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霊を操る人

 風間遼一は心療内科のウチムラ・クリニックで、緊張しながら自分の順番を待っていた。会社を休んでいるという多少の罪悪感もあるが、心療内科には少し違う空気を感じている。

 待合室で見ていたスマホのネットニュースに、気になる記事が目に入った。

「ジャーナリストの澤田京子さん、突然死!宗教法人優光の会との関係は?教祖芦屋氏の噂は本当なのか?」

 タイトルにつられて記事を読んでみると、死因は脳梗塞。ガンを患っており、血栓ができやすくなるらしい。でもガンになった理由は、教祖である芦屋の呪いとか超能力といったオカルト的な内容だった。遼一は幽霊や怪談話は苦手だが、宇宙人とか超能力とかの話は好きなので、ついつい読んでしまう。

 しかし宗教法人としての優光の会は、高額献金や詐欺的な勧誘の話など、宗教あるあるの話を聞いたことがない。もちろん表に出ていないだけかもしれないが、むしろ気持ち悪いくらい評判が良いのだ。確かに澤田京子の優光の会叩きは酷かったが、やはり内容はオカルト的なことなので、誰もがパフォーマンスとしか思っていなかった。もちろん遼一も、そう思いながら澤田京子の記事に興味を掻き立てていた。

 最近テレビで話題の宗教団体。一部でカルト教団と言われているのに、YouTubeの評価も高く、再生回数も人気タレント並み。急激に信者が増えた理由に、教祖の都市伝説的な噂があった。余命宣告を受けた末期ガン患者を治したというのだ。それも一人ではなく、三人。その宗教団体は否定しているが、そのうちの一人はテレビのインタビューで認めている。その病院の担当医も末期ガンだったことは認めているが、抗がん剤の効果としか言えないと、濁すように答えていた。

 しかし、その教祖の噂はもうひとつあった。治癒とは反対の発病。教団や教祖を誹謗中傷すると、原因不明の病気になって死んでしまうという噂。澤田京子の記事よりも、ずっと前からインターネットの掲示板を騒がせていたのだ。

 その宗教団体の名は、優光の会。教祖は、芦屋正太郎。

 

 遼一は仕事のことで悩んでいた。実際は仕事のことで悩み、不安になり、自分の中で解決方法が見つからず、体調を崩す。吐き気や耳鳴り、そして不眠症。心療内科の診断は、どこに行っても統合失調症。初めて診察を受けた時、仕事は辞めないほうがいいと言われたが、退職したことで症状が改善した。

 しかし転職しても人間関係だったり、業務内容のプレッシャーだったり、悩みと共にまた体調を崩していく。遼一にとっては、どうしてこんな目に遭うのか、運が悪いのかと真剣に悩んでいるが、周りの意見は違う。こらえ性が無いとか、ただの転職癖とか。

 いろんなことが悪循環して、どんどん孤立していくのも実感している。何か救いを求めるように、ネットの評判を調べては心療内科も何ヶ所か回り、その甲斐あってか、心から素直な気持ちを話せる先生に出会えた。それがウチムラ・クリニックだった。

「不安症かなぁ。」

 不安症?遼一にとって初めて聞いた病名だったが、丁寧な説明のおかげで腑に落ちた。仕事の悩みが原因で心の病気になったと思っていたのが、不安症という病気のせいで悩みが大きくなり、どんどん深刻になって体調を崩していく。結果は一緒だけど、病気のせいだという逃げ道を作ってもらえたようで、モヤモヤした気持ちを少し消せたような気がした。

 ほっとしたせいか、遼一の目から涙があふれ、声を殺して泣いてしまった。何も解決しているわけではないが、遠くの方に優しい光が見えて、止まっていた足を一歩前に踏み出せたような気がする。泣いてしまった自分にも驚いたが、深刻な悩みなんだとさらに実感した。

「自分は弱い人間だ!……なんて思ってるんでしょう。風間さん、みなさんそうですよ。もちろん症状も違えば、重さ、軽さも人それぞれです。僕もそうでした。僕はそれがきっかけで、心療内科という仕事にたどり着きましたけど……。これから大切なのは、誰と出会って、どんな話をするかです。僕の場合、高校一年の担任の先生との出会いです。心のお医者さんになろうという目標は、夢というより、そのときは使命感かな。病気というより、性格とか個性だと思ってください。治すんじゃなくて、上手に付き合って、少しずつ変わっていくんです。」

 

「どうですか?」2回目の診察の第一声。

 内村先生は、遼一の顔を覗き込むように笑顔で尋ねた。それは探るような雰囲気ではなく、力の抜ける心地よさを感じた。

 もともと遼一は人見知りで、うまく言葉を伝えることが苦手だった。しかも聞かれたら答えるというスタイルなので、知り合いのいない会社勤めは、悪いほうに誤解されることが多い。

「誰かに相談するとか、悩みを打ち明けるとか、風間さんにとっては難しいんだよね。そういうのって、意外に経験値が必要だから。学生の頃、先生に相談するとか、先輩や友達を頼って悩みがどんどん解決していくと、それが良い経験として積み重なっていくんですよ。」

「相談が苦手というか、相談するってことが思い浮かばないんです。」

「うん。経験値だからね。十段階で表すと0の人はここにも来ない。風間さんは二とか三ぐらいかな。例えば八以上になると、相談ばかりしないで自分で考えろ!って怒られるタイプの人。風間さん、五を目指しましょう。僕と会話を重ねて、経験値を上げましょう。」

 

 3回目の診察のとき、内村先生から芦屋正太郎、優光の会教祖の芦屋の名前が出た。しかも知り合いだという。良くも悪くも話題の人。有名人。遼一は驚きと興味で心拍が上昇したが、無関心に見えてしまうほどリアクションが出来なかった。

「う~ん。……風間さん、幽霊って信じますか?」

 リアクションに困ってる遼一へ、追い打ちをかける質問がきた。

「あっ、いや。えっ、あ~、見たことがないから信じてはいないんですけど。」

 どうして宗教団体から幽霊の話になるんだろう?確かに関連性はありそうだが、質問に答えることで精一杯になっている。幽霊を見たことはないが、夜寝る時、電気を消して寝られない。怖い映像を観ると、必ず寝る前に思い出す。つまり遼一は幽霊を信じているということだ。

 内村先生によると想像力の高い人に多いらしい。イメージを膨らませる能力があるから、見たことのない幽霊をリアルに想像してしまう。その想像力で日常生活をより楽しめればいいが、悪いことや辛いことが頭の中で成長してしまう場合、どんどん心が壊れていく。悪いほうへ考えないようにしましょう!とアドバイスされるけど、考えてしまうということを含めて病気なので、それを抑制できない苦しさを身近な人たちに理解してもらえないのだ。悩みや問題の大小にかかわらず、自分の頭の中で解決方法が見つからないと、悪いほうに働く想像力が心を押し潰してしまう。

「数年前の芦屋さんも、そういう悩みに苦しんでました。」

「えっ、……そうなんですか!……幽霊?」

「いや、幽霊じゃなくて。対人関係とか、風間さんと同じでネガティブ思考が強くてね。僕が知り合ったときは、ヨガのインストラクターをしてました。他人を寄せ付けないオーラがあって。あっ、幽霊みたいなのが見えるっても言ってました。」

「なんか、すごいですね。ヨガとか、オーラとか、霊感みたいなのとか。」

「ごめんなさい。いや、ヨガは本当に素晴らしいんですよ。ただオーラっていうのは、単に私に話しかけないでという表情や態度のことで、人付き合いが苦手なだけですよ。幽霊の話もよくわからないんですけど、歪んで見えるところに亡くなった人のエネルギーが残ってるそうです。」

「それがなんで幽霊なんですか?」

 遼一には心当たりがあった。子供のころ、母方のおじいさんが家で亡くなったとき、おじいさんの寝ていた場所の空気が歪んでたというか、妙にぼやけて見えてた。2、3日して見に行ったら、もう普通の空間に戻っていて歪みなど無くなっていた。自分の目がおかしくなったと思い、その時は怖くて誰にも言えなかった。

「直接会って聞いてみますか、芦屋さんに。おもしろいと思いますよ。」

「でも、いろんな噂が……。」

「それも全部聞いてみてください。大丈夫ですから。経験値、上がりますよ。」

「あ~、そういうことですね。……あ~、でも怖いなぁ。先生も一緒ですよね。」

 こんなに楽しく会話をしてるのって、何年ぶりだろう?遼一は内村のペースに圧倒されながらも、自分の言葉を発している。今、目の前に幸運のネックレスって言われたら、間違いなく買う自信があった。


 これは、4回目の診察ということなのか?遼一は頭の中で考えた。たぶん2回目までは診察で、前回はリハビリみたいな感じなのかな。今回もリハビリというかトレーニング的な要素がありそうだ。

 現地集合ということで、遼一は一人で宗教法人優光の会に来た。もちろん話は通っており、奥の部屋に案内されたが、緊張で、変な汗が止まらない。宗教法人なんて、今までかかわったこともない。早く内村先生が来ないと、心臓が爆発しそうだ。

 扉が開いた。

「初めまして。芦屋正太郎と言います。」

「あっ、初めまして、風間遼一と申します。よろしくお願いします。」

 結局、内村先生は来なかった。

「内村さんから話は聞いてます。私と同じだそうですね。」

 そういって、芦屋から握手を求めてきた。遼一が両手で握手を受けた瞬間、身体に何かが入ってきた。

「うっ!えっ、なに?」

「……こっちのほうも、同じだったんですね。普通の人は何も感じないんですよ。」

 驚いてる遼一に目を合わせ、芦屋は表情を変えずに手を放し、ゆっくりとソファーに腰を下ろした。

 さっきまでも緊張感が、一瞬にして得体のしれない恐怖へと変わった。遼一の身体の中で、内臓や血管とは違う表現出来ない何かが動いている。

「ごめんなさい!助けてください!」

 遼一の脳裏にあのネットニュースが浮かんだ。ジャーナリストの澤田京子さん、突然死!

「風間さん、静かに話を聞いてください。」

 腹部に違和感を感じながら、遼一は恐る恐る腰を下ろす。頭の中は真っ白で、どうしていいのかわからない。

「風間さん、まず最初に言っておきます。あなたが死ぬことはありません。私に殺されることもありません。そして、あなたの身体の中に入ったものは、生命のエネルギーです。生き物の身体と連動しており、亡くなるとほとんどが消滅します。稀に亡くなっても強いエネルギーとして残る場合があります。私はそれを見ることができます。身体に取り込むことも出来ます。そして他の人に移すことが出来ます。今、あなたの身体にしたことです。」

「はい。」遼一は、か細い声で返事をした。

「風間さん、身体に変化を感じるなら、あなたも私と同じ能力があるはずです。」

「はい。……えっ?」

 遼一の中の恐怖感が、その不思議な能力の話のせいで、思考がマヒしたようだ。何か考えようとしたが、何も思いつかない。うつむいていた顔を起こし、芦屋の顔に目を向けたら、芦屋の右手とその周辺が歪んで見える。瞬きしたり、目をこすってみても、目の錯覚ではない。

「もう一度言います。人はエネルギーを持っていて、死ぬとそのエネルギーも消滅します。稀に強いエネルギーが残るときもあります。私はそのエネルギーを取り込んで、他の人に移すことが出来ます。そして風間さんにも、その能力があるようです。」

「芦屋さんの手が歪んで見えるのは、そのエネルギーなんですか?」

「外に出ようとするエネルギーが、手からはみ出しているのでしょう。話を受け入れてもらえたようですね。」

 その能力が自分にとってプラスなのか、マイナスなのか?今の遼一には判断できなかった。しかし自分の病気、心の病にとって、きっと内村先生がプラスだと判断したのなら、この出会いが遼一の経験値を上げるはずだと信じることにした。

「……はい。」

 今、遼一が思ったことは、ありのままを受け入れたほうが楽かもしれない、ということ。内村先生は、遼一と芦屋が似ていると言っていたから。

「風間さんは、この能力を使う必要がありません。これから話す内容は、この能力のことではなく、私自身の話です。内村さんが言うように、あなたと私は本当に似ているんだと思います。でもそれは、表面的なものではなく、心の奥の隠れている部分です。」


 芦屋も子供の頃から、人とのかかわりが苦手だった。興味を持ったことに対し、異常なほど意識が集中してしまう。人が苦手なのではなく、人に対して無関心なだけで、考え方や行動に興味を抱くこともある。

 大学生の時、サークルの勧誘をしている女性に連れられ、ヨガのサークルに入った。ヨガを追求することは、時間がいくらあっても足りないと思えるほど、ヨガのすべてに没頭していた。

 就職活動が苦痛で、アルバイトも会社勤めもしたことがない。大学時代の知人にヨガ・スタジオの経営者を紹介されたことがきっかけで、それからヨガのインストラクターとして働くようになった。今から十年前、そのヨガ・スタジオに内村が入会した。

 数年後、内村の提案で独立することになった。内村が宗教法人優光の会に芦屋を連れて行き、ヨガだけではなく、内村のサポートで生徒の悩みや相談を聞くことも始めた。救いを求め、心と身体の開放を目的としたヨガ教室になった。そして三年前、芦屋は優光の会の新しい代表になった。

 

 大まかではあるが、どうしてプロフィール的な話を遼一にしたのだろう?それに今の話では、「人とのかかわりが苦手」という以外、遼一と共通する性格が見当たらない。

「私は内村さんに、ASDと診断されました。自閉症スペクトラム障害とも言います。これは病気ではなく、個性だと言われました。私もそう思います。私は身を守るための殻をつけていました。聞こえないフリをしたり、その場から逃げたり。フリではなく、その時は本当に聞こえていないのですが。そういう殻を内村さんが壊してくれました。」

「芦屋さん。どうしてそんな話までしてくれるんですか?それに似ているところがあると思えません。たしかに人間関係とかは苦手ですけど。病名も全然違いますよ。」

 遼一は、まだ似ているということに抵抗があり、できるだけ共通点を否定したい気持ちがあった。

「過去のことをいろいろ話した理由は、これからインタビューや取材などを私の代わりに対応していただくためです。教団の広報はありますから、あくまで私個人についての対応です。それから……。」

「あっ、あのっ!」

 芦屋の言葉を遮るように、遼一は手と顔を上げた。

 またそれを遮るように、芦屋が遼一に手のひらを見せた。

「私はあなたに興味があります。あなたの心の奥に隠れている部分は、まだわかりません。似ているのはそのことだと思います。私が内村さんにしてもらったように、私があなたの殻を壊します。」

 芦屋の言葉が終わると、遼一は上げていた手を下ろした。

「内村さんにお願いされました。」

 遼一は内村に対し、絶対的な信頼を寄せていた。医師と患者という立場もあるが、自分でも理解できないくらい、まるで催眠術にでもかかっているように指示を素直に受け入れてしまう。それだけ信用し、身を任せる覚悟があるということだ。

「わかりました。よろしくお願いします。」

「時間があれば、ヨガ教室に参加してください。興味があれば、他人の悩みや相談を聞くのもいいと思います。」

 遼一に前向きな気持ちはなかったが、この日の夜は、よく眠れた。芦屋からの無理な提案に、いつもなら不安な妄想が爆発し、体調を崩すはずなのだが。なぜだろう?芦屋から送られたエネルギーは、朝には身体から消えていたが、遼一がそのことに気づくことはなかった。

 

 吐露の時間。

 実際にそんな風に呼んでいる人は少ない。ヨガ教室の延長線にある、悩みを打ち明けたり、軽く相談に乗ってもらうような気分転換の時間だった。しかし娘の不登校や重い病気、親が詐欺あったなど、手助けできるわけではないが、みんなで痛みを分かち合うという環境ができていた。ご近所や友達には話にくいことも、ここでなら話せた。それでも話せないようなことは、別の時間に芦屋が聞いてくれる。それが「吐露の時間」の始まり。命名したのは、内村。

 

「もう、気づいた時には手遅れで。」

 吐露の時間で、芦屋に打ち明けるのは信子という小さい孫がいる信者。

 ご主人がガンで余命宣告されたという。大声で泣きながら話しているので、ガンという病名と、助からないと言われたことと、旅行に行く約束してたという話はわかった。普段の信子は、ちょっとしたことでもビクつく怖がりな女性で、人の顔色を気にするところがある。性格的には遼一に似ていて、誰にも相談するタイプではないから、ご主人の病気のことを知っている人は、教団内にはいなかった。

「明日、お見舞いに伺ってもよろしいですか?」

「えっ。……あ、はい。」

 予想外の芦屋の言葉に、信子の涙が止まった。

 しかしまた涙腺が崩壊して、涙でグチャグチャになった顔を芦屋の手と膝にこすりつけながら、言葉にならない感謝の言葉を言い続けた。

 

 翌日、信子と病院で待ち合わせをして、約束通りご主人のお見舞いにきた。芦屋だけではなく、内村も来たので、信子は目を丸くした。

「先生まで、ありがとうございます。」

「芦屋さんは口下手ですから。それに用事もあったんで都合がよかったんです。」

 いつも通りラフな服装の芦屋と紺のいかにも高級そうなスーツ姿の内村が、信子に連れられて病室に向かう。

「お父さん、ヨガの先生よ。お見舞いに来てくれたの。」

 信子が、そう紹介すると、内村がそそくさに前に出てお辞儀をした。

「ヨガ講師の、こちら芦屋です。私は内村と申します。」

「あぁ、信子がいつもお世話になってます。先生、信子は、先生のヨガを習ってから、なんだか前より明るくなってねぇ。本当に先生、ありがとうございます。」

「こちらこそ。ご主人の手を握らせていただいてもよろしいですか。」

 芦屋の言葉は疑問形ではなく、言い終えたときには、もうご主人の手を握っていた。

「先生の手は、あったかいねぇ。気持ちいいやぁ。」

 ご主人は、そのまま寝てしまった。

「あらっ、やだ、ほんとに寝ちゃったの?」

 あまりに気持ちの良さそうな寝顔に、信子の顔もほころんでしまった。

「先生の手は、抗がん剤より効くんじゃないかしら。」

 内村がきちんと挨拶し、芦屋も軽くお辞儀をすると、信子が二人を見送った。


「この調子で、もう少し様子を見ましょう。」

 次に検査した時、抗がん剤の効果が予想よりも良かったことを信子は医師から聞かされた。医師は素直な喜びとは別に、奇妙な感情に汚染されていた。抗がん剤ではありえない効果だから。ありえないとは言えないが、逆に想定以上の副作用があったらと考えてしまう。

 しかし一ヶ月後、想定外のことが起きてしまった。

 全身に転移していたはずのガンが、すべて消えてしまったのだ。

 呆然とするのは医師の方だったが、目の前の現実を受け止め、冷静に抗がん剤の効果を説明しなければならない。奇跡とか運などの言葉を使えば、患者が不安になってしまうからだ。こんなことは、他の医師に話しても絶対に信じてもらえない。もともとの診断ミスだろ!自分が逆の立場なら、きっとそう言う。しかしカルテや映像、データを見れば、まともな医師なら奇跡と言いたくなるはずだ。

「先生のおかげです!先生は神様です!」

 担当の医師も、照れるしかない。

「抗がん剤の効果です。もうしばらく検査を続けて、問題がなければ退院しましょう。退院しても定期的に検査は続けますよ。」

 

 信子はご主人のガンが治癒したことを、芦屋と内村へ報告しに来た。

「そうですか。それは良かった。」


 数日後、インターネットの掲示板の書き込みに、一部のオカルト好きが沸いた。

「宗教法人優光の会 信者のガンを不思議な力で完全に消した!」

「その病院でも、かなり大騒ぎで」

「ただの誤診」

「本当に末期がんなのか知らんが、一ヶ月でガンは消えない」

「看護師が、教祖が患者の手を握ってたって」

「握ってなんかなんの?」

「病院中にお祈りが響き渡った」

「ありえん」

「クソ」

「つーか、いい人じゃん」

「……」

「他のウワサもあるよ」


 吐露の時間。

「家に帰るのが怖いんです。ママは守ってくれないし。……それに」

 高校1年生の恭子は、友達の家族が優光の会の信者で、その友達に連れられて出入りするようになった。恭子は父親に虐待されていて、身体に消えない傷と痣もある。成績が悪いと首を絞められるし、性的な虐待も、母親は止めてくれない。毎日ではない。機嫌が悪いとき。いろんな理由があるからよくわからない。

 友達と一緒にヨガを習い始めた。初めは友達が内村に相談し、福祉事務所や児童相談所に連絡することも考えたが、高校生なので、本人の気持ちを確認してからにすることになった。

 恭子とその父親に血縁関係はなかった。話し始めたころは、怯えるように震えていたが、少し怒りの感情が声の強さに反映した。憎しみも伝わってくる。そうとうアルコールを飲むようだ。無理やり飲まされることもある。

 芦屋は恭子の手に自分の手を重ねた。

 恭子は、一瞬ビクッと反応したが、芦屋の顔を見て吐息を漏らした。震えも止まり、恐怖や怒りも落ち着きだした。

 法的に守ってもらうかどうか、まだ恭子は悩んでいた。母親に迷惑がかかることを心配している。自分を守ってくれない母親なのに。

 その日恭子は、友達と一緒に家へ帰った。


「本人が決めるまで、仕方ないね。……それか、知らない人のふりして、電話しちゃおうかな。」

 恭子が帰った後、内村が独り言のようにつぶやいた。

 たとえ通報したとしても、恭子が否定してしまえば先に進まないかもしれない。恭子が病院で診察を受けて、医師が痣を見て通報すれば展開が変わるかもしれないが。


 しかし数日後、アルコールが原因で恭子の義理の父親は吐血し、意識障害に陥る。その日のうちに死亡が確認された。腹水が溜まっており、黄疸などの症状から肝硬変と家族に報告があった。


「他のウワサって、父親が死んだやつ?」

「高校生の娘を虐待してた」

「それと優光の会の関係は?」

「信者」

「えっ、信者が殺されたの?」

「違う。娘が信者」

「女子高生が自分から入信したの?」

「それが、すでにカルト」

「経緯は知らんが、虐待してた父親を教祖が殺してくれた」

「ありえん」

「殺人事件なら、ニュースになる」

「……」

「他にもあるよ」

「またか」

「信者のストーカーが、心臓止まって死んだ」

「信者をいじめてたやつ。脳の血管が切れて、意識不明」

「っていうか、殺人事件じゃないぞ」

「うん。人はそれを病気と言う」

「あっ、ジャーナリストの澤田京子 突然死!」

「このタイミングは、さすがに怖い」

「他にもあるよ」

「もう、いらん」

「っていうか、内部告発?」

「……」

「それ、ヤバくね」


 吐露の時間。

 ジャーナリストの澤田京子の死が教団内をザワつかせた。どんなに騒いでも、本気にする信者はいない。世間も面白がってるだけで、週刊誌とオカルト関連本の小さな記事になっているだけ。澤田京子が書いた記事を取り扱っていた週刊誌だけは、大きく弔い記事として掲載していた。

「どうしますか?」

 内村が、教団内で話題になってる噂について芦屋に尋ねた。

「すいません。興味がないので、どうでもいいです。」

「そう言うと思いました。内部告発っていう噂もあって、もしかしたら信者の誰かかもしれないですが。」

「すいません。やはり興味がないので。」

 世間がどんなに大騒ぎをしても、芦屋は自分の興味の対象以外は見向きもしない。信者たちも、一般のヨガ教室に通ってる人たちも、無口で無表情の芦屋に対し、不思議なカリスマ性を感じていた。「超能力とか似合いそう」という勝手なイメージで話題を楽しんでるだけだった。

 

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― 新着の感想 ―
不安症で悩む遼一が内村先生との出会いをきっかけに芦屋という謎まみれの人物と関わっていくのが面白かったです。芦屋の持つ不思議な能力や彼が関わった人々の身に起こる不可解な出来事がオカルト的な要素と絡み合っ…
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