蛭子(13)
「俺、湯葉きらいなんだけどなあ」
大兄がぼやく。
「我慢してください。湯葉以外もコースに入れてもらうように頼んでありますから」
佳海は言ったが、どうして湯葉なのかは佳海にもよくわからなかった。凪沙が電話で必死に、一緒に湯葉を食べてくれ、というので、そうするしかなかったのだ。
座敷に入ると先方が二人だけで待っていた。
「あれ? 近衛さん?」
「おひさしぶりです。凡海さん」
一瞬、大兄は絶句したが、すぐに状況を把握した。術師会の人間はよく偽名を使う。以前、この人と仕事をした時、その能力には舌を巻いたが、そのときですら実力はほとんど出していないように感じられた。よく考えれば、こんな男がこの世に二人もいるハズがないのだ。
「あなたが賀茂晴比古さんとは、気づきませんで、失礼しました」
「やはり、そちらの名前で御用でしたか、いずれにしても、またお会いできて嬉しい」
「こちらこそ」
佳海がそわそわしながら二人にたずねる。
「あの、ウチの者が同席していると聞いていたのですが」
「みなさん帰られましたよ。なんでも、急な仕事が出来たと」
「え?」
開葉の言葉に佳海はうろたえた。
「すみません、ちょっとだけ失礼いたします」
佳海は座敷を離れてバッグから携帯を取り出す。凪沙にかけたが出ない。潮見にかけて、やっと連絡がついた。
「どうしたのよ」
「凪沙が熱だして倒れちゃったんだよ」
「え? 大丈夫なの?」
「いや、へらへら笑ってるから、大丈夫だとは思うけど」
「ちょっと、凪沙と代わってくれる?」
わかった、と潮見が言い、ごそごそ音がした後、凪沙の声が聞こえてきた。
「佳海姉、お客さんに会えた?」
「うん、会えたよ。ナギのおかげよ」
「そう、よかったあ。なんか、すごいひさしぶりに、身内以外の人としゃべったから」
「うんうん、そうだね。がんばったね」
「大兄あんちゃん、褒めてくれるかな」
「大丈夫だよ。すごく喜んでたから」
「そう、よかったあ」
「うん、ありがとね、あ、悪いけど潮見に代ってくれる」
また電話の向こうでごそごそがあって、潮見が出た。
「何? 佳海さん」
「とりあえず、あなたには凪沙みてて欲しいんだけど」
「わかった」
「洋行は?」
「隣にいるよ。代る?」
「いえ、いいわ。こちらの話がすんだら連絡するから、みんな一緒にいてね」
「わかった」
携帯を切った佳海は深々とため息をついた。気分を切り替え座敷に戻る。
「失礼致しました」
座敷に戻ると前菜が出ていた。湯葉づくしのため、大兄は手をつけていないようである。横にカレイの唐揚げがついている。これが大兄の分だろう。
「凡海佳海です。よろしくお願いします」
名刺を出しながら、佳海は挨拶した。
「あなたも凡海さんなんですね。さっきの女の子もでしたけど、もしかして他の方も?」
開葉の問いに佳海はうなづく。
「みんな親戚なんです。昔は凡海連といったらしいんですが、いまは凡海衆と呼ばれています」
「祖先が大海人皇子の先生だったっていうのが、唯一の誇りらしいんだけどね。まあ、いまとなっては何の役にも立たないですよ」
大兄が笑う。
「伝統のある家系なんですね」
「古いだけは古いですね。始祖はホアカリ、ニニギ尊の兄だと言ってますから」
「そんなに古いの?」
佳海の言葉に開葉が驚く。
「話だけですよ。もうそのへんは神話でしょ」
双方、自己紹介もすみ、箸も進んだところで、二の膳、三の膳が運ばれる。ころあいかな、と晴比古と開葉は互いに目配せした。
「僭越ですが、そろそろ用件のほうに入らせていただこうかと思いますが」
晴比古が切り出し、大兄が居ずまいを正す。
開葉はバッグから巾着袋を取り出す。ちょっとごめんね玉ちゃん、と声をかけてから小さな金色の台に中身を置く。
大兄と佳海は息を飲んだ。
一寸弱の黒色の玉が静々と鈍色に輝いている。
「豊玉です。凡海さんの御用件はこの豊玉に関することではないかと思うのですが、いかがでしょうか」
「おっしゃるとおりです」
大兄は言った。
「それにしても、はじめて見る。もっと大きなものだと思っていた」
「うちに来てすぐは、もっと大きかったんです。私が小さいほうがいいな、って言ったからこうなっちゃたので」
「小さくなった?」
「はい。あ、いいのよ、玉ちゃん、そのままで」
豊玉は息づく様に明滅し、できるよ、と言わんばかりに光色をはべらす。
「うん、大きくなれるのはわかってるから、お客様がいるからって、そんなことしなくていいから」
大兄と佳海は顔を見合わせた。これはもう、こちらでどうこういう筋合のものではない。
「実はですね」
大兄が話しだした。
「昔もこの玉と同じようなものがあったらしく、凡海衆の祖先が一時預っていたことがあるようなんです」
「壬申の乱の結果を左右した、と、そのころのお話ですか?」
「そうです。で、まあ、その時の豊玉は行方不明のままなんですが、最近、豊玉が現れたという噂が飛んで、親類縁者がいろめきたちまして」
「なるほど」
「で、まあ、何の因果か私が形式上、一族の長をやってますので、なんというか、その」
「もし、なんでしたら」
晴比古は言った。
「この子さえよければ、お貸しすることはできると思うんです。ただ、おかしな言い方ですけれども、ずいぶん我々に慣れているみたいなので、お貸しする際は我々込みで、ということになるかとは思うんですけど」
「いや、とんでもない、そういうことじゃないんです」
「実を言うと、私たちもこの子を突然預ることになってしまったので、少し戸惑っているところはあるんです。かわいくて良い子なんですけど、私たちがお預かりしていいものなのかどうか不安なところもありますし」
「でも、お二人にとてもよくなついてらっしゃいますし、他の者が手を出すと、かえって大変なことになりそうな」
「でも、そちらのほうで預られてたこともあるんですよね」
「いや、大昔ですし、そもそも本当に預っていたかどうかも定かじゃないし、それにあの欲ボケ連中だと、何するかわからない」
「このまま、お二人にお持ちいただいたほうが」
「はあ」
「はあ」
晴比古と開葉は顔を見合わせる。その顔には若干ではあるが失望の色が浮かんでいる。豊玉をこの二人に押し付けるとか、そういう気はさらさらないのだが、例の亀よりは話がしやすいのではないか、と密かに期待していたのである。
「これからどうされるおつもりですか?」
少し脈絡からはずれたような大兄の問いだったが、晴比古はあまりよく考えずに正直に答えた。
「邪馬壹に行こうと思っています」
「邪馬壹ですか? しかし、あそこは」
「ええ、そうなんですけど、この子の贈り主が邪馬壹にいるらしいんです」
「邪馬壹、邪馬壹か」
大兄は何か考えている風だ、左の眉根を右手でかきむしっている。こういうときの大兄はだいたいロクでもないことを考えている。佳海は嫌な予感がした。
「行きましょう、邪馬壹へ」
突然、叫んだ大兄に、他の三人が驚く。
「邪魔でなければ、いや、多少、邪魔なのはお二人、いや、この豊玉も含めて三人か、我慢してもらうとして、我々も邪馬壹に行きます。一緒に。いや、一緒でなくてもいい。後を追っていきます。お願いします。ついていかせてください」
「あ、いや、それは、別にかまいませんが、でも邪馬壹は」
「覚悟の上です」
大兄は言い切った。
「我々と言っても、まだ社員の了解はとってないので、何人になるかはわかりませんが、少なくとも俺は……、私は行きます。行きましょう。邪馬壹へ」
「あ、でも、今日は日帰りのつもりで来たので、用意も出来てないし、一度東京に帰ろうかと」
「かまいません、出立の日と場所さえ連絡もらえれば、北九州、福岡からですよね」
「ええ、そうなると思います」
および腰で受け答えする晴比古にせまり、大兄は言質を取った気でいる。
邪馬壹、と聞いた豊玉が、はずむように光を散らした。