豊玉(6)
六十畳を超える広さの板の間であった。
窓の鎧戸は固く閉められ、灯りと言えば部屋の四隅と座の中央に据えられた燭台のみ、たとえ闇に目を慣らしたとしても、互いの顔すら見分けるのは難しい。
そんな部屋であった。
寄人たちは、各々、円座を尻に敷き、勝手気ままに座しているように見えた。しかし、その座位にはしきたりがあるらしく、後から着く者は闇の中で己の位置を定めるのに難渋していた。
ようやく、位置決めもすんだらしい。ことり、とも鳴らぬ静寂の中で、寄人たちは息をひそめて待っていた。
扉が無造作に開け放たれ、生の陽光が差し込む。
逆行の中、不敵な偉丈夫の体躯がシルエットとして浮かび上がる。
男は大股で進み、中央の燭台の前に腰を下ろした。隅の者が遠慮がちに扉を閉める。
「大兄よ。そこに座るはまだ早い」
「ほう、そうかい」
凡海大兄は立ち上がった。
「じゃあ、話が決まったら呼んでくれ。こんな陰気臭いところには、長居したくないんでな」
「待て、大兄」
大兄の隣に座した老人が諫める。
「そう急くな。主が頭領の座に着くことに異存のある者はおらぬ」
「ここにいる連中、異存なし、なんぞという顔にはとても見えないがな」
「条件がある」
「条件?」
「豊玉を持ち来たれば、主を頭領と認めよう」
「また、その話か、くだらん」
大兄は場の年寄りどもを一喝した。
「かつて、凡海衆の頭領となった者で、豊玉を持っていたヤツなど一人もおらんぞ」
闇の間は静寂に落ちた。
さて、帰るか、と大兄が腰を上げようとした時、古老がつぶやいた。
「それが、出たのよ」
闇は、ざわ、と澱み。隅のほうから、くぐもった声があがる。
「豊玉が出た」
場の雰囲気は一変し、あちらこちから、あぶくのように、ざわめきがわいた。
「豊玉は我らのモノ」
「我らが長が大海人皇子に貸し与え、その力をもって、壬申の乱にて大友皇子を破った」
「代々、皇室に伝わるはずであったに」
「そもそものつまずきは恵美押勝よ」
「恵美押勝の強欲がつけこまれ、道鏡が豊玉を手にした」
「豊玉を奪いし憎き道鏡」
「道鏡は豊玉が力で、称徳天皇を動かし、日本を我がものにせんとした」
「破戒の僧、道鏡の手より、和気清麻呂が奪い返したは手柄であったが」
「惜しいかな、宇佐八幡宮に納める前に失した」
「以来千数百年、豊玉の行方は知れず」
「その豊玉が出たのよ」
「ふたたび我ら凡海衆の手に豊玉を」
「ああ、うるさい、うるさい、うるさい」
大兄は怒声で雑言をかき消す。
「千年以上前の話だぞ、豊玉が消えたのは。いまさら、どの面さげて、それウチのですから返してください、なんぞと間抜けなことが言えると思ってるんだ。だいたい、おまえら、今、豊玉を持ってるのが誰だか知ってて言ってんのか?」
座は静寂をとりもどした。大兄は思う。この爺婆ども、道鏡のことをあしざまに言うが、自分らが豊玉を手に入れたらどうするつもりだ。黙って神棚に飾っておくような連中ではない。所詮、同じ穴のむじなよ、と。
「賀茂晴比古と陶開葉だ」
大兄は言った。誰も、ただの一言も返事はない。
「賀茂萬山の息子と数奇屋稀介の娘だ。そんなやつら相手に宝珠を盗ってこいとか、おまえら、本気で言ってんのか?」
「臆したか大兄」
そう言って立ち上がった者がある。
「おお、誰かと思えば、権叔父か」
大兄は不敵に笑った。
「臆したもなにも、賀茂晴比古の名前聞いただけで、しょんべんちびりそうだよ、俺は。頭領なんぞ権叔父にくれてやるから、あんたが豊玉を取ってきてくれ」
権叔父と呼ばれた男、凡海権大は、拳を握りしめ、わなわなと震えながら大兄の言葉を聞いていたが、ついに言い返すことなく、座に着いた。
「主しかおらんのだ、大兄よ」
古老は言い、座した権大を目でいさめる。
「主ひとりでやれ、と言うておるわけではない。舎人を貨そう」
「舎人なんぞ、何の役に立つものか。まだウチの社員のほうが使いでがある」
大兄は立ち上がった。入ってきたときと同じように、大股で出口の扉へと向かう。
「待て、大兄」
古老は手にした勾玉を大兄に投げつけた。
「持っていけ、長の証」
振り向きもせず、大兄は投げられた勾玉を左手で受け止めた。
「貰うだけは、貰っておいてやるよ。凡海衆の頭領なんぞ、ありがたみはないが、何かの役には立つかもしれん」
大兄は扉を開け、陽光の中に身をさらした。
もはや、大兄を止めるものは誰もいなかった。




