蛭子(16)
「というわけで、邪馬壹に行くことは、全員一致で決まったわけだが、これから邪馬壹がどんなところか説明する」
事務所のホワイトボードの前に立つ大兄を、他の社員が取り囲む形で席を占めている。本来なら、どんなところか説明してから、行く行かないを決めそうなものだが、順序が逆でも誰も不思議に思わない。凡海コーポレーションの会議はいつもこんなふうに進む。
「邪馬壹、って聞いたことあるか?」
大兄は潮見にたずねた。
「醤油か味噌の会社じゃなかったか」
「うーん、おしい」
大兄はホワイトボードに邪馬壹と書く。その下に邪馬臺と書いて臺の字に丸をし、そのさきに矢印を書いて台と書いた。
「へ〜え、邪馬台かぁ、邪馬台国なのか」
「邪馬台国、って女王卑弥呼の?」
「ナイスでエンシャントなジャパニーズキングダムだ」
洋行のは少し違うかな、と佳海は思ったが、口には出さなかった。
「うん、そのヤマタイ国だ。でも違う」
大兄は邪馬臺を大きなバツ印で消し、邪馬壹のほうを丸で囲んだ。
「中国の歴史書では魏志倭人伝に初めて邪馬壹の記述がある。ところがその後に書かれた後漢書や梁書では、邪馬臺になっているんだ。臺は台の旧字だ。いろいろ理由はあるんだろうが、邪馬台でないと大和朝廷との関連付けがやりにくいので、日本では邪馬壹はあまり史学では使われなかった。みんな自分に都合のいいほうを取りたがるからな」
「じゃあ、あたしたち、ヤマタイ国にいくんだね。すごいや」
「いや、実はそうじゃない」
大兄の言葉に他の四人は面食らった。じゃあ、いままでの話は何だ。
「術師は隠語をよく使う。邪馬壹は隠語のひとつだ。実体は別のモノを差す」
「まわりくどいな」
「よくわかんない」
「コンプレックスだね」
佳海もそう思う。
「それでも隠語として使われているのにはわけがある。魏志倭人伝に書かれている邪馬臺までの旅程がそこに到達するまでの道のりとほとんど同じだからなんだ」
四人には大兄の言う意味が理解できなかった。大兄はおかまいなしに話を続ける。
「郡より倭に至るには、海岸を循いて水行し、韓国を歴て、乍ち南し東す。其の北岸の狗邪韓国に到るには七千余里なり」
大兄は蕩々と詠唱し、四人の目は宙をさまよう。
「始めて一海を度ること千余里にして対馬国に至る。又南に一海を渡ること千余里、名づけて瀚海と曰う、一支国に至る。又一海を渡ること千余里にして末廬国に至る。東南に陸行すること五百里にして伊都国に到る。東南して奴国に至るには百里。東行して不弥国に至るには百里。南して投馬国に至るには水行二十日。南して邪馬壹国、女王の都する所に至るには、水行十日陸行一月」
好きにさせておこう、ということだろうか。誰も何も言わなかった。
「と、言うわけなんだが、わかった?」
一人満ち足りている大兄だったが、社員の評判は芳しくない。
「ぜんぜん、わからん」
「って言うより、それ日本語なの?」
「アンビリバボー」
いちおう佳海には意味はとれたが、これを詠唱した大兄の意図はわからない。
「この魏志倭人伝に書かれている邪馬壹までの道程をたどれば、鹿児島沖の海中に没する」
「じゃあ、だめじゃん」
「だめじゃない」
大兄はにやりと笑う。
「邪馬壹が普通の国なら、問題だろう。でも違う」
「普通の国ではない、と?」
佳海の問いに大きくうなずきながら、大兄はホワイトボードに、海中の国、と書いた。
「古くからの言い伝えにあるじゃないか、日本の昔話には海中の国、海中の城が登場する」
「龍宮、なの?」
おどおどしながら、そう言ったのは凪沙だった。
「そう、龍宮だ。そして、また龍宮も女王の国なんだ」
「乙姫様かあ」
「ビューティフルクイーン、アンド、フィッシュダンス」
「そっかあ、あたしたち、龍宮城に行くんだあ」
潮見、凪沙、洋行の三人はてんで勝手に話しはじめた。
「でも、邪馬壹が龍宮として、亀が出てきたのはわかるのですが、西宮とはどんな関係があるんですか?」
他の三人が盛り上がる中、佳海は大兄にたずねた。
「西宮は蛭子神を祭っている。伊耶那岐命、伊耶那美命が最初に産んだ」
「ですから、蛭子と龍宮にどんな関係が?」
「蛭子、古事記では水蛭子だが、蛭子は国産みの最初に産まれたんだ。次が淡島」
あっ、と小さく佳海は叫んだ。
「最後に『子』がつくから誤解されがちだが、国産みで産まれたのはすべて島なんだ。二番目の失敗である淡島ですら、島だ」
「地図に無い島、誰も行けない島」
「そう、だからこそ蛭子の島は失敗とされた。普通の人間は行くことができない」
「ヒルコの島、女王の島、最初に女神から声をかけたので、そこは、女王の島になった」
「女王ヒミコの島だね。ファンタスティックだ」
「それで、龍宮はどこにあるの?」
凪沙の問いに大兄は首を振る。
「それは知らない」
「じゃあ、行けないじゃん」
がっかりする三人に、大兄が笑いながら付け加える。
「だから、豊玉なのさ、豊玉こそ龍宮への道標。それに案内役の亀もいるしな」
上機嫌の大兄に佳海が釘を差す。
「でも、私たちには豊玉がありません。亀も現れない」
「そう、そこが重要だ」
大兄は今日一番の真面目な顔で四人を見渡す。
「豊玉と、賀茂晴比古と、陶開葉。彼らに俺たちの命運がかかっていると言っていい。でも、そんなに分の悪い賭けじゃないと思うぜ」