうか?駐車場も無かったし、さっきの家の敷地以外なら路上駐車になってしまう。

「ふぅ、……お待たせしました。」

 休む間もなく、その建物の中に案内された。部屋の中に穏やかな表情の男性が座っていた。柳原よりも年齢は上に見える。

「お邪魔します。」

 人がいたことにドキッといたが、きっちり挨拶して中に入った。

「お待ちしてました。」

 そういって立ち上がり、準備していたお茶を出してくれた。

「風間遼一さんです。先日の廃線になったトンネル跡でお手伝いをしていただきました。」

 えっ?という言葉が口から出そうになった。遼一はこれから何が始まるのか、という不安が心を占めた。サクラのあまりに丁寧な言葉遣いが、この男性の地位高さを証明している。

「わかりました。風間さん、これからもよろしくお願いします。」

「あっ、はい。こちらこそ、よろしくお願いいたします。」

 遼一自身、これからもサクラの役に立てるようになりたい!と芦屋の前でも宣言したが、改めて正式な雰囲気でお願いされると、恐縮してしまい、むしろ自信がなくなってしまう。

「私は土御門家のもので、新堂と申します。これから書類に目を通していただきます。不明な点は、その都度ご質問ください。問題がなければ、日付とご署名をお願いいたします。」

 遼一がサクラの方に視線を向けたら、なぜかウインクされた。この状況で、疑問の回答がウインクというのは意味が分からない。

 書類の内容を読んでみたら、誓約書のようなもので、何があっても一切責任は負いません、的なものだった。口外するな!とか関知しない!とか。それでも意外にありがたいと思えたことが、手当が貰えることと、一定の年数を全うすれば年金が支払われること。年金ということは、国の仕事ということなのか。

 一応、よく目を通して署名した。

 あとは、サクラを信じるしかない。

 

「では、お気をつけて全うください。」

 書類を持って、新堂が出て行った。

 新堂の足音が遠ざかるのを待ってから、サクラを見た。

「どういうことですか。」

 冷めたお茶を一口で飲み干した。

「書類は、本当に知らなかったの。トンネルの報告したら、挨拶したいから連れてきてって言われて。」

 新堂の前では、ちゃんと正座してたのに、足を延ばして軽くストレッチを始めた。

「正式に手伝ってもらうつもりで、今日、その話をするつもりだったの。ただその前にママの話もしたかったのに、新堂さんが書類出してきたから。ぶち壊し。」

 サクラは、パッと立ち上がり、急須の中をのぞいた。

「お茶飲む?」

「あっ、お願いします。」

「遼ちゃんって。不意を突かれると、あっ、って言うよね。」

 目の前に熱いお茶を出されたが、遼一は猫舌なのでしばらく眺めていた。

「お母さんの話って、あの……。」

「お茶飲んだら、外出よっかぁ。」


 なんとなく気まずい空気が流れ、お茶を飲み干す前に外へ出た。サクラが前を歩き、着いて行くように遼一は後ろを歩く。しめ縄の前で立ち止まると、ため息をついてしゃがみこんだ。

「遼ちゃんと私って、会うのまだ3回目だよね。」

「あっ、……そうでしたっけ。」

 話しにくいのか、本題に入ることをためらっていた。

「お母さんの話ですよね。大丈夫ですよ。実は昨日から覚悟を決めてましたから。サクラさんの役に立ちたいって。」

「えっ、なに?うれしいけど、意味が分かんない。」

「そうですよね。えっと、この間、俺の身体に入ってきた霊のせいで大変なことになって。それで、どうしていいかわからなくなって芦屋さんに助けてもらいました。そのときに、霊をコントロールできるようになれば、サクラさんの役に立てるって芦屋さんに言われたんです。」

「ちょっと待って、なんで芦屋が私のことを知ってんの?」

 サクラは立ち上がって大声を出した。

「ママは、あいつに殺されたかもしれないんだよ!」

 サクラはすごい形相で遼一を睨んでいた。

 遼一は呼吸をすることも忘れ、時間が止まっているかのように動かなかった。


 月曜日の夕方、会社の人に霊を移したことをサクラに話し始めた。順を追って説明しないと伝わらないと思ったから。会社での出来事を簡単に説明し、どうしていいのかわからなくなったから、と芦屋に助けを求めた経緯を話した。

「どうして、私じゃないの?」

「サクラさんが、芦屋さんに相談したらって言ったじゃないですかぁ。」

 サクラは、言ったことをすぐに思い出し、返す言葉がなかった。

「芦屋さんは、柳原さんが浄化できることを知ってたし、サクラさんが賀茂家の末裔ってことも知ってたんです。」

「どうして?」

「わからないです。ただ俺が霊を確実にコントロールできるようになれば、サクラさんの役に立てるって言ったんです!移すだけじゃなくて、浄化もできるし、取り出すこともできるって。あと、芦屋さんは、霊の浄化じゃなくてエネルギーの無力化って言ってました。」

「無力化?」

「意味は一緒で、言葉の使い方が違うってことは、独自に調べたか、他に情報源があるってことでしょ。柳原さんの能力は見ればわかったかもしれないですけど、賀茂家のことは誰かに教えてもらわないとわからないと思うんです。」

「うん。」

「芦屋さんに対しては、恩人なのは変わらないけど、悪人かどうかはもう自信がないです。考え方とかも特殊ですし、感情が全く無いんです。でも、……これからも芦屋さんに霊のコントロール法を学びます。サクラさんの役に立ちたいから。」


 今度は、サクラが両親の話を始めた。

「パパは私が小学生の時に病気で死んだの。本当に病気なのかは知らないよ。こんなことしてると、病気っていうことも怪しく思っちゃう。」

「お父さんも、同じような能力があったんですか?」

「わかんない。無いと思うよ、土御門家の職員だから。霊に関しては、役に立たないし、害もないってとこかな。」

 サクラの母親は、霊を見る、霊を取り込める、霊を浄化する、霊を移すことができた。一人で霊の浄化を続けると身体の消耗が激しいので、浄化を柳原に任せていた。

「私は森川家の落ちこぼれなんだぁ。私は霊が見えるだけ。ママみたいな能力はないから。」

 柳原の能力で処理できない霊は、母親が浄化していた。聞いた話によると、サクラのおじいさんは霊を移すことができないらしい。まだ生きてると、新堂から聞いている。母親が殺されたのは、サクラが高校生の頃だった。売り出し中のアイドルグループに所属し、センターではなく、そんなに目立つ存在ではなかった。

「ママは、ここで殺されたんだって。」

 結界として張られたしめ縄の向こうを、サクラが人差し指で示す。

 遼一はただ黙って、指さす向こう側を見つめた。

「刃物で、何度も刺されたんだって。」

 少しだけ声が震え、少しだけ涙が出た。またサクラは、ゆっくりしゃがみこんだ。

「……すごく痛かったと思う。」

 遼一は不安定なサクラの身体を支えるために軽く包み込もうとしたが、不慣れで、上手くできず、「ごめんね。」と言いながらサクラの手をそっと握った。

「ううん、ごめんね。大丈夫だよ。」

 そういって、続きを話し始めた。

「犯人はね、すぐ捕まったの。」

 犯人は四十代の無職の男性で、精神障害者だった。それでも実刑判決が予想されていた。しかしその男性は病気で亡くなり、被疑者死亡により不起訴処分となった。刑を受ける本人が亡くなったので、裁判ができないということだ。

「犯人が、ママの他にもう一人いたって言ってたの。警察も調べたけど、そんな人はいなかったって。」

 関係者、交友関係、もちろん新堂や柳原からも証言は出なかった。しかしサクラが成人したとき、柳原がその数年前から母親に会いに来てた男がいたと教えてくれた。霊の扱い方を教えていたようだから、警察もそうだが、新堂にも秘密にしていた。いずれ時が来たら紹介されると思っていたから。柳原も見たのは二、三度で顔も知らない。もしかしたら本当の犯人がその男かもしれないし、一緒にいたっていうのがその男かもしれないし。全く関係ないかもしれない。

「もしもその男がママのことが好きだったら?許せなくて、面会に行って霊を移して殺したのかも。」

「もしかして、その男が芦屋さんなんですか?でもそうだとしたら、犯人じゃないし、むしろ仲間みたいな感じじゃないですか。それにその男が犯人だったら、芦屋さんは、登場人物にも入らないですよ。……あっ、ごめんなさい。」

 遼一は、幼いころから考えることが大好きだった。しかしそのことで、大人を馬鹿にしてるように思われたり、テストでもカンニングを疑われたり。思ったことを口にすると、親からも誰からも嫌われることを経験していた。何にも興味を持たないように、気をつけて生活していた。

「どうして、謝るの?」

「なんでもないです。すいません。」

 表情が曇ってきたことに気づいたサクラは、自分の手の上に重ねていた遼一の手を自分の右手で挟んだ。

「嫌な思いをさせてたら、ごめん。でも、思ったことは言ってね。」

「いえ、大丈夫です。あのぉ、手、放しますか。」

「え~っ、なによ、遼ちゃんが握ってきたんでしょ!もう!」

 サクラが笑いながら怒ってるから、遼一も思わず笑ってしまった。

「遼ちゃん、やさしいね。」

 そんなことを、しかも女性に言われたことが初めてだった。

「……で、芦屋さんがどういうふうに関係してくるんです?」

 ドキドキと緊張をサクラにさとられない様に話を戻した。

 母親の霊は結界の中に残っていて、誰も取り込むことができないほど強力だった。何かの力が加わると移動してしまい危険だったので、祠を建てることになった。しかしサクラや柳原の知らないうちに、母親の霊は土御門家の手で本殿に祀られていていたのだ。サクラは近づいただけで、母親の存在を感じることができる。

 土御門家は独自の研究機関で、霊を様々な分野で研究していた。

 三年前、いつものように母へ話しかけてるが、いつものような温かい気配を感じない。サクラは異変に気づいた。母親の存在を感じないのだ。新堂に連絡し、すぐに確認してもらった。

「ママの霊が、ある日突然無くなってたの。」

 二人は拝殿の前に移動した。拝殿の奥に本殿がある。

「新堂さんにも確認したけど、土御門家じゃないって。」

「もしもお母さんに霊のコントロール法を教わってたのが芦屋さんで、しかもお母さんと同じくらいの能力あれば、自分の身体を使って移動できる。」

「優光の会に行ったとき、私はあんな複数の色がまとわりついてる人、見たことがなかった。わかんないけど、ママ以上かもしれない。」

「芦屋さんがお母さんの霊を盗む理由はなんだろう?」

「優光の会と関係があると思う。」

 とはいえ、この話だけでは母親と芦屋を結びつけるのは強引だと思う。亡くなる数年前から、母親が会っていた男に霊を操る能力があったのは、柳原の証言でわかる。サクラだって、遼一に対し興味を持って近づいたのは、霊を操る能力が見えたから。

 母親が殺されたとき、近くにいたならどうして助けることができなかったのか?自分なら、と遼一は考えたが、刃物を振り回してる精神異常者に立ち向かう勇気はない。ただこの能力があるのなら、面会に行って霊を移して殺すかもしれない。でも面会なんて、誰でもできるのだろうか?

 母親の霊を盗む理由はわからない。サクラの言う通り、優光の会に関係があるなら、何らかの理由があるのかもしれない。

「サクラさんが賀茂家の末裔って知ってるなら、お母さんのことも知ってるってことかな。」

 遼一はさっき自分で言ったことを思い出し、全く無関係ではないことに驚いた。

「サクラさん、芦屋さん以外に強い能力を持った人っていないんですか?」

「私の知ってる限りではいない。日本中とか世界中を探せばいくらでもいるんじゃない。でも高い能力があっても、霊を取り込まなきゃ気づかないし。遼ちゃんは歪んで見えるんでしょう。そんなとこ気味悪くて近づかないよ、普通。だから、一生、目覚めない人の方が多いはず。でも賀茂家の末裔って、日本中にいるからわかんないね。みんないい人ってわけじゃないだろうし。」

「そうなんですか?サクラさんだけだと思ってました。」

「そんなわけないじゃん。」

「そんなわけって、普通は存在すら知らないですよ。」

 こんな会話が楽しいと思ってる自分に、遼一は不謹慎だと思った。でも会話を増やすことで、大切な情報も増えるとわかった。

「遼ちゃん。」

「はい。」

「私は、……ママを取り戻したいだけなんだ。」

 

 車を止めた平屋の家に戻った。隣に止まっていた高級車はもういない。新堂の車だったのだろう。サクラが家の中に入っていったので、遼一もそのまま中に入っていった。

「適当に座って。」

 柳原が無造作に寝ていて、適当に座る場所が限られていた。

 柳原がお昼ご飯を作ってくれてたようで、サクラがそれをよそったり、温めなおしたり。

「遼ちゃん、運ぶのくらい手伝ってよ。」

「あっ、はい。」

 また、あっ、が出た。悪気はないが、気が利かない。

「まさか、お湯ぐらい沸かせるよね。」

「たぶん大丈夫だと思いますけど、やったことはないです。」

 遼一は運ぶことに専念した。

「さっき、全国にいるって言ったじゃないですかぁ。どこにいるっていうのもわかるんですか?」

「知らないよ。聞いたこともないけど、教えてくれないと思うよ。新堂さんも自分の担当以外は知らないみたいだし。」

「だったら、芦屋さんも賀茂家ってこともあるんじゃないですか。」

「……。」

 全く考えてもいなかった。そんなこともありえるのか?サクラの頭の中が逆回転し始め、煙が出そうになっている。

「遼ちゃんは、賀茂家じゃないよね。」

「違います。」

 平安時代の話が本当かどうかはわからないが、サクラのご先祖様が見た陰陽師は、誰かに教わったのか、それとも自分でできるようになったのか。貴族じゃない人の中にも存在したらしいから、独自に霊を操れるようになった人は必ずいる。

 芦屋が母親の霊を盗んでいるなら、相当厄介だが、進むべき道はわかる。通れるかは別にして。問題は犯人が全く別の人だった場合、おそらくサクラの母親を知ってる人間だと思うが、それすら手掛かりがない。

「そういえば、土御門家の研究機関ってなんですか?」

「もともとは歴史の研究とか資料集めをしてたみたい。霊と病気の関係を調べるようになって、それが時代とともに顕微鏡で観察したり、電気でビリビリしたり、なんか難しいことやってるんだって。」

「人体実験もしてるらしいぞ。」

 柳原が急にむくっと起き上がり、話に割り込んだ。

「噂ですよね。」

「動物かもしれんけど、霊が身体の中でどう変化するかって、その人の持ってる霊のエネルギーを反応させるわけだから、身体を使わんとわからねぇんだよ。そうなると、そこには霊を操れる奴も協力してるってわけだ。霊に圧力をかけると燃えるらしいぞ。やり方は知らねぇけど。昔なら、火事も起こせたってことだ。」

 どこから聞いてきたのか、新堂から直接聞いたのか、どちらにしても土御門家が一番怖い相手なのでは。

「芦屋さんって、霊のことをエネルギーって言うし、浄化のことを無力化って言うですけど、なんか科学的な感じがしません?」

 どんどん芦屋の賀茂家説が高まってきた。しかしそう仮説を立てると、優光の会と土御門家がつながることになる。母親の霊を芦屋が盗んだとしたら、その背後の黒幕は土御門家ということか。そんなことを遼一は頭の中で妄想し、また余計なことを言ってしまったと後悔していた。

「じいちゃんなら、何か知ってるかなぁ。」

 思い出したようにサクラは言った。

「おじいさんも霊の浄化をしてたんですか?」

「うん。ママのお葬式以来会ってない。私も辛かったけど、じいちゃんの方がもっと辛かったのかな。ずっと泣いてた。じいちゃんにママの話は無理かぁ。」

「もう十年だからなぁ。電話で近況報告ぐらいいいんじゃねぇのか。」

「そうだね。あとで掛けてみる。」

 この家は森川家が住んでいて、サクラの母親が亡くなった後、サクラがマンションに移り、この家に柳原が住むようになった。この家もサクラが住んでいるマンションも土御門家が管理している。


 車のエンジンをかけ、家を出た。しばらく家の前の細い道路を走ると、大きな国道に出るのだが、その手前で何時間も前に家を出た新堂の車が止まっていた。この細い道路は抜けるところがないので、今は賀茂神社の関係者と柳原の車しか通らない。

 新堂の呼吸が止まっていた。

 柳原が急いで警察に電話して、救急車を呼んだ。エンジンが掛かったままで、ギアがパーキングに入ってる。運転席の窓も開いてる。おそらく誰かに声をかけられた状態だ。遼一は何もできず、固まったまま動けなかった。

「サクラ、土御門家に電話しろ!」

 サクラも混乱していた。柳原の指示に従い、深呼吸してから土御門家に電話をかけた。

「新堂のやつ、持病でもあったのか。……なんだ、この手?爪が変色してるぞ。」

 柳原が新堂の様子を確認していた。念のため、と言いながらスマホで写真を撮り始める。冷静に対応しているのは柳原だけだった。

 先に来たのは警察だった。柳原が対応し、遼一とサクラはその様子を眺めていた。まだ冷静ではいられないが、いろんなことが頭の中を駆け巡り始めた。

「誰かに霊を移されたのか?」

 二人とも口には出さなかったが、お互いの目を合わせ、黙って唾を飲んだ。

 救急車が到着し、その後ろに土御門家らしき人の車も到着した。土御門家らしき人が何かを見せると、警察の人は敬礼し、しばらくして柳原が解放された。

 あとは土御門家が対応するらしく、遼一たちは現場から立ち去ることができた。

 大きな道路に出ると、遼一の口から大きなため息が漏れた。

「もし、誰かに殺されたとしたら。」

 サクラが、我慢できずに言った。

「俺たちもヤバいのか?」

「でも俺らが目的なら、なんで関係ない新堂さんが殺されるんでしょう。」

「そうよね。新堂さんは関係ないもんね。」

 サクラはそう言って、ペットボトルの水を飲んだ。

「遼ちゃん、飲む?」

「あっ、いえ、結構です。」

「……、あっそう。」

 サクラは差し出したペットボトルを戻した。

「そういえば、さっき爪が変色してるって言ってましたよね。」

 遼一は、自分でも嫌なことを思い出したと考えながら言った。

「あぁ、新堂の爪か。」

 そう言って、柳原は運転しながらゴソゴソとスマホを取り出し、遼一に手渡した。

「写真撮ったから、見てみろ。」

 スマホを受け取り、写真を確認した。

「あっ!」

 写真の爪に小さな血豆も何個か写っていた。

 遼一は、工場の人間に霊を移したことを告白した。そして食中毒になった相手の爪が変色し、新堂の写真のように小さな血豆があったことも。

「お見舞いに行った同僚が言ってたんです。本人も、どこにもぶつけてないって。霊を移されてそういう症状が出るなら、優光の会がらみのウワサも調べられるかもしれないですね。」

「芦屋が霊を使って本当に人を殺してたら、新堂の件だってなんか関係があるはずだろ!」

 さっきまで冷静だった柳原の声が、少し感情的になった。

 本当に人を殺すような人を調べるなら、本当に覚悟が必要になる。

 

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