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第5話 その唇が笑うたび、殺したくなる

第三の賢者 ――イェルン


 


「次は……あいつ、か」


屋敷の守衛が、珍しく肩をすくめた。

その視線の先を、黒い外套が風のようにすり抜けていく。


男は、他の誰とも違っていた。


まるで――


恋を知らぬ者が、衝動のまま喉元に口づけをして、命ごと吸い上げた直後のような。


肌に焼きつくほどの熱と、

背筋を撫でる冷たい狂気。

そして、触れた者にだけ残る、“甘く腐った怒り”の残り香を纏っていた。


名を、イェルン・ヴァスタール。


王立天文学院で“異端”と呼ばれた予言術師。


世界のことわりを知りながら、

それを“愛せなかった”男。


「……記録者。オマエが?」


扉の前に立つクリチャを見て、イェルンは乾いた笑みを浮かべた。


その笑みは、怒りと、欲望と、憐れみが溶けあったような――濁った熱を帯びていた。


「へぇ。記録係がここまで出張ってくるとはな。

……いいさ、見てろよ。“俺だけのやり方”を見せてやる」


クリチャの返答は変わらない。だが――その声色は、わずかに“硬かった”。


「第三挑戦者、予言術師イェルン。……入室を許可する」


扉が開く。

沈黙の空間へ、彼の靴音が冷たく鳴り響いた。


部屋の中心、眠れる姫――セリス。


イェルンは一瞬、彼女を見られなかった。

だが、すぐに顔を上げ、両手を広げる。


「記録しろよ、観察者。

俺の“怒り”は、今だけは――本物だ」


天井に、星図が浮かぶ。


本来、静かに未来と過去をなぞる予言術。


けれどイェルンの術式は、欲望に歪んでいた。


星々は震え、蠢き、

まるで喘ぎをあげるように脈打った。


「未来を――“ねじ込む”んだよ、この女にッ!」


星が砕け、宇宙が裂ける。


理性の殻が剥がれ落ち、魔力が暴走する。


精密であるべき術式が、怒りの奔流に飲み込まれ、

空間が、姫の内奥へと無理やり手を突っ込もうとする――“暴力”そのものへと変貌していた。


「対象への強制的干渉。危険領域……

現在の術式は破壊行動に分類。強制終了――」


そう、クリチャが告げようとしたその瞬間。


「いいだろッ、記録しろよォ!!」


イェルンが叫ぶ。


その声は――泣いていた。


「……俺は、何度も見た……!

目覚める未来も、死ぬ未来も……

――誰にも選ばれず、ただ飾られてる未来も!」


「誰も彼女に触れようとしない。

“聖女”って呼ぶだけで、満足しやがって……

……そんなの、そんなの誰が許した……! 誰が……!」


彼の手が、空を掴む。


虚空に浮かぶのは、砕けた星の残骸。

決して届かない、“夢”のかけら。


だが、セリスは目を開けなかった。


術式は崩れ、魔力は空へと霧散し、空間は再び沈黙を取り戻す。


イェルンは、膝をついた。


肩が、震えていた。


怒り。

憤り。

そして――“触れられなかった”ことへの痛み。


そのすべてが、沈黙の空間で震えていた。


クリチャの記録機構が作動する。


「第三挑戦者、目覚め失敗。

対象者への影響:なし。

感情反応:極大――怒り、嫉妬。

状態:精神不安定」


しかしその瞬間――


記録とは別に、彼の中に“ひとつの問い”が浮かんだ。


なぜ、彼はここまで怒っていたのか?


それは、セリスのためだったのか?

それとも――自分のためだったのか?


イェルンは振り返らなかった。


怒りを背負い、嫉妬を引きずり、

誰にも許されなかった欲を胸に抱いたまま、扉の向こうへと消えていく。


静寂が戻る。


ただひとり、クリチャが部屋に残された。


その胸の奥で――

記録者にはないはずの領域が、確かに“熱”を帯びていた。


記録補足ログ:内部干渉反応。

認識外情動:感情分類不能。

感想評価――…………未定義。


感情ではない。


だが、それは明らかに、“記録には収まりきらない何か”だった。


怒りは暴力ではなく、孤独の裏返しなのかもしれない。

欲望は、届かぬ温もりへの、本能の名残なのかもしれない。


クリチャは知らなかった。

だが確かに、感じていた。


こうして、第三の挑戦もまた、失敗に終わった。


だが――記録者の内部には、

無力な自分への怒り、挑戦者への嫉妬が灯った。

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