イザナギイザナミ(58)
「大兄さんと何話してたんですか?」
「ええとですね。大兄さんの仕事と古事記と鶴の話です」
「何ですか、それは?」
眉間に縦皺を浮かべ、怪訝な顔つきで、開葉は晴比古を見る。
「ロマンです」
晴比古はことさら抑揚をつけて言った。
「男のロマンです」
開葉は眉間の縦皺をさらに深く刻む。
「あんまり、へんなこと、そそのかさないでくださいね。大兄さんなんて、ひどい目にあわせたばかりなんだから、しばらくそっとしておいてあげなさい」
「ひどい目、って、大兄さん、そんなこと言ってませんでしたよ。楽しかった、って」
「社交辞令というのを知らないんですか? あんな目にあって楽しいわけがないでしょう」
「え〜、だって、もとはと言えば、亀さんがですね。サンタ君のところに来たからですし、僕は別に。大兄さんたちだって勝手について来たんだし、それを言ったら玉ちゃんだって……」
それまで開葉の胸元で機嫌良く光を回していた豊玉が、ぴたっ、と輝きを止めた。
「あ……」
豊玉は、弱々しく明滅する。巾着袋からかろうじて光が漏れる程度だ。
「何で、他人のせいにするの? 玉ちゃん、泣いちゃったじゃないですか」
「あ、いや、だから、そういう意味じゃなくて」
「じゃあ、どういう意味なの?」
「虹の松原とか屋久杉とか、いろいろ見たじゃないですか」
「ひとりだけおみやげ買ってた人もいましたねー。そりゃ、楽しいですよねー」
「ね、玉ちゃんも、ほら、ぶーん、て、空飛んだり、楽しかったでしょ」
豊玉は、ほんの少し、るる、と鈍色を回した。
「ほらあ」
「私は、あれ、全然楽しくなかったですけど」
「ジェットコースター好き、って言ってたのに」
「あれのどこが、ジェットコースターだ。いいかげんにしないと絞めるぞ」
開葉に一喝されて、晴比古は黙った。
「さっさと車乗ってください。ほら、大兄さんと佳海さんは行っちゃいましたよ。みんな待ってるんですから」
「あ、僕が運転しますよ」
「キョージュはよそ見ばっかりしてあぶないから、私が運転します」
「……はい」
晴比古は助手席のシートベルトを締めながら思う。わざわざ黄泉比良坂まで行ったのに、何も思い出さないんだもんなあ、骨折り損だなあ。
−−あなたが思い出したら、私も思い出しますよ。
え?
驚いた晴比古は、隣の開葉を見つめる。
「どうしました? キョージュ」
「いや、いま、何か言いませんでしたか? 開葉さん。その、思い出すとか、思い出さないとか?」
開葉は大きくため息をついた。
「とうとう幻聴ですか? だいたいキョージュ飲みすぎなんです。今晩は相手もあるし、少しなら、しかたないですけど、お酒だけじゃなくて、ちゃんとおかずも食べる。とくに野菜をちゃんと、ちょっと、聞いてる?」
「き、聞いてますよ」
「じゃあ、繰り返して」
「野菜をちゃんと食べる」
「よし」
アクセルを踏んで、開葉は車を出した。
あの声はいったい誰だろう。聞き覚えのある声だった。晴比古は記憶をたどってみたが、あの声の人を思い出すことができなかった。それは晴比古とってはじめての経験だった。
<海人招来 − 了>