豊玉(1)
三田高彦は店番をしながら、うとうとしていた。
三田は生霊である。とある事故で、彼の体は植物人間状態になっている。肉体のほうは入院中だが、霊体は抜け出して自分の店で商いをしているのだ。
彼の店は呪物の専門店である。オカルトショップ、という軽い響きの店名で商っているが、モノは真物のみという厄介な店だ。
三田はいまの生活にとくに不自由は感じていなかった。
生霊の生活、という言葉に矛盾さえ感じなければ、たしかにそれはその通りだった。
生霊になったのは仕事中の事故が原因だったので、入院費用その他は術師会持ちになっている。労災認定もされて相応の補償を受けているが、受給対象は、病院で寝ている彼の肉体のほうだ。
呪物屋の店主、しかも生霊、というのが現在の三田の立場である。
三田はいちおう店番をしているわけだが、生霊である彼に気づくのは相応の霊力の持ち主だけである。ひやかしの客は相手にする必要がない。店主としては非常に楽だ。
たまに店番の三田に気づかず、奥に向かって声をかけ、そのまま舌打ちをして店を出ていくものもいる。そういう素人には三田の店の品物は危なすぎて渡せない。
三田が相手をするのは、彼に気づいて、直接声をかけてくる客にたいしてだけである。
そして、そんな客は一日に一人いれば良い方で、それ故、この呪物屋の店主は常に暇を持てあましていた。
三田が、午後から何度目かのあくびをしたとき、その気配の主は現れた。
最初、気配は強い磯の香りをもって、三田をおそった。
店の入口に目を凝らすと、気配は像を結実した。
老人であった。
茶の背広を着込んだ老人は、たどたどしい足取りで、三田の前まで歩いてくる。
「良いお天気ですなあ」
老人は三田に話しかけた。
はい、と返事をした三田に、老人は満足そうにうなづく。
「伊耶那岐命、伊耶那美命、ともに御柱をお廻りなされまして、めでたきことこのうえなく、お慶び申し上げ奉ります」
さて、どうしたものか。三田は迷った。伊耶那岐命、伊耶那美命と呼びかけられて、心当たりはあの二人しかいないが、御柱をお廻りなされ、は、少々マズい。
老人は三田の困惑を気に止める風もなく、口上を続ける。
「国産みの儀、とどこおりなく終えられた御ニ柱に御進物献上奉りまする」
老人は手にしていた風呂敷を広げ、ひとつの玉を取り出した。
黒水晶の真球であった。
そう簡単に受け取るわけにもいかないので、三田はしぶしぶ応答する。
「御ニ柱、御柱をお廻りなさらず、国産みの儀、いまだ為されておりませぬ」
「甘露、甘露」
老人は三田の言葉を取り合わない。
「男神さま、女神さま、同衾なされて、なおそのように申されましても、この翁め、おめおめ戻るわけにもいきませぬ。なにとぞお納めを」
再度、老人は三田にむかって玉を差し出す。
「おんながみ様に叱られます故、受け取れませぬ」
「香露、香露」
老人は高らかに笑い、三度、三田に玉を押す。
「なればこそ、なればこそ、おんながみ様にこそ、この御進物お受けいただきますよう。お取りなしを」
三度、推められたからには、受けぬわけにもいかない。三田はあきらめて、硯と筆を取り出した。
「なれば、お預かりいたします故、一筆いただきとう存じます」
老人は三田から筆を受け取ると、たっぷりと墨を含ませ、一息に書いた。
豊玉 進上
亀
豊玉の文字に、あっ、と叫んで三田が顔あげたときには、老人の姿はかき消えていた。
ほのかに残る、磯の香り。
残された黒く透き通る玉を見つめつつ、三田はつぶやいた。
「亀だったか。やっかいなことになったな」
術師たちシリーズですが、術師たち(表)と異なり、三人称で話が進みます。
また、登場人物の名前が漢字になっていたり、検索カテゴリーが変わっていたりと、微妙なところが違います。残酷描写注意もないです、笑。
何で? と思われるかもしれませんが、いろいろ都合があるのです。
逆に、こちらの話から読まれる方、他の術師たちシリーズはだいぶ毛色が違いますので驚かないでください。