国産み(48)
「終わったようだが、な」
瞬光の息が荒い。寝そべったまま、立ち上がる気配はない。
「凪沙、頼みがある」
−−え? 何?
突然、呼ばれた凪沙は、とまどいつつ問い返す。
「開葉と晴比古、あの二人を追ってくれ」
−−え? 何? どういうこと?
凪沙はうろたえて繰り返す。
「豊玉でも追えないことはないが、速すぎる。それに、むこうも動転しているらしくて、うまく同期がとれない、そうだな?」
瞬光は大兄の首にかかった若水から、いつの間に像を戻した道鏡のほうに視線を移した。
「その通りだ」
道鏡の返答は短く、それだけに事の真髄を突く。
大兄は凪沙の動揺を感じている。凪沙でなくてもそうだろう、大兄も何がどうなっているのかわからない。
「ぜんぜん、わからんぞ。凪沙にわかるように、いや、俺にわかるように言ってくれ」
「空だ」
瞬光は言った。わからんか、とひとりごち、苦笑いしながらも、息の合間に言葉をつなぐ。
「いま、あいつらは空にいる。説明は面倒なんで、信じてくれ。だから、凪沙」
瞬光は大兄の胸元にむかって言った。
「飛んでくれ」
−−飛べって、何よ。そんなこと、できないよ。
凪沙はパニック寸前だ。大兄もどうしたらいいのか、わからない。
「ナギ、雲よ。雲に憑くの、できるでしょ。あれも水滴だから」
大兄の野太い声では違和感があったが、そう言ったのは佳海だった。
−−雲?
「そうよ、ナギ、雲よ。あなたなら、できる」
雲に憑く。そんなことはいままで考えたことはなかった。でも佳海に言われると、何だかできるような気がした。
−−わかったよ、佳海姉。やってみる。
若水の中の凪沙に力が満ちる。忌籠の者たちと佳海、大兄の力が、凪沙に流れ込む。
凪沙は真上に飛んだ。行ける限りに行ってみようと思った。憑ける水があればそこで止まる。
海水は無理だ。真水でないと。無視してそのまま上昇する。
水に憑けるまでは、凪沙には見えないし聞こえない。
無響空間をひたすらかけあがる。
距離も、空虚も、心の中心すら失いかけた時、
急に、視界が開けた。
眼下にはさざめく海原がひろがり、その一部分、緑と茶を混ぜたように変色した海水から、一条の白雲がたなびいている。
寄ってみれば、海水は白く泡立ち、中心から立ちのぼる蒸気に見えかくれしながら、赤い熔岩が煌く。
−−凪沙、見えるか?
−−島だ。島ができてる。
小さい島だった。それでも凪沙は島が産まれたのを見るのは初めてだった。
−−よおし、いいぞ。まだたぶん島のそばだ。その近くの上の方、何か見えないか?
ここからでは遠すぎる。凪沙は雲を伝って島のそばまでよる。
近くによると火山の噴煙と蒸気雲はものすごかった。あわてて雲を二、三個移る。
−−よくわかんないよぉ。
凪沙は泣きだしそうになった。雲に憑いたのも初めてなら、こんな広いところで何かを探したことも初めてだ。空も青、海も青、陸ははるか遠く。煙をあげる島はあるが、他にはなにもない。
−−大丈夫だ。よく見ろ。感じろ。アイツはどこにいたって、すごく目立つんだ。
瞬光の呼び掛けがかすれそうになる。皆に支えられているとはいえ、これだけの距離だ。忌籠のほうもそろそろ限界だろう。
凪沙は立ち止まった。見るでもなく、聞くでもなく、ただ精神を研ぎ澄ました。
−−鳥だ。
凪沙の声が響いた。
−−金色の鳥が飛んでる。
問いかけを受けるより先に、凪沙は自分のとらえたヴィジョンを全員に開放した。
長い首を持つ鳥は両翼に風をはらんで、金色に輝きながら大空を滑空していく。
見れば、鳥の首に見えたのは天沼矛、その両翼は鉾を左右につかみ体を伸ばした形の晴比古と開葉。
「あれは、鶴だ」
道鏡の声が静かに響いた。
「玉手箱を開けた浦島は、煙と共に鶴に変じて飛び去った。あれは浦島の鶴」
凪沙の意識が霧散し、視界が消えた。やがて拡散した魂魄は、再び一点に集まる。
「よ、お疲れ、ずいぶんがんばったな」
目を開いた凪沙に潮見が声をかけた。屋久島の宿の天井が見える。
「すごく長い旅だった気がする」
床に寝たままで凪沙が答えた。
「でも、すんごく、面白かったよ」