第29話 嘘、あるいはだれかの決意
「んー楽しかったー!」
耳を澄ますと、寝床へと急ぐカラスの声がもの悲しく響く時間のなかで、エリが満足そうにグッと伸びをする。彼女の言うデートが始まってから八時間余り、さしものエリにも疲れが見え始めているようだった。
最近では本当に珍しく夕方まで天気が崩れることはなく、僕らはきょう一日を過ごした。
河川敷を歩く僕らを西日が赤く染めていた。降り続いた雨の影響で濁った水面が目に入らなければ、きっとまた世界の優しさを信じられたくらいに、僕らを照らす夕陽は美しく輝いている。
「あーあ、もう雨なんか降らなきゃいいのに」
「ずっと晴れだったら困るよ」
河原を歩き、山並みに消えて行こうとする太陽をみつめて呟いたエリに僕は言った。
「何事もほどほどが一番さ。晴れの日があって、曇りの日があって、雨の日がある。そんな世界の方が、きっと晴れの日の有り難みを感じられるはずだよ」
「でもさァ、最近雨ばっかじゃん。ちょっとくらい続いたとしても贅沢じゃないと思うわけだよ、あたしとしてはね、っと」
つまらなそうに小石を蹴るエリ。手に持った紙袋が反動で揺れてくしゃりとした音を立てる。無遠慮な音だった。
「ねえセンパイ」とエリは言った。「明日も晴れると思う?」
「どうだろう。僕は天気予報士じゃないからね、明日のことは明日にならないとわからないよ」
もちろんスマホを取り出して天気予報を調べればいいんだけれど、なぜだか躊躇われた。しかし西の空に見える分厚い茜色の雲が、明日は雨が降ることを予感させていた。
「そっか……」
それっきりエリが黙ってしまったので、静かな時間が穏やかな波のように流れていく。暮れなずむ光が僕らの影を細長く伸ばしていた。
「……ひとつ、きみに訊きたいことがあるんだ」
「ん、なにー?」
どんなに騒がしく過ごしていても、ふいに沈黙が訪れるタイミングというものがある。そしてそういうときに放たれる言葉は印象深く聞こえるものだ。
この瞬間を待ち望んでいた僕は少女の横顔を見つめて言う。しかし言葉が続けられない。錆びついた時間のように唇は動かなかった。
「センパイ?」
訝しく思ったのだろう、エリは不思議そうに僕の目を覗き込んでくる。
「どうしたの?」
だけど僕は答えることなく、じっとエリの瞳を見続けた。あるいは少女の顔に何かの思い出を探していたのかもしれない。もう二度と訪れることのないだれかとの思い出を。
「ねえ、センパイってばァ」
じれったそうに呟くエリ。僕は自分の心に言い聞かせるように、これから少女に告げようとする言葉を反芻していた。
僕がその言葉を告げれば、きっと何かを変えてしまう。今までのような関係ではいられなくなる。そんな確信にも似た予感が僕の舌を重くさせている。
彼女が黙っていたのも何か理由があるはずで。
僕がそれを指摘することに、一体なんの意味があるのかとも思う。
だけど、ここで言わなくても、いずれ明らかになることだ。
あの日、来栖くんから話を聞いた時点で、もう引き返せない道を僕は歩いてしまっている。
なら、早い方がいい。
「エリ」
覚悟を決めた僕は言った。
「——きみは風戸アンリの妹だったんだね」
遠い記憶のなかで、どこかでだれかの息を呑む音が聞こえた気がした。




