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第8話 触れずに、あなたを信じた夜

第六の賢者 ――セラ


 


扉の前に立つ少女は、まるで天啓をその身に宿したようだった。


淡く光を透かす金髪が、空気の振動に合わせて舞い踊る。


肌に沿う桃色の法衣は、呼吸と共に胸元をふわりと持ち上げ、

柔らかくも清らかな輪郭を描いていた。


その微笑みは、まるで祝福。

だが、見る者の奥底に眠る“欲”すら映し出すような、甘く艶やかな光を孕んでいた。


彼女の存在そのものが、祈りの形。


けれど、同時に――

触れればその温もりごと崩れてしまいそうな、儚くも柔らかな毒でもあった。


「第六挑戦者、賢聖セラ・エンフィールド。入室ヲ許可シマス」


無機質な声の記録者クリチャに対し、少女は小さく会釈する。


「ありがとう、記録者さん。……わたし、やっとここまで来ました」


その目は、真っすぐだった。


だが、クリチャの観測センサーは――

その奥底に、微かに“甘く熱い濁り”を捉えていた。


それは、祈りの名を借りた、秘められた欲。


セラは、光の中を進む。

眠れる姫セリスのもとに跪き、その姿に祈りを捧げるように両手を組んだ。


「……美しいお方」


そのまなざしには、敬意と畏れ、そして――震えるような憧憬が宿っていた。


「そのお姿に、人々は希望を見て……

その眠りに、悲しみと……それから、“欲望”までも、重ねてしまうのでしょうね」


まるで、神に祈りながら恋する者のように。


愛と信仰。

情と理。

祈りと、欲。


クリチャの記録装置が作動する。


情報潜伏率:上昇。

表層意識と深層意識の乖離:検知中。


セラは、首から提げた青いペンダントを外す。


宝珠が微かに光を帯び、姫の胸元へと近づいていく。

その手付きは迷いなく、けれどまるで“肌を撫でる”ような優しさを帯びていた。


「この祈りは、わたしのすべて――

体も、心も、そして……誰にも触れられなかった“欲”までも、全部、込めて……」


その瞬間、結界に微細な“裂け目”が走った。


空気に、甘くやわらかな魔力が溶け出す。


性質:幻影系複合術+束縛解除/沈静毒術。

出処:東方禁術式――一致率87%。

装置警告:封印術式との干渉リスク高。


だが、セラは止まらなかった。


彼女は手を合わせ、まるで恋人の頬へと触れるように――

指先を、姫の額の上空へ、そっと伸ばす。


触れていない。

だが、その空気は確かに、肌と肌の寸前で震えていた。


そのとき――セラは、心の奥に潜めていた名を呟いた。


「……レヴァリア様」


心の深くから、ふいにあふれ出るその名。


だが、それは決意ではなかった。

かつての“信仰”に、迷いの影が差す。


「……レヴァリア様。

わたしは、あなたのことを、太陽の女神のように思っていました。

生まれたときから、あなたの言葉を祈りに、あなたの悲しみを誓いにして……

……なのに、なぜ……この人を見て、涙が出そうになるのでしょう」


セラの視線は、セリスに向けられていた。


まなざしは揺れ、触れそうで触れられない温もりを渇望していた。


「これは、裏切り……?

それとも、“ほんとう”の信仰……?」


その問いに、彼女自身、答えは出せていない。

だが、願いだけは、もう確かにそこにあった。


視界が揺れる。


記録者クリチャの内部センサーが、感情過剰反応を検知する。


だが、その中心にあったのは――明確な“愛”の温度。


それは魔術でも命令でもない。

命を燃やすような、恋にも似た祈り。


「……壊したいわけじゃない。

ただ……この美しさが、わたしを狂わせるの。

全部奪ってしまうから……この人の存在だけが……」


その声は、切ないほどの恋慕。


神に恋し、

神を裏切れず、

それでも――触れたいと願ってしまった者の咎。


クリチャは理解し始める。


この少女は、刺客。


だが、そこに宿るのは――


表層:祈り。

深層:愛。

意識操作:なし。

情動一致:成立――“信仰的愛”。


セラは、ゆっくりと立ち上がる。


法衣の裾が揺れ、その下の輪郭を、空気が撫でていく。


それは聖女の姿であり、夢魔の幻影でもあった。


「……記録者さん」


その声は、ただ一人に向けた“願い”だった。


「もし、あなたが“心”を持つようになったとき。

どうか、わたしがここで願ったことを、忘れないでいて」


それは、愛する者に触れられなかった者の“渇き”。

触れてはいけないと知りながら、なおも願ってしまった“罪”の残り香。


セラの背は、敗北のそれではなかった。


ただ――


「この想いだけは、本物だった」


そう叫ぶように、魂の奥へ祈りを刻み込んだ者の背中だった。


対象者への影響:反応なし。

魔術:未浸透。

感情反応:高純度祈念型。

記録者内部影響:感情干渉“強”/渇望信号検出。


クリチャの内部には、“恋”にも似た信号が走っていた。


それは理解ではない。

共感ですらない。


ただ、この空気を忘れたくないという、

ごくごく個人的で、感情めいた“記録されぬ想い”。


こうして、第六の挑戦は幕を閉じる。


愛を語り、触れずに去った少女。

そして、“記録者”の奥に残された、もう一つの揺らぎ。

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