豊玉(3)
「何なのよ、これは」
「豊玉」
店のカウンターに黒い水晶玉を置いて問い詰める開葉に、三田はのらりくらりと受け答えする。
「誰が持ってきたのよ」
「亀」
「かめぇぇ?」
三田は書付を取り出して開葉に見せる。
「亀だよ。ほら、ここに亀って書いてあるだろ」
説明はすんだ、とばかりに、うとうとしはじめる三田に、開葉は噛みついた。
「だから、亀がなんだっていうのよ。亀がどうやってこんなもの持ってきたっていうのよ」
「風呂敷下げて、中に入ってた」
「風呂敷ぃぃぃ?」
「うーん、来たのは実体じゃないからねぇ、俺にそう見えたってだけで、残ったのはその玉と書付だけ」
「亀に見えたの?」
「いや、爺さんだったよ。たぶん海亀だな」
「海亀の爺さん?」
「磯の香りがした」
三田と話していると、むかつくことこのうえない、と開葉は思う。
「で? こっちに押し付けたのは、どういう了見なの?」
「了見、って、先方がキョージュとアキ姉さんに、って言うんだから、そっちに回すのは当たり前だろ」
「何で、そこで、キョージュと私が出てくるのよ」
「知らないよ。そんなこと」
三田はめんどくさそうに言う。
「最初は二人に、って言ってたけど。最後にはアキ姉さんに是非もらってほしい、って言ってたな」
「ほんとに、そんなこと言ってたの?」
しょうがないなあ、と三田はつぶやいて、背筋を伸ばして開葉に対面した。
「口上の口移しするから、受けて」
「え?」
「よいおてんきですなあ」
「え? え? え?」
よいおてんきですなあ、と、三田は繰り返す。三田が始めてしまった以上、開葉も受けるしかない。復唱した。
「よいおてんきですなあ」
「いざなぎのみこと、いざなみのみこと、ともにおんはしらをおめぐりなされまして、めでたきことこのうえなく、およろこびもうしたてまつります」
「いざなぎのみこと、いざなみのみこと、ともにおんはしらをおめぐりなされまして、めでたきことこのうえなく、およろこびもうしたてまつります」
「くにうみのぎ、とどこおりなくおえられたおんにちゅうに、ごしんもつけんじょうたてまつりまする」
「くにうみのぎ、とどこおりなくおえられたおんにちゅうに、ごしんもつけんじょうたてまつりまする」
「かんろ、かんろ」
「かんろ、かんろ」
「おとこがみさま、おんながみさま、どうきんなされて、なおそのようにもうされましても、このじいめ、おめおめもどるわけにもいきませぬ。なにとぞおおさめを」
「おとこがみさま、おんながみさま、どうきんなされて、なおそのようにもうされましても、このじいめ、おめおめもどるわけにもいきませぬ。なにとぞおおさめを」
「こうろ、こうろ」
「こうろ、こうろ」
「なればこそ、なればこそ、おんながみさまにこそ、このごしんもつおうけいただきますよう。おとりなしを」
「なればこそ、なればこそ、おんながみさまにこそ、このごしんもつおうけいただきますよう。おとりなしを」
はい、おしまい、三田は言った。
「ぜんぜん、意味わからないんですけど」
開葉の抗議にも三田は涼しい顔だ。
「俺の分が入ってないからね。キョージュに移せば、意味は通るよ」
「ほんとに?」
「ほんと、ほんと」
なおも疑わしげな眼差しでねめる開葉に、三田は微笑みかけた。
「それにしても、いい具合になついてるねぇ」
「なついてる、って何が?」
「玉がさ」
三田の言い分に呼応するかのように、玉の黒が深みを増す。
「ずいぶん、気に入ってるみたいだよ。アキ姉さんのこと」
「別に私、潮の満ち干なんかいじる気ないし」
開葉の言葉に、おや、という表情で、三田が返す。
「豊玉、だよ、これ。潮の満ち干なんか関係ないよ」
「ええ? だって、しおみつのたま、しおひのたま、でしょ。これ」
「ああ、そのことか」
三田はやっと納得して説明しはじめる。
「あれは逆対呪の一種だよ。山幸は必ず海幸の逆をするように豊玉に言われてるだろ。兄君が高い土地に田をつくったら、あなたは低い土地に田をつくられよ。もし兄君が低地に田をつくったならば、あなたは高地に田をつくられよ。豊玉を持つ者が福を授かるので、福の逆さが禍になる。潮の満ち干は関係ない」
「そういう話だったの、あれ」
三田は玉を優しくなで、木箱にいれて、開葉に差し出す。
「贈り主も、アキ姉さんに、って言ってるし、もう玉もすっかりアキ姉さんなじんでるから、持ってかえりな。ここに置いていっても、すぐにそっちに返るよ。そういうものだよ。あ、この書付も忘れないでね」
「でも、返そうと思ってるんだよ、これ」
「返す、って、誰にさ?」
三田は含み笑いを残して、開葉の前から消えた。
いつもこうなのだが、三田はずるい、と開葉は思う。