邪馬壹(23)
「術が使えんといろいろ難儀だろうから、今からこいつを封印する」
着古した鈴懸にざんばら髪、という本来のいでたちに戻った瞬光である。筑後川のほとり、鷺野ヶ原に鎮座する水天宮総本宮の境内。瞬光は晴比古の面前で九字を切る。瞬光の言う、こいつ、とは晴比古のことである。晴比古は迷惑そうな顔つきだが、意外にも瞬光のなすがままにされている。
「よし、と、これで大丈夫だ」
「本当に大丈夫なのか?」
怪訝な顔の大兄である。
晴比古の霊力は人並はずれている。通常は限界まで抑え込んでいるのだが、それでもわずかな漏れがある。一般人なら問題はないが、術師などの霊的感能力の高い人間にとっては、晴比古から漏れ出すわずかな霊力でもかなり堪える。離魂や放魂といった術の最中で魂がむき出しだった場合などは、即座に焼かれるほどである。
瞬光はさらにその上から封印をかけた。漏れ出す霊力は、晴比古と封印の間に蓄積される格好になるが、封印が破れるまでは外に影響はでなくなる。
はずである。
「まあ、こいつが本気だしたら、封印もクソもないけどな。おとなしくしてくれさえすれば、二日はもつかな」
「どうも信用ならないな」
晴比古の評判、というか悪評をさんざん聞かされた大兄には、俄には信じがたい。
「自分ではよくわからないので、なんとも言えませんが」
晴比古は居心地の悪そうな顔で言った。
「見える人にはわかるそうですから、そちらで判断願います」
「私には大丈夫そうに見えますが」
佳海が開葉にたずねる。
「開葉さんはどう思われます?」
「私、キョージュだけはだめなの。見えないんだ。他は見えるんだけどね。だからゴメン」
「そうなんですか」
「うん、なぜかはわからないけど、そうなの。でも、ここの霊場が感じられるようになったぐらいだから、たぶん、うまくいってるんだとは思うけど」
本来、開葉は霊的存在に対してかなりセンシティブである。ところが晴比古の霊場域内ではその霊圧で他の霊力が排除されてしまい、なおかつ開葉自身は晴比古の霊力を感じないため、ほとんど一般人と同じように過ごすことができる。最近では、すっかりそちらの状況に慣れてしまったので、晴比古が霊場をはずすのを嫌がるほどである。
いま開葉は、水天宮総本宮のたゆとう鎮護の霊力を全身で感じている。
「そうは言ってもなあ」
しぶる大兄に耳なれない声が語りかけてきた。
「大丈夫だよ。俺が保証する」
声が先に来た空間に、白く霧のように現れた光が、人の形となって結実する。
「サンタ」
驚く開葉に、や、アキ姉さん、と返した三田は、誰に問われるでもないのに、ひとりごちた。
「こんな手があったとはね。キョージュと話すのにはこのほうが楽だ」
ときどきやってくれよ、と瞬光に頼む三田だったが、めんどくさい、と断られる。
「どなた、ですか?」
開葉と三田を交互に見比べながら、佳海は問うた。
「あ、ああ、この子、サンタっていうの、いつもこんな感じでふらふらしてて、オカルトショップの店長やってるの」
この説明で納得したものかどうか、佳海は迷ったが、それ以上は聞き返さなかった。
ちわーす、とやる気のない挨拶をして、三田はそのまま空中に漂っている。
「みっともないから、降りなさい」
「え? 俺が見えるようなヤツなら、そんなこと気にしないよ」
「いいから、降りろ」
開葉に言われた三田は、ひょいと地表に着く。
「ほんとだ。大丈夫みたい」
そう言ったのは凪沙である。
「それでね、いま神社のまわり、ぐるっと見てまわったんだけど、おかしなやつらが十人くらいで取り囲んでる」
「何だと」
凪沙の言葉に大兄が反応した。二日酔いでも長は長である。
「いちばん近いのは、どいつだ」
「あそこ、石塔のとなりの木の後ろ」
ほんの瞬き、大兄の体がこわばったように見えた。
「田上容堂、って知ってるか?」
「知ってますよ」
大兄の問いに晴比古が答えた。
「じゃあ、そっちがらみだな。あそこにいるヤツの頭から拾った」
「気づかれませんでしたか?」
「素人らしいから、まず気づかれることはないと思う」
「襲ってきそうですか?」
「その気はないみたいだ。それに、こんな人目につくところじゃ無理だろう」
わかりました、と言った晴比古は手招きで三田を呼ぶ。二言、三言、言葉をかわし、最後に三田がうなづいた。
三田は振り向くと右手をあげた。
「それじゃ、みなさん、またね」
三田の体に背景が透けだして、まもなく、三田は空に溶けた。
ええと、と前置きして晴比古が言う。
「どうも亀さん、こちらには見えられないようですから、豊姫神社に行きましょう。ここから川沿いに五キロくらい東ですから、すぐですよ。それで、僕、急な用事ができたので、ここで少し仕事してから行きます。みなさんはお先にどうぞ」
はーい、と返事して、皆、ぞろぞろと車へ向かう。
大兄だけが、心配そうに晴比古に寄った。
「あんた一人で連中を片付ける気じゃないだろうな」
「まさか」
晴比古は一笑にふした。
「僕は平和主義者ですからね。そんなことはしませんよ。それに、むこうも襲ってくる気はないんでしょ」
「まあ、そうだが。仕事って何だ?」
「ちょっと必要なものがありまして」
晴比古は妙にはぐらかす。
「ここだと受け取りやすいんです。宅配便みたいなものだと思ってください。ああ、それと、アキハさんに知られると、怒って止められるかもしれないので、彼女には内緒にしてくださいね」
大兄は、まじまじと晴比古の顔を見つめた。
「あんたも、いろいろ大変なんだな」
そう言い残した大兄は、振り向くと急いで皆の後を追った。