浦島(54)
三田ルミはパイプ椅子に腰かけ、うつらうつらしていた。ルミは夜勤明けの時間のほとんどを三田高彦のベッドの前で過ごしている。
目の前で寝ているのが、三田の体だけなのはルミも知っている。三田が彼の店にいることも知っているが、ルミはやはりここにいることを選んだ。
「や、こんちは」
病室に入ってきたのは、がっしりとした体躯の男だった。広い肩に太い首がのっている。着ているTシャツがはちきれんほどに胸板が厚い。三田の見舞い客には珍しいタイプだ。
「凡海潮見だ。俺のことは聞いてると思うが」
「ああ、サンタを直してくれる、って人よね」
ルミは微笑んだ。どことなく生気の抜けた笑みだった。
「よくがんばったな」
三田の身体を見ながら、潮見は言った。状態はかなり悪いが、手遅れというほどではない。時間はかかるがなんとかなりそうだ、というのが潮見の見立てだった。
「どうやって忌籠を覚えた?」
「忌籠っていうの? 夢中でやってたから、よくわからない」
我流でここまでやれたのか、忌籠のエキスパートである潮見には逆に驚きだった。
「あんたは、これから俺のやることを見てマネするんだ。素質はあるみたいだから、すぐに覚えられると思う」
ルミはうなづき、椅子から立ち上がって潮見の傍らについた。
「まあ、そう固くなるなよ。そんなに難しいことじゃないんだ」
潮見はルミに言いながら、ふと、三田の体のほうを見た。
「本人の了解もとっておいたほうがいいな」
「え?」
いぶかしげな顔つきで潮見を見るルミに、笑いながら潮見は言った。
「インフォームドコンセントってやつさ。俺は医者じゃないけどな。勝手にはじめて後で文句を言われるのもシャクだから」
「いらっしゃい、あれ?」
目の前の客の顔を見た三田は、奇妙な薄笑いを浮かべた。
「どしたの? こんなとこまで。まあ、座りなよ」
潮見は三田に勧められた丸椅子に腰かける。
「あんたを直しに来たんだ」
ああ、三田は言いながら柏手を打つ。
「忌籠の専門家だもんね。じゃあ、この気楽な生活ともそろそろオサラバってわけか」
「直していいのか?」
三田はちょっとだけ目を見開いた。顔から笑みは消えていないが、潮見を探るように瞳が動く。
「ダメだ、って言ったら、やめてくれるのかな?」
潮見は、その太い首をゆっくりと横に振る。
「やめるわけにはいかない。あんたは直り次第、俺に忌籠を教わらなくちゃならん」
「サービスいいな」
「もちろん」
潮見は腕組みをしたまま、ニコリともしない。
「あんたの嫁さんな。ぱっと見はわからんが、あれ、かなり不安定だぞ」
「そっちもやってくれるんじゃないの?」
「引き戻したのは、あんただろ。他人がやるといろいろと問題がでるんだ」
「じゃあ、俺の忌籠もキョージュがやるべきなんじゃない?」
「本来ならな。でも、あの人、そんなことできやしないだろ?」
三田は笑った。それはいつもの三田の冷やかし半分の笑いではなく、腹の底からの笑いだった。
「まったくだ。何でああ不便なのか、他人事ながら気の毒に思うこともある」
すぐに笑いを納めた三田は、真顔で潮見にたずねた。
「嫁さん、って、ルミが自分で言ったのか?」
「不安定だって言ったろ」
今度は潮見がニヤリと笑った。
「そういうのは漏れ出してくるんだ。俺みたいなのには聞く気がなくても入ってくる」
「籍だけ入れた。まあ、そんなトコだよ」
「責任取れ、とかヤボなことは言わん。だが……」
「だが?」
「あんた、もうちょっとシャキッとしたほうがいいな」
めずらしく、三田は困った顔をした。
「そういうのはルミの好みじゃないらしいんだ」
「みたいだな」
「ふられたんじゃ、かっこ悪いしな。忠告ありがと」
また来る、言い残して潮見は椅子から立ち上がった。