ロバとパンダとケヤキのおじさん
就職で上京してから初めてのゴールデンウィーク。
私にとっては初めての帰省。
ローカル電車に揺られて、建物が大きいだけの人の少ない駅を出ると、「こもれびロード」と書かれた看板が見えてくる。そこをまっすぐ進んで、色褪せた葉っぱの飾りが垂れ下がる、寂れた商店街を通り抜けていく。
昔は一時間ごとに音楽が鳴り、可愛いお姫様や兵隊の人形が踊りだす仕掛け時計があって多くの通行人を釘付けにしたのだが、今は全く動かない。
「ゴメンね、結菜!迎えに行くって言ってたけど、今お客さん来てて30分程遅れそう」
母からメッセージが届いていた。
歩くからいいよと返事したが、荷物もあるし心配だから車を出してくれるそうだ。
なので、商店街を抜けたところにある公園で時間を潰すことにした。他にスーパーやコンビニすらもないんだもん。
懐かしい景色が広がる。
小さい頃は、しょっちゅうここで遊んでいた。
でも、昔に比べて随分遊具も減ったような気がする。
錆びついた箱ブランコは危険だとみなされ器具で揺れないように固定されているし、少し背の高いジャングルジムは一定の高さまでしか登れないようにロープが張られていた。
この公園は、スリル満点のジャングルジムが魅力だったのに。
……ベンチに腰掛け、自販機で買ったジュースを飲みながらそんな事を考えていた。
就職1年目の、初めの難関に立たされている私の心の中は憂鬱だった。
特にやりたいことも決まらないまま、地元にいても先が見えないと思った私は新しい自分を探すために敢えて上京という道を選んだ。
だけど、コミュ障の私は都会の人達と中々打ち解けられず、会社の歓迎会でも殆ど話すことができなかった。
気の利く同期の女の子が、率先して先輩社員に酌をしているのを見て焦る気持ちだけが膨らんでいった。
そんな中迎えた長期休暇と帰省。
そのまま仕事を辞めてしまいたくなるのではないかと不安が募る。
ふと、俯いたままだった顔を上げてみると、先程まではいなかった子ども達が走り回っているのが見えた。
オレンジ色のワンピースを着てマスクをした女の子と、白黒のTシャツを着た男の子、その保護者と思われる60代ぐらいのおじさん。
男の子は、欠けた小さな王冠のようなものを頭に被っていた。
少し不思議な三人組だったが、子どもが少なくなったと言われるこの街にも少しは活気が残っていて良かったと思えた。
男の子と女の子は仲良く遊んでいたが、鬼ごっこの最中に服を掴まれ二人揃って転んでしまった。
「えーん、パンちゃんが引っ張ったぁ!」
「あーっゴメンよ、ハナ!」
そう謝る男の子自身も転んだため、服の白い部分が砂まみれになっていた。
「コラコラ二人とも、あまりはしゃぎ過ぎたらダメだよ」
「分かったよー、ケヤキのおじさん」
おじさんが優しく注意をすると、子ども二人は素直に大人しくなった。
その光景を微笑ましく眺めていると、足元にコツンと何かが当たった。
「あら、これって…」
「わーん、ぼくの王冠がなくなったぁー!」
男の子が頭を触りながら泣きべそをかいている。
「あの、もしかしてこれじゃない?」
拾い上げた王冠を男の子に持って行き、手渡す。
「あっお姉ちゃんありがとう!」
男の子は嬉しそうに王冠を受け取った。
よく見たら、その王冠は大分年季が入っているようだ。
それに本来は人が頭に被るものでは無いような気がする。
というか、どこかで見たことがある気がするのだが、どうしても思い出せない。
「見てみて!ぼくは王子様なんだ!かっこいいでしょ」
王冠を被り直すと得意気に男の子はポーズを決めた。
それが何とも可愛らしくて、私も自然と笑顔になった。
「私だって、このネックレスお洒落でしょ?褒めて褒めて!」
女の子も負けじと、首から下げている10センチくらいの手作りのネックレスを見せてきた。
メイプルリーフのような形の葉っぱのイラストにラミネートを掛けて切り抜いたものに、パンチで穴を空け赤いリボンを通した手作り感満載のネックレス。
「わあ、可愛いネックレスだね!作ったの?」
「違うよ、もらったんだよ!」
「そうなんだー」
子ども達は、自分の持ち物を褒めてもらったのが余程嬉しかったのか、私に沢山喋りかけてくれた。
その間、おじさんはニコニコしながらずっとこちらを見守っている。
「ねー、鬼ごっこしようよ!たかおに!」
「いいね!しよしよ!ケヤキのおじさんもっ」
「いやいや、わしは歳だからもう高いところには登れないよ」
「じゃあさ、お姉ちゃん一緒にたかおにしようよ!」
たかおにかー、懐かしい遊びだな。
ここは遊具が沢山あったから、色んなところに登って逃げまくってたなー…なんて考えていたら、いつの間にかメンバーに入れられてしまった。
あまり運動できるような格好ではなかったけど、二人のウルウルした顔に負けて少しだけ混ざることに。
「じゃあお姉さんが鬼になるから、二人とも逃げてね!よーい、はじめっ」
そう言って10数えた後で二人を追う。
ちょこまか逃げる子ども達は意外に早くて、最近運動不足だった私はすぐに息切れしてしまった。
私が逃げる方になればよかったかな、と思いながら走っていると、ある事を思い出した。
そういえば、この公園の真ん中には大きな木があって、その木の周りをぐるぐる回ったり、枝に掴まったりした記憶がある。
それから、以前は砂場の横に動物のバネの乗り物もあった。
(たしか…ロバとパンダだった気がする)
鼻が大きくて、一緒に遊んでいた友達がいつも「ロバじゃなくてブタだよね、これ」と指差して笑っていた。
それが、作り物だと分かっていながらも少しだけ可哀想に思えて、「そんなことないよ、可愛いじゃんっ」とロバの頭を撫でながら言い返したこともあったかな。
「はあ、はあ、やっと捕まえたよー!」
やっとの思いで女の子の肩をタッチする。
すると、首から提げていたネックレスのリボンが解けて落ちてしまった。
「あっ、私のネックレスが」
「大丈夫だよ、結び直せば元通りだから」
そう言って拾ったネックレスの葉っぱの絵を、何となく裏返してみる。
すると、そこには小さな子どもの字で「ゆな」と書かれていた。
「ゆな…?私と、同じ名前だ」
そう呟いた瞬間、物凄い勢いで記憶が脳裏に湧き上がってきた。
「こもれびロード」のシンボルはメイプルリーフ。
小学校低学年の頃、その形がとても気に入っていて、何度も絵を描いて練習した。
そうして出来上がった渾身の一枚を、学校の先生が褒めてくれて、記念にラミネートしてリボンまで付けてくれた。
嬉しくて、その日は一日中首から提げて過ごし、放課後公園で友達と鬼ごっこをした際に落としてしまった。
泣きながら探し回って翌日公園に行くと、ネックレスはロバの首に掛けられていた。
「結菜、見つかってよかったね」と母が外そうとしたが、幼い私はそのロバがネックレスをしているのがとても似合っているように見えた。
「ネックレス、ロバさんにあげる」
そう言って、折角見つけた自慢の作品をあっさり手放してしまったんだ。
次に公園に行ったときには、ネックレスはもう無くなっていたけれど、後悔はしなかった。
代わりに、隣のパンダに何もあげるものが無いことを気にしていた私は、
「パンダさんには、これをあげるね!
さっきそこで拾ったものなんだけど…キレイでしょ?」
そう言ってパンダの頭に、欠けた王冠を乗せた。
今思えば、あの王冠は商店街の仕掛け時計の人形が付けていたものだ。
当時すでに商店街は寂れかけていたから、時計は動いてはいたがボロボロだった。
外れて地面に落ちていたものを、私は拾ってパンダにプレゼントしたのだ。
「ふふっ、思い出せたかな?」
女の子は、全部知っていたかのように私に尋ねる。
「私の鼻、笑わないでよしよししてくれたのはお姉ちゃんだけだったよ。ネックレスも、嬉しかったの」
マスクを外した女の子が、まあるい鼻をこすりながら少し照れた素顔で微笑む。
「ここはお姉ちゃんの思い出の場所。
辛くなったときに、少しでも楽しい気持ちになってくれたらいいなって思ってたんだ」
男の子の言葉に、見透かされたような気持ちになる。
「なんで…」
「ずっと、見守っていたからね。君たち…この街の子ども達のことを。見ているだけだったけど、楽しかったよ」
そう言うおじさんは、子ども達から「ケヤキのおじさん」と呼ばれていた。
「もしかして、ここにあった欅の木……」
おじさんは、にっこりと笑う。
「寂しくなったらぼくたちのことを思い出して。
みんな、お姉ちゃんのことが大好きだから」
小さな王冠が夕日に当たってキラリと輝く。
澄んだ笑顔の男の子は、本物の王子様みたいに見えた。
その時、スマホの着信音が鳴った。
母からだ。
公園から少し離れた通りまで来てくれと言っている。
「もう行かなきゃ。」
公園まで来てくれないことに少し疑問を感じたが、わざわざ迎えに来てくれた母にこれ以上の要求は申し訳ない。
「じゃあね、お姉ちゃん!」
手を振る三人に、「また来るからね」と告げて公園を後にした。
一ヶ月少しぶりの母の車の匂い。昔はあまり好きでは無かったけれど、今は帰ってきたことを実感させてくれる優しい匂いに思える。
「ね、お母さん。さっき商店街横の公園で待ってたんだけどね、」
そう話しかけると、母は不思議そうな表情でこちらを見てきた。
「公園?どこの?」
「だから商店街横の公園だよ。私が小さい頃よく遊んでた、ロバとパンダの乗り物があったとこ!」
「何言ってんの、あの公園はもう無くなってるわよ」
「え?」
母から、衝撃の事実を教えられる。
「結菜が出てってすぐだったかねぇ、この街は子どもが少なくて利用者がいないから何かの事務所を建てるために撤去されたのよ」
「ええぇ――?」
まさか、そんな筈はない。
つい先程まで私はそこの公園で走り回っていたのだから。
確かに不思議な子ども達には会ったけど……
「じゃなきゃ、公園まで迎えに行ってたわよ。
あの道、工事のために道が細くなって今は車が通れないから」
公園自体がすでに無くなっていた。
それなら、私がいた場所は何だったのだろう。
奇妙な体験だったけれど、不思議と怖くはなかった。
むしろ、とても温かい気持ちになれた。
『みんな、お姉ちゃんが大好きだから』
今この時期がとても辛くて苦しかったけれど、
応援してくれる人がいるということが本当に嬉しかった。
「お母さん…信じてくれないと思うけどね、
私、ロバと、パンダと、ケヤキのおじさんに会ったんだよ」
娘が涙を零しながら、こんな意味不明な事を言い出したら母もさすがに困るかな。
そう思ったが、つい口に出してしまった。
「そうなんだ。結菜、あの公園大好きだったもんね」
意外にも母は、私を変人扱いすることなくそのままを受け止めてくれた。
「最後に遊んでくれてありがとうって言いたかったのかもしれないね」
母の思いがけない温かな言葉に、またしても私はウルっときてしまった。
「うん、……そうだといいな」
――――――
1年後、何とか辞めずに今も私は同じ会社に勤めている。
少しずつだが周りとも打ち解けていき、今では休日に一緒に買い物に行く程の仲の良い友達もできた。
今の時代は便利なもので、スマホで地図を開くとその場所の過去の風景を見ることまでできる。
ふと、例の公園の場所を検索してみると、2年前にも遡れることが分かった。
心の中で「やった!」と思い、画像の読み込みを待つこと5秒、画面いっぱいに気になっていた景色が映し出された。
撤去される直前の公園は、自分の記憶に残るそれよりもずっとボロボロになっていたけれど、
こちらを向いて仲良く並ぶロバとパンダは、少しだけ笑っているように見えた。
〈おわり〉
西野カナさんの「MyPlace」という曲が好きで、昔聴きながら思いついたストーリー。
地元ではないのですが、祖母が住んでいた街の商店街が寂れ、お気に入りの公園が無くなって凹んだのは本当だったりします…