豊玉(9)
「ま、大兄さんで順当じゃないですか、遠路はるばる、そんなこと教えにきてくれてありがとう」
凡海史郎は、使者である舎人の海部洋大に言った。
寮生である史郎は部屋に客を入れるわけにはいかない。大学前のファミレスに海部を連れてきた。
「すぐにもお戻りください。権大様のお言いつけです」
「親父の?」
海部の言葉を史郎は鼻で笑って相手にしない。
「あのね、海部さん、ボク、いま自治医大の5年なんだ。成績優秀とまでは言わないけど、そこそこ頑張ってるつもりだよ」
「それは、よく存じております。しかし」
「ボク、医者になるつもりなんだよ。自治医大は必ず故郷に帰されるから、あと二年すれば近くに戻りますよ」
「いま、すぐです。二年では遅すぎます。いますぐお戻りいただいて豊玉を」
「また豊玉」
呆れ顔で史郎は返す。
「出たのです。本当に、我々の豊玉が」
「だから、それは大兄さんが探すんでしょ。ボクには関係ない」
「史郎様が、豊玉をお持ちくだされば、史郎様が我々の長です」
「あのね、海部さん」
史郎はため息まじりに言う。
「ボクがなんで医者になろうと思ったか、知ってる?」
「いや、それは」
「他の職業だと、無理矢理、親父に連れ戻されかねないからだよ。自治医大は学費無料だし、たとえ年期奉公の9年は故郷の近くで暮らさなけりゃならないとしても、凡海衆とは縁が切れる」
「史郎様」
「だいたいねえ。豊玉、豊玉、っていうけど単なる大昔の伝説じゃないですか。それらしきものが現れたのは確かかもしれないけど、それで凡海衆がどうなるというものでもない」
「豊玉は道鏡のために失しましたが、それさえなければ凡海衆が」
「そう、その道鏡」
史郎は海部の言葉にかぶせるように言う。
「弓削道鏡、足利尊氏、田沼意次で三大悪人って言われてるらしいけど、よく調べてみると当時の政敵に都合が悪かっただけで、みんな悪人ってわけじゃなかったんだよね。凡海衆では弓削道鏡のこと、極悪人よばわりだけど、豊玉がなくなったのだって、本当に道鏡のせいかわからないでしょう」
「史郎様」
「あ、そういえば、この近くに道鏡塚っていうのがあるんだよ。道鏡の墓っていう説もあって、行ってみようかな」
「とにかく、お戻りいただくまで、この海部、引き下がりませんので」
「帰らないよ」
「史郎様」
頑としてゆずらない史郎に、今日はこれまでと思ったのか、海部はひとまず辞した。明日また参ります、と言う海部に、どうぞ御勝手に、と史郎は返した。
次の日、寮を訪れた海部は、史郎が不在であると告げられる。次の日も、その次の日も。
海部は警察に捜索願を出したが、前後の事情を海部から聞いた警察は、大学が長期休暇中であることも考慮に入れ、事件性なし、と判断した。
「ありゃあ、こりゃ、ひどいわ」
参拝客に言われて様子を見にきた龍興寺の住職は、その場につくなり大声を上げた。
石塔は倒され、奥の古墳には大穴があいている。
「道鏡さんが悪いことしたわけでもあるまいに、ただの悪評だけで、こんな悪戯を、バチがあたるぞ」
道鏡塚の無惨な有様に憤慨する住職だった。
「けどなあ、和尚さん」
住職をこの場に連れてきた男が言う。
「この土盛のところの穴な。なんか、外から掘っくり返したというより、中から何ぞ出てきたように見えんか?」
「このバカ、道鏡さんが出てきたとでも言うんか」
「いや、そうは言わんけど、そうも見えるというだけで」
男は語尾を濁したが、穴の周りの土くれは、もぐらの巣穴のように丸くこんもりと盛り上がっていた。