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邪馬壹(28)

 

 凡海権大は客間にひとり正座していた。


 家族の者は、親戚の家に避難させた。田上の手の者が何人来るかはわからないが、里の凡海衆すべてを敵にまわしたら勝ち目がないことくらいはむこうもわかっているはずだ。


 権大がひとり居ることは知れていよう。なにも言わずとも、相手はここに来る。


 権大は待った。


 襖が開き、入ってくる者がいる。


 おや、と権大は眉根を上げた。知らぬ顔だ。


「邪魔するよ」


 老人は権大の前に紐付きの大徳利を置いた。空の湯飲みを権大に、自分でもひとつを取って手酌で注ぐ。


「そう嫌な顔をするな。お前さんに用があるわけではない。ただ、他人の家で家主を前に一人で飲むのも都合が悪いから、湯飲みを置いただけ。飲みたいなら勝手につぐが良い」


 権大は湯飲みに目をやったが取ろうとはしない。


「俺の家に来て、俺に用がないとは、いったい何者だ」


「用があるのは容堂にだが、まだ直接出向くほどの係りがない。手下でもつついて因縁をつけるか、と。そういうことよ」


「容堂だと? 田上容堂か?」


「ああ、その田上容堂よ」


 老人は、かか、と笑った。


「お前さん、その容堂を何と言ってそそのかした?」


 権大は無言である。老人の正体がわからぬ以上、いや、たとえ誰であるかがわかったとしても、そんなことを教えてやる義理は微塵もない。


「息子がな。容堂をなんとかしろ、とうるさくてな。言われんでも、最近の容堂は目に余る。そろそろ灸をすえねば、と思っていたところだ」


「息子とは?」


「賀茂晴比古」


 老人は答えた。


「この爺いの名は知らんでも、息子の名ぐらいは知っておるだろう」


「賀茂萬山か」


 萬山は名を呼ばれて、ニヤリと笑った。


「それで凡海権大、お前さん、どうする気だ」


 権大は答えない。


 湯飲みに注いだ酒を干し、萬山が口許をゆるめる。


「手伝ってやろうか?」


 それでも権大は口を結んで一言ももらさなかった。


 萬山は、湯飲みを畳の上に置いた。


「お前さんの気骨は見せてもらった。ならば手出しはせんよ」


 萬山の気配が宙に霧散した。影ではない、実体はあった。ならば隠形であろう。


 萬山の気が散ったあとは、襲撃者の気配がよくわかる。三、四、五、権大は心の中で数える。


 五人か。


 凡海の術は忍んで悟られずに使う術だ。多勢を待ち受けて倒す術ではない。なんのことはない、それを教えたのは権大だった。大兄に豊玉が渡ったならば、それで奪え、と、裏目に出たからといって、嘆くような筋合の話ではない。


 五人同時にかかられては相手できるのは一人、いや、せいぜい二人か。その間に、残りの者が権大の息の根を止めるだろう。


 −−史郎。


 権大は左手の中に形代を握りしめた。


 襖を蹴やぶり雪崩込んだ五つの人影が、持った拳銃で権大に狙いを定める。


 銃声は、響かなかった。


 ぐらり、と三人の体がくずおれ、後の二人はだらりと腕を降ろし、拳銃を投げ捨てた。


 権大の額から玉の汗が吹き出す。畳に両の手をつき、のめりそうになる体を支えた。


「お見事」


 萬山が叫んだ。


「凡海衆、放魂の術。しかと見せてもらった」


「…史郎」


 肩であえぎながら、立ち尽くす一方の男に権大が言った。


「ありがとう、父さん、形代を持っていてくれて、それのおかげで来られた」


 その声は憑かれた男のものだったが、口調は史郎のものだった。


「どこから、来た」


「体は久留米に」


 ほお、と権大息をついた。


「それで魂を二つ叩き出したか。史郎。」


 権大の目にはうっすらと涙が滲んでいた。


「もはや俺が口を出すことはないな。好きにやれ」


「体のほうは大兄さんが見ていてくれたから」


 史郎はなるべく控えめに言った。


「それに道鏡さんも手伝ってくれたし」


「道鏡入道」


 そう問うたのは萬山である。


「御坊も放魂の術を使われたからには、凡海の連に相違無しとみたが、如何」


「いかにも」


 もう一人、残った男が答えた。


「なんと、道鏡が我らの一味、だと?」


 権大が息をおさめながら、かすれる声で呟いた。


「ほぼ同時に二つの魂を抜いた。凡海でなくて誰ができるかよ、権大。お前さんも一人抜くのがせいいっぱいではなかったか」


 権大は笑んだ。自嘲ではない、助かった、という確信がこみ上げてきた、安堵の笑みだった。


「さてと」


 萬山は畳に落ちた拳銃のひとつを拾い上げ、真ん中から折った。ぼきりと音をたてて二つになったそれは、萬山の掌の中、さらさらと砂になって崩れ落ちた。


 客間にただよう影がある。五体のうち三体は畳にころがった己の体を、信じられぬ、という面持ちで眺め、一体は史郎の口調で話す男を、もう一体は誰とも知れぬ者が己の意志とは無関係に動かす体を、途方に暮れて見つめていた。


「そう情けない顔をするな」


 萬山が影たちを、己の体から叩き出された魂たちを叱咤する。


「このオモチャを全部始末したら、もとの体に戻してやる。そうしたらお前らはもう帰れ」


「ボクらも帰ります。さすがにキツイ」


 史郎が襲撃者の体を借りたまま、言った。


「あ、そうだ。晴比古さんからの言伝で、枝葉ばかり刈らないで幹のほうをなんとしろ、だそうです」


 史郎の言伝を聞いたとたんに、萬山の顔が曇る。


「わかった、と伝えてくれ。ただ、云うだけは云うが、それでも聞く耳もたんようなら、しきたりに従ってやってくれ、とも伝えてくれ」


 わかりました、それじゃ、と萬山、権大の順に手を上げて挨拶すると、立ちんぼだった二人からも生気が抜け、どう、と畳にころがった。


 残りの拳銃を片付けた萬山が権大にむかって言う。


「お疲れのところ、すまんがな。手伝ってもらえるかな。素人連中だ。魂を戻しても、二日、三日は動けないだろうから危険はなかろう」


 ああ、と権大は答えた。


「その前に、一杯もらえるか」


「おお、気がきかんで、すまん、一杯と言わず、存分にやってくれ。灘の酒だ」


 権大は紐を右手に巻き、大徳利に口をつけ、一気に喉に流し込んだ。



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