邪馬壹(21)
釣りをしている。
蓑に傘、といういでたちの老人が、岩に腰を降ろし、竿から糸を垂らして磯釣りをしている。
本来であれば、人目を引くはずである。
百年前なら、いざ知らず、平成の今、それは普通の風体ではない。
風景の一部と化したかのように、微動だにしない老人は、ひとり、竿を握りつづけた。
「釣れますか? ご老人」
問いかけたのは、青年だった。彼は、老人を見るでなく、老人の持つ竿の先、海の彼方を見つめていた。
「何の、釣れますまい」
「釣れませんか」
「針も餌もござりませぬ。糸を垂らすばかりでは、釣れませぬ」
老人は竿を上げた。老人の言う通り、糸には浮子と錘しかついていない。
「それに」
と、老人は付け加える。
「亀が魚を釣ってよい道理もございませぬ」
「釣りでなければ、何をしておいででしょうか?」
青年は再び問う。老人は答えた。
「人待ちにござりまする」
「お人待ちでございましたか」
「いや、人待ちではございませぬ」
老人は立ち上がって、青年のほうを向いた。
「人でないものを待っており申した」
老人は深々と一礼する。
「おなつかしゅうござる。一別以来、幾千年」
「私をお待ちくだされましたか」
青年は言い、彼もまた一礼した。老人は青年に返す。
「貴殿ではないが、貴殿でもある。貴殿では足らぬが、貴殿でも足り申す」
「御役めの首尾、見届けましてございます」
「ならば去ぬ」
老人はかけ声もろともその場から消えた。
「ありゃりゃ、大兄さんたちが来る前に行っちゃったけど、いいのかな?」
青年はひとりごちたが、それは誰かに話しかけるようでもあった。
「待ち人は来たれり、それを認めて、ご老人も立ち去られた。いや、待ち人にあらず、そのもの、人にあらざれば」
一人問答をする青年は、護岸に人影を認めて手を振った。
「おーい、みんな、元気かーい」
晴比古たちは唐津神社に詣でたが、さしたる収穫もなく神社をあとにした。
三台のレンタカーに分乗して唐津まで来たのだが、30分おきに大兄が車を止めて吐くので、唐津神社についたのは予定よりだいぶ遅れてしまった。
最初のうちこそ、皆、大兄を気づかっていたが、そもそも自業自得だし、神社を出るころには、すっかり扱いがぞんざいになっている。
「すみません、ちょっとこの人、風に当てたほうがいいかと思うので、浜辺の方に寄ります。賀茂さんたちは先に行っていただいてけっこうです」
鳥居の前で佳海が言った。
浜辺まではすぐである。まだ日も高いし時間もあるからと、晴比古が皆で行こうと言った。
「きれいな海岸だそうですよ。虹の松原って言うみたいです」
「ほら、きりきり歩け」
瞬光に背中をどやされながら、すまん、と短く言って大兄は後からとぼとぼついていく。
潮の香りがきつい。護岸に沿って唐津城のほうに歩いていく。
「あ、あれ」
開葉の指さす方、岩の上に老人と青年が立っている。
「消えた?」
老人が、ふっとかき消えた後、青年がこちらを向いて、手を振った。
「史郎……、何で?」
大兄がつぶやき、岩にむかって走り出すも、途中でうずくまり、吐いた。
凡海史郎の姿も波間に消えた。
「それにしても、役に立たんやつだなあ」
佳海に背中をさすられながら、うずくまる大兄に、瞬光は冷たい。
「どうする? 二人共消えちまったぞ」
「いや、とくに問題はありません」
瞬光の問いに晴比古が答えた。
「ここまでが正しい道程だということがわかりましたから、もういいんです。次は、久留米です」