プロローグ
世界がまだ優しかった頃、昼には月が目を閉じ、夜には太陽が静かに眠っていた。
そう信じられていた時代があった。
ふたつの光――太陽と月は空を分かち合い、争うことなく世界を見守っていた。
昼には歌と祝福の民が空を翔け、
夜には沈黙と夢を紡ぐ民が影に寄り添った。
太陽に選ばれた種族、それが――ハイエルフ。
天空に塔を築き、魔術と歌の叡智を誇った彼らは“暁の支配者”と呼ばれていた。
高潔な血統、透き通る美貌、神より授かった才。
彼らは太陽の民として、世界を照らすことを当然と信じていた。
一方、月の光に抱かれたのが――ハイダークエルフ。
森と影の奥に住まい、沈黙と美を重んじる彼らは“月下の民”と呼ばれた。
彼らは語らず、争わず、ただ静かに息をするように、世界の輪郭を整えていた。
昼と夜は交代し、光と影は重ならず。
世界は長い間、その静かな循環に守られていた――そう、思われていた。
けれど、ある日。
その均衡は、ひとつの“選択”によって破られる。
太陽の栄光は、人々にとってまぶしすぎたのだ。
そのまなざしは支配を生み、祝祭は誇示となり、
永遠を謳った塔は、いつしか孤高と傲慢の象徴となった。
そして人々は、太陽の光ではなく――月のやさしさを選んだ。
影の中の静けさに、癒やしを求めた。
時代は、夜の王を求め始める。
そして、ハイダークエルフの王家が立ち上がった。
彼らの新たな姫君こそが、
夜の支配を終わらせぬために。
月下の調和を、この地に“定め”として根づかせる者――彼女は、そう在るべきとされた。
名は、セリス・エル=ティリアーナ。
月に生まれ、星の瞳を持ち、闇の静けさをその身にまとう少女。
その姿を一目見ただけで、人々は「この姫こそが世界の調和だ」と確信した。
やがてセリスは“月下の姫”として即位し、
太陽の民たちは、静かに、そして確実に――歴史から姿を消していく。
旧王家の名は抹消された。
書物からも、碑文からも、その名は削り取られた。
誰もが、太陽の姫を忘れた。
いや――忘れたふりをした。
だが、本当に“消えた”わけではなかった。
ひとりだけ、なお世界の奥底に存在を刻み続けていたのだ。
その名を、レヴァリア・アル=ティリアーナ。
暁の最後の姫。
かつて世界を照らすと謳われた、太陽の王女。
けれど彼女の名は、今や禁忌。
口にすれば不吉が訪れるとまで言われている。
王国の誰もが、彼女の存在を語らない。
だが――それは、語れないからではない。
語ると“何か”が目を覚ましてしまうからだ。
「光は、私から奪われた。
そして闇は、私に背を向けた……」
それは、王国が最も恐れた“呪いの前夜”。
静かに、確かに、物語は始まっていた。