浦島(56)
凡海衆本家の大広間はいつもと違って陽の光が差している。
鎧戸を開け放つと、意外にも明るい造りで風通しも良い。これが本来のこの家の造りであるのだろう。
上座中央には晴比古と開葉が座り、その間に豊玉が置かれている。見栄えの良いように、と三十センチほどの大きさになってもらっている。
賓客二人の左右は大兄と史郎が固め、大兄のとなりには佳海がついていた。
上座に面する板の間には、それぞれ円座を敷いた凡海衆の面々が揃っていた。
はじめまして、と晴比古が挨拶した後、無駄な説明は省略しましょう、と開葉と共に豊玉に手を添える。
豊玉の鈍色の光が、るる、と回りだし、座敷の中を満たしていく。
居合わせた者は、皆、恍惚の表情となり、古老の中には感情を抑えきれずに涙する者もいた。
しばし身動きも取れずに、その場に座りつくしていたが、やがて、ひとり、またひとりと座を辞していき、とうとう下座には一人を残すのみとなった。
凡海権大は良い坐相で上座の面々に対座し、両手を前に添えると深々と頭を下げた。一同はまた権大の礼に頭を下げて応じた。
「ご苦労様、玉ちゃん」
開葉の言葉に、しゅしゅぅ、と二センチほどの大きさに縮んだ豊玉は、保護者の掌に転がりこんだ。その光景に、おお、と漏らした権大の面持ちには、まるで孫を愛でるような優しさがあった。
「わざわざ来てくれて、ありがとう」
大兄は晴比古にあらためて礼を言った。
「どういたしまして、邪馬壹に出かけたりするよりは、ずっと簡単だし楽しいですよ」
「そうか? 俺にはあれも楽しい旅だったが」
「そうでしたか? あまりそんな風には見えませんでしたが?」
「終わってみれば良い思い出、ってやつだよ」
「終わればね」
晴比古の意味ありげな言葉に、大兄は眉をしかめた。
「どういうことだ? まだ終わってないのか」
「あなたがたの旅は終わりましたよ」
晴比古は笑った。
「だから、あなたがたは心配入りません。ところで、ウチのアレが長逗留してご迷惑をかけています。本当に申し訳ありません。つれて帰りますので、滞在費用のほうは術師会に請求してください」
「いや、そんなに迷惑なことはないよ。酒さえ飲ませておけばおとなしいし、なぜかは知らんが爺婆の受けもいいんで、最近は引っ張りだこだ」
「あなたに迷惑だとは言ってませんよ。迷惑なのは佳海さんです」
「何で、佳海が?」
晴比古は、じっと大兄の顔をのぞきこみ、それから長々とため息をついた。
「僕もそういうのは苦手ですので、いつも怒られてばかりなんですが、あなたも、たいがいにしておいたほうがいいですよ」
「何だよ。それ、どういう意味だ?」
大兄の問いには答えず、晴比古は言った。
「後でかまいませんが、観に行きたいところがあるんです。案内してもらえるでしょうか?」
「え? 別にかまわんが、どこだい?」
「冠島と沓島です」
「ああ、それならすぐ近くだよ。車ならすぐだ。それにしても良く知ってるな。あんな小さい島」
ええ、と晴比古は答えた。
「ずっと昔から知っているのです」
「ずいぶん長いこと世話になった」
瞬光が頭を掻きながら佳海に言う。
「そんな、たいしたお持てなしもできませんで、また遊びに来てくださいね」
それなんだが、と瞬光にしてはめずらしく歯切れが悪い。
「……なんだ、その、これ、預ってくれないか?」
そう言って、懐から黄ばんだ封筒の束を取り出す。
「これは?」
佳海の問いに、瞬光はバツが悪そうな顔で答える。
「もう十年、いや十五年前になるかな、昔、大兄の親父に世話になって、しばらくここにいたことがあるんだ」
「そういうお話しでしたね」
「うん、その時、大兄に貰った」
え、と思った佳海が封筒の宛名を見る。住所も何もなく切手すら貼っていない封筒には、宛名だけが、黛光様、と見知った字で記してあった。
「黛光ってのは本名、最初の二、三通は読んだんだが、後は封も切ってない。その、何だ。青少年特有の先走った何というか、まあ……。燃しちまおうとも思ったんだが、なんとなく忍びなくてな。かといって大兄に突っ返したりしたら、それはそれで、やっこさん傷つくだろ。だから、大兄の家の納屋に突っ込んでトンズラしたんだ。そのまま忘れてたんだが、酔っ払ってひさしぶりに納屋のぞいてみたら、あったんだな、これが……」
「はあ」
「もらってくれとは言わん、だから、その、無期限で預ってほしいというか、なんというか……」
はあ、と佳海は言ったが、佳海だって困る。捨てるわけにもいかないし、瞬光に返すわけにもいかない。
何故、私に? 佳海はその疑問の言葉を飲み込んだ。
答えはとっくにわかっていたし、佳海は常にそうありたいと望んでいたから。