第22話 動物型の〝残滓〟
「——そっち行ったぞッ、幸人!」
「わかってる! それより来栖くんはエリを!」
あの訓練の日から三日後、僕らは絶体絶命の状況に陥っていた。
意識を失っているエリ。満身創痍といった体の来栖くん。棺桶から足を抜け出そうともがく僕らを嘲笑うかのように雨が冷たく降り続けていた。
エリックから新たな〝残滓〟の出現報告を受けたのは一時間ほど前のことだった。
『——今回出現した〝残滓〟は動物型。呼称名は〝BP〟。ひどく獰猛な個体で、既に被害も出ている』
淡々《たんたん》とした説明だったけれど、切迫した内容に僕らは固唾を飲んでエリックからの言葉を待った。
『これからボクらの任務を説明する。本日一五三◯、近隣の基地が分隊を組み〝BP〟討伐作戦を決行。しかしそれから三十分後の一六◯三、討伐部隊は壊滅。死者、重傷者ともに三名ずつ。ボクらの任務はこの生き残った仲間三名の救出だ』
『……壊滅って、嘘でしょ?』
呆然と呟いたエリに、エリックは厳しい顔で続けた。
『救援要請が届いてから三十分近く経っている。もう一刻の猶予もない。急ぎ準備を整えて向かってほしい』
『せ、センパイ……!』
『ああ、すぐに向かおう』
基地を飛び出そうとする僕らに、しかし来栖くんはただひとり冷静だった。
『待てよエリック……動物型以上の〝残滓〟との戦いでは、最低でも魔法使いを二人以上含めた分隊が基本だ。先行部隊の救出が目的とはいえ、まさか俺たちだけで行かせるつもりじゃねえよな?』
来栖くんの疑念のこもった瞳を受けながら、エリックは沈痛な面持ちで答えた。
『……残念だけど、今動けるのはこの基地にいるボクたちだけなんだ。君たちだけで行ってもらうしかない』
『チッ、ふざけやがって……俺たちは捨て駒ってわけかよ。おい幸人、行く必要はねえぞ! こんな馬鹿げた任務、俺はゴメンだぜ!』
苛立ちを吐き捨てる来栖くんに、だけど僕は言った。
『……いや、行こう来栖くん』
『——幸人! お前、状況わかってるのか!? もう既に三人がやられてんだぞ!! 死にに行くようなもんだ!』
『……だとしても。……今彼らを救えるのは僕たちしかいない。僕らが行かなきゃ彼らは助からないんだ』
『その結果俺たちの誰かが死ぬとしても、か?』
頷いた僕に来栖くんは舌打ちをして、それから画面上で歯がゆさを押し隠しているに違いないエリックにむかって、
『……恨むぜ、エリック。お前ならもっと上手く立ち回れたはずだ』
『……これがボクの限界なんだよ、来栖』
不穏な空気に追いやられるように基地を後にし、僕らは救助にむかった。
要請を受けたポイントへと到着した僕らはエリックから伝えられた情報をもとに周囲の捜索を開始した。要救助者三名は共に重傷を負っていることから茂みや岩陰に身を隠している可能性が高い。僕らは〝BP〟を警戒しながら注意深く森林のなかを進んでいった。
『——あっ! 見てセンパイ、あそこ!』
息のつまる時間が半刻ほど続いた頃、エリが前方の木陰を指し示した。見ると、大きなケヤキの幹にもたれかかるようにして人影が三つ倒れていた。間違いない、彼らが生き残った仲間だ。
僕は端末に向かって呼び掛けた。
『エリック。目標を発見した。これより救助にあたる』
『了解。くれぐれも気をつけて』
周囲の警戒を来栖くんに任せ、僕はエリと共に負傷者のもとまで歩いていった。
『大丈夫かい?』
『ぐ……』
ひどい怪我だったけれど、三人とも意識はあるようだった。僕はエリに応急処置的な治癒魔法の詠唱を始めるよう指示した。しかしその最中、ひとりの手が僕の肩を掴んだ。震える瞳が何かを訴え掛けるように弱々しく光っていた。僕は彼の口元へと耳を寄せた。
『……に、逃げろ……わ、ワナだ……』
『え——』
『——危ないッ、センパイ!』
背後から受ける衝撃。鮮血が宙を舞った。地面を転がった僕の耳に来栖くんの叫びが貫いた。
『——エリィィ!!!』
受けたのは上空からの奇襲。樹冠に身を潜めていた狡猾な襲撃者の爪が、咄嗟に僕を弾き飛ばしたエリの背中を切り裂いた。
『クソったれがッ!』
追い討ちをかけようとエリに迫る襲撃者へと来栖くんは武器を手に駆け出した。しかし冷静さを欠いた突進は恰好の的でしかなかった。しなるムチのような尻尾に薙ぎ払われた来栖くんは勢いよく木に激突した。
『来栖くんッ!!』
『……ぐっ心配ねえ、掠っただけだ! んなことより——」
強がる来栖くんの叫びよりも早く立ち上がった僕は襲撃者の変化に気づいていた。動かない獲物よりも動く獲物を優先することにしたのか、獰猛な瞳が僕を射抜いた。
『——そっち行ったぞッ、幸人!』
『わかってる! それより来栖くんはエリを!』
飛び込んできた体躯をなんとか避けた僕は漆黒の獣と対峙する。琥珀色の瞳は油断なく僕を捉え、唸る口の端から覗く鋭い牙からは粘り気のある液が垂れていた。雨の中でなお漂ってくる刺激的な臭いに、僕は自分が獣のテリトリーにいることを実感する。
コイツが〝BP〟——。
異様な迫力だ。さすがは動物型。昆虫型とは明らかに違う雰囲気に僕は知らず喉を鳴らす。
雨に紛れて冷や汗が頬を流れていく。視界の端ではエリの下へと急ぐ来栖くんの姿が映っていた。
ぐったりと地面に伏しているエリを見ると自責の念が押し寄せてくるが、しかし今は目の前の危機にどう対処するかだ。
状況を再認識するために僕は頭を働かせる。
奇襲によりエリは目下気絶中だ。幸い僕らのバイタルデータを常にモニターしているエリックからの情報によると怪我はそれほど酷くないらしい。
危ないのは囮として使われた三人の方だが、利用価値が下がったのか〝BP〟は全く無視している。ひとまずは大丈夫だろう。
しかしいずれにしろ〝BP〟の意識を引き付けておく必要がある。いつまた気が変わるかしれない。来栖くんたちの下にでも行かれたらアウトだ。
武器はある。あらかじめ身体強化も施してある。だけどいつ切れるかはわからない。エリが目を覚まさない以上、再強化はできない。ゆえに効果が切れるまでの僅かな時間で決着をつけなければならない。
だけどここは雨の降る森林の中。夜の帳が下り始めた相手のホームだ。視界は閉ざされ、気配までもが雨で消える。
まさに絶体絶命のピンチという最悪な状況に、僕は右手に握った相棒を持つ力を強めた。
『幸人』と、端末から来栖くんの声が聞こえてくる。『エリは無事だ。目を覚ますまでなんとか耐えてくれ』
端的な、けれど多くの情報が込められた言葉だった。そう、エリが目を覚ましさえすれば勝算はある。たとえ相手が動物型であろうと、威力を込めたエリの魔法が直撃すれば灰燼に帰す。そのための魔法使いだ。だけどそれまでの間、僕ひとりでこの場を凌がなければならない。
応急処置が終わりエリが目を覚ますまでに最低でも五分。それから魔法の詠唱が完了するまでさらに十五分。何の補助もなしに二十分の時間を稼ぐというのは、動物型の〝残滓〟を前にして絶望的な難易度だった。




